このページでは、藤原氏北家・国経流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏北家・国経流の略系図
1 国経→藤原国経・忠幹の系図
3 文信→藤原文信・惟風の系図
5 惟経→藤原惟経~知信の系図
8 為忠→藤原為忠の系図
8-A 為業→藤原為業の系図
9 為経→藤原為経・隆信の系図
10-A 隆範→藤原隆範の系図
11 信実→藤原信実の系図
藤原国経・忠幹の系図
藤原国経(くにつね)〔養子:在原元方〕【828-908】
大納言。
妻 在原棟梁の娘
妻の父 在原棟梁(むねはり・むねやな)【?-898】
夫 藤原時平→藤原時平の系図
妻 藤原末並の娘
妻の父 藤原末並→藤原総継の系図
子 世光
父は藤原長良(→藤原長良の系図)とも。
藤原忠幹〔養子:藤原共明・藤原正方・藤原宣雅(→藤原尚範の系図)〕
妻 藤原子高の娘
妻の父 藤原子高→藤原有統の系図
子 文信・孫 惟風→藤原文信・惟風の系図
子の夫 藤原兼家→藤原兼家の系図
子の夫 源宣方→源重信の系図
子の夫 源奉職→源奉職・政職の系図
孫 共明/共時〔養父:藤原忠幹〕
父は藤原尚範(→藤原尚範の系図)とも。
孫 正方〔養父:藤原忠幹〕
父は藤原尚範(→藤原尚範の系図)とも。
曾孫 明盛・明方
父は藤原純素(→藤原遠経の系図)・藤原純業(→藤原遠経の系図)とも。
子 宣明
父は藤原尚範(→藤原尚範の系図)とも。
藤原文信・惟風の系図
藤原文信(のりあきら)/義信
祖父 国経・父 忠幹→藤原国経・忠幹の系図
子 惟貞(これさだ)
曾孫 範信
父は藤原惟貞とも。
孫 則経〔養父:藤原公則〕→藤原公則の系図
藤原惟風(これかぜ)
妻 藤原高子(こうし)/灑子(さいし)/中務乳母(なかつかさのめのと)
藤原妍子の乳母を務めた。
子 惟経・孫 知綱→藤原惟経~知信の系図
子 惟房
父は藤原文信とも。
孫 惟信
実は信明・経明の子。
曾孫 経良/元俊/知俊
子の夫 源頼平→源頼平の系図
藤原惟経~知信の系図
藤原惟経
父は藤原文信(→藤原文信・惟風の系図)とも。
祖父 文信・父 惟風→藤原文信・惟風の系図
妻 平直方の娘
妻の父 平直方→平維将~時直の系図
妻 高階成順の娘
妻の父 高階成順→高階峯緒~良臣の系図
妻 藤原資業の娘
妻の父 藤原資業→藤原資業の系図
孫の夫 藤原為真→藤原永実・為真の系図
曾孫 為宗→藤原為宗の系図
棟綱孫 親実/惟宣
藤原知綱【1050-1093】
子の夫 藤原有家→藤原能季の系図
藤原知信
妻 藤原有佐の娘
妻の父 藤原有佐→藤原有佐の系図
子 為忠→藤原為忠の系図
孫 為業→藤原為業の系図
孫 為経→藤原為経・隆信の系図
子の夫 藤原説定→藤原説定・憲頼の系図
子の夫 藤原範孝→藤原孝清~実隆の系図
藤原為忠の系図
藤原為忠(ためただ)【?-1136】
白河院・鳥羽院の近臣。
祖父 知綱・父 知信→藤原惟経~知信の系図
祖父 藤原有佐→藤原有佐の系図
妻 橘俊宗の娘
妻の父 橘俊宗→橘俊宗の系図
子 為盛/兼綱
子 為業→藤原為業の系図
子 為経・孫 隆信→藤原為経・隆信の系図
子 頼業(よりなり)/寂然(じゃくぜん)
歌人。大原に隠棲し、西行らと交流を持った。
子 兼豪/兼毫
子の夫 藤原光房→藤原光房の系図
孫 定長→藤原定長の系図
子の夫 難波忠基→難波忠基の系図
子の夫 難波教宗→難波教宗の系図
子の夫 平忠盛→平正盛・忠盛の系図
子の夫 藤原俊成→藤原俊成の系図
藤原為業の系図
藤原為業(ためなり)/寂念
歌人。弟の寂超(為経)・寂然(頼業)とともに三寂と呼ばれた。
祖父 知信→藤原惟経~知信の系図
父 為忠→藤原為忠の系図
祖父 橘俊宗→橘俊宗の系図
子 為賢
父は藤原為成(→藤原為宗の系図)とも。
孫 信定/尋定
孫 円経
孫の妻 藤原永清の娘
孫の妻の父 藤原永清→藤原永清の系図
孫の妻の夫 藤原能成→藤原成光の系図
円経孫 範憲〔養父:中御門宗雅〕→中御門宗家~宗雅の系図
孫 二条院三河内侍→三条公教の系図・藤原説定・憲頼の系図
藤原為経・隆信の系図
藤原為経(ためつね)/盛忠/寂超
歌人。私撰集の『後葉和歌集』を撰んだ。『今鏡』の作者とされる。
祖父 知信→藤原惟経~知信の系図
父 為忠→藤原為忠の系図
祖父 橘俊宗→橘俊宗の系図
妻 美福門院加賀→藤原俊成の系図
妻の父 藤原親忠→藤原親賢の系図
子の夫 源通能→源師頼の系図
子の夫 藤原実清→藤原長輔の系図
藤原隆信(たかのぶ)【1142-1205】
歌人。肖像画の名手でもあった。
妻 藤原長重の娘
妻の父 藤原長重→藤原長輔の系図
子 隆範→藤原隆範の系図
子 信実→藤原信実の系図
子の夫 中山忠定→中山忠定~親通の系図
子の夫 藤原公行→正親町三条公氏・実蔭の系図
孫 宗性〔養父:藤原行光(→藤原行隆の系図)〕
藤原隆範の系図
藤原隆範
祖父 為経・父 隆信→藤原為経・隆信の系図
祖父 藤原長重→藤原長輔の系図
妻 藤原季能の娘
妻の父 藤原季能→藤原顕盛の系図
孫の夫 源信基→源有雅の系図
孫の夫 源俊定→堀川通具~基具の系図
曾孫 冬綱/親綱/範重
父は藤原為信(→藤原信実の系図)とも。
曾孫の妻 源顕行の娘
曾孫の妻の父 源顕行→源有雅の系図
為綱孫 隆蔭/国枝
曾孫 行快/行賢
藤原信実の系図
藤原信実(のぶざね)/隆実
似絵の名手。信実の家系は数代に亘り絵や歌にすぐれた人物を出した。
祖父 為経・父 隆信→藤原為経・隆信の系図
祖父 藤原長重→藤原長輔の系図
子 為継(ためつぐ)/為忠【1206-1265】
従三位。絵をよくしたほか、歌人としても活躍した。
孫 伊信(これのぶ)
祖父や父と同様、絵をよくした。
曾孫 為信(ためのぶ)/為行【1248-?】
従三位。子の豪信とともに『天子摂関御影』を描いた。
為信孫 為理(ためまさ)/為景【?-1316】
従三位。
為信孫 為量/為春
為信孫 為敦【?-1402】
従三位。
為信孫 為盛【1366-?】
正三位。
為信孫 為季【1414-1474】
正二位。
為信孫 為保
従三位。
為信孫 豪信(ごうしん)〔養父:藤原為理〕
実は藤原為信の子。似絵画家。
為信孫 仁空/実導(じつどう)【1309-1388】
三鈷寺の住持。
孫 知継〔養父:藤原為継〕
実は藤原信蔭の子。
孫の夫 三条公種→正親町三条公氏・実蔭の系図
曾孫の夫 愛宕長具→久我通忠~通雄の系図
子 信海(しんかい)
醍醐寺に住した画僧。
子 藻璧門院少将(そうへきもんいんのしょうしょう)
歌人。藻璧門院に仕えた。
子 弁内侍→法性寺雅平の系図
子の夫 資光王→業資王~顕邦王の系図
子の夫 菅原在氏→菅原時登の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。