このページでは、藤原氏北家・道綱流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏北家・道綱流の略系図

1 道綱→藤原道綱の系図
2 兼経→藤原兼経の系図
2-A1 顕綱→藤原顕綱の系図
2-A2 有佐→藤原有佐の系図
3 敦家→藤原敦家の系図
4 敦兼→藤原敦兼の系図
4-A 季家→藤原季家の系図
5 季行→楊梅季行の系図
5-A1 定能→二条定能の系図
5-A2 親能・定季→藤原親能・定季の系図
5-A3 資家→二条資家の系図
6 重季→楊梅重季~経季の系図
9 親忠→楊梅親忠の系図
藤原道綱の系図
藤原道綱(みちつな)【955-1020】
大納言。
祖父 師輔→藤原師輔の系図
父 兼家→藤原兼家の系図
祖父 藤原倫寧→藤原倫寧の系図
妻 源雅信の娘
妻の父 源雅信→源雅信の系図
子 兼経→藤原兼経の系図
孫 敦家→藤原敦家の系図
孫 顕綱→藤原顕綱の系図
妻 藤原道隆の娘
妻の父 藤原道隆→藤原道隆の系図
孫 宗盛→藤原季定の系図
父は藤原長盛とも。
妻 近広の娘
子 道命(どうみょう)【974-1020】〔養父:藤原道長(→藤原道長の系図)〕
中古三十六歌仙の一人。
妻 藤原季孝の娘
妻の父 藤原季孝→藤原吉備・高岑の系図
子 豊子→大江朝綱の系図
藤原兼経の系図
藤原兼経【1000-1043】
参議。
祖父 兼家→藤原兼家の系図
父 道綱→藤原道綱の系図
祖父 源雅信→源雅信の系図
妻 藤原隆家の娘
妻の父 藤原隆家→藤原隆家の系図
子 基家【?-1093】
孫 顕仲【1059-1129】
実は藤原資仲(→藤原資仲~資重の系図)の子。
妻 藤原明子
藤原順時(→藤原有頼~忠輔の系図)の娘。禎子内親王の乳母。弁乳母と称された。
子 顕綱→藤原顕綱の系図
孫 有佐→藤原有佐の系図
妻 藤原統理の娘
子 時経【?-1076】
孫の夫 堀河天皇→堀河天皇の系図
孫の夫 難波忠教→難波忠教の系図
藤原顕綱の系図
藤原顕綱(あきつな)【?-1107頃】
歌人。古典の書写にも力を尽くした。
祖父 道綱→藤原道綱の系図
父 兼経→藤原兼経の系図
祖父 藤原順時→藤原有頼~忠輔の系図
妻 藤原隆経の娘
妻の父 藤原隆経→藤原隆経の系図
子 家通/長真【1056-1116】
子の妻 藤原行房の娘
子の妻の父 藤原行房→藤原行房の系図
孫 顕経/家長
曾孫 寛意/仁宴
子 道経(みちつね)/家隆【1060頃-?】
子の妻 藤原清家の娘
子の妻の父 藤原清家→藤原清家の系図
孫 兼忠
母は菅原清房(→菅原清房の系図)の娘とも。
子の妻 橘則隆の娘
子の妻の父 橘則隆→橘則隆の系図
子 有佐→藤原有佐の系図
子 宇都宮宗綱〔養父:藤原兼仲(→藤原兼房~宗綱の系図)〕→宇都宮宗綱の系図
父は宇都宮宗円、中原宗家とも。
子 兼子→藤原敦家の系図
孫 藤原敦兼→藤原敦兼の系図
子 長子(ちょうし)【1079頃-?】
堀河天皇や鳥羽天皇に出仕し、『讃岐典侍日記』を著した。
子の夫 藤原保実→藤原保実の系図
藤原有佐の系図
藤原有佐
実は後三条天皇(→後三条天皇の系図)の子。
妻 通宗の娘
子 重基【?-1134】
孫 重綱【?-1192】
孫の妻 重時の娘
曾孫 有経〔養父:吉田経房(→吉田経房・定経の系図)〕
曾孫の妻 平信基の娘
曾孫の妻の父 平信基→平信範・信基の系図
孫 為頼
父は藤原有兼とも。
妻 藤原成国の娘
妻の父 藤原成国→藤原貞直~親明の系図
子の夫 藤原為隆→藤原為隆の系図
孫 憲方→藤原憲方の系図
孫 光房→藤原光房の系図
子の夫 藤原知信→藤原惟経~知信の系図
孫 為忠→藤原為忠の系図
藤原敦家の系図
藤原敦家(あついえ)【1033-1090】〔養子:藤原敦仲(→藤原登任の系図)〕
篳篥の名手。
祖父 道綱→藤原道綱の系図
父 兼経→藤原兼経の系図
祖父 藤原隆家→藤原隆家の系図
妻 藤原良貞の娘
子 敦俊【1067-1125】
妻 藤原兼子
藤原顕綱(→藤原顕綱の系図)の娘。堀河天皇の乳母。
子 敦兼→藤原敦兼の系図
孫 楊梅季行→楊梅季行の系図
孫 季家→藤原季家の系図
子の夫 藤原忠家→藤原長家・忠家の系図
孫 顕良→藤原顕良・忠実の系図
子の夫 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
孫 大炊御門忠成→大炊御門忠成の系図
孫 俊成→藤原俊成の系図
藤原敦兼の系図
藤原敦兼(あつかね)【1079-?】
祖父 兼経→藤原兼経の系図
父 敦家→藤原敦家の系図
祖父 藤原顕綱→藤原顕綱の系図
妻 藤原顕季の娘
妻の父 藤原顕季→藤原顕季の系図
子 実家
篳篥大夫と号した。
子 季兼(すえかね)【?-1164】
後白河天皇の今様の師となった。
子の妻 藤原家保の娘
子の妻の父 藤原家保→藤原家保の系図
孫 季信/行兼【?-1192】
曾孫 季定
父は藤原季兼、藤原季家(→藤原季家の系図)とも。
曾孫の夫 近衛家実→近衛家実・兼経の系図
孫の夫 三条実房→三条実房の系図
子 楊梅季行→楊梅季行の系図
孫 重季→楊梅重季~経季の系図
孫 二条定能→二条定能の系図
子 季家→藤原季家の系図
子の夫 藤原顕盛→藤原顕盛の系図
藤原季家の系図
藤原季家
祖父 敦家→藤原敦家の系図
父 敦兼→藤原敦兼の系図
祖父 藤原顕季→藤原顕季の系図
妻 藤原季兼の娘
妻の父 藤原季兼→藤原敦兼の系図
子 盛能/盛定【?-1197】
子の妻 藤原季佐の娘
子の妻の父 藤原季佐→藤原高佐の系図
孫 盛兼(もりかね)【1191-1245】
権中納言。
曾孫 忠兼→楊梅重季~経季の系図
実は楊梅忠行の子。
子の妻 藤原仲教の娘
子の妻の父 藤原仲教→藤原義綱の系図
曾孫の夫 藤原光俊→藤原光俊の系図
子 季定→藤原敦兼の系図
父は藤原季信・藤原季兼とも。
楊梅季行の系図
楊梅季行【1114-1162】
従三位。
祖父 敦家→藤原敦家の系図
父 敦兼→藤原敦兼の系図
祖父 藤原顕季→藤原顕季の系図
妻 源重子
子 重季・孫 忠行→楊梅重季~経季の系図
妻 中御門宗能の娘
妻の父 中御門宗能→中御門宗能の系図
子 二条定能→二条定能の系図
孫 親能・定季→藤原親能・定季の系図
孫 資家→二条資家の系図
子 能季/保能【1154-?】
従三位。
子の妻 長暹の娘
子の妻の父 長暹→長暹の系図
孫 家行/能忠
従三位。実は源定忠(→源定忠~季則の系図)の子。
孫の妻 源信定の娘
孫の妻の父 源信定→源有雅の系図
曾孫 行厳
父は藤原能季とも。
孫 定行・覚乗・玄季
実は楊梅季行の子。
曾孫の夫 藤原良輔→九条兼実の系図
子 定行・覚乗・玄季〔養父:藤原能季〕
子 兼子・子の夫 九条兼実→九条兼実の系図
孫 良経→九条良経の系図
子の夫 藤原親経→藤原俊経・盛経の系図
二条定能の系図
二条定能(さだよし)【1148-1209】
権大納言。
祖父 敦兼→藤原敦兼の系図
父 季行→楊梅季行の系図
祖父 中御門宗能→中御門宗能の系図
妻 源通家の娘
妻の父 源通家→源通家の系図
子 親能・定季→藤原親能・定季の系図
子 資家→二条資家の系図
子 大宮局→後鳥羽天皇の系図
子の夫 粟田口忠良→粟田口忠良の系図
子の夫 坊門信清→坊門信清の系図
孫 忠信→坊門忠信の系図
子の夫 源定忠→源定忠~季則の系図
子の夫 源兼忠→源兼忠の系図
妻 藤原顕憲の娘
妻の父 藤原顕憲→藤原顕憲の系図
子 定玄【?-1247】
子 定親(さだちか)
孫 定兼/真空(しんくう)【1204-1268】
子 白川局→源光信・光基の系図
子の夫 持明院家能→持明院基宗~基世の系図
子の夫 源義持→源義持の系図
藤原親能・定季の系図
藤原親能【?-1207】
権中納言。
祖父 季行→楊梅季行の系図
父 定能→二条定能の系図
祖父 源通家→源通家の系図
子 行能【?-1216】
木津川で溺死したとされる。
子の夫 藤原公俊→三条実房の系図
子の夫 坊門忠信→坊門忠信の系図
子の夫 衣笠家良→粟田口忠良の系図
子の夫 六条家清→六条経家の系図
子の夫 藤原頼経→九条道家の系図
子の夫 八条実俊→八条公清~一条公邦の系図
藤原定季/資能【1173-1234】
正三位。
子 親季(ちかすえ)【1201-?】
権中納言。実は藤原家綱(→藤原済綱の系図)の子。
子の妻 小槻能直の娘
孫 季実〔養父:二条資季(→二条資家の系図)〕
子の妻 三浦義村の娘
子の妻の父 三浦義村→三浦義村の系図
孫 季顕
従三位。
孫の夫 一条公藤→一条実有~実連の系図
孫の夫 松殿兼嗣→松殿忠房の系図
孫の夫 源資平→源清信の系図
子 盛季【1226-?】
従三位。
曾孫 宗伊・乗伊〔養父:鷹司伊頼(→鷹司頼平の系図)〕
子 恩子→九条教実~師教の系図
二条資家の系図
二条資家【1177-1256】
従三位。
祖父 季行→楊梅季行の系図
父 定能→二条定能の系図
祖父 源通家→源通家の系図
妻 九条光長の娘
妻の父 九条光長→九条光長・長房の系図
夫 藤原忠季→中山忠親・兼宗の系図
子 資季(すけすえ)【1207-1289】〔養子:二条資高、藤原資藤、藤原季実(→藤原親能・定季の系図)、雲聖(→藤原範朝の系図)〕
権大納言。
孫 資氏【?-1306】
孫の妻 平成俊の娘
孫の妻の父 平成俊→平行範・棟範の系図
曾孫 資高/資行【1265-1304】〔養父:二条資季〕
権中納言。
資高孫 資親【1292-1346】
権中納言。
資親の妻 楊梅兼行の娘
資親の妻の父 楊梅兼行→楊梅親忠の系図
資高孫 資兼【1314-1387】
権中納言。
資兼の妻 藤原俊顕の娘
資兼の妻の父 藤原俊顕→坊城経俊・俊定の系図
資高孫 資綱/資継【1417-1464】(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。
資高孫 資冬【1443-?】〔養子:東坊城資胤(→東坊城益長~長維の系図)〕
参議。
資冬の子の夫 一条房家→一条教房の系図
資高孫 資遠【1490-1540】
従三位。
曾孫 資藤〔養父:二条資季〕
権中納言。
孫の夫 大炊御門冬忠→大炊御門師経~冬忠の系図
楊梅重季~経季の系図
楊梅重季
妻 藤原成兼の娘
妻の父 藤原成兼→藤原公実の系図
楊梅忠行【1166-1231】
従二位。
妻 白河伊輔の娘
妻の父 白河伊輔→白河伊実の系図
夫 藤原高通→白河伊実の系図
子 伊忠【?-1271】
従二位。
孫 伊忠の娘〔養父:楊梅忠行〕
妻 源師広の娘
妻の父 源師広→源師忠の系図
子 忠兼〔養父:藤原盛兼(→藤原季家の系図)、養子:楊梅兼行(→楊梅親忠の系図)〕
従三位。
孫 忠子→土御門定通・顕定の系図
子 忠行の娘→近衛家実・兼経の系図
実は藤原伊忠の娘。
子の夫 近衛家実→近衛家実・兼経の系図
孫 鷹司兼平→鷹司兼平~冬教の系図
楊梅経季【1201-?】
正三位。
子 親忠→楊梅親忠の系図
楊梅親忠の系図
楊梅親忠/経忠【?-1269】
祖父 忠行・父 経季→楊梅重季~経季の系図
子 兼行【1254-?】〔養父:藤原忠兼(→楊梅重季~経季の系図)〕
従二位。
孫 俊兼【1271-?】
従二位。
孫 兼高【1287-1338】
従二位。
曾孫 能行/重兼【1303-?】
従三位。
曾孫 兼親【?-1389】〔養子:藤原兼藤〕
従二位。
兼高孫 兼邦【?-1420】
従二位。
兼高孫 兼重/兼興
曾孫 兼藤〔養父:楊梅兼親〕
孫 盛親
従三位。
曾孫 親行
従三位。
盛親孫 親家
従三位。
孫の夫 二条資親→二条資家の系図
孫の夫 室町公春→室町公春~四辻公音の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。