このページでは、花山院家(藤原氏北家・師実流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
花山院家(清華家)の略系図
1 家忠→花山院家忠の系図
2 忠宗→花山院忠宗の系図
3 忠雅→花山院忠雅・兼雅の系図
4-A1 家経→五辻家経の系図
4-A2 雅継→五辻雅継の系図
5 忠経→花山院忠経・定雅の系図
5-A 師継→花山院師継~師資の系図
7 通雅→花山院通雅~長定の系図
11 兼定→花山院兼定~家輔の系図
19 定煕→花山院定煕・定好の系図
21 定誠→花山院定誠~家理の系図
花山院家忠の系図
花山院家忠(いえただ)【1062-1136】〔養子:藤原家実〕
左大臣。花山院家の祖。
祖父 頼通→藤原頼通の系図
父 師実→藤原師実の系図
祖父 源頼国→源頼国の系図
妻 藤原定綱の娘
妻の父 藤原定綱→藤原公任の系図
子 忠宗→花山院忠宗の系図
孫 忠雅→花山院忠雅・兼雅の系図
孫 中山忠親→中山忠親・兼宗の系図
妻 橘致綱の娘
花山院忠宗の乳母。
子 忠兼
子の妻 藤原能仲の娘
子の妻の父 藤原能仲→藤原俊家の系図
孫 家実/光家【?-1164】〔養父:花山院家忠〕
蚊子侍従と号した。
曾孫の夫 松殿基房→松殿基房の系図
子 家光
実は橘俊綱(→橘俊綱の系図)の子。養父は藤原忠家(→藤原長家・忠家の系図)とも。
子の妻 小田知家の娘
子の妻の父 小田知家→小田知家の系図
孫の夫 藤原信輔→藤原信輔の系図
曾孫 信隆→藤原信隆の系図
曾孫 水無瀬親信→水無瀬親信の系図
曾孫 六条清季〔養父:六条清輔〕→六条顕輔の系図
曾孫の夫 菅原在茂→菅原定義~在茂の系図
曾孫の子 在高→菅原在高~良頼の系図
孫の夫 藤原実清→藤原保実の系図
花山院忠宗の系図
花山院忠宗【1087-1133】
権中納言。
祖父 師実→藤原師実の系図
父 家忠→花山院家忠の系図
祖父 藤原定綱→藤原公任の系図
妻 藤原能実の娘
妻の父 藤原能実→藤原能実の系図
妻 藤原家保の娘
妻の父 藤原家保→藤原家保の系図
子 忠雅・孫 兼雅→花山院忠雅・兼雅の系図
子 中山忠親・孫 兼宗→中山忠親・兼宗の系図
子の夫 藤原公行→三条実行の系図
花山院忠雅・兼雅の系図
花山院忠雅(ただまさ)【1124-1193】
太政大臣。
祖父 家忠→花山院家忠の系図
父 忠宗→花山院忠宗の系図
祖父 藤原家保→藤原家保の系図
妻 藤原家成の娘
妻の父 藤原家成→藤原家成の系図
子 行雅
実は藤原公行(→三条実行の系図)の子。養父は藤原実長(→三条実行の系図)とも。
孫の夫 松殿基房→松殿基房の系図
曾孫 忠房→松殿忠房の系図
孫の夫 藤原仲房→藤原惟方の系図
子 隆雅
実は藤原家長(→藤原家保の系図)の子。
子 忠子→松殿基房の系図
孫 松殿師家→松殿隆忠・師家の系図
子の夫 源通親→源通親の系図
花山院兼雅(かねまさ)【1148-1200】
左大臣。
妻 平清盛の娘
妻の父 平清盛→平清盛の系図
子 忠経・孫 定雅→花山院忠経・定雅の系図
孫 師継→花山院師継~師資の系図
子の夫 九条良通→九条兼実の系図
五辻家経の系図
五辻家経【1174-1216】〔養子:烏丸兼頼〕
中納言。
祖父 忠雅・父 兼雅→花山院忠雅・兼雅の系図
祖父 平清盛→平清盛の系図
妻 高階泰経の娘
妻の父 高階泰経→高階泰経の系図
子 宣経【1203-?】〔養父:花山院忠経(→花山院忠経・定雅の系図)〕
参議。
妻 藤原成親の娘
妻の父 藤原成親→藤原成親の系図
子 雅継→五辻雅継の系図
妻 大炊御門光能の娘
妻の父 大炊御門光能→大炊御門光能の系図
子 烏丸信家/家能/宣能
孫 兼頼/忠氏【?-1269】〔養父:五辻家経〕
従三位。
曾孫 長忠
正三位。
長忠孫 長基
正三位。
長忠孫 忠朝【1282-?】
従三位。
長忠孫 鷹司具雅〔養父:鷹司宗雅〕→花山院忠経・定雅の系図
曾孫の夫 鷹司忠光→藤原道経・鷹司兼基の系図
妻 藤原済綱の娘
妻の父 藤原済綱→藤原済綱の系図
子の夫 近衛実忠→近衛公明の系図
五辻雅継の系図
五辻雅継【1198-?】
正三位。
祖父 兼雅→花山院忠雅・兼雅の系図
父 家経→五辻家経の系図
祖父 藤原成親→藤原成親の系図
妻 藤原経賢の娘
妻の父 藤原経賢→吉田経房・定経の系図
子 忠継【?-1277】
参議。
子の妻 卜部兼直の娘
子の妻の父 卜部兼直→卜部兼直の系図
孫 経氏【?-1285】
参議。
孫の妻 藤原親朝の娘
孫の妻の父 藤原親朝→藤原光雅の系図
曾孫 俊雅/俊経【1272-1311】〔養父:五辻経氏〕
参議。実は藤原宗親の子。
曾孫の妻 近藤光広の娘
曾孫の妻の父 近藤光広→近藤有信の系図
俊雅孫 俊氏/実雅
参議。
曾孫 経子→伏見天皇・花園天皇の系図
曾孫の子 後伏見天皇→後伏見天皇の系図
孫 宗氏(むねうじ)【1248-1315】
従二位。
孫の妻 藤原佐村の娘
曾孫 忠氏
従二位。
忠氏孫 氏継
氏継の妻 源重相の娘
氏継の妻の父 源重相→源光遠の系図
忠氏孫 氏教(『系図纂要』による。)
曾孫 五辻基仲〔養父:五辻時仲〕→五辻仲貞~富仲の系図
子の妻 平高輔の娘
子の妻の父 平高輔→平親輔の系図
孫 忠子→後宇多天皇の系図
孫 宗親【1242-1302】
参議。
曾孫 親氏【?-1312】
正三位。
曾孫 宗子→後二条天皇の系図
曾孫 親子→後醍醐天皇の系図
曾孫の夫 後宇多天皇→後宇多天皇の系図
孫の夫 北畠師重→北畠師重の系図
花山院忠経・定雅の系図
花山院忠経(ただつね)【1173-1229】〔養子:藤原宣経(→五辻家経の系図)〕
右大臣。
祖父 忠雅・父 兼雅→花山院忠雅・兼雅の系図
祖父 平清盛→平清盛の系図
妻 一条保子
一条能保(→一条通重・能保の系図)の娘。
子 忠頼【1199-1213】
従三位。
妻 藤原行光の娘
妻の父 藤原行光→藤原行隆の系図
子 師継・孫 師信→花山院師継~師資の系図
子 経子→後鳥羽天皇の系図
花山院定雅(さだまさ)【1218-1294】
右大臣。
妻 九条定高の娘
妻の父 九条定高→九条定高の系図
子 通雅・孫 家教→花山院通雅~長定の系図
子 鷹司長雅【1236-1288】〔養子:藤原長嗣(→清水谷公定の系図)〕
大納言。
子の妻 清水谷按子
清水谷実持(→清水谷公定の系図)の娘。
孫 定長【1259-1281】
参議。
曾孫 清雅【1284-?】
権中納言。
孫 家雅【1277-1308】
権大納言。
孫の妻 日野俊光の娘
孫の妻の父 日野俊光→日野俊光・資名の系図
曾孫 冬雅【?-1325】
正三位。
曾孫の妻 日野資名の娘
曾孫の妻の父 日野資名→日野俊光・資名の系図
冬雅孫 宗雅【1319-1389】
権中納言。
冬雅孫 具雅/兼氏【?-1393】
参議。実は烏丸定氏(→五辻家経の系図)の子。
曾孫 家頼/兼定
孫の夫 後宇多天皇→後宇多天皇の系図
孫の夫 花山院家定→花山院通雅~長定の系図
妻 葉室季頼の娘〔養父:葉室資頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)〕
妻の父 葉室季頼→葉室季頼~頼藤の系図
子 定教【?-1326】
権大納言。父は花山院通雅とも。
孫の夫 邦良親王→後二条天皇の系図
花山院師継~師資の系図
花山院師継(もろつぐ)【1222-1281】〔養子:藤原師藤、五辻忠子(→後宇多天皇の系図)〕
内大臣。日記は『妙槐記』。
祖父 兼雅→花山院忠雅・兼雅の系図
父 忠経→花山院忠経・定雅の系図
祖父 藤原行光→藤原行隆の系図
妻 大炊御門光俊の娘
妻の父 大炊御門光俊→大炊御門光能の系図
子 頼兼
参議。母は藤原長朝の娘とも。
子の妻 三条能定の娘
子の妻の父 三条能定→三条成定の系図
孫 師藤【1266-?】〔養父:花山院師継〕
権大納言。
孫の妻 日野資宣の娘
孫の妻の父 日野資宣→日野家光・資宣の系図
曾孫 忠藤【?-1319】
正三位。
妻 毛利季光の娘
妻の父 毛利季光→毛利季光~貞親の系図
妻 藤原長朝の娘
妻の父 藤原長朝→藤原長方の系図
子 宣忠・厳忠・心性(『系図纂要』による。)
子の夫 西園寺実兼→西園寺実兼の系図
花山院師信(もろのぶ)【1274-1321】
内大臣。
妻 三条実盛の娘
妻の父 三条実盛→三条実親・公親の系図
子 兼信【1291-?】
権中納言。
子の妻 御子左為世の娘
子の妻の父 御子左為世→御子左為世の系図
子 賢季(『系図纂要』による。)
実は小倉季雄(→小倉公雄~実名の系図)の子。
花山院師賢(もろかた)【1301-1332】
大納言。後醍醐天皇の側近。天皇の身代わりとなって比叡山に登ったことで有名。のちに捕らえられ、下総に流された。
妻 花山院家定の娘
妻の父 花山院家定→花山院通雅~長定の系図
子 家賢(いえかた)【1330-1366】
権中納言。南朝では内大臣に進んだとされる。
孫 師兼・元要(『系図纂要』による。)
孫 長親(ながちか)【?-1429】(以下、『系図纂要』による。)
南朝で内大臣になったとされる。歌人として活躍し、歌論書『耕雲口伝』などを著した。
妻 日野俊光の娘
妻の父 日野俊光→日野俊光・資名の系図
子 経賢・長賢(『系図纂要』による。)
花山院信賢【?-1390】
子 青山師重〔養父:花山院師資〕(『系図纂要』による。)→青山師重~忠門・忠教~義虎の系図
花山院師資【?-1393】(以下、『系図纂要』による。)
子 青山師重→青山師重~忠門・忠教~義虎の系図
花山院通雅~長定の系図
花山院通雅(みちまさ)【1233-1276】〔養子:浄経〕
太政大臣。
祖父 忠経・父 定雅→花山院忠経・定雅の系図
祖父 九条定高→九条定高の系図
妻 藤原国通の娘
妻の父 藤原国通→藤原泰通の系図
子 家長【1253-1274】
権中納言。母は平賀朝雅の娘とも。
孫 浄経〔養父:花山院通雅〕
妻 中院通方の娘
妻の父 中院通方→中院通方の系図
妻 園基氏の娘
妻の父 園基氏→園基氏~基藤の系図
妻 静誉の娘
妻の父 静誉→能円の系図
妻 平賀朝雅の娘
妻の父 平賀朝雅→平賀義信の系図
子 廊御方→亀山天皇の系図
花山院家教(いえのり)【1261-1297】
権大納言。
妻 法性寺雅平の娘
妻の父 法性寺雅平→法性寺雅平の系図
花山院家定(いえさだ)【1283-1342】
右大臣。金光院入道右大臣と号した。
妻 六条有房の娘
妻の父 六条有房→六条通有~有定の系図
子 経定【1300-1326】
権中納言。
子の妻 洞院実泰の娘
子の妻の父 洞院実泰→洞院実泰の系図
妻 鷹司長雅の娘
妻の父 鷹司長雅→花山院忠経・定雅の系図
妻 中御門為方の娘
妻の父 中御門為方→中御門経任の系図
子 良定【?-1312】
従三位。
子 尊豪(『花山院家譜』による。)
子の夫 近衛経忠→近衛家基~道嗣の系図
子の夫 花山院師賢→花山院師継~師資の系図
花山院長定(ながさだ)【1317-?】
内大臣。
子 兼定・孫 通定→花山院兼定~家輔の系図
子 定尊(じょうそん)
園城寺長吏。
子 尊深(『花山院家譜』による。)
花山院兼定~家輔の系図
花山院兼定【1338-1378】
権大納言。
祖父 家定・父 長定→花山院通雅~長定の系図
妻 九条光経の娘
妻の父 九条光経→九条定高の系図
子 基定
18歳で亡くなった。
子 行伊・定助・尊雅(『系図纂要』による。)
子 永伊・行雅(『花山院家譜』による。)
花山院通定(みちさだ)【1362-1400】
右大臣。
花山院忠俊/忠定【1379-1416】〔養子:定我(→中山忠定~親通の系図)〕
権大納言。
花山院持忠(もちただ)【1405-1467】
内大臣。太政大臣を贈られた。鳳栖院贈太政大臣と号した。
子 政長〔養父:花山院定嗣〕
子 兼子→後花園天皇~後柏原天皇の系図
花山院定嗣【1436-1454】
権大納言。
花山院政長(まさなが)/忠煕【1451-1525】
太政大臣。実は花山院持忠の子。後鳳栖院太政大臣と号した。
花山院忠輔【1483-1542】
権大納言。
妻 永俊の娘
妻の父 永俊→裏松重光・義資の系図
子 兼雄【1499-1519】
権中納言。
花山院家輔(いえすけ)【1519-1580】〔養子:二条尹房の娘(→二条持通~晴良の系図)〕
右大臣。実は九条尚経(→九条政基~兼孝の系図)の子。法雲院右大臣と号した。
妻 大炊御門経名の娘
妻の父 大炊御門経名→大炊御門宗実~頼国の系図
子 定煕・孫 定好→花山院定煕・定好の系図
子 家輔の娘(『系図纂要』による。)
花山院定煕・定好の系図
花山院定煕(さだひろ)/家雅【1558-1634】〔養子:野宮定逸(→野宮定逸~定之の系図)〕
左大臣。実は西園寺公朝(→西園寺公藤~公益の系図)の子。『花山院家譜』によれば、永原孝治に嫁いだ娘がいる。
祖父 忠輔・父 家輔→花山院兼定~家輔の系図
祖父 大炊御門経名→大炊御門宗実~頼国の系図
妻 徳大寺公維の娘
妻の父 徳大寺公維→徳大寺実規~公信の系図
子 実久〔養父:徳大寺公維〕→徳大寺実規~公信の系図
子 定煕の娘【1584-1667】
妻 朝倉義景の娘
妻の父 朝倉義景→朝倉義景の系図
子 忠長(ただなが)【1588-1662】
勅勘を蒙り、蝦夷に流された。
子の妻 如頂【?-1643】
光寿(→光寿の系図)の娘。
孫 公海【1607-1695】〔養父:九条幸家(→九条幸家~輔実の系図)〕
孫 野宮定逸・曾孫 定縁→野宮定逸~定之の系図
孫 慶算【1630-1694】
孫 忠長の娘
母は『花山院家譜』による。
子 寛海【1591-1659】
子の夫 橋本実村→橋本公夏~実村の系図
孫 季村→橋本季村~実文の系図
子 松木宗保〔養父:松木宗敦〕→松木宗満~宗条の系図
花山院定好(さだよし)【1599-1673】
左大臣。
妻 鷹司信尚の娘
妻の父 鷹司信尚→鷹司信房~教平の系図
子 定教【1629-1653】〔養父:花山院忠広、養子:花山院定誠(→花山院定誠~家理の系図)〕
従三位。
子 定誠・孫 持実→花山院定誠~家理の系図
子 忠広【1628-1693】〔養子:花山院定教〕(『系図纂要』による。)
子 尭円〔養父:尭朝〕(『系図纂要』による。)→尭円の系図
子 円利(『花山院家譜』による。)
子 定好の娘(『系図纂要』による。)
子の夫 有清(『系図纂要』による。)→岩倉具尭~乗具の系図
孫 愛宕通福→愛宕通福~通致の系図
子の夫 鍋嶌和泉守(『系図纂要』による。)
花山院定誠~家理の系図
花山院定誠(さだのぶ)【1640-1704】〔養父:花山院定教(→花山院定煕・定好の系図)、養子:尊誠(→中山篤親~栄親の系図)〕
内大臣。
祖父 定煕・父 定好→花山院定煕・定好の系図
祖父 鷹司信尚→鷹司信房~教平の系図
妻 大炊御門経敦の娘
妻の父 大炊御門経敦→大炊御門経敦~経音の系図
花山院持実/持重/持房【1670-1728】〔養子:飛鳥井雅香(→飛鳥井雅香~雅望の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
権大納言。
子 師夏【1692-1697】
花山院常雅(つねまさ)【1700-1771】〔養子:尊興(→野宮定逸~定之の系図)〕
右大臣。
妻 鷹司輔信の娘
妻の父 鷹司輔信→鷹司房輔~基輝の系図
子 好生【1740-?】
子の夫 橋本実誠→橋本実理~実梁の系図
子の夫 東園基辰→東園基禎~基愛の系図
子の夫 野宮定業→野宮定晴~定平の系図
子の夫 中山忠尹(『花山院家譜』による。)→中山愛親~忠愛の系図
子の夫 松前道広(『寛政重修諸家譜』による。)→松前資広・道広の系図
花山院長煕/兼済【1736-1769】
権大納言。
花山院愛徳(よしのり)【1755-1829】
右大臣。実は中山栄親(→中山篤親~栄親の系図)の子。
妻 蜂須賀八重
蜂須賀重隆(→蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図)の娘。
子 今城定章〔養父:今城定成〕→中山冷泉為親~今城定国の系図
子 嘉丸【1804-1867】(『花山院家譜』による。)
子 愛徳の娘(『花山院家譜』による。)
花山院家厚【1789-1866】
右大臣。
子 家正【1834-1840】
子 助丸(『花山院家譜』による。)
子 常盤木亮慎(『花山院家譜』による。)
実は花山院家理の子。
子 家威/家長【1857-?】(『花山院家譜』による。)
実は花山院家理の子。
子の夫 飛鳥井雅典(『花山院家譜』による。)→飛鳥井雅香~雅望の系図
花山院家理(いえのり)【1839-1902】
正三位。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。