津山松平家(清和源氏・義国流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、津山松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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津山松平家(美作国津山藩主)の略系図

津山松平家の略系図

1 光長松平光長~長煕の系図
5 長孝松平長孝・康哉の系図
7 康乂松平康乂~慶倫の系図

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松平光長~長煕の系図

松平光長~長煕の系図

  松平光長(みつなが)【1615-1707】
 越後国高田藩主。越後騒動により、領地を没収され、伊予国松山に配流された。

祖父 秀康 忠直結城秀康・松平忠直の系図
祖父 徳川秀忠徳川秀忠の系図

 毛利土佐子
 毛利秀就(→毛利秀就~吉広の系図)の娘。
 綱賢【1633-1674】
 国子松平光通~吉邦の系図
 稲子伊達宗利・宗贇の系図

 綱国【1662-1735】
 実は松平長頼(→結城秀康・松平忠直の系図)の子。


  松平宣富(のぶとみ)/矩栄/長矩(ながのり)【1680-1721】
 美作国津山藩主。実は松平直矩(→松平直基~基知の系図)の子。
 佐竹岩
 佐竹義処(→佐竹義処の系図)の娘。
 櫛笥桑
 実は園池公屋(→園池宗朝~公屋の系図)の娘。
妻の父 櫛笥隆賀櫛笥隆胤~隆周の系図

 脇田氏
 宣富の娘
 毛利宗元・蜂須賀宗員に嫁ぐ予定であった。
子の夫 松平信将松平信之~信将の系図
子の夫 園池房季園池実守~公静の系図

 藤田氏
 豊之助【1718-1724】
子の夫 織田信朝→織田信朝の系図


  松平浅五郎(あさごろう)【1716-1726】
 津山藩主。


  松平長煕(ながひろ)【1720-1735】
 津山藩主。実は松平知清(→松平直基~基知の系図)の子。
 長孝 康哉松平長孝・康哉の系図

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松平長孝・康哉の系図

松平長孝・康哉の系図

  松平長孝(ながたか)【1725-1762】
 津山藩主。実は松平宣維(→松平宣維~定安の系図)の子。

祖父 浅五郎 長煕松平光長~長煕の系図

 藤堂岸
 藤堂高治(→藤堂高治・高朗の系図)の娘。
 直義〔養父:松平近貞〕→松平近明~直巳の系図

 飯田氏
 長賢【1755-1776】
子の夫 松平信有松平信友~信謹の系図
子の夫 大田原庸清大田原庸清~一清の系図

 小宮山氏
 長裕【1757-1775】

 羽倉氏
 金田正彜〔養父:金田正延〕→金田正彜の系図

 長孝の娘〔養父:佐々木正勝〕


  松平康哉(やすちか)/康致【1752-1794】
 津山藩主。
 井伊世与
 井伊直幸(→井伊直幸の系図)の娘。
 藤井氏
 仙千代【?-1788】

 柴田氏
 康乂 斉孝松平康乂~慶倫の系図
 信行〔養父:松平信愛〕→松平信亨~信安の系図

 池田縫
 斉孝〔養父:松平康乂〕→松平康乂~慶倫の系図

 福田氏
 康哉の娘
 松平知豊に嫁ぐ予定であった。

 五島盛貫〔養父:五島運竜〕→五島盛清~運竜の系図
 正光〔養父:秋山荒之進〕
 信発〔養父:松平信任〕→松平信友~信謹の系図
 高木正坦〔養父:高木正明〕→高木正坦の系図
 忠善〔養父:内藤十次郎〕
 松平康乂~慶倫の系図

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松平康乂~慶倫の系図

松平康乂~慶倫の系図

  松平康乂(やすはる)【1786-1805】
 津山藩主。

祖父 長孝 康哉松平長孝・康哉の系図

 藤堂穀
 藤堂高嶷(→藤堂高悠・高嶷の系図)の娘。


  松平斉孝(なりたか)/克孝/康孝【1788-1838】
 津山藩主。実は松平康哉(→松平長孝・康哉の系図)の子。
 松平筝
 松平治好(→松平宗昌~茂昭の系図)の娘。
 奈良氏
子の夫 本多正寛本多正珍~正憲の系図

 浅田氏
子の夫 脇坂安坦→脇坂安坦の系図
子の夫 山口弘封→山口弘封の系図

 鶴本氏
 〓次郎
 〓は、「山」+「鱗」。

 中西虎
 慶倫〔養父:松平斉民〕
 直温〔養父:松平直興〕→松平直行~直哉の系図

 雨森氏
 定安〔養父:松平斉貴〕→松平宣維~定安の系図
 斉孝の娘
 三浦義次に嫁ぐ予定であった。


  松平斉民(なりたみ)【1814-1891】〔養子:松平節姫(→松平宗昌~茂昭の系図)〕
 津山藩主。実は徳川家斉(→徳川家斉の系図)の子。徳川家達を後見した。
 松平敏
 実は松平維賢(→松平長孝・康哉の系図)の娘。
 千賀浦氏
 斉民の娘
 蜂須賀茂韶に嫁ぐ予定であった。

 渡辺須磨
 康倫〔養父:松平慶倫、養子:松平康民〕
 康民〔養父:松平康倫〕


  松平慶倫(よしとも)/有倫【1827-1871】〔養子:松平康倫〕
 津山藩主。実は松平斉孝の子。
 黒田長溥の娘
 実は奥平昌暢(→奥平昌高~昌邁の系図)の娘。
妻の父 黒田長溥黒田治之~長知の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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