内藤氏(藤原氏北家・藤成流)・政亮流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、内藤氏(藤原氏北家・藤成流)・政亮流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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内藤氏・政亮流(陸奥国湯長谷藩主)の略系図

内藤氏・政亮流の略系図

1 政亮遠山政亮~内藤政業の系図
6 貞幹内藤貞幹~政憲の系図

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遠山政亮~内藤政業の系図

遠山政亮~内藤政業の系図

  遠山政亮(まさすけ)/頼直(よりなお)【1625-1693】
 陸奥国湯長谷藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。

祖父 政長内藤政長の系図
 忠興内藤忠興~義稠の系図

 真田信政の娘
妻の父 真田信政→真田信政の系図

 政亮の娘
 実は品川高寛(→品川高寛~高標の系図)の娘。


  遠山政徳(まさのり)【1674-1703】
 湯長谷藩主。実は堀直行(→堀直行~直久の系図)の子。


  内藤政貞(まささだ)【1685-1722】
 湯長谷藩主。実は土方雄賀(→土方雄賀の系図)の子。
 織田世々
 織田信武(→織田信武の系図)の娘。
 松平栄
 実は櫛笥隆賀(→櫛笥隆胤~隆周の系図)の娘。
妻の父 松平義昌松平義昌~義真の系図
 政貞の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 政貞の娘
 実は土方雄賀(→土方雄賀の系図)の娘。
 政貞の娘〔養父:前田玄長〕→前田玄長の系図
子の夫 斎藤三武→斎藤三武の系図
子の夫 前田玄長→斎藤三武の系図


  内藤政醇(まさあつ)/政令(まさはる)/政盈(まさみつ)【1714-1741】
 湯長谷藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 黒田直邦の娘
妻の父 黒田直邦黒田直邦・直純の系図


  内藤政業(まさのぶ)/亮長(すけなが)【1740-1811】
 湯長谷藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 貞幹 政広内藤貞幹~政憲の系図

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内藤貞幹~政憲の系図

内藤貞幹~政憲の系図

  内藤貞幹(さだよし)【1746-1778】
 湯長谷藩主。実は徳川宗直(→徳川宗直の系図)の子。

祖父 政醇 政業遠山政亮~内藤政業の系図

 土方雄端の娘
妻の父 土方雄端→土方雄端の系図
 政為【1758-1823】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 政為の娘〔養父:内藤政徧〕

 政徧〔養父:内藤政広〕

子の夫 長谷川勝孚→長谷川勝孚の系図


  内藤政広(まさひろ)【1770-1787】
 湯長谷藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。


  内藤政徧(まさゆき)【1773-1799】
 湯長谷藩主。実は内藤貞幹の子。
 松平錫姫
 松平頼謙(→松平頼謙~頼英の系図)の娘。
 阿部正精阿部正精~正桓の系図
 銀一郎
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  内藤政璟(まさあきら)【1785-1836】
 湯長谷藩主。実は水野忠鼎(→水野忠鼎の系図)の子。
 内藤政徧の娘
 実は内藤政為の娘。

 政璟の娘〔養父:村瀬重候〕


  内藤政民(まさたみ)【1806-1855】(以下、『内藤家譜(磐城湯長谷)』による。)
 湯長谷藩主。実は酒井忠徳(→酒井忠徳の系図)の子。藩校致道館を設立した。
 内藤政璟の娘
 実は水野忠光(→水野忠光の系図)の娘。

 〔養父:内藤政恒〕


  内藤政恒(まさつね)【1836-1859】
 湯長谷藩主。実は戸田光庸(→戸田光悌~光則の系図)の子。
 政養〔養父:内藤政敏〕
 水野勝前~勝寛の系図


  内藤政敏(まさとし)【1843-1863】
 湯長谷藩主。実は内藤政乂(→内藤学文~文成の系図)の子。


  内藤政養(まさやす)【1857-1911】
 湯長谷藩主。実は内藤政恒の子。戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に加わった。
 阿部杰
 阿部正備(→阿部正瞭~正功の系図)の娘。


  内藤政憲(まさのり)【1848-1919】〔養父:今城定成(→中山冷泉為親~今城定国の系図)、谷衛滋(→谷衛滋の系図)〕
 湯長谷藩主。実は大炊御門家孝(→大炊御門経秀~師前の系図)の子。
 丹羽美
 丹羽長富(→丹羽長富の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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