このページでは、後鳥羽天皇から四条天皇までの系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
後鳥羽天皇の系図
第82代 後鳥羽天皇(ごとば)/尊成親王(たかひら)【1180-1239/在位:1183-1198】
譲位後に院政を行った。承久の乱で敗れると隠岐に流された。
祖父 後白河天皇→後白河天皇~六条天皇の系図
父 高倉天皇→高倉天皇・安徳天皇の系図
祖父 藤原信隆→藤原信隆の系図
皇后 九条任子(にんし)/宜秋門院(ぎしゅうもんいん)【1173-1238】
九条兼実(→九条兼実の系図)の娘。兼実が失脚した際に内裏を退出した。
子 昇子内親王(しょうし)/春華門院(しゅんかもんいん)【1195-1211】
順徳天皇の准母。
後宮 源在子(ありこ)/承明門院(しょうめいもんいん)【1171-1257】〔養父:源通親(→源通親の系図)〕
実は能円(→能円の系図)の子。通親と密通したことにより、寵が衰えた。
子 土御門天皇→土御門天皇の系図
孫 後嵯峨天皇→後嵯峨天皇の系図
後宮 高倉重子(じゅうし)/範子/修明門院(しゅうめいもんいん)【1182-1264】
高倉範季(→高倉範季の系図)の娘。承久の乱後に出家した。
子 順徳天皇・孫 仲恭天皇→順徳天皇・仲恭天皇の系図
子 雅成親王(まさなり)【1200-1255】
承久の乱により、但馬に流された。六条宮と称された。
子の妻 藤原親経の娘
子の妻の父 藤原親経→藤原俊経・盛経の系図
孫 澄覚法親王(ちょうかく)【1219-1289】
天台座主。
子 寛成親王/尊快入道親王(そんかい)【1204-1246】
天台座主。
後宮 大宮局
二条定能(→二条定能の系図)の娘。
子 尊円法親王(そんえん)【1207-1231】
子 行超(ぎょうちょう)
後宮 坊門局
坊門信清(→坊門信清の系図)の娘。
子 長仁親王(ながひと)/道助入道親王(どうじょ)【1196-1249】
光台院御室と称された。
子 礼子内親王(れいし)/嘉陽門院(かようもんいん)【1200-1273】
斎院。
子 頼仁親王(よりひと)【1201-1264】
承久の乱により、備前の児島に流された。冷泉宮・児島宮と称された。
子の妻 花山院経子
花山院忠経(→花山院忠経・定雅の系図)の娘。
後宮 兵衛督局/丹波局
源信康(→源信康の系図)の娘。
子 粛子内親王(しゅくし)【1196-?】
斎宮。
後宮 尾張局(おわりのつぼね)【?-1204】
顕清(→藤原政業の系図)の娘。
子 朝仁親王/道覚入道親王(どうかく)【1204-1250】
天台座主。西山宮と称された。
後宮 少納言典侍
子 道守(どうしゅ)
宮僧正と呼ばれた。
後宮 丹波局(たんばのつぼね)
子 煕子内親王(ひろこ・きし)【1205-?】
斎宮。
後宮 姫法師
子 覚誉(かくよ)
子 道伊(どうい)
子 道縁(どうえん)
後宮 滝(たき)【?-1265】
舞女。
子 覚仁法親王(かくにん)【1198-1266】
桜井宮と称された。後嵯峨上皇の熊野御幸の先達を務めた。
土御門天皇の系図
第83代 土御門天皇(つちみかど)/為仁親王(ためひと)【1195-1231/在位:1198-1210】
後鳥羽院の倒幕計画には関与しなかったが、承久の乱後、幕府に願い出て土佐国に下った。
祖父 高倉天皇→高倉天皇・安徳天皇の系図
父 後鳥羽天皇→後鳥羽天皇の系図
祖父 源通親→源通親の系図
皇后 大炊御門麗子(れいし)/陰明門院(おんめいもんいん)【1185-1243】
大炊御門頼実(→大炊御門頼実の系図)の娘。
典侍 源通子(つうし)【?-1221】
源通宗(→源通親の系図)の娘。皇太后を追贈された。
子 春子女王(はるこ)
子 覚子内親王(あきこ)/正親町院(おおぎまちいん)【1213-1285】
子 仁助法親王(にんじょ)【1214-1262】
子 静仁法親王(じょうにん)【1216-1296】
熊野三山検校。後深草天皇の護持僧を務めた。
子 後嵯峨天皇→後嵯峨天皇の系図
孫 後深草天皇→後深草天皇の系図
孫 亀山天皇→亀山天皇の系図
掌侍 美作掌侍
高階仲資(→高階仲資の系図)の娘。
子 道仁法親王(どうにん)【1210-1263】
掌侍 源貞光の娘
子 秀子女王(ひでこ)
後宮 源有雅の娘
後宮の父 源有雅→源通家の系図
子 曦子内親王(てるこ・ぎし)/仙華門院(せんかもんいん)【1224-1262】
斎宮。後嵯峨天皇の准母。
後宮 治部卿局(じぶきょうのつぼね)
定勝(→藤原顕頼の系図)の娘。
子 道円法親王(どうえん)【1224-1281】
子 信子女王(のぶこ)
後宮 尋恵の娘
後宮の父 尋恵→尋恵の系図
子 尊助法親王(そんじょ)【1217-1290】
天台座主。
後宮 円誉の娘
後宮の父 円誉→円誉の系図
子 最仁法親王(さいにん)【1231-1295】
天台座主。
後宮 左京大夫局(さきょうのだいぶのつぼね)
証遍(→源師頼の系図)の娘。
子 諄子内親王(あつこ・じゅんし)【?-1260】
後宮 宮内卿局
藤原範光(→藤原範光の系図)の娘。
子 知子女王(ともこ)
後宮 兼尊の娘
後宮の父 兼尊→藤原尹通の系図
後宮 尾張局(おわりのつぼね)
覚宴の娘。
子 尊守法親王(そんしゅ)【1209-1260】
後嵯峨天皇の護持僧を務めた。
後宮 丹波局(たんばのつぼね)
順徳天皇・仲恭天皇の系図
順徳天皇
第84代 順徳天皇(じゅんとく)/守成親王(もりなり)【1197-1242/在位:1210-1221】
有職故実や和歌などに明るく、『禁秘抄』を著した。『百人一首』にも歌が収められている。承久の乱で佐渡に流された。
祖父 高倉天皇→高倉天皇・安徳天皇の系図
父 後鳥羽天皇→後鳥羽天皇の系図
祖父 高倉範季→高倉範季の系図
皇后 九条立子(りっし)/東一条院(ひがしいちじょういん)【1192-1247】
九条良経(→九条良経の系図)の娘。
子 諦子内親王(あきこ・ていし)/明義門院(めいぎもんいん)【1217-1243】
後宮 大納言局(だいなごんのつぼね)
坊門信清(→坊門信清の系図)の娘。
子 穠子内親王(しげこ・じょうし)/永安門院(えいあんもんいん)【1216-1279】
後宮 藤原清季の娘
後宮の父 藤原清季→藤原長輔の系図
子 尊覚法親王(そんかく)【1215-1264】
天台座主。
子 覚恵法親王(かくえ)【1217-?】
子 忠成王(ただなり)【1222-1280】
子の妻 藤原範能の娘
子の妻の父 藤原範能→高倉範茂の系図
孫 尊忠(そんちゅう)
孫 彦豊王(ひことよ)
孫 源彦仁(ひこひと)
正三位。
子の妻 高倉範茂の娘
子の妻の父 高倉範茂→高倉範茂の系図
後宮 東御方(ひがしのおんかた)
藤原範光(→藤原範光の系図)の娘。
子 善統親王(よしむね)【1233-1317】
四辻宮と号した。
孫 尊雅王(たかまさ)
孫 深恵(しんえ)
子 彦成王(ひこなり)
後宮 宰相局(さいしょうのつぼね)
公雅(→源雅綱の系図)の娘。
子 寒巌義尹(かんがんぎいん)【1217-1300】
子 慶子女王(よしこ)
子 忠子女王(ただこ)
仲恭天皇
第85代 仲恭天皇(ちゅうきょう)/懐成親王(かねなり)/九条廃帝【1218-1234/在位:1221】
承久の乱の結果、幕府によって譲位を強いられた。
後宮 右京大夫局(うきょうのだいぶのつぼね)
性慶(→源信雅・雅仲の系図)の娘。
子 義子内親王(ぎし)/和徳門院(かとくもんいん)【1234-1289】
守貞親王~四条天皇の系図
守貞親王
守貞親王(もりさだ)/後高倉院(ごたかくら)/行助法親王(ぎょうじょ)【1179-1223】
承久の乱と無関係であったことで、息子が即位し、院政を行った。
祖父 後白河天皇→後白河天皇~六条天皇の系図
父 高倉天皇→高倉天皇・安徳天皇の系図
祖父 藤原信隆→藤原信隆の系図
妻 持明院陳子/北白河院(きたしらかわいん)【1173-1238】
持明院基家(→持明院基家の系図)の娘。
子 尊性法親王(そんしょう)【1194-1239】
天台座主。
子 利子内親王(としこ・りし)/式乾門院(しきけんもんいん)【1197-1251】
斎宮。四条天皇の准母。
子 本子内親王(もとこ)【?-1239】
押小路宮と称された。
子 能子内親王(よしこ)【1200-1245】
白河姫宮と称された。
子 道深法親王(どうしん)【1206-1249】
子 邦子内親王(くにこ・ほうし)/安嘉門院(あんかもんいん)【1209-1283】
後堀河天皇の准母。
子 有子内親王(ありこ)
後堀河天皇
第86代 後堀河天皇(ごほりかわ)/茂仁親王(ゆたひと)【1212-1234/在位:1221-1232】
承久の乱の結果、即位することになった。
皇后 三条有子(ゆうし)/安喜門院(あんきもんいん)【1207-1286】
三条公房(→三条公房の系図)の娘。
中宮 近衛長子(ながこ)/鷹司院(たかつかさいん)【1218-1275】
近衛家実(→近衛家実・兼経の系図)の娘。四条天皇の准母。
中宮 九条竴子(しゅんし)/藻璧門院(そうへきもんいん)【1209-1233】
九条道家(→九条道家の系図)の娘。皇子を産んだがそのまま亡くなった。
子 暐子内親王(あきこ)
後宮 大納言局(だいなごんのつぼね)
藤原兼良(→藤原兼房の系図)の娘。
子 昱子内親王(あきこ)【1231-1246】
斎宮。
後宮 別当典侍
持明院家能(→持明院基宗~基世の系図)の娘。
子 暉子内親王(てるこ・きし)/室町院(むろまちいん)【1228-1300】
子 体子内親王→後嵯峨天皇の系図
四条天皇
第87代 四条天皇(しじょう)/秀仁親王(みつひと)【1231-1242/在位:1232-1242】
転倒が原因で死に至ったとされる。
女御 九条彦子(ひろこ)/宣仁門院(せんにんもんいん)【1227-1262】〔養父:二条良実(→二条良実・師忠の系図)〕
九条教実(→九条教実~師教の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。