このページでは、細川氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
細川氏(室町幕府管領)の略系図
1 義季→細川義季・俊氏の系図
3 公頼→細川公頼・頼春の系図
4-A 詮春→細川詮春~光信の系図
5 頼元→細川頼元の系図
6 満元→細川満元~昭元の系図
細川義季・俊氏の系図
細川義季(よしすえ)
細川氏の祖。三河国細川郷に住んだ。
祖父 義清・父 義実→足利義清・広沢義実の系図
子 義有
実は義俊の子。
子 義久〔養子:細川頼種〕
実は義俊の子。
義久孫 元家/勝家
子 宗義
実は義俊の子。
孫 頼種【?-1336】〔養父:細川義久〕
曾孫 頼行【?-1348】
宗義孫 頼益【1362-?】
宗義孫 満益【1392-?】
宗義孫 持益【1419-1467】
宗義孫 国慶【1505-1541】
宗義孫 光歳/慶定
子 上地家俊
実は義俊の子。
孫 義俊【?-1335】
曾孫 義連【?-1333】
実は仁木義勝(→仁木義勝の系図)の子。
孫 義有・義久・宗義・上地家俊・俊氏〔養父:細川義季〕
細川俊氏(としうじ)
実は義俊の子。
子 公頼・孫 頼春→細川公頼・頼春の系図
子 頼貞・孫 顕氏→細川頼貞~忠興の系図
子 禅衣房・頼玄・子 俊氏の娘(『系図纂要』による。)
細川公頼・頼春の系図
細川公頼(きんより)
祖父 義季・父 俊氏→細川義季・俊氏の系図
子 和氏(かずうじ)【1296-1342】
足利尊氏に従い、引付頭人などを務めた。
孫 清氏/元氏【?-1362】
曾孫 時氏(『系図纂要』による。)
孫 業氏〔養父:細川顕氏〕→細川頼貞~忠興の系図
孫 仁木頼夏〔養父:仁木頼章〕→仁木頼夏の系図
和氏孫 頼氏・経氏・朝兼(以下、『系図纂要』による。)
和氏孫 長義(『系図纂要』による。)
子 師氏(もろうじ)【1305-1348】
足利尊氏に従い、淡路守護となった。
孫 氏春【?-1387】
曾孫 満春【?-1399】
師氏孫 満師/満俊【?-1447】
師氏孫 持親【?-1465】
師氏孫 成春【?-1485】
師氏孫 尚春/之信【?-1507】(『系図纂要』による。)
細川頼春(よりはる)【1299-1352】
足利尊氏に従い各地を転戦した。京都七条大宮で南朝方と戦って亡くなった。
子 頼之(よりゆき)【1329-1392】〔養子:細川頼元(→細川頼元の系図)、細川満之〕
管領として足利義満を補佐した。後に失脚したが復帰し、明徳の乱を鎮圧した。
子の妻 藤原保世の娘
子の妻の父 藤原保世→持明院基保の系図
子 頼有・孫 頼長→細川頼有~藤孝の系図
子 頼元→細川頼元の系図
孫 満元→細川満元~昭元の系図
子 詮春・孫 義之→細川詮春~光信の系図
子 満之(みつゆき)【?-1405】〔養父:細川頼之〕
備中守護。
孫 頼重/満重【?-1442】
曾孫 氏久【?-1460】
満之孫 勝益(『系図纂要』による。)
孫 満久〔養父:細川義之〕→細川詮春~光信の系図
細川詮春~光信の系図
細川詮春(あきはる)【1330-1367】
祖父 公頼・父 頼春→細川公頼・頼春の系図
細川義之(よしゆき)【1363-1422】
阿波守護。
細川満久(みつひさ)【?-1430】
実は細川満之(→細川公頼・頼春の系図)の子。
子 教祐/元祐
孫 成之〔養父:細川持常〕
細川持常(もちつね)【1409-1449】
細川成之(しげゆき)【1434-1511】
実は細川教祐の子。阿波守護。応仁の乱では東軍に属した。
子の夫 足利義稙→足利義稙の系図
細川義春(よしはる)/之勝(ゆきかつ)【1468-1494】
阿波守護。
子 之持/持重(もちしげ)【?-1512】
子 澄元〔養父:細川政元〕→細川満元~昭元の系図
子の夫 細川政賢→細川満元~昭元の系図
子の夫 細川澄賢→細川満元~昭元の系図
細川氏久(うじひさ)【1502-1555】(以下、『系図纂要』による。)
細川政勝(まさかつ)
細川元定(もとさだ)【1537-1595】
子 寿空【1568-1652】
細川全隆(またたか)
子 瑞益【1616-1638】
子の夫 坂宗説→坂宗説の系図
細川元隆(もとたか)
実は坂宗説(→坂宗説の系図)の子。
子 重隆【1670-1684】
細川元通【1648-1723】
子 元策
実は山脇玄脩(→山脇玄脩の系図)の子。
細川元信(もとのぶ)【1699-1761】
実は黒川道節の子。
妻 吉田宗仲の娘
妻の父 吉田宗仲→吉田宗仲の系図
子 元二郎【?-1728】
子 松軒〔養父:武田信郷〕(『寛政重修諸家譜』による。)→武田信良~信敏・信成~信邦の系図
子の夫 武田信久(『寛政重修諸家譜』による。)→武田信良~信敏・信成~信邦の系図
子の夫 石谷清盈(『寛政重修諸家譜』による。)→石谷清盈の系図
細川光信(みつのぶ)【1727-1773】
子 光信の息子【?-1747】
子 元親【?-1771】
子の夫 大久保忠喜(『寛政重修諸家譜』による。)→大久保忠喜の系図
子の夫 須田盛富(『寛政重修諸家譜』による。)→須田盛富の系図
細川頼元の系図
細川頼元(よりもと)/頼基【1343-1397】〔養父:細川頼之(→細川公頼・頼春の系図)〕
摂津守護や管領などを務めた。明徳の乱を鎮定した。
祖父 公頼・父 頼春→細川公頼・頼春の系図
妻 赤松則祐の娘
妻の父 赤松則祐→赤松則祐~則房の系図
子 満元・孫 持之→細川満元~昭元の系図
子 持春
父は細川満国とも。
孫 持春
父は細川頼元とも。
曾孫 教春
曾孫の妻 三条公量の娘
曾孫の妻の父 三条公量→三条実冬~公敦の系図
曾孫の妻 徳大寺公有の娘
曾孫の妻の父 徳大寺公有→徳大寺公有~公胤の系図
曾孫の子の夫 徳大寺実淳→徳大寺公有~公胤の系図
教春孫 勝之【1448-?】〔養父:細川勝元〕
教春孫 政春【?-1518】
教春孫 高国〔養父:細川政元〕→細川満元~昭元の系図
教春孫 尹賢〔養父:細川政賢〕→細川満元~昭元の系図
教春孫 慶子→近衛尚通~信尹の系図
曾孫 政国〔養父:細川持賢、細川成賢〕→細川満元~昭元の系図
細川満元~昭元の系図
細川満元(みつもと)【1378-1426】
管領として足利義持を支えた。
祖父 頼春→細川公頼・頼春の系図
父 頼元→細川頼元の系図
祖父 赤松則祐→赤松則祐~則房の系図
子 持元(もちもと)【1397-1429】
子 持賢(もちかた)【1403-1468】〔養子:細川成賢〕
孫 政国(まさくに)/元国【1428-1495】〔養父:細川成賢〕
実は細川持春(→細川頼元の系図)の子。細川政元を後見した。
曾孫 政賢(まさかた)【?-1511】
細川澄元にしたがって細川高国と戦ったが戦死した。
曾孫の妻 細川義春の娘
曾孫の妻の父 細川義春→細川詮春~光信の系図
持賢孫 澄賢
澄賢の妻 細川義春の娘
澄賢の妻の父 細川義春→細川詮春~光信の系図
澄賢の子の夫 武田信豊→武田氏信~元明の系図
持賢孫 尹賢(これかた)/政光
実は細川春倶(→細川頼元の系図)の子。
尹賢の妻 伊勢貞陸の娘
尹賢の妻の父 伊勢貞陸→伊勢貞陸の系図
持賢孫 氏綱〔養父:細川高国〕
孫の夫 吉良義真→吉良満義~持広の系図
子 霊元(『系図纂要』による。)
細川持之(もちゆき)【1400-1442】
管領。嘉吉の乱では、足利義勝を将軍に立て、赤松満祐を討った。
妻 京極高光の娘
妻の父 京極高光→京極高光~高吉の系図
子 成賢【?-1452】〔養父:細川持賢、養子:細川政国〕
細川勝元(かつもと)【1430-1473】
管領。竜安寺を創建した。応仁の乱では、東軍の総大将となったが、乱の途中で病死した。
妻 三条公頼の娘
妻の父 三条公頼→三条実香~公広の系図
子 勝之→細川勝之の系図
実は細川教春の子。
細川政元(まさもと)【1466-1507】
足利義澄を将軍に擁立して管領となったが、香西元長らに殺された。
子 澄之(すみゆき)【1489-1507】
実は九条政基(→九条政基~兼孝の系図)の子。政元の死後、家督を継いだが、細川高国らに攻められて自刃した。
子 高国(たかくに)【1484-1531】
実は細川政春(→細川頼元の系図)の子。細川澄之・澄元を排して管領となったが、細川晴元に攻められて自刃した。
孫 稙国【1508-1525】
曾孫 頼国(『系図纂要』による。)
孫 氏綱(うじつな)/持隆【?-1563】
実は細川尹賢の子。室町幕府最後の管領。
曾孫 真之【?-1576】(以下、『系図纂要』による。)
孫の夫 北畠晴具→北畠晴具の系図
細川澄元(すみもと)【1489-1520】
実は細川義春(→細川詮春~光信の系図)の子。細川澄之を排して実権を握ったが、不和となった細川高国に敗れた。
子の夫 有馬重則→有馬義祐~豊氏の系図
細川晴元(はるもと)【1514-1563】
細川高国を滅ぼして管領となったが、三好長慶らに追放された。
子の夫 光佐(『系図纂要』による。)→光佐の系図
子の夫 赤松氏・有馬氏・阿波国司(『系図纂要』による。)
細川昭元(あきもと)/信良(のぶよし)【1548-1592】(以下、『系図纂要』による。)
織田信長に仕えた。
妻 織田犬【?-1582】
織田信秀(→織田信秀の系図)の娘。
子の夫 秋田実季→秋田実季の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。