このページでは、五辻家(宇多源氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
五辻家(半家)の略系図
1 時方→源時方~仲棟の系図
5 仲親→源仲親の系図
5-A1 仲康→源仲康~仲朝の系図
5-A2 仲基→春日仲基の系図
6 光遠→源光遠の系図
7 仲兼→五辻仲兼・遠兼の系図
9 仲貞→五辻仲貞~富仲の系図
18 諸仲→五辻諸仲~済仲の系図
23 俊仲→五辻俊仲~継仲の系図
源時方~仲棟の系図
源時方
祖父 敦実親王→敦実親王の系図
父 雅信→源雅信の系図
祖父 藤原朝忠→藤原定方の系図
源仲舒/仲信
子 義職〔養父:藤原義忠〕→藤原近主~仲実の系図
父は藤原仲実とも。
子 仲経
父は源仲親(→源仲親の系図)とも。
孫 俊経・範覚
父は藤原義職(→藤原近主~仲実の系図)とも。
源仲棟
子 仲親→源仲親の系図
孫 光遠→源光遠の系図
孫 仲康→源仲康~仲朝の系図
源仲親の系図
源仲親
祖父 仲頼・父 仲棟→源時方~仲棟の系図
子 光遠→源光遠の系図
孫 五辻仲兼→五辻仲兼・遠兼の系図
子 仲康・孫 仲衡→源仲康~仲朝の系図
子 仲経→源時方~仲棟の系図
父は源仲舒とも。
孫 仲業/仲能
曾孫 仲通/仲連
仲光孫 仲行/仲顕
源仲康~仲朝の系図
源仲康/親順
源仲衡
孫 任全・寛昭
父は源仲朝とも。
源仲朝
子 春日仲基→春日仲基の系図
孫 清直/清忠
曾孫 行直【?-1342】
従三位。
春日仲基の系図
春日仲基/仲雄
祖父 仲衡・父 仲朝→源仲康~仲朝の系図
子の夫 久我通雄→久我通忠~通雄の系図
孫 長通→久我長通~清通の系図
曾孫 仲興【?-1406】
従三位。
仲興孫 仲重(以下、『系図纂要』による。)
従三位。
仲興孫 仲見/高兼【1630-1693】
仲興孫 仲具【?-1682】
仲興孫 仲智【1667-?】
仲興孫 仲量【1681-?】
仲興孫 仲義【1653-1729】〔養父:春日仲見〕
実は春日仲条の子。
仲興孫 景仲【1694-1710】
仲興孫 仲章【1707-1785】
従三位。
仲興孫 仲香【1738-1798】
仲興孫 仲恭【1763-1822】
仲興孫 仲襄/仲好【1811-?】
源光遠の系図
源光遠〔養父:光行〕
子 仲国(なかくに)
曾孫 仲忠/国俊
父は源仲清とも。
仲国孫 仲治
父は源仲通、源通国とも。
子 仲章(なかあきら)【?-1219】
後鳥羽上皇に仕え、文章博士になった。源実朝が殺された際に、北条義時と間違われて殺された。
孫の夫 平範輔→平親輔の系図
子 五辻仲兼・孫 遠兼→五辻仲兼・遠兼の系図
子の夫 源家俊→源雅俊の系図
曾孫 信範/信章
五辻仲兼・遠兼の系図
五辻仲兼(なかかね)
子 仲遠(なかとお)【?-1266】
孫の夫 高辻清長→高辻為長~長宣の系図
曾孫 仲朝〔養父:源仲持〕
実は源仲房の子。
曾孫 仲敦
父は源仲良とも。
仲秋孫 仲敦
父は源仲継とも。
孫 仲昌/仲主
孫の夫 四条房名→四条隆親~隆宗の系図
五辻遠兼
子 仲貞・孫 時仲→五辻仲貞~富仲の系図
子 慈光寺仲清・孫 仲澄→慈光寺仲清~仲明の系図
五辻仲貞~富仲の系図
五辻仲貞
祖父 仲兼・父 遠兼→五辻仲兼・遠兼の系図
子の夫 中御門為方→中御門経任の系図
五辻基仲
実は藤原宗氏(→五辻雅継の系図)の子。
五辻資仲〔養父:庭田経有(→庭田経資~重賢の系図)〕
五辻朝仲
実は庭田経有(→庭田経資~重賢の系図)の子。
子 朝子→後円融天皇~称光天皇の系図
五辻政仲/泰仲
妻 上冷泉為之の娘
妻の父 上冷泉為之→冷泉為相~為之の系図
五辻富仲【1461-1502】
子 諸仲・孫 為仲→五辻諸仲~済仲の系図
子の夫 一条房家→一条教房の系図
五辻諸仲~済仲の系図
五辻諸仲【1487-1540】
従三位。
祖父 政仲・父 富仲→五辻仲貞~富仲の系図
妻 滋野井公古の娘
妻の父 滋野井公古→滋野井季国~之仲の系図
子の夫 中山孝親→中山宣親~孝親の系図
孫 親綱→中山親綱~英親の系図
子の夫 甘露寺伊長(『系図纂要』による。)→甘露寺房長~伊長の系図
五辻為仲【1530-1585】
従二位。実は滋野井季国(→滋野井季国~之仲の系図)の子。
子 実祐(『系図纂要』による。)
五辻之仲/実藤/元仲/実吉【1558-1626】〔養父:滋野井公古(→滋野井季国~之仲の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
正三位。当初は滋野井家を継いだ。
妻 葉室頼房の娘
妻の父 葉室頼房→葉室頼房~頼隆の系図
子 滋野井季吉→滋野井季吉~実光の系図
子 済仲〔養父:五辻泰仲〕
子 綾小路高有〔養父:綾小路資能〕→綾小路高有~有胤の系図
五辻泰仲【1599-1620】
五辻済仲【1606-1627】
実は五辻之仲の子。
子 俊仲・孫 英仲→五辻俊仲~継仲の系図
五辻俊仲~継仲の系図
五辻俊仲【1629-1657】
実は滋野井季吉(→滋野井季吉~実光の系図)の子。
祖父 泰仲・父 済仲→五辻諸仲~済仲の系図
五辻英仲/兼仲【1654-1681】
実は滋野井教広(→滋野井季吉~実光の系図)の子。
五辻仲賢【1677-1697】
五辻広仲【1687-1750】
従二位。実は葛岡宣慶(→庭田重具~重秀の系図)の子。
子の夫 東坊城輝長→東坊城恒長~夏長の系図
子の夫 上冷泉為村→上冷泉為綱~為村の系図
子の夫 慈光寺澄仲→慈光寺明郷~右仲の系図
五辻盛仲【1710-1762】
正三位。
妻 平松時春の娘
妻の父 平松時春→平松時庸~時春の系図
子 宣子〔養父:大原栄敦〕→大原栄顕~重実の系図
子の夫 押小路従季→押小路公音~実潔の系図
五辻順仲【1745-1806】
正三位。
子 宗仲/家仲【1775-1792】
『系図纂要』では五辻経仲の子。
子 豊仲〔養父:五辻経仲〕
五辻経仲【1765-1791】
五辻豊仲【1787-1857】
従二位。実は五辻順仲の子。
子 景仲【1802-1820】
母は『五辻家譜』による。
五辻高仲【1807-1886】
従二位。実は庭田重能(→庭田重煕~重胤の系図)の子。
子 長仲・子 孝子(『五辻家譜』による。)
子 西五辻文仲(あやなか)【1859-1935】(『五辻家譜』による。)
五辻継仲【1829-1857】
実は大原重成(→大原栄顕~重実の系図)の子。
妻 富小路政直の娘
妻の父 富小路政直→富小路重直~敬直の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。