内藤氏(藤原氏北家・藤成流)・政晴流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、内藤氏(藤原氏北家・藤成流)・政晴流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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内藤氏・政晴流(三河国挙母藩主)の略系図

内藤氏・政晴流の略系図

1 政晴内藤政晴~政苗の系図
6 学文内藤学文~文成の系図

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内藤政晴~政苗の系図

内藤政晴~政苗の系図

  内藤政晴(まさはる)【1626-1645】
 陸奥国泉藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。

祖父 家長内藤行俊~家長の系図
 政長内藤政長の系図

 土屋利直の娘
妻の父 土屋利直→土屋利直の系図


  内藤政親(まさちか)/政直(まさなお)【1645-1696】
 泉藩主。
 朽木稙綱の娘
妻の父 朽木稙綱朽木稙綱の系図
 大学【1663-1670】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 縫殿助
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 阿部氏
 政親の娘
 丹羽氏明・北条氏朝に嫁ぐ予定であった。


  内藤政森(まさもり)【1683-1738】
 泉藩主・上野国安中藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 柳沢吉保の娘
 実は曽雌定秋(→曽雌定秋の系図)の娘。
妻の父 柳沢吉保柳沢吉保の系図

 宇野氏
 豊次郎【1715-1722】

 海老名氏
 政則(まさのり)【1722-1747】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 政則の娘〔養父:内藤政里〕

子の夫 大田原建清→大田原建清の系図
子の夫 佐竹義道→佐竹義道の系図


  内藤政里(まささと)/政能(まさよし)【1713-1746】
 安中藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 脇坂喜知
 脇坂安清(→脇坂安清の系図)の娘。
 幸五郎 政里の娘(『寛政重修諸家譜』による。)

 政陽〔養父:内藤政樹〕→内藤政樹~政挙の系図
子の夫 阿部正元→阿部正元の系図


  内藤政苗(まさみつ)【1741-1802】
 安中藩主・三河国挙母藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 朽木民
 朽木玄綱(→朽木稙治~綱貞の系図)の娘。
 間部詮央→間部詮央の系図
 金一郎
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 山口氏
 政平
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 水野忠高水野忠弘~忠美の系図
子の夫 成瀬正延→成瀬正延の系図
子の夫 大久保忠陽→大久保忠陽の系図
子の夫 佐野義行→佐野義行の系図

 学文 政峻内藤学文~文成の系図
子の夫 曽根次武→曽根次武の系図

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内藤学文~文成の系図

内藤学文~文成の系図

  内藤学文(さとふみ)/政養(まさもち)【1751-1794】
 挙母藩主。実は徳川宗将(→徳川宗将の系図)の子。藩校崇化館を創設した。

祖父 政里 政苗内藤政晴~政苗の系図

 内藤信興の娘
妻の父 内藤信興内藤信興~信美の系図
 松平直行松平直行~直哉の系図

 森忠洪の娘
妻の父 森忠洪→森忠洪の系図
 六郷政展→六郷政展の系図


  内藤政峻(まさみち)【1778-1822】
 挙母藩主。実は内藤政陽(→内藤政樹~政挙の系図)の子。
 大久保忠喜の娘
妻の父 大久保忠喜→大久保忠喜の系図
 政峻の息子(『華族系譜』による。)

子の夫 青山忠良青山忠良・忠敏の系図


  内藤政成(まさしげ)【1802-1860】(以下、『華族系譜』による。)
 挙母藩主。実は井伊直中(→井伊直中の系図)の子。
 内藤政峻の娘
 母は『華族系譜』による。
 政敏〔養父:内藤政恒〕→内藤貞幹~政憲の系図
 政方〔養父:内藤政徳〕
 信子内藤政樹~政挙の系図
孫の夫 牧野忠泰→牧野忠泰の系図

 →中山信徴の系図
 政成の娘〔養父:内藤政優〕


  内藤政優(まさひろ)【1810-1851】
 挙母藩主。実は井伊直中(→井伊直中の系図)の子。
 島津寿
 実は脇坂安董(→脇坂安董の系図)の娘。
妻の父 島津重豪→島津重豪の系図

子の夫 堀田正誠→堀田正誠の系図
子の夫 松平康圭松平康定~康載の系図


  内藤政文(まさふみ)【1830-1858】
 挙母藩主。実は井伊中顕(→井伊中顕の系図)の子。


  内藤文成(ふみしげ)【1855-1901】
 挙母藩主。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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