このページでは、戸田氏(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
戸田氏(信濃国松本藩主)の略系図
1 実光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
2-A1 玄蕃→戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図
2-A2 直秀→戸田直秀~直利の系図
2-A3 直長→戸田直長~直興の系図
2-A4 直良→戸田直良・輝道~直養の系図
2-A5 直次→戸田直次~直義・直昌~良堅の系図
2-A6 直広→戸田直広~直温の系図
4-A1 光忠→戸田光忠・忠重~正為の系図
4-A2 光定→戸田光定~光高・政次の系図
4-A3 政勝→戸田政勝~邦政の系図
4-A4 政倚→戸田政倚~光紹の系図
4-A5 政道→戸田政道~政方の系図
5-A1 重真→戸田重真・重康~捷重の系図
5-A2 重元→戸田重元~重種・光正~長重の系図
5-A3 重恒→戸田重恒~光弘の系図
6 宜光→戸田宜光~光重の系図
11-A 光正→戸田光正~光陽の系図
11-B 光直→戸田光直~光一の系図
12 光永→戸田光永~光慈の系図
15 光雄→戸田光雄~光和の系図
18 光悌→戸田光悌~光則の系図
戸田実光~康光・政重~信定の系図
戸田実光(以下、『系図纂要』による。)
祖父 公治・父 実興→正親町三条実雅~実望の系図
戸田宗光(むねみつ)/実光【?-1499】
戸田氏の祖。三条家より分かれたという。三河国田原城主。船形山の戦いで今川氏に敗れた。
妻 松平信光の娘【?-1512】
妻の父 松平信光→松平信光の系図
子 家光(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 玄蕃・孫 直頼→戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図
子 綱光(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
4世孫 戸田氏輝→戸田氏輝~氏鉄の系図
戸田憲光(のりみつ)【?-1513】
妻 西郷信貞の娘【?-1544】
子 氏一【1474-1500】(以下、『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 吉光(よしみつ)/政吉【?-1565】
父は戸田光吉とも。
孫 盛光(もりみつ)【?-1577】
孫 吉国(よしくに)【?-1569】
孫の妻 戸田氏光の娘
孫の妻の父 戸田氏光→戸田氏輝~氏鉄の系図
孫の夫 戸田忠重→戸田宜光~光重の系図
子 宣成【?-1537】(以下、『戸田家譜(信濃松本)』による。)
戸田政光(まさみつ)【?-1548】
子 忠政・孫 忠次→戸田忠政・忠次の系図
孫 清勝→戸田清勝~忠純の系図
孫 勝則→戸田勝則~吉成・吉連~忠政の系図
孫 忠勝→戸田忠勝~忠明の系図
子 光忠・孫 忠重→戸田光忠・忠重~正為の系図
孫 光定→戸田光定~光高・政次の系図
子 光吉(以下、『戸田家譜(信濃松本)』による。)
孫 吉光
父は戸田憲光とも。
戸田康光(やすみつ)/宗光【?-1547】
田原城主。今川義元の元に送られる松平竹千代を奪い、織田信秀に引き渡したことで、今川氏の攻撃を受けて討ち死にした。
妻 水野忠政の娘
妻の父 水野忠政→水野忠政の系図
子 直頼(『戸田家譜(信濃松本)』による。)→戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図
父は戸田玄蕃とも。
子 尭光・甚三郎(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 宜光・孫 重貞→戸田宜光~光重の系図
子 正直(まさなお)【?-1547】
子 重真・孫 重康→戸田重真・重康~捷重の系図
孫 重元→戸田重元~重種・光正~長重の系図
子 真喜姫→松平清康・広忠の系図
戸田政重(まさしげ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
戸田信光(のぶみつ)【?-1625】
子 之光(ゆきみつ)/之政(ゆきまさ)【?-1646】
戸田光忠(みつただ)
戸田信定(のぶさだ)
戸田重真・重康~捷重の系図
戸田重真(しげざね)【1525-1601】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 政光・父 康光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
子 重元・孫 重宗・光正→戸田重元~重種・光正~長重の系図
子 孫九郎【?-1590】
戸田重康(しげやす)【1566-1602】
戸田重政(しげまさ)【1596-1644】
妻 向井正綱の娘
妻の父 向井正綱→向井正綱の系図
子 重勝(しげかつ)/重直(しげなお)【?-1644】
戸田重照(しげてる)【1629-1680】
妻 太田正盛の娘
妻の父 太田正盛→太田正盛の系図
子の夫 森川長定→森川長定の系図
戸田重光(しげみつ)【1670-1696】
戸田宗貞(むねさだ)/重也(しげなり)【1674-1715】
子 近藤正常〔養父:近藤正氏〕→近藤正常の系図
戸田忠章(ただあきら)【1697-1748】
妻 原政久の娘
妻の父 原政久→原政久の系図
子の夫 近藤正方→近藤正方の系図
戸田忠捷(ただかつ)【1729-1796】
妻 風祭国辰の娘
妻の父 風祭国辰→風祭国辰の系図
夫 諸星信豊→諸星信豊の系図
妻 土屋存義の娘
妻の父 土屋存義→林光政~忠政・忠定~土屋存久の系図
子 黒部為茲〔養父:黒部為定〕→黒部為茲の系図
子の夫 平井惟清→平井惟清の系図
戸田捷重(かつしげ)【1765-?】
戸田重元~重種・光正~長重の系図
戸田重元(しげもと)【1544-1610】
祖父 康光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
父 重真→戸田重真・重康~捷重の系図
子の夫 西郷康員→西郷康員の系図
子の夫 永井忠正→永井忠正の系図
子の夫 下曽祢信由→下曽祢賢信~信親の系図
子の夫 小林元長→小林元長の系図
戸田重宗(しげむね)【1589-1617】
戸田重種(しげたね)【1615-1688】
妻 本多正貫の娘
妻の父 本多正貫→本多定吉~正貫の系図
子 重恒・孫 重澄→戸田重恒~光弘の系図
子 本多忠澄〔養父:本多学澄〕→本多忠澄の系図
子の夫 渡辺均→渡辺均~直・保~胤の系図
子の夫 野村為政→野村為政の系図
戸田光正(みつまさ)/光政(みつまさ)【1570-1613】
妻 板倉勝重の娘
妻の父 板倉勝重→板倉勝重の系図
子の夫 興津直重→興津直重の系図
子の夫 細井正信→細井正信の系図
子の夫 駒木根政次→駒木根政次の系図
戸田正好(まさよし)【?-1659】
戸田長重(ながしげ)【?-1673】
妻 榊原職信の娘
妻の父 榊原職信→榊原職信の系図
戸田重恒~光弘の系図
戸田重恒(しげつね)【1644-1684】
祖父 重宗・父 重種→戸田重元~重種・光正~長重の系図
祖父 本多正貫→本多定吉~正貫の系図
妻 松平典信の娘
妻の父 松平典信→松平康信~信利の系図
子 松平信治〔養父:松平信孝〕→松平信治の系図
子の夫 竹中重栄→竹中重栄の系図
戸田重澄(しげずみ)/重利(しげとし)【1669-1719】
妻 高木奈部
実は脇坂安村(→脇坂安村の系図)の娘。
妻の父 高木正陳→高木正陳の系図
妻 戸田忠利の娘
実は戸田忠勝(→戸田忠利の系図)の娘。
妻の父 戸田忠利→戸田忠利の系図
戸田種辰(たねとき)/重該(しげかね)【1705-1782】
実は松平信庸(→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図)の子。
子 種員(たねかず)【1725-1762】
子の妻 松平信嵩の娘
子の妻の父 松平信嵩→松平信嵩の系図
子の妻の夫 戸田氏住→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図
子の妻 戸田忠胤の娘
子の妻の父 戸田忠胤→戸田忠章~忠偲の系図
孫 種員の娘〔養父:戸田種辰〕
子 種辰の娘〔養父:松平信岑〕→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図
子 種辰の娘
実は戸田種員の娘。戸田光邦に嫁ぐ予定であった。
戸田光邦(みつくに)/勝邦(かつくに)【1741-1781】
実は板倉勝澄(→板倉勝澄~勝従の系図)の子。
妻 阿部正鎮の娘
妻の父 阿部正鎮→阿部正春~正実・正長~正保の系図
戸田光弘(みつひろ)【1764-?】
実は松平信直(→松平信直~信彰の系図)の子。
子 光弘の娘
実は伊丹興親(→伊丹興親の系図)の娘。
戸田光忠・忠重~正為の系図
戸田光忠(みつただ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 憲光・父 政光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
子 光定・孫 政重→戸田光定~光高・政次の系図
戸田忠重(ただしげ)/重成(しげなり)
52歳で亡くなった。
戸田重吉(しげよし)/元政(もとまさ)【?-1668】
戸田重秀(しげひで)
戸田正矩(まさのり)【1667-1737】
子 隆長(たかなが)
実は林政信(→林政信の系図)の子。
戸田正方(まさかた)【?-1751】
実は奥谷直重(→奥谷直重の系図)の子。
妻 戸田正矩の娘
実は乾元義(→乾元義の系図)の娘。
戸田正唯(まさただ)【?-1748】
実は筧重治(→筧重治の系図)の子。
子の夫 三輪久時→三輪久時の系図
戸田方節(みちとき)【1741-1797】
妻 三宅徳貞の娘
妻の父 三宅徳貞→三宅徳貞の系図
子 須田盛信〔養父:須田盛武〕→須田盛信の系図
子の夫 間宮信近→間宮信近の系図
戸田正為(まさため)【1764-?】
妻 中根益興の娘
妻の父 中根益興→中根益興の系図
戸田光定~光高・政次の系図
戸田光定(みつさだ)【1537-1620】
祖父 政光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
父 光忠→戸田光忠・忠重~正為の系図
妻 松井宗豊の娘
妻の父 松井宗豊→松井維義~宗豊の系図
子の夫 戸田吉久→戸田勝則~吉成・吉連~忠政の系図
子の夫 松平尚栄→松平尚栄の系図
戸田政重(まさしげ)【1567-1657】
妻 向井正綱の娘
妻の父 向井正綱→向井正綱の系図
子 政勝・孫 吉政→戸田政勝~邦政の系図
子 忠貞〔養父:西尾十郎左衛門〕
子の夫 坂部正盛→坂部正盛の系図
子の夫 間宮忠次→間宮忠次の系図
戸田政信(まさのぶ)【?-1672】
実は戸田政次の子。
妻 戸田政勝の娘
妻の父 戸田政勝→戸田政勝~邦政の系図
戸田光高(みつたか)【?-1720】
実は大岡政春(→三浦吉明~大岡忠美の系図)の子。
子 政弘〔養父:戸田政春〕→戸田政勝~邦政の系図
子 内田正甫〔養父:内田正備〕→勝間田正利~内田正世・正次~正房の系図
戸田政次(まさつぐ)【1607-1672】
妻 大岡忠吉の娘
妻の父 大岡忠吉→大岡忠吉・忠章の系図
子 政信〔養父:戸田政重〕
子 大岡政春〔養父:三浦吉明〕→三浦吉明~大岡忠美の系図
子 政倚・孫 政峯→戸田政倚~光紹の系図
子 政道・孫 政英→戸田政道~政方の系図
子の夫 名取信突→名取信突の系図
戸田政倚~光紹の系図
戸田政倚(まさより)【1646-1701】
祖父 政重・父 政次→戸田光定~光高・政次の系図
祖父 大岡忠吉→大岡忠吉・忠章の系図
妻 浅野長賢の娘
実は岡林直宗の娘。
妻の父 浅野長賢→浅野長賢~長富の系図
戸田政峯(まさみね)【1675-1744】
実は渡辺久永(→渡辺久永の系図)の子。
子 武田信温〔養父:武田信常〕→武田信安~信誼の系図
子 松平正淳〔養父:松平正命〕→松平正淳の系図
子 政友〔養父:戸田政甫〕
子の夫 川口恒寿→川口恒寿の系図
戸田政甫(まさなみ)【1700-1766】
妻 秋田季成の娘
妻の父 秋田季成→秋田季成の系図
子 政甫の娘〔養父:戸田政友〕
子の夫 土屋匡直→土屋喬直~群直の系図
戸田政友(まさとも)【1717-1775】
実は戸田政峯の子。
妻 山田利延の娘
妻の父 山田利延→山田利延の系図
子 政辰(まさたつ)
実は戸田光清(→戸田光直~光一の系図)の子。
子 政偏(まさより)
実は新庄直矢(→新庄直矢の系図)の子。
孫 政偏の娘〔養父:戸田光禀〕
子 政友の娘
実は戸田光禀の娘。
戸田光禀(みつつぐ)/光胖(みつひろ)【1751-?】
実は牧野貞通(→牧野貞通の系図)の子。
妻 戸田政友の娘
実は戸田政甫の娘。
妻 菅沼定用の娘
妻の父 菅沼定用→菅沼定用の系図
子 光知(みつのり)【1762-1793】
実は米倉昌晴(→米倉昌晴~昌言の系図)の子。
子 光里(みつさと)
実は戸田光為(→戸田光直~光一の系図)の子。
孫 光里の娘〔養父:戸田光紹〕
子 光禀の娘〔養父:戸田政友〕
子の夫 木下利嵩→木下利嵩の系図
子の夫 石川忠房→石川忠房の系図
戸田光紹(みつただ)/之徳(ゆきよし)【1771-?】
実は安藤直元(→安藤直利~直温の系図)の子。
子 光紹の娘
実は戸田光里の娘。
戸田政道~政方の系図
戸田政道(まさみち)【1649-1679】
祖父 政重・父 政次→戸田光定~光高・政次の系図
祖父 大岡忠吉→大岡忠吉・忠章の系図
戸田政英(まさふさ)【1667-1721】
実は西尾忠貞の子。
妻 森川之俊の娘
妻の父 森川之俊→森川之俊~之重の系図
妻 蜂屋可逵の娘
妻の父 蜂屋可逵→蜂屋可逵の系図
戸田政奉(まさとも)【1680-1735】
実は土屋利陽(→土屋利陽の系図)の子。
子 政苗〔養父:戸田政珍〕
子の夫 三田伴成→三田伴成の系図
戸田政珍(まさよし)【1706-1765】
妻 彦坂元晴の娘
妻の父 彦坂元晴→彦坂元晴の系図
子の夫 伊丹勝舜→伊丹勝舜の系図
子の夫 日根野弘道→日根野弘道の系図
戸田政苗(まさもと)【1712-1778】
実は戸田政奉の子。
戸田政演(まさのぶ)【1744-?】
実は金田正位(→金田正位の系図)の子。
子 政富(まさとみ)
実は松平正方(→松平正朝~正卜の系図)の子。
戸田政方(まさかた)【1771-?】
実は彦坂元知(→彦坂元知の系図)の子。
子 お瑠璃の方→徳川家斉の系図
戸田政勝~邦政の系図
戸田政勝(まさかつ)/貞政(さだまさ)【?-1647】
祖父 光定・父 政重→戸田光定~光高・政次の系図
祖父 向井正綱→向井正綱の系図
子の夫 戸田政信→戸田光定~光高・政次の系図
子の夫 坂部正片→坂部正片の系図
戸田吉政(よしまさ)【1640-1702】
妻 小栗正勝の娘
妻の父 小栗正勝→小栗正勝の系図
戸田政勝(まさかつ)【1667-1705】
妻 早川定清の娘
妻の父 早川定清→早川定清の系図
子 政勝の娘〔養父:戸田政春〕
戸田政春(まさはる)【1699-1724】
戸田政弘(まさひろ)【1702-1755】
実は戸田光高(→戸田光定~光高・政次の系図)の子。
妻 戸田政春の娘
実は戸田政勝の娘。
子 元昭(もとてる)
実は上田元知(→上田元知の系図)の子。
戸田政利(まさとし)【1723-?】
実は高山記通(→高山記通の系図)の子。
子 政武(まさたけ)
実は土井利道(→土井利道の系図)の子。
子 政利の娘
実は大岡忠近(→三浦吉明~大岡忠美の系図)の娘。
戸田邦政(くにまさ)【1760-?】
実は宮城朝雄(→宮城朝雄の系図)の子。
妻 戸田政利の娘
実は大久保正昌(→大久保正昌の系図)の娘。
戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図
戸田玄蕃
祖父 実光・父 宗光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
戸田直頼(なおより)【1530-1607】
父は戸田康光(→戸田実光~康光・政重~信定の系図)とも。
子 直秀・孫 直次→戸田直秀~直利の系図
子 直長・孫 直良→戸田直長~直興の系図
子 直良・孫 輝道→戸田直良・輝道~直養の系図
孫 直次→戸田直次~直義・直昌~良堅の系図
戸田直寛(なおひろ)
戸田直吉(なおよし)
子 直郷(なおさと)
子の妻 玉虫清茂の娘
子の妻の父 玉虫清茂→玉虫清茂の系図
孫 直栄〔養父:戸田直太〕
戸田直太(なおもと)
戸田直栄(なおひで)【1670-1748】
実は戸田直郷の子。
子の夫 林就友→林重信~直英・重澄~政善の系図
戸田格誠(まさのぶ)【1698-1785】
妻 伊藤忠照の娘
妻の父 伊藤忠照→伊藤忠照の系図
子 照栄(てるよし)【1744-1769】
子 友隆(ともたか)
実は林包広(→林重信~直英・重澄~政善の系図)の子。
子 格照(ただてる)/直照(なおてる)【1755-1779】
実は桜井正精(→桜井正精の系図)の子。
子の妻 室田政良の娘
子の妻の父 室田政良→室田政良の系図
子 親男(ちかお)
実は幸田親平(→幸田親平の系図)の子。
子 格誠の娘
実は林包広(→林重信~直英・重澄~政善の系図)の娘。
子の夫 林包広→林重信~直英・重澄~政善の系図
戸田政儀(まさよし)【1766-?】
実は永田三照(→永田三照の系図)の子。
妻 小倉雅周の娘
妻の父 小倉雅周→小倉雅周の系図
戸田直秀~直利の系図
戸田直秀(なおひで)【1555-1611】
祖父 玄蕃・父 直頼→戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図
戸田直次(なおつぐ)/直光(なおみつ)【1594-1635】
妻 山岡景長の娘
妻の父 山岡景長→山岡景長の系図
子 直広・孫 直供→戸田直広~直温の系図
子の夫 山田重次→山田重次の系図
子の夫 内藤直政→内藤直政~政守・章政~政勝の系図
子の夫 小栗政次→小栗政次の系図
子の夫 坂部正勝→坂部正勝の系図
子の夫 小林正勝→小林正勝の系図
戸田直政(なおまさ)/直正(なおまさ)【1618-1656】
戸田直武(なおたけ)
妻 大岡忠種の娘
妻の父 大岡忠種→大岡忠行~忠慎の系図
子 直久(なおひさ)【?-1691】
子の夫 伊勢貞昭→伊勢貞昭の系図
子の夫 大岡忠種→大岡忠行~忠慎の系図
戸田直房(なおふさ)【?-1690】
妻 駒木根政武の娘
妻の父 駒木根政武→駒木根政武の系図
戸田直政(なおまさ)【1689-1752】
子 内匠
実は菅谷範平(→菅谷範平の系図)の子。
戸田直利(なおとし)/直年(なおとし)【1725-?】
実は国領重真(→国領重真の系図)の子。
妻 木内恵嵩の娘
妻の父 木内恵嵩→木内恵嵩の系図
夫 荻生清→荻生清の系図
子 直道(なおみち)
子の妻 荒木高保の娘
子の妻の父 荒木高保→荒木高保の系図
戸田直広~直温の系図
戸田直広(なおひろ)【?-1696】
祖父 直秀・父 直次→戸田直秀~直利の系図
祖父 山岡景長→山岡景長の系図
子 山岡景広〔養父:山岡景弘〕→山岡景広の系図
子の夫 市川清比→市川清比の系図
子の夫 逸見光森→逸見光森の系図
子の夫 富永直英→富永直英の系図
戸田直供(なおとも)【1657-1739】
妻 秋鹿道重の娘
妻の父 秋鹿道重→秋鹿道重の系図
子 武藤安卿〔養父:武藤安清〕→武藤安卿の系図
子の夫 市川清煕→市川清煕の系図
子の夫 羽太正員→羽太正員の系図
子の夫 坂部正羽→坂部正羽の系図
子の夫 中山勝安→中山勝安の系図
子の夫 佐野政春→佐野政春の系図
戸田直清(なおきよ)【1698-1736】
子の夫 竹本正恒→竹本正恒の系図
戸田直寿(なおよし)【1718-?】
妻 市川清就の娘
妻の父 市川清就→市川清就の系図
戸田直貞(なおさだ)【1749-1794】
実は大久保教平(→大久保教平の系図)の子。
妻 竹本正恒の娘
妻の父 竹本正恒→竹本正恒の系図
戸田直温(なおよし)【1775-?】
実は大久保教近(→大久保教近の系図)の子。
妻 朝倉景房の娘
妻の父 朝倉景房→朝倉景房の系図
戸田直長~直興の系図
戸田直長(なおなが)/直則(なおのり)【1574-1640】
祖父 玄蕃・父 直頼→戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図
子の夫 山角勝重→山角勝重の系図
子の夫 一色在種→一色在種の系図
戸田直良(なおよし)/直佐(なおすけ)【1611-1654】
妻 大河内政憲の娘
妻の父 大河内政憲→大河内正澄~政儀の系図
戸田直寿(なおよし)【1644-1729】
妻 松平忠久の娘
妻の父 松平忠久→松平忠一~忠久の系図
子の夫 戸田直保→戸田直保の系図
子の夫 瀬名貞栄→瀬名貞栄の系図
子の夫 富永守清→富永守清の系図
子の夫 大屋正行→大屋正行の系図
戸田直澄(なおすみ)【1677-1744】
妻 竹内幸和の娘
妻の父 竹内幸和→竹内幸和の系図
戸田直方(なおかた)【1708-1767】
実は戸田直保(→戸田直保の系図)の子。
妻 大久保忠義の娘
妻の父 大久保忠義→大久保忠義の系図
子 直興〔養父:戸田直常〕
妻 桜井政種の娘
実は依田政有(→依田政有の系図)の娘。
妻の父 桜井政種→桜井政種の系図
夫 桜井政辰→桜井政辰の系図
子 正休〔養父:川崎正盛〕
子の夫 万年頼芳→万年頼芳の系図
戸田直常(なおつね)【1741-1772】
妻 宮原義汨の娘
妻の父 宮原義汨→宮原義汨の系図
戸田直興(なおおき)【1747-?】
実は戸田直方の子。
妻 井上正長の娘
妻の父 井上正長→井上政重~政清・政明~正英の系図
子 直温(なおひろ)
実は三宅徳旨(→三宅徳旨の系図)の子。
戸田直良・輝道~直養の系図
戸田直良(なおよし)【?-1669】
祖父 玄蕃・父 直頼→戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図
妻 山角正勝の娘
妻の父 山角正勝→山角正勝の系図
子 直次・孫 直勝・直昌→戸田直次~直義・直昌~良堅の系図
子の夫 小栗正次→小栗正次の系図
子の夫 秋田季重→秋田季重の系図
戸田輝道(てるみち)/輝吉(てるよし)【1628-1697】
妻 玉虫重茂の娘
妻の父 玉虫重茂→玉虫重茂の系図
子 直保〔養父:戸田憲直〕
子の夫 蒔田定直→蒔田定直の系図
戸田憲直(のりなお)【?-1697】
戸田直保(なおやす)【1668-1716】
実は戸田輝道の子。
妻 戸田直寿の娘
妻の父 戸田直寿→戸田直寿の系図
子 秋田季貞〔養父:秋田季孝〕→秋田季貞の系図
子 直方〔養父:戸田直澄〕→戸田直方の系図
子の夫 伏屋為勝→伏屋為勝の系図
戸田直之(なおゆき)【1700-1742】
妻 山本邑旨の娘
妻の父 山本邑旨→山本邑旨の系図
妻 竹田政就の娘
妻の父 竹田政就→竹田政就の系図
子の夫 大津勝政→大津勝政の系図
戸田直能(なおとう)【1726-?】
妻 伏屋為勝の娘
妻の父 伏屋為勝→伏屋為勝の系図
子 平岡道存〔養父:平岡道章〕→平岡道存の系図
子 秋田季般〔養父:秋田季泰〕→秋田季般の系図
戸田直著(なおあき)【1750-?】
妻 酒井忠顕の娘
妻の父 酒井忠顕→酒井忠知~忠倪の系図
戸田直養(なおやす)
妻 久保勝之の娘
妻の父 久保勝之→久保勝之の系図
妻 市橋長承の娘
妻の父 市橋長承→市橋長承の系図
戸田直次~直義・直昌~良堅の系図
戸田直次(なおつぐ)【1620-1691】
祖父 直頼→戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図
父 直良→戸田直良・輝道~直養の系図
祖父 山角正勝→山角正勝の系図
妻 岩瀬氏次の娘
妻の父 岩瀬氏次→岩瀬氏次の系図
子 小栗直正〔養父:小栗盛次〕→小栗直正の系図
戸田直勝(なおかつ)【1651-1729】
妻 向井正興の娘
妻の父 向井正興→向井正興の系図
子の夫 谷衛章→谷衛勝~衛真の系図
子の夫 岩瀬氏英→岩瀬氏英の系図
戸田直雅(なおまさ)【1696-1748】
実は小栗直正(→小栗直正の系図)の子。
妻 鵜殿長旧の娘
妻の父 鵜殿長旧→鵜殿長旧の系図
子の夫 杉浦勝興→杉浦勝興の系図
戸田直幸(なおよし)【1732-1771】
妻 杉浦貞隣の娘
妻の父 杉浦貞隣→杉浦貞隣の系図
子の夫 石野広持→石野広持の系図
子の夫 押田勝長→押田勝長の系図
戸田直右(なおます)【1754-1795】
妻 杉浦勝興の娘
妻の父 杉浦勝興→杉浦勝興の系図
戸田直義(なおのり)【1778-?】
妻 丸毛利隆の娘
妻の父 丸毛利隆→丸毛利隆の系図
戸田直昌(なおまさ)【1660-1729】
妻 曲淵正則の娘
妻の父 曲淵正則→曲淵正則の系図
子 小栗直秀〔養父:小栗直盛〕→小栗直秀の系図
子の夫 大岡正容→大岡正容の系図
子の夫 荒川親幸→荒川親幸の系図
戸田直賢(なおかた)【1705-1767】
妻 安藤国達の娘
妻の父 安藤国達→安藤国達の系図
妻 早川定基の娘
妻の父 早川定基→早川定基の系図
子 神尾正博〔養父:神尾正〓(「阝」+「夸」)〕→神尾正博の系図
子 政元〔養父:佐野政峰(→佐野政峰の系図)〕
戸田直春(なおはる)【1731-?】
実は井野春若(→井野春若の系図)の子。
戸田良堅(よしかた)【1758-?】
妻 間宮信直の娘
妻の父 間宮信直→間宮信直の系図
夫 安生武定→安生武定の系図
夫 土屋信允→土屋信允の系図
戸田宜光~光重の系図
戸田宜光(よしみつ)【?-1568】
祖父 政光・父 康光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
子 忠重〔養父:戸田重貞〕
戸田重貞(しげさだ)【?-1564】
戸田忠重(ただしげ)【?-1567】
実は戸田宜光の子。
妻 戸田吉光の娘【?-1623】
妻の父 戸田吉光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
子 宣直(のぶなお)【1565-1591】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 甚五郎【1566-1599】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 蝦〔養父:戸田康長〕
子 亀→松平乗元~真乗の系図
孫 松平家乗→松平家乗・乗寿の系図
孫 松平真次→松平真次~盈乗の系図
戸田康長(やすなが)【1562-1632】
下総国古河藩主・常陸国笠間藩主・上野国高崎藩主・信濃国松本藩主。松平姓を許された。
妻 久松松姫
久松俊勝(→久松俊勝・定員の系図)の娘。
子 永兼(ながかね)【1580-1619】
子 諷→戸田氏輝~氏鉄の系図
孫 戸田氏信→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図
孫 戸田氏経→戸田氏経~氏房の系図
孫 戸田氏照→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
妻 稲村氏
子 忠光(ただみつ)/忠長(ただなが)【1598-1629】
子の妻 蜂須賀辰(たつ)【?-1629】
蜂須賀家政(→蜂須賀正昭~家政の系図)の娘。
孫 諷→前田利孝~利慶の系図
子の妻 菅谷氏
孫 光重〔養父:戸田康直〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 九十→松平家乗・乗寿の系図
子 鍋→阿部忠吉~正能の系図
子 蝦【1598-?】
実は戸田甚五郎の娘。
戸田康直(やすなお)【1617-1634】
松本藩主・播磨国明石藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
戸田光重(みつしげ)/長重(ながしげ)【1622-1668】
明石藩主・美濃国加納藩主。実は戸田忠光の子。
妻 戸田久【1626-1678】
実は板倉重宗(→板倉重宗の系図)の娘。
妻の父 戸田氏鉄→戸田氏輝~氏鉄の系図
妻 唐沢氏
子 寧→中山冷泉為親~今城定国の系図
子 冨→安藤重之~信周の系図
妻 栗山氏
子 光永・孫 光煕→戸田光永~光慈の系図
妻 上原氏
子 光正・孫 光輝→戸田光正~光陽の系図
妻 尾花氏
子 光直・孫 光言→戸田光直~光一の系図
戸田光正~光陽の系図
戸田光正(みつまさ)/光真(みつざね)/光高(みつたか)/光澄(みつずみ)【1644-1702】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
5000石を分知された。
祖父 康直・父 光重→戸田宜光~光重の系図
妻 板倉重矩の娘
実は溝口信勝(→溝口信勝の系図)の娘。
妻の父 板倉重矩→板倉重昌~重種の系図
妻 松平富子
松平近栄(→松平近栄~近朝の系図)の娘。
子の夫 板倉重浮→板倉重大~勝該の系図
子の夫 山口弘豊→山口弘豊の系図
戸田光輝(みつてる)【1685-1742】
妻 大久保忠庸の娘
妻の父 大久保忠庸→大久保忠庸の系図
子 光典〔養父:戸田光政〕
子の夫 山口豊隆→山口豊隆の系図
子の夫 内藤忠義→内藤忠清~忠英の系図
子の夫 戸田光清→戸田光直~光一の系図
子の夫 大岡忠近→三浦吉明~大岡忠美の系図
子の夫 竹中定弘→竹中定弘の系図
戸田光政(みつまさ)【1719-1782】
戸田光典(みつのり)/光信(みつのぶ)【1726-1796】
実は戸田光輝の子。
子 光典の娘
戸田光智に嫁ぐ予定であった。
戸田光智(みつとし)【1748-?】
実は戸田光清(→戸田光直~光一の系図)の子。
妻 松平永姫
松平直員(→松平隆政~直道の系図)の娘。
戸田光陽(みつはる)【1773-?】〔養子:戸田光逸(→戸田光悌~光則の系図)〕
実は戸田光為(→戸田光直~光一の系図)の子。
妻 酒井忠言の娘
妻の父 酒井忠言→酒井忠言~忠経の系図
戸田光直~光一の系図
戸田光直(みつなお)/光賢(みつかた)【1657-1716】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
5000石を分知された。
祖父 康直・父 光重→戸田宜光~光重の系図
妻 溝口宣就の娘
妻の父 溝口宣就→溝口宣就の系図
子の夫 阿部正府→阿部正武~正允・正明~正章の系図
戸田光言(みつこと)【1693-1748】
妻 渡辺基綱の娘
妻の父 渡辺基綱→渡辺吉綱~基綱の系図
子 光言の娘
戸田光清に嫁ぐ予定であった。
戸田光清(みつきよ)/光孝(みつたか)【1715-1757】
実は戸田光煕(→戸田光永~光慈の系図)の子。
妻 戸田光輝の娘
妻の父 戸田光輝→戸田光正~光陽の系図
子 政辰〔養父:戸田政友〕→戸田政倚~光紹の系図
子 光智〔養父:戸田光典〕→戸田光正~光陽の系図
子の夫 久世広徳→久世広籌~広楽の系図
戸田光為(みつため)/光智(みつとも)【1738-?】
妻 池田長興の娘
妻の父 池田長興→池田長賢~長休の系図
夫 水野元丈→水野分長~元貞の系図
妻 津田正峻の娘
妻の父 津田正峻→津田正峻の系図
妻 和田氏
子 光行〔養父:戸田光悌〕→戸田光悌~光則の系図
子 光陽〔養父:戸田光智〕→戸田光正~光陽の系図
子 光里〔養父:戸田光禀〕→戸田政倚~光紹の系図
子の夫 岡部美勝→岡部与賢~美勝の系図
戸田光一(みつかず)【1764-?】
妻 仙石久当の娘
妻の父 仙石久当→仙石久当の系図
妻 一柳頼欽の娘
妻の父 一柳頼欽→一柳頼欽の系図
戸田光永~光慈の系図
戸田光永(みつなが)【1643-1705】
加納藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 康直・父 光重→戸田宜光~光重の系図
妻 松平市【?-1711】
松平典信(→松平康信~信利の系図)の娘。
子 逸→堀直寄~直為・直次・直定の系図
子 庸【1667-1674】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
妻 駒井氏
子 槌松【1676-1681】
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 光規(みつのり)【1678-1716】(以下、『戸田家譜(信濃松本)』による。)
孫 光茲
実は戸田光煕の子。
孫 伊野【1702-1707】
孫 茂務【1705-1709】
孫 寿和〔養父:戸田光煕〕
孫 佐奈【1711-1712】
孫 波奈【1713-1727】
子 万【1683】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
妻 森田氏
子 綱【1674-1675】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
妻 垂井氏
子 石【1685-?】
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 国/菊【1695-1706】
実は戸田光煕の娘。
戸田光煕(みつひろ)【1674-1717】
加納藩主・山城国淀藩主。
妻 阿部常【1683-1762】
阿部正武(→阿部正武~正允・正明~正章の系図)の娘。
子 順【1706-1707】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 喜代【1708-1715】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 冨貴【1711】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 伊津【1713-1714】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
妻 後藤氏
子 登流【1707-1710】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 類【1709】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
妻 大塚氏
子 太郎松【1709-1713】
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 亀四郎【1712-1716】
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 金艶→中山冷泉為親~今城定国の系図
子 梅/常/婉【1716-?】
妻 小林氏
子 光清〔養父:戸田光言〕→戸田光直~光一の系図
妻 小野氏
子 光雄〔養父:戸田光慈〕→戸田光雄~光和の系図
子 国〔養父:戸田光永〕
子 寿和→菅沼定用の系図
戸田光慈(みつちか)【1712-1732】〔養父:戸田光規〕
淀藩主・志摩国鳥羽藩主・松本藩主。
妻 新井氏
『華族系譜』では新家氏。
子 進→青山幸督~幸道の系図・建部政周~政世の系図
子 光雄・孫 光徳→戸田光雄~光和の系図
戸田光雄~光和の系図
戸田光雄(みつお)/光英【1716-1756】
松本藩主。実は戸田光煕(→戸田光永~光慈の系図)の子。
祖父 光煕・父 光慈→戸田光永~光慈の系図
妻 佐竹冨【1722-1744】
佐竹義峯(→佐竹義峯の系図)の娘。
子 光雄の息子【1740】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
妻 村岡氏
子 仙勝【1737-1741】
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 鋭→中山冷泉為親~今城定国の系図
妻 三輪氏
子 光雄の息子【1738】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 伸→成瀬正典の系図
妻 太田氏
子 正→松平信直~信彰の系図
子 克→石川総慶~総博の系図
妻 久田氏
子 富之助【1740-1744】
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 光和〔養父:戸田光徳〕
妻 大橋氏
子 家/冬【1746-?】
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
妻 田村氏
子 一柳直住〔養父:一柳寛直〕→一柳直住の系図
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
妻 小芦氏
子 吉→松平忠告の系図
妻 谷口氏
子 光悌〔養父:戸田光和〕→戸田光悌~光則の系図
妻 山本氏
子 春→本多忠栄~忠鵬の系図
子 雄量/冬寛【1740-?】〔養父:戸田雄成〕(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
戸田光徳(みつやす)【1737-1759】
松本藩主。
妻 阿部倶【1743-1815】
阿部正允(→阿部正武~正允・正明~正章の系図)の娘。
戸田光和(みつまさ)【1744-1775】
松本藩主。実は戸田光雄の子。
妻 松平房
松平武元(→松平武元~武聡の系図)の娘。
夫 松平乗完→松平乗完~乗秩の系図
妻 玉生氏
子 金三郎〔養父:戸田光悌〕→戸田光悌~光則の系図
子 保→秋月種徳の系図
子 菊【1767-?】
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 秀/美寿【1774-?】
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 光悌・孫 光行→戸田光悌~光則の系図
戸田光悌~光則の系図
戸田光悌(みつよし)【1754-1786】
松本藩主。実は戸田光雄(→戸田光雄~光和の系図)の子。
祖父 光徳・父 光和→戸田光雄~光和の系図
妻 阿部岩【1754-1824】
阿部正敏(→阿部正敏~正篤の系図)の娘。
妻 梶原氏
子 光年〔養父:戸田光行〕
子 万喜→阿部正簡~正恒の系図・京極高栄~高厚の系図
子 金三郎【1769-1776】
実は戸田光和(→戸田光雄~光和の系図)の子。
戸田光行(みつゆき)/光信(みつのぶ)【1769-1839】
松本藩主。実は戸田光為(→戸田光直~光一の系図)の子。藩校崇教館を創設した。
妻 戸田錠【1783-1805】
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 光庸〔養父:戸田光年〕
子 光元【1800-?】〔養父:甲斐庄正憲(→甲斐庄正憲の系図)〕
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 寿→南部信興~信順の系図
妻 岡村氏
子 千賀→牧野貞幹の系図・中山冷泉為親~今城定国の系図
妻 酒井氏
子 光喬【1792-?】〔養父:松平定規〕
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 光逸【1795-?】〔養父:戸田光陽(→戸田光正~光陽の系図)〕
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
子 鏡三郎【1796-1797】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
妻 北川氏
子 鉚→小笠原長為~貞孚の系図
妻 小崎氏
子 癸巳五郎【1833】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 鋠【1832-?】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
戸田光年(みつつら)/光壮(みつたけ)【1781-1837】
松本藩主。実は戸田光悌の子。
妻 戸田辰【1784-1800】
戸田氏教(→戸田氏英・氏教の系図)の娘。
妻 蜂須賀寿美【1779-1825】
蜂須賀重喜(→蜂須賀至央・重喜の系図)の娘。
子 光年の息子【1802】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 賀鶴【1804-1805】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 篤【1808-1809】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
妻 萩原氏
子 千吉【1810】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
妻 中村氏
子 英次郎【1811-1819】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
妻 坂氏
子 光領〔養父:戸田光庸〕
母は『戸田家譜(信濃松本)』による。
妻 保谷氏
子 光年の息子【1825】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 光年の息子【1827】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 波次郎【1831】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 栄之助【1831-1832】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 貞吉郎【1835】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 安喜→正親町三条公積~公平の系図
子 都【1818-1826】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 勅【1818-1819】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 豊【1829-1830】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 鈴/銑【1833】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
戸田光庸(みつつね)【1798-1878】
松本藩主。実は戸田光行の子。
妻 久世広誉の娘
妻の父 久世広誉→久世広誉~広業の系図
妻 吉野氏
子 小笠原長国〔養父:小笠原長和〕→小笠原長尭~長国の系図
子 貞→安藤道紀~直裕の系図
妻 浅野氏
子 営吉【1834-1835】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 布【1830-1831】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 光領/光直【1815-1841】
実は戸田光年の子。
子の妻 蜂須賀光【1809-1865】
蜂須賀治昭(→蜂須賀治昭~茂韶の系図)の娘。
子 内藤政恒〔養父:内藤政民〕→内藤貞幹~政憲の系図
子 光芬【1838-?】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 仙之助【1841-?】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 松平康載〔養父:松平康英〕→松平康定~康載の系図
子 徳【1838-1839】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 文【1839-?】(『戸田家譜(信濃松本)』による。)
子 銀(『華族系譜』による。)→青木一貫~重義の系図
戸田光則(みつひさ)/光映【1828-1892】
松本藩主。
妻 溝口重
溝口直諒(→溝口直諒の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。