このページでは、阿部氏(藤原氏北家・道兼流)・忠吉流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
阿部氏・忠吉流(陸奥国棚倉藩主)の略系図
1 忠吉→阿部忠吉~正能の系図
3-A 正房・正員→阿部正房~正良・正員~政永の系図
4 正武・正明→阿部正武~正允・正明~正章の系図
7 正敏→阿部正敏~正篤の系図
12 正瞭→阿部正瞭~正功の系図
阿部忠吉~正能の系図
阿部忠吉(ただよし)/正吉(まさよし)【1570-1624】
祖父 正宣・父 正勝→阿部正俊~正次の系図
子の夫 鳥居忠頼→鳥居忠頼~忠容の系図
阿部忠秋(ただあき)【1602-1675】
老中・下野国壬生藩主・武蔵国忍藩主。
妻 稲葉道通の娘
妻の父 稲葉道通→稲葉道通の系図
子 大和
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠秋の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 戸田鍋
戸田康長(→戸田宜光~光重の系図)の娘。
子の夫 有馬康純→有馬康純の系図
孫 清純→有馬清純~孝純の系図
阿部正能(まさよし)/正令(まさよし)【1627-1685】
老中・上総国大多喜藩主・忍藩主。実は阿部政澄(→阿部正俊~正次の系図)の子。
妻 牧野信成の娘
妻の父 牧野信成→牧野信成の系図
子 正武・子 正明→阿部正武~正允・正明~正章の系図
子 正房・正員・孫 正興・正甫→阿部正房~正良・正員~政永の系図
子の夫 松平康官→松平康映~康福の系図
阿部正房~正良・正員~政永の系図
阿部正房(まさふさ)【1658-1728】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠秋・父 正能→阿部忠吉~正能の系図
祖父 牧野信成→牧野信成の系図
子 正甫〔養父:阿部正員〕
子の夫 戸田氏常→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
子の夫 間部詮言→間部詮言の系図
阿部正興(まさおき)【1695-1732】
子の夫 戸川逵和→戸川逵和の系図
阿部正儔(まさとも)【1715-1748】
妻 渋谷良信の娘
妻の父 渋谷良信→渋谷良信の系図
子 岡田善算〔養父:岡田善章〕→岡田善算の系図
阿部正元(まさゆき・まさもと)【1734-1766】
妻 内藤政里の娘
実は内藤政則(→内藤政晴~政苗の系図)の娘。
妻の父 内藤政里→内藤政晴~政苗の系図
阿部正朗(まさあきら)【1751-?】
実は戸沢逵和(→戸沢逵和の系図)の子。
妻 朽木紀綱の娘
妻の父 朽木紀綱→朽木則綱~綱弘の系図
子の夫 井上正矩→井上正義~正矩の系図
子の夫 北条氏征→北条氏平~氏征の系図
阿部正良(まさよし)【1774-?】
実は阿部正敏(→阿部正敏~正篤の系図)の子。
阿部正員(まさかず)【1665-1735】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 有馬康純の娘
妻の父 有馬康純→有馬康純の系図
阿部正甫(まさはる)【1702-1754】
実は阿部正房の子。
子 正恭〔養父:阿部正実〕
阿部正実(まさざね)【1728-1773】
実は渋谷良信(→渋谷良信の系図)の子。
子 正実の娘〔養父:阿部正恭〕
子の夫 設楽貞曠→設楽貞曠の系図
子の夫 小出英敦→小出英敦の系図
阿部正恭(まさゆき)【1744-1779】
実は阿部正甫の子。
阿部正包(まさかね)/方孝(みちたか)【1761-?】
実は間部詮方(→間部詮方の系図)の子。
妻 阿部正恭の娘
実は阿部正実の娘。
阿部正永(まさなが)【1776-?】
阿部正武~正允・正明~正章の系図
阿部正武(まさたけ)【1649-1704】
老中・忍藩主。『武徳大成記』を編纂した。
祖父 忠秋・父 正能→阿部忠吉~正能の系図
祖父 牧野信成→牧野信成の系図
妻 井伊直澄の娘
実は井伊直時(→井伊直親~直澄の系図)の娘。
妻の父 井伊直澄→井伊直親~直澄の系図
子 金助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平正容→松平正容~容頌の系図
妻 林氏
子 正晴(まさはる)【1704-1730】
子の妻 遠山友春の娘
子の妻の父 遠山友春→遠山友春の系図
孫 正允〔養父:阿部正喬〕
孫 正韶〔養父:阿部正府〕
孫 正晴の娘〔養父:阿部正喬〕
子 正府〔養父:阿部正明〕
子 常→戸田光永~光慈の系図
阿部正喬(まさたか)【1672-1750】
老中・忍藩主。
妻 井伊直興の娘
妻の父 井伊直興→井伊直興の系図
子 正秋(まさあき)【1700-1729】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正乗(まさのり)【1701-1738】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正直(まさなお)【1702-1733】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 浅野吉長の娘
子の妻の父 浅野吉長→浅野綱長・吉長の系図
子の妻の夫 松平定輝→松平定逵~定邦の系図
子の妻 徳大寺菊子
徳大寺公全(→徳大寺実維~公城の系図)の娘。
孫 正直の娘〔養父:阿部正喬〕
子 図書
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 奥平昌成→奥平昌能~昌敦の系図
妻 草本氏
子 正敏〔養父:阿部正允〕→阿部正敏~正篤の系図
子 正喬の娘
実は阿部正直の娘。阿部正允に嫁ぐ予定であった。
子の夫 間部詮言→間部詮言の系図
子の夫 井伊直存→井伊直存~直安の系図
阿部正允(まさちか)/正尹(まさただ)/正因(まさより)【1722-1780】
老中・忍藩主。実は阿部正晴の子。
妻 井伊直定の娘
妻の父 井伊直定→井伊直惟・直定の系図
子 正敏・孫 正識→阿部正敏~正篤の系図
子 帯刀
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 細井氏
子 正陳〔養父:阿部正允〕→阿部正敏~正篤の系図
妻 石井氏
子の夫 奥平昌鹿→奥平昌鹿・昌男の系図
子 白須政民〔養父:白須政賢〕→白須政民の系図
子 正実〔養父:阿部正賀〕→阿部正春~正実・正長~正保の系図
子の夫 戸田光徳→戸田光雄~光和の系図
子の夫 松平容頌→松平正容~容頌の系図
子の夫 酒井忠交→酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図
阿部正明(まさあきら)/正貞(まささだ)/正方(まさかた)【1655-1719】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 永井直右の娘
妻の父 永井直右→永井直右~尚監の系図
阿部正府(まさもと)【1697-1749】
実は阿部正武の子。
妻 戸田光直の娘
妻の父 戸田光直→戸田光直~光一の系図
阿部正韶(まさあき)/正倫(まさとも)【1726-1768】
実は阿部正晴の子。
妻 水野忠昭の娘
妻の父 水野忠昭→水野重上~忠実の系図
子 一柳直郷〔養父:一柳直住〕→一柳直郷の系図
子 正行〔養父:阿部正章〕
子の夫 諏訪頼伊→諏訪頼伊の系図
阿部正章(まさあきら)【1753-?】
子 正行
実は阿部正韶の子。
阿部正敏~正篤の系図
阿部正敏(まさとし)【1732-1787】
忍藩主。実は阿部正喬(→阿部正武~正允・正明~正章の系図)の子。
祖父 正喬・父 正允→阿部正武~正允・正明~正章の系図
祖父 井伊直定→井伊直惟・直定の系図
妻 水野忠辰の娘
実は水野忠輝(→水野忠春~忠任の系図)の娘。
妻の父 水野忠辰→水野忠春~忠任の系図
子 正陳(まさのぶ)【1748-1781】
実は阿部正允(→阿部正武~正允・正明~正章の系図)の子。
子の妻 秋元凉朝の娘
子の妻の父 秋元凉朝→秋元凉朝の系図
子 岩→戸田光悌~光則の系図
妻 河合氏
子 正良〔養父:阿部正朗〕→阿部正房~正良・正員~政永の系図
子 正敏の娘〔養父:阿部正識〕
子の夫 森俊韶→森俊韶の系図
子の夫 内藤正興→内藤正敬~正誠の系図
阿部正識(まさつね)【1764-1803】
忍藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 明〔養父:阿部正由〕
阿部正由(まさより)/頼扑(よりなお)【1764-1808】
忍藩主。実は徳川宗将(→徳川宗将の系図)の子。
妻 阿部正識の娘
実は阿部正敏の娘。初めは稲垣長守に嫁ぐ予定であった。
子 酉治郎
母は『阿部家譜(磐城棚倉)』による。
子 正由の娘(3人)(『阿部家譜(磐城棚倉)』による。)
子 明→亀井矩貞~茲監の系図
阿部正権(まさのり)【1806-1823】
忍藩主・陸奥国白河藩主。
阿部正篤(まさあつ)【1807-1843】
白河藩主。実は徳川頼興(→徳川宗将の系図)の子。
妻 島津聡/長/苗
島津斉宣(→島津斉宣の系図)の娘。
子 正瞭・孫 正備→阿部正瞭~正功の系図
阿部正瞭~正功の系図
阿部正瞭(まさあきら)【1813-1838】(以下、『阿部家譜(磐城棚倉)』による。)
白河藩主。実は松平信明(→松平信明~信古の系図)の子。
祖父 正権・父 正篤→阿部正敏~正篤の系図
妻 松平綾
実は永井直与(→永井直進~直諒の系図)の娘。
妻の父 松平康任→松平康定~康載の系図
阿部正備(まさかた)【1823-1874】
白河藩主。実は大村純昌(→大村純保~純煕の系図)の子。
妻 内藤頼寧の娘
妻の父 内藤頼寧→内藤清枚~頼直の系図
子 道→松平頼謙~頼英の系図
子 正備の娘
実は阿部正外の娘。
子 田鶴雄【1867-?】
子 資満【1872-?】
子 多→土方雄志の系図
子 杰→内藤貞幹~政憲の系図
子 与【1865-?】(『華族系譜』による。)
子 婦美(『華族系譜』による。)
阿部正定(まささだ)【1823-1848】
白河藩主。実は阿部正蔵の子。
阿部正耆(まさひさ)【1829-1863】
白河藩主。実は阿部正粋(→阿部正精~正桓の系図)の子。
妻 阿部柳子
阿部正寧(→阿部正精~正桓の系図)の娘。
子 正功〔養父:阿部正静〕
阿部正外(まさと)【1828-1887】
老中・白河藩主。実は阿部正蔵の子。兵庫開港を主張して老中を罷免され、蟄居となった。
子 三郎(『華族系譜』による。)
子 礼〔養父:岡井道延〕
子 正外の娘〔養父:阿部正備〕
阿部正静(まさきよ)【1849-1878】
白河藩主・陸奥国棚倉藩主。戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に加わった。
妻 阿部幸【1855-?】
夫 京極高典→京極高通~高典の系図
夫 大久保忠礼→大久保忠礼の系図
妻 須田津次郎の娘
子 喜久【1866-?】(『華族系譜』による。)
阿部正功(まさこと)【1860-1925】
棚倉藩主。実は阿部正耆の子。
妻 徳大寺照子
徳大寺公純(→徳大寺実祖~実則の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。