このページでは、浅野氏(清和源氏・頼光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
浅野氏(安芸国広島藩主)の略系図

1 光時→浅野光時~幸長の系図
7-A1 長重→浅野長重~長矩の系図
7-A2 長賢→浅野長賢~長富の系図
7-A3 長恒→浅野長恒~長盈の系図
7-A4 長広→浅野長広~長延の系図
7-A5 長貞→浅野長貞~長栄の系図
9 長晟→浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
12 綱長→浅野綱長・吉長の系図
14 宗恒→浅野宗恒の系図
15 重晟→浅野重晟の系図
16 斉賢→浅野斉賢~長勲の系図
浅野光時~幸長の系図
浅野光時(みつとき)
浅野氏の祖とされる。尾張国丹羽郡浅野村に住んだ。
祖父 光基→源光信・光基の系図
父 光衡→土岐光衡・光行の系図
浅野光忠(みつただ)
浅野光盛(みつもり)
浅野国盛(くにもり)
浅野頼隆(よりたか)
浅野長勝(ながかつ)【?-1575】(以下、『系図纂要』による。)
織田信長に仕えた。
妻 七曲前【?-1603】
杉原家利(→杉原家利の系図)の娘。
子 寧子→豊臣秀吉の系図
浅野長政(ながまさ)【1547-1611】
常陸国真壁藩主。実は安井重継の子。豊臣政権では五奉行の一人となったが、関ヶ原の戦いでは徳川方に属した。
子 長晟〔養父:浅野幸長〕→浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
子 長重・孫 長直→浅野長重~長矩の系図
子の夫 杉原長房→杉原長房の系図
子の夫 堀親良→堀親良の系図
子の夫 松平定綱→松平定綱・定良の系図
子の夫 多羅尾光雅→多羅尾光雅の系図
子の夫 船越永景→船越永景の系図
浅野幸長(よしなが)【1576-1613】
紀伊国和歌山藩主。豊臣秀吉に仕え、小田原攻めや朝鮮出兵に加わった。関ケ原の戦いでは徳川方に属した。
妻 池田信輝の娘
妻の父 池田信輝→池田恒利・信輝の系図
子 長晟・孫 光晟・長治→浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
子 春姫→徳川義直の系図
子の夫 松平忠昌→松平忠昌の系図
浅野長重~長矩の系図
浅野長重(ながしげ)【1588-1632】
下野国真岡藩主・常陸国真壁藩主・常陸国笠間藩主。
祖父 長勝・父 長政→浅野光時~幸長の系図
妻 松平家清の娘〔養父:久松俊勝(→久松俊勝・定員の系図)〕
妻の父 松平家清→松平家清の系図
子の夫 浅野長治→浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
子の夫 松平忠氏→松平忠氏の系図
子の夫 島元利(『浅野家譜(安芸広島)』による。)→島元利の系図
浅野長直(ながなお)/長綱(ながつな)【1610-1672】
笠間藩主・播磨国赤穂藩主。山鹿素行を厚遇したほか、塩田開拓を行った。
妻 丹羽長重の娘
妻の父 丹羽長重→丹羽長重の系図
子 長直の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 長賢・孫 長武→浅野長賢~長富の系図
子 長恒・孫 長豊→浅野長恒~長盈の系図
子 長直の娘
実は岡林直宗の娘。松平次郎兵衛に嫁いだ。
子の夫 松平定由→松平定由~定朝の系図
浅野長友(ながとも)【1643-1675】
赤穂藩主。長賢に3500石、長恒に3000石を分知した。
妻 内藤忠政の娘
妻の父 内藤忠政→内藤忠政の系図
子 長広・孫 長純→浅野長広~長延の系図
浅野長矩(ながのり)【1667-1701】
赤穂藩主。江戸城内で吉良義央を斬りつけたため、切腹を命じられ、領地を没収された。
妻 阿久里【1674-1714】
浅野長治(→浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図)の娘。
浅野長広~長延の系図
浅野長広(ながひろ)【1670-1734】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
赤穂事件により、閉門となったが、後に500石を与えられた。
祖父 長直・父 長友→浅野長重~長矩の系図
祖父 内藤忠政→内藤忠政の系図
妻 土方豊高の娘
妻の父 土方豊高→土方豊高の系図
子の夫 三枝守興→三枝守興の系図
浅野長純(ながずみ)【1707-1754】
妻 村上正方の娘
妻の父 村上正方→村上正方の系図
妻 牧野忠列の娘
妻の父 牧野忠列→牧野忠列の系図
子 長貞〔養父:浅野長延〕
子 小川義長〔養父:小川義清〕→小川義長の系図
子 長谷川長煕〔養父:長谷川長孝〕→長谷川長煕の系図
子の夫 曲淵信喜→曲淵信喜の系図
浅野長延(ながのぶ)【1736-1792】
妻 谷衛明の娘
妻の父 谷衛明→谷衛明の系図
夫 石野広近→石野広近の系図
夫 竹中定胤→竹中定胤の系図
子 長貞・孫 長邦→浅野長貞~長栄の系図
子 三枝守春〔養父:三枝守歳〕→三枝守春の系図
子 依田長房〔養父:依田信福〕→依田長房の系図
子 松前広配〔養父:松前広具〕→蠣崎吉広~松前広具の系図
子の夫 山田勝明→山田勝明の系図
子の夫 大屋通村→大屋通村の系図
子の夫 蜂屋正愛→蜂屋正愛の系図
浅野長貞~長栄の系図
浅野長貞(ながさだ)【1747-?】
実は浅野長純の子。
祖父 長純・父 長延→浅野長広~長延の系図
妻 諏訪頼容の娘
妻の父 諏訪頼容→諏訪頼容の系図
子 長光/尚義〔養父:寺島又四郎〕
子の夫 上野忠恕→上野忠恕の系図
浅野長邦(ながくに)【1776-?】
妻 小林正方の娘
妻の父 小林正方→小林正方の系図
夫 永見昌兼→永見昌兼の系図
子 善三郎(『浅野家譜(播磨赤穂)』による。)
子 重邦〔養父:山田重正〕(『浅野家譜(播磨赤穂)』による。)
子 正邦〔養父:阿部正路〕(『浅野家譜(播磨赤穂)』による。)
子の夫 花村正休・中根正路・矢島為安・高木正邦(『浅野家譜(播磨赤穂)』による。)
浅野長年(以下、『浅野家譜(播磨赤穂)』による。)
子 正言〔養父:花村忠兵衛〕
子 長芳〔養父:朝岡興善〕
浅野長賢~長富の系図
浅野長賢(ながかた)/長澄(ながずみ)【1633-1686】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は松平清昌(→松平清昌の系図)の子。
祖父 長重・父 長直→浅野長重~長矩の系図
妻 前田利孝の娘
妻の父 前田利孝→前田利孝の系図
子の夫 戸田政倚→戸田政倚~光紹の系図
浅野長武(ながたけ)【1663-1712】
実は大石良重の子。
妻 甲斐庄正親の娘
妻の父 甲斐庄正親→甲斐庄正親の系図
子の夫 浅野長豊→浅野長恒~長盈の系図
浅野長時(ながとき)【1707-1782】
妻 金田正峯の娘
実は金田正澄(→金田正澄の系図)の娘。
妻の父 金田正峯→金田正峯の系図
夫 金田正祥→金田正祥の系図
妻 中根元宴の娘
妻の父 中根元宴→中根元宴の系図
夫 織田芳正→織田芳正の系図
子 時喜(ときよし)【1722-1745】
実は浅野蔵人の子。
子の夫 小栗久徴→小栗久徴の系図
子の夫 菅沼定堅→菅沼定堅の系図
浅野長充(ながみつ)/忠幸(ただゆき)【1724-1790】
実は藪忠通(→藪忠通の系図)の子。
子の夫 浅野長致→浅野長恒~長盈の系図
子の夫 久松定安→久松定弘~定安の系図
浅野長富(ながとみ)【1748-1816】
妻 酒井忠香の娘
妻の父 酒井忠香→酒井忠香の系図
子 長泰【1785-1832】(以下、『系図纂要』による。)
子の夫 藪忠恒→藪忠恒の系図
浅野長恒~長盈の系図
浅野長恒(ながつね)【1658-1732】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は大石良重の子。
祖父 長重・父 長直→浅野長重~長矩の系図
妻 木下公定の娘
実は遠山友貞(→遠山友貞の系図)の娘。
妻の父 木下公定→木下公定の系図
子 大久保忠高〔養父:大久保忠雄〕→大久保忠高の系図
子 富沢利実〔養父:富沢利成〕→富沢利実の系図
子の夫 柳沢信孝→柳沢信尹~聴信の系図
浅野長豊(ながとよ)【1687-1742】
妻 浅野長武の娘
妻の父 浅野長武→浅野長賢~長富の系図
子 長逵(ながみち)【1720-1741】
浅野長寿(ながひさ)【1725-1774】
妻 九鬼隆寛の娘
妻の父 九鬼隆寛→九鬼隆寛の系図
夫 永井直行→永井直行の系図
妻 遠山友央の娘
妻の父 遠山友央→遠山友央の系図
子の夫 河野通秀→河野通秀の系図
子の夫 野一色義恭→野一色義恭の系図
子の夫 蔭山広堅→蔭山広堅の系図
子の夫 安部信編→安部信編の系図
浅野長致(ながむね)【1745-1800】
実は堀直尭(→堀直尭・直教の系図)の子。
妻 浅野長寿の娘
実は浅野長充(→浅野長賢~長富の系図)の娘。
妻 牧野康満の娘
妻の父 牧野康満→牧野康満の系図
夫 松平信睦→松平信睦の系図
妻 酒井忠順の娘
妻の父 酒井忠順→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
夫 大久保忠快→大久保忠快の系図
子の夫 神尾元孝→神尾元孝の系図
浅野長盈(ながみつ)【1782-1842】
浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
浅野長晟(ながあきら)【1586-1632】
備中国足守藩主・和歌山藩主・安芸国広島藩主。実は浅野長政(→浅野光時~幸長の系図)の子。関ケ原の戦いや大坂の陣で功をあげた。
祖父 長政・父 幸長→浅野光時~幸長の系図
祖父 池田信輝→池田恒利・信輝の系図
妻 徳川振姫(ふりひめ)【1580-1617】
徳川家康(→徳川家康の系図)の娘。
夫 蒲生秀行→蒲生秀行の系図
妻 勧修寺光豊の娘
妻の父 勧修寺光豊→勧修寺光豊~経敬の系図
子 長晟の娘
実は杉原長房(→杉原長房の系図)の娘。
子の夫 浅野高英/高房
浅野光晟(みつあきら)【1617-1693】
広島藩主。5万石を兄長治に分与した。
妻 前田万
前田利常(→前田利常の系図)の娘。
子 長尚〔養父:浅野長治〕
子 長照〔養父:浅野長治〕
子の夫 戸沢正誠→戸沢正誠の系図
子の夫 仙石忠俊→仙石忠俊の系図
子の夫 小笠原忠雄→小笠原忠雄~忠総の系図
子 鶴松【?-1645】
浅野綱晟(つなあきら)【1637-1673】
広島藩主。
妻 九条道房の娘
妻の父 九条道房→九条幸家~輔実の系図
子 綱長・孫 吉長→浅野綱長・吉長の系図
孫 長賢→浅野長賢~長厚の系図
子 長澄〔養父:浅野長照〕
子の夫 本多忠常→本多忠平~忠烈の系図
浅野長治(ながはる)【1614-1675】
備後国三次藩主。
妻 浅野長重の娘
妻の父 浅野長重→浅野長重~長矩の系図
子 長尚(ながなお)【1644-1666】
実は浅野光晟の子。
子 阿久里→浅野長重~長矩の系図
子の夫 河鰭季縁→河鰭実陳~公述の系図
浅野長照(ながてる)【1652-1705】
三次藩主。実は浅野光晟の子。
妻 徳川園姫【1660-1725】
実は広幡忠幸(→広幡忠幸・豊忠の系図)の娘。
妻の父 徳川光友→徳川光友の系図
浅野長澄(ながずみ)【1671-1718】
三次藩主。実は浅野綱晟の子。藩政改革を試みるが一揆により失敗した。
妻 小笠原福
小笠原忠雄(→小笠原忠雄~忠総の系図)の娘。
子 長経(ながつね)【1709-1719】
三次藩主。若くして病死し、三次藩領は広島藩に還付された。
浅野長寔(ながざね)【1713-1720】
三次藩主。三次藩を再興するが、病死により再び藩は廃された。
浅野綱長・吉長の系図
浅野綱長(つななが)【1659-1708】
広島藩主。
祖父 光晟・父 綱晟→浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
祖父 九条道房→九条幸家~輔実の系図
妻 徳川貴姫【1666-1683】
実は徳川光友(→徳川光友の系図)の娘。
妻の父 徳川綱誠→徳川綱誠の系図
子 数馬
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長賢・孫 長喬→浅野長賢~長厚の系図
子 中川久慶〔養父:中川久忠〕→中川久慶の系図
子 三→松平義昌~義真の系図
子の夫 小笠原忠基→小笠原忠雄~忠総の系図
子の夫 九条師孝→九条師孝~道孝の系図
子の夫 一条兼香→一条教輔~道香の系図
子の夫 本庄資訓→本庄資訓の系図
子の夫 水野忠幹→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
子の夫 森長生→森長生の系図
子の夫 河鰭輝季→河鰭実陳~公述の系図
浅野吉長(よしなが)【1681-1752】
広島藩主。藩政改革を行うも、一揆の発生で挫折した。
妻 前田節子【1680-1730】
前田綱紀(→前田綱紀の系図)の娘。
子 宗恒→浅野宗恒の系図
孫 重晟→浅野重晟の系図
子の夫 松平正甫→松平正容~容頌の系図
子の夫 相馬徳胤→相馬徳胤の系図
子の夫 酒井忠寄→酒井忠寄・忠温の系図
子の夫 松平定輝→松平定逵~定邦の系図
子の夫 阿部正直→阿部正直の系図
子の夫 小笠原忠総→小笠原忠雄~忠総の系図
浅野宗恒の系図
浅野宗恒(むねつね)【1717-1787】
広島藩主。
祖父 綱長・父 吉長→浅野綱長・吉長の系図
祖父 前田綱紀→前田綱紀の系図
妻 前田吉徳の娘
妻の父 前田吉徳→前田吉徳の系図
子 重晟→浅野重晟の系図
孫 斉賢→浅野斉賢~長勲の系図
子 水野忠鼎〔養父:水野忠任〕→水野忠鼎の系図
子 長員〔養父:浅野長喬〕→浅野長賢~長厚の系図
子 長包/長芳
子の夫 松平定功→松平定長~定功・定章の系図
子の夫 本庄資承→本庄資承の系図
浅野重晟の系図
浅野重晟(しげあきら)【1743-1813】
広島藩主。財政の立て直しを図るとともに、城内に学問所を設けた。
祖父 吉長→浅野綱長・吉長の系図
父 宗恒→浅野宗恒の系図
妻 徳川福子/邦姫【1740-1767】
徳川宗勝(→徳川宗勝の系図)の娘。
子 仙次郎【?-1775】
妻 徳川順子/陽姫【1751-1773】
徳川宗勝(→徳川宗勝の系図)の娘。
子 斉賢・孫 斉粛→浅野斉賢~長勲の系図
子 森快温〔養父:森俊韶〕→森快温の系図
子 長懋(ながとし)/政俊
孫 長訓〔養父:浅野慶熾、浅野長容〕→浅野斉賢~長勲の系図
孫 懋績/忠敬(以下、『浅野家譜(安芸広島)』による。)
曾孫 長厚〔養父:浅野長容〕→浅野長賢~長厚の系図
孫 懋昭(としてる)/忠烈(以下、『浅野家譜(安芸広島)』による。)
孫の妻 沢氏
曾孫 阿部正桓〔養父:阿部正方〕→阿部正桓の系図
孫の妻 浅野義質の娘
曾孫 亀井茲命〔養父:亀井茲監(→亀井茲監の系図)〕
曾孫 長勲〔養父:浅野長訓〕→浅野斉賢~長勲の系図
曾孫 嘉吉〔養父:浅野讃岐〕
曾孫 喜久(『華族系譜』による。)→南部利済~利恭の系図
孫の夫 京極高美→京極高美の系図
子の夫 水野忠光→水野忠光の系図
子の夫 浅野長容→浅野長賢~長厚の系図
子の夫 南部利敬→南部利雄~利用の系図
子の夫 秋元知朝→秋元知朝の系図
子の夫 伊東祐民→伊東祐隆~祐帰の系図
子の夫 小笠原長瑗→小笠原長尭~長国の系図
浅野斉賢~長勲の系図
浅野斉賢(なりかた)【1773-1830】
広島藩主。財政の立て直しとともに、『芸藩通志』の編纂を行った。
祖父 宗恒→浅野宗恒の系図
父 重晟→浅野重晟の系図
祖父 徳川宗勝→徳川宗勝の系図
妻 織子女王(おりす)【1780-1796】
織仁親王(→織仁親王の系図)の皇女。娘を生んだ後に亡くなった。
子 輝→松平明矩~直温の系図・上杉斉定の系図
子 長駿(『浅野家譜(安芸広島)』による。)
子 斉賢の娘
『浅野家譜(安芸広島)』によれば、溝口直諒に嫁ぐ予定であった。
子 斉賢の娘
『浅野家譜(安芸広島)』によれば、毛利元寛・松平忠栄に嫁ぐ予定であった。
子の夫 秋元久朝→秋元久朝の系図
子の夫 前田利保→前田利保の系図
子の夫 溝口直諒→溝口直諒の系図
子の夫 細川斉護→細川斉護の系図
子の夫 宗義和→宗義暢~重正の系図
浅野斉粛(なりたか)/長粛【1817-1868】
広島藩主。
妻 徳川貴子/末姫【1817-?】
徳川家斉(→徳川家斉の系図)の娘。
子 八百【1843】
浅野慶熾(よしてる)/長裕【1836-1858】
広島藩主。
妻 徳川利姫【1836-?】〔養父:徳川斉順(→徳川重倫~茂承の系図)〕
実は徳川斉荘(→徳川宗睦~義宜の系図)の娘。
妻の父 徳川斉彊→徳川重倫~茂承の系図
浅野長訓(ながみち・ながくに)/茂長【1812-1872】〔養父:浅野長容(→浅野長賢~長厚の系図)〕(以下、『浅野家譜(安芸広島)』による。)
広島藩主。実は浅野長懋(→浅野重晟の系図)の子。当初は広島新田藩を継いだ。辻将曹らを登用して藩政改革を進めた。長州征伐の際には和議に尽力した。
妻 浅野長容の娘
妻の父 浅野長容→浅野長賢~長厚の系図
子の夫 京極高美→京極高美の系図
浅野長勲(ながこと)/長興/茂勲【1842-1937】
広島藩主。実は浅野懋昭(→浅野重晟の系図)の子。幕末には薩長と盟約を結び、徳川慶喜には大政奉還を進言したが、維新後は任じられた議定をすぐに辞した。
妻 山内豊煕の娘
妻の父 山内豊煕→山内豊煕の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。