このページでは、藤原氏北家・実頼流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏北家・実頼流の略系図
1 実頼→藤原実頼の系図
1-A1 頼忠→藤原頼忠の系図
1-A2 公任→藤原公任の系図
2 斉敏→藤原斉敏の系図
3 懐平→藤原懐平の系図
3-A1 経通→藤原経通の系図
3-A2 経季→藤原経季の系図
3-A3 経平→藤原経平の系図
3-A4 季仲→藤原季仲の系図
4 資平→藤原資平の系図
4-A1 資房→藤原資房・公房の系図
4-A2 通輔→藤原通輔の系図
4-A3 公章→藤原公章の系図
4-B 義綱→藤原義綱の系図
5 資仲→藤原資仲~資重の系図
9 資兼→藤原資兼の系図
藤原実頼の系図
藤原実頼(さねより)【900-970】〔養子:藤原実資(→藤原斉敏の系図)〕
摂政・関白・太政大臣。小野宮流の祖。
祖父 基経→藤原良房・基経の系図
父 忠平→藤原忠平の系図
祖父 宇多天皇→宇多天皇の系図
妻 藤原時平の娘
妻の父 藤原時平→藤原時平の系図
子 敦敏【918-947】
子の妻 藤原元名の娘
子の妻の父 藤原元名→藤原清経・元名の系図
孫 佐理(すけまさ・さり)【944-998】
参議。能筆で三跡の一人に数えられる。
孫の妻 藤原為輔の娘
孫の妻の父 藤原為輔→藤原為輔の系図
曾孫の夫 藤原懐平→藤原懐平の系図
子 述子→村上天皇の系図
妻 藤原能子→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
妻の父 藤原定方→藤原定方の系図
子 慶子→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
藤原頼忠の系図
藤原頼忠(よりただ)【924-989】〔養父:藤原保忠(→藤原時平の系図)〕
関白・太政大臣。
祖父 忠平→藤原忠平の系図
父 実頼→藤原実頼の系図
祖父 時平→藤原時平の系図
妻 厳子女王(げんし)【?-1014】
妻の父 代明親王→代明親王の系図
子 公任→藤原公任の系図
子 遵子→円融天皇・一条天皇の系図
子 諟子→冷泉天皇・花山天皇の系図
妻 明祐の娘
子 頼任(よりとう)
子の妻 菅原芳子(ほうし)【974頃-1056頃】
後一条天皇の乳母。
子の妻の父 菅原輔正→菅原淳茂の系図
孫 資任(すけとう)【?-1065】
頼任孫 重実
父は藤原通家(→藤原経季の系図)とも。
子 最円(さいえん)【988-1050】
父は藤原公任(→藤原公任の系図)とも。
子の夫 源重信→源重信の系図
藤原公任の系図
藤原公任(きんとう)【966-1041】
権大納言。漢詩・管絃・和歌などに優れ、三船の才の逸話が『大鏡』などに見える。有職故実にも長け、『北山抄』を著した。
祖父 実頼→藤原実頼の系図
父 頼忠→藤原頼忠の系図
祖父 代明親王→代明親王の系図
妻 昭平親王の娘
妻の父 昭平親王→村上天皇の系図
子 定頼(さだより)【995-1045】
権中納言。中古三十六歌仙の一人。
子の妻 源済政の娘
子の妻の父 源済政→源済政・資通の系図
孫 経家【1018-1068】
権中納言。
孫の妻 大江定経の娘
孫の妻の父 大江定経
曾孫 公定(きんさだ)【1049-1099】
参議。
孫の妻 藤原教通の娘
孫の妻の父 藤原教通→藤原教通の系図
曾孫 定綱【?-1092】
実は藤原頼通(→藤原頼通の系図)の子。
曾孫の妻 大江定経の娘
曾孫の妻の父 大江定経→大江朝綱の系図
曾孫の子の夫 花山院家忠→花山院家忠の系図
曾孫の孫 忠宗→花山院忠宗の系図
定綱孫 定実【?-1085】
定綱孫 慶智/慶西
孫の夫 藤原信長→藤原信長の系図
孫の夫 藤原経季→藤原経季の系図
孫の夫 敦貞親王→三条天皇の系図
子の夫 藤原教通→藤原教通の系図
孫 信長→藤原信長の系図
孫 信家→藤原信家の系図
藤原斉敏の系図
藤原斉敏(ただとし)【928-973】
参議。
祖父 忠平→藤原忠平の系図
父 実頼→藤原実頼の系図
祖父 時平→藤原時平の系図
妻 藤原尹文の娘
妻の父 藤原尹文→藤原尹文の系図
子 高遠(たかとお)【949-1013】
正三位。和歌や笛に優れた。
孫 資高
実は藤原懐平(→藤原懐平の系図)の子。
曾孫 和泉式部→藤原元方の系図
子 実資(さねすけ)【957-1046】〔養父:藤原実頼(→藤原実頼の系図)〕
右大臣。公事に長け、賢人右府と称された。日記は『小右記』。
子の妻 婉子女王→冷泉天皇・花山天皇の系図
子の妻 源惟正の娘
子の妻の父 源惟正→源惟正の系図
孫 資頼
実は藤原懐平(→藤原懐平の系図)の子。
孫 資平→藤原資平の系図
実は藤原懐平(→藤原懐平の系図)の子。
孫 経任→藤原懐平の系図
実は藤原懐平の子。養父は藤原斉信(→藤原斉信の系図)とも。
孫 良円(りょうえん)【983-1050】
父は藤原懐平(→藤原懐平の系図)とも。
孫 千古→藤原頼宗の系図
子 懐平→藤原懐平の系図
孫 経通→藤原経通の系図
孫 資平→藤原資平の系図
藤原懐平の系図
藤原懐平(かねひら)【953-1017】
権中納言。
祖父 実頼→藤原実頼の系図
父 斉敏→藤原斉敏の系図
祖父 藤原尹文→藤原尹文の系図
妻 源保光の娘
妻の父 源保光→代明親王の系図
子 経通→藤原経通の系図
孫 経季→藤原経季の系図
孫 経平→藤原経平の系図
子 資平→藤原資平の系図
孫 資房→藤原資房・公房の系図
孫 資仲→藤原資仲~資重の系図
孫 義綱→藤原義綱の系図
妻 藤原常種の娘
妻の父 藤原常種→藤原乙叡・真葛の系図
子 資頼〔養父:藤原実資〕→藤原斉敏の系図
妻 藤原佐理の娘
妻の父 藤原佐理→藤原実頼の系図
子 経任〔養父:藤原斉信(→藤原斉信の系図)、藤原実資(→藤原斉敏の系図)、養子:藤原経良(→藤原季随の系図)〕【1000-1066】
権大納言。白髪大納言と称された。
子の妻 源時中の娘
子の妻の父 源時中→源時中の系図
孫 経忠
実は高階経重(→高階峯緒~良臣の系図)の子。
孫 公房→藤原資房・公房の系図
実は藤原資房の子。
孫の夫 藤原通家→藤原経季の系図
経任孫 行盛/通盛
子 資高〔養父:藤原高遠〕→藤原斉敏の系図
子 良円→藤原斉敏の系図
父は藤原実資とも。
子の夫 藤原兼頼→藤原頼宗の系図
子の夫 源行任→源行任・高房の系図
藤原経通の系図
藤原経通【982-1051】
権中納言。
祖父 斉敏→藤原斉敏の系図
父 懐平→藤原懐平の系図
祖父 源保光→代明親王の系図
妻 源高雅の娘
妻の父 源高雅→源高雅の系図
子 経仲〔養父:源経房〕→源経房の系図
子 経季→藤原経季の系図
孫 季仲→藤原季仲の系図
子 経平→藤原経平の系図
妻 源高雅の娘
子 顕家【1024-1089】
参議。
子の妻 源頼国の娘
子の妻の父 源頼国→源頼国の系図
孫 基実【?-1108】
孫の妻 藤原通宗の娘
孫の妻の父 藤原通宗→藤原経平の系図
曾孫 世豪/範覚
藤原経季の系図
藤原経季【1010-1086】
中納言。
祖父 懐平→藤原懐平の系図
父 経通→藤原経通の系図
祖父 源高雅→源高雅の系図
妻 藤原能通の娘
妻の父 藤原能通→藤原能通・実範の系図
子 通家/通懐【?-1077】
子の妻 俊行の娘
孫 重実
父は藤原隆行(→藤原頼忠の系図)とも。母は狛則理の娘とも。
子の妻 藤原経任の娘
子の妻の父 藤原経任→藤原懐平の系図
孫の夫 藤原公実→藤原公実の系図
曾孫 季成→藤原実隆・季成の系図
曾孫 経尊/禎覚
妻 藤原邦恒の娘
妻の父 藤原邦恒→藤原邦恒の系図
子 季仲→藤原季仲の系図
妻 藤原邦恒の娘
季仲の母の妹。
孫 信縁
父は増覚とも。
孫の夫 白河天皇→白河天皇の系図
妻 藤原定頼の娘
妻の父 藤原定頼→藤原公任の系図
妻 源行任の娘
妻の父 源行任→源行任・高房の系図
曾孫の夫 大炊御門光能→大炊御門光能の系図
曾孫の夫 藤原親綱→藤原親綱~師平の系図
孫 信縁
父は藤原季実とも。
曾孫 兵衛佐局→鳥羽天皇~近衛天皇の系図
子の夫 敦輔王→敦輔王の系図
子の夫 藤原兼仲→藤原兼房~宗綱の系図
子の夫 源政長→源政長の系図
孫 有賢→源有賢の系図
藤原季仲の系図
藤原季仲(すえなか)【1046-1119】
権中納言。日吉社の訴えで周防国に流された。
祖父 経通→藤原経通の系図
父 経季→藤原経季の系図
祖父 藤原邦恒→藤原邦恒の系図
妻 高階泰仲の娘
妻の父 高階泰仲→高階泰仲の系図
子 懐季【?-1123】
孫 忠春(ちゅうしゅん)【1098-1149】
能説で知られた。
子 仲光
父は藤原実明とも。
孫 全玄(ぜんげん)【1113-1192】
天台座主。
妻 賀茂成助の娘
子 延覚
母は源公房(→源朝任の系図)の娘とも。
子 仲胤(ちゅういん)
能説で知られた。
妻 源頼平の娘
妻の父 源頼平→源頼平の系図
子の夫 源顕重→源雅俊の系図
子の夫 源行宗→源行宗の系図
藤原経平の系図
藤原経平(つねひら)【1014-1091】
従三位。
祖父 懐平→藤原懐平の系図
父 経通→藤原経通の系図
祖父 源高雅→源高雅の系図
妻 藤原家業の娘
妻の父 藤原家業→藤原有国の系図
子 通宗【1040頃-1084】
実母は高階成順の娘。
子の妻 藤原家経の娘
子の妻の父 藤原家経→藤原広業・家経の系図
孫 隆源(りゅうげん)
歌人。通俊の『後拾遺和歌集』編纂作業に協力した。
孫の夫 源師頼→源師頼の系図
孫の夫 藤原通輔→藤原通輔の系図
曾孫 公章→藤原公章の系図
孫の夫 藤原基実→藤原経通の系図
孫の夫 藤原隆忠→藤原隆経の系図
孫の夫 藤原季綱→藤原季綱の系図
曾孫 尹通→藤原尹通の系図
曾孫 実兼→藤原実兼・通憲の系図
子 通俊(みちとし)【1047-1099】〔養子:藤原公章(→藤原公章の系図)〕
権中納言。実母は高階成順の娘。『後拾遺和歌集』を撰んだ。
孫 定通→藤原保実の系図
実は藤原保実の子。養父は藤原宗通(→藤原宗通の系図)とも。
孫の夫 大炊御門経実→大炊御門経実の系図
曾孫 堀河経定→堀河経定の系図
妻 高階成順の娘
妻の父 高階成順→高階峯緒~良臣の系図
子 睦子→藤原実季の系図
孫 藤原公実→藤原公実の系図
孫 藤原保実→藤原保実の系図
孫 藤原仲実→藤原仲実の系図
子 経子→白河天皇の系図
子の夫 藤原顕季→藤原顕季の系図
孫 長実→藤原長実の系図
孫 家保→藤原家保の系図
孫 六条顕輔→六条顕輔の系図
藤原資平の系図
藤原資平(すけひら)【986-1067】〔養父:藤原実資(→藤原斉敏の系図)〕
大納言。
祖父 斉敏→藤原斉敏の系図
父 懐平→藤原懐平の系図
祖父 源保光→代明親王の系図
妻 藤原知章の娘
妻の父 藤原知章→藤原知章の系図
子 資房・孫 公房→藤原資房・公房の系図
子 資仲・孫 顕実→藤原資仲~資重の系図
子 義綱→藤原義綱の系図
藤原資房・公房の系図
藤原資房(すけふさ)【1007-1057】
参議。
祖父 懐平→藤原懐平の系図
父 資平→藤原資平の系図
祖父 藤原知章→藤原知章の系図
妻 源経相の娘
妻の父 源経相→源経相~範基の系図
子 資宗
子の妻 橘義通の娘
子の妻の父 橘義通→橘義通の系図
妻 源時中の娘
妻の父 源時中→源時中の系図
藤原公房【1030-1102】〔養父:藤原経任(→藤原懐平の系図)〕
参議。
妻 藤原登任の娘
妻の父 藤原登任→藤原登任の系図
子 通輔→藤原通輔の系図
孫 公章→藤原公章の系図
子 俊覚〔養父:源俊房(→源俊房の系図)〕
子の夫 藤原敦宗→藤原実政~有成の系図
藤原通輔の系図
藤原通輔【1060-1095】
祖父 資房・父 公房→藤原資房・公房の系図
祖父 藤原登任→藤原登任の系図
妻 藤原通宗の娘
妻の父 藤原通宗→藤原経平の系図
子 公章→藤原公章の系図
子 資基/蓮禅(れんぜん)
父は藤原資房(→藤原資房・公房の系図)とも。漢詩人。
孫 資保〔養父:藤原公章(→藤原公章の系図)〕
子 宰相典侍→中御門宗能の系図
曾孫 範晴【1152-1199】
曾孫 章暁/章恵
藤原公章の系図
藤原公章〔養父:藤原通俊(→藤原経平の系図)、養子:藤原資保(→藤原通輔の系図)〕
祖父 公房→藤原資房・公房の系図
父 通輔→藤原通輔の系図
祖父 藤原通宗→藤原経平の系図
妻 藤原敦基の娘
妻の父 藤原敦基→藤原敦基の系図
子 資重〔養父:藤原資信〕→藤原資仲~資重の系図
妻 高階為家の娘
妻の父 高階為家→高階為家の系図
子 斉章
子の妻 藤原家隆の娘
子の妻の父 藤原家隆→藤原家隆の系図
藤原義綱の系図
藤原義綱
実は延円(→藤原資仲~資重の系図)の子。
曾孫 仲教
父は近藤能成(→近藤能成の系図)とも。
曾孫の妻 大江維光の娘
曾孫の妻の父 大江維光→大江匡房~維光の系図
仲教孫 仲能〔養父:中原親能(→中原親能の系図)〕
仲教孫 景実/教宗
曾孫の妻 大江広元の娘
曾孫の妻の父 大江広元→大江広元の系図
仲教孫 宗澄〔養父:中御門宗平(→中御門宗家~宗雅の系図)〕
仲教孫 顕誉/厳誉〔養父:藤原顕名(→藤原顕名の系図)〕
仲教孫 宗厳/信雅
曾孫の子の夫 藤原盛能→藤原季家の系図
曾孫の子の夫 藤原範宗→藤原範宗の系図
仲教孫 仲宗〔養父:藤原仲頼〕
実は藤原仲秀の子。
藤原資仲~資重の系図
藤原資仲(すけなか)【1021-1087】
権中納言。
祖父 懐平→藤原懐平の系図
父 資平→藤原資平の系図
祖父 藤原知章→藤原知章の系図
妻 源経頼の娘
妻の父 源経頼→源扶義の系図
子 顕仲〔養父:藤原基家〕→藤原兼経の系図
子 仲通【?-1087】
子の夫 藤原兼実→藤原信長の系図
曾孫 義綱〔養父:藤原資平〕→藤原義綱の系図
藤原顕実【1049-1110】
参議。
妻 藤原師仲の娘
妻の父 藤原師仲→藤原行成の系図
子 静慶
父は藤原資仲とも。
藤原資信【1082-1158】
中納言。
子 資忠
実は藤原忠房(→藤原長房の系図)の子。
孫 輔宗〔養父:顕輔〕
藤原資重/通章/長定
実は藤原公章(→藤原公章の系図)の子。
子 資兼→藤原資兼の系図
藤原資兼の系図
藤原資兼
実は藤原泰季(→藤原盛国の系図)の子。
祖父 資信・父 資重→藤原資仲~資重の系図
有季孫 季名/季実
有季孫 季連
実は藤原季村の子。
季親孫 季明/季房【1272-1332】
季親孫 季種
季種の妻 藤原長村の娘
季種の妻の父 藤原長村→藤原長村の系図
季村孫 季信/季春
季村孫 季嗣/季躬
季村孫 季連〔養父:藤原季氏〕
季村孫 季綱
季綱の子の夫 源定信→源定信の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。