中院家(村上源氏)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、中院家(村上源氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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中院家(大臣家)の略系図

中院家の略系図

1 通方中院通方の系図
2 通成中院通成~通冬の系図
7 通氏中院通氏~通右の系図
14 通勝中院通勝~通純の系図
17 通茂中院通茂~通枝の系図
20 通維中院通維~通富の系図

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中院通方の系図

中院通方の系図

  中院通方(みちかた)【1189-1238】
 大納言。中院家の祖。土御門大納言と号した。故実書である『餝抄』を著した。

祖父 雅通源雅通の系図
 通親源通親の系図
祖父 藤原範兼藤原範兼の系図

 藤原長兼の娘
妻の父 藤原長兼藤原長方の系図
 通氏【1213-1238】
 従三位。
子の妻 珍喜の娘
子の妻の父 珍喜→珍喜の系図
 具氏【1232-1275】
 参議。
孫の妻 任快の娘
孫の妻の父 任快水無瀬親兼~具隆の系図
曾孫 具顕【?-1287】

孫の妻 藤原行能の娘
 実は高階経雅(→高階経雅の系図)の子。
孫の妻の父 藤原行能藤原伊経の系図

曾孫 親子伏見天皇・花園天皇の系図

 一条能保の娘
妻の父 一条能保一条通重・能保の系図
 通成 通頼中院通成~通冬の系図

 源雅頼の娘
妻の父 源雅頼源雅頼の系図
 北畠雅家→北畠雅家の系図

 藤原定輔の娘
妻の父 藤原定輔水無瀬親信の系図

 顕方〔養父:土御門定通・源顕親(→土御門定通・顕定の系図)、養子:源雅顕(→久我通光の系図)〕
 権大納言。
子の妻 藤原親俊の娘
子の妻の父 藤原親俊藤原光雅の系図
 顕実【?-1279】
 正三位。
孫の妻 藤原長嗣の娘
孫の妻の父 藤原長嗣清水谷公定の系図

曾孫 顕俊【1266-1332】〔養父:源顕親(→土御門定通・顕定の系図)〕
 正三位。

子の妻 吉良長氏の娘
子の妻の父 吉良長氏吉良長氏~貞義の系図

曾孫 雅成
 従三位。父は源雅方とも。

 通世
 参議。
子の妻 源家定の娘
子の妻の父 源家定源定忠・師季の系図

 大納言局後嵯峨天皇の系図
子の夫 花山院通雅花山院通雅~長定の系図
子の夫 洞院実雄(『中院家譜』による。)→洞院実雄の系図

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中院通成~通冬の系図

中院通成~通冬の系図

  中院通成(みちなり)【1222-1286】
 内大臣。

祖父 通親源通親の系図
 通方中院通方の系図
祖父 一条能保一条通重・能保の系図

 宇都宮頼綱の娘
妻の父 宇都宮頼綱→宇都宮頼綱の系図
 通教【1246-?】
 権中納言。
子の妻 藤原公俊の娘
子の妻の父 藤原公俊三条実房の系図
 通藤
 正三位。
曾孫 通守(『系図纂要』による。)

子の妻 藤原清俊の娘
子の妻の父 藤原清俊藤原永清の系図

 禅助(ぜんじょ)【1247-1330】
 東寺長者。後宇多院の尊崇を受けた。

 顕子西園寺実兼の系図
 西園寺公衡西園寺公衡~公宗の系図

子の夫 三条実重三条実重~公忠の系図


  中院通頼(みちより)【1242-1312】
 准大臣。
 姉小路顕朝の娘
妻の父 姉小路顕朝藤原宗隆の系図
 通時【1273-?】
 権中納言。
子の夫 鷹司冬平鷹司兼平~冬教の系図

 道淵(『系図纂要』による。)〔養父:中院通顕〕


  中院通重(みちしげ)【1270-1322】
 内大臣。
 源通能の娘
 通持【1300-?】
 従三位。母は『中院家譜』による。
子の妻 藤原能冬の娘
子の妻の父 藤原能冬一条高能の系図

 成助道祐
 母は『中院家譜』による。
 寛恵【1302-1343】
 母は『中院家譜』による。


  中院通顕(みちあき)【1291-1343】〔養子:道淵〕
 内大臣。


  中院通冬(みちふゆ)【1315-1363】
 大納言。日記は『中院一品記』。
 通氏 通守中院通氏~通右の系図
 通清/通敏
 参議。
孫の夫 中院通淳中院通氏~通右の系図

 禅守(ぜんしゅ)【1333-?】
 実は邦省親王(→後二条天皇の系図)の子。

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中院通氏~通右の系図

中院通氏~通右の系図

  中院通氏(みちうじ)/通治【1347-1395】
 権大納言。

祖父 通顕 通冬中院通成~通冬の系図

 万里小路仲房の娘
妻の父 万里小路仲房万里小路資通~冬房の系図


  中院通守(みちもり)【1377-1418】
 権大納言。
 守鑁/禅通/通経【1416-1483】


  中院通淳(みちあつ)【1398-1451】
 准大臣。
 中院通清の娘
妻の父 中院通清中院通成~通冬の系図

 肖柏(しょうはく)【1443-1527】(『中院家譜』による。)
 連歌師。宗祇に和歌や連歌を学んだ。のちに堺に居住し、門人らに和歌や連歌を指導した。


  中院通秀(みちひで)/通時【1428-1494】
 内大臣。日記は『十輪院内府記』。


  中院通世(みちよ)【1465-1519】
 権中納言。実は久我通博(→久我通博~通言の系図)の子。
子の夫 庭田重親庭田雅行~重保の系図
子の夫 園基国園基富~基音の系図


  中院通胤(みちたね)/通泰【1499-1530】
 権中納言。
 姉小路済継の娘
妻の父 姉小路済継→姉小路済継の系図

 覚源(以下、『系図纂要』による。)


  中院通右/通為(みちため)/通量【1517-1565】
 内大臣。
 三条西公条の娘
妻の父 三条西公条三条西公時~公条の系図
 通総
 12歳で亡くなった。
 通勝 通村中院通勝~通純の系図
 公厳〔養父:三条西公条(→三条西公時~公条の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)

 白川雅朝〔養父:白川雅業〕→雅朝王~白川資訓の系図
 真祐通右の娘(『系図纂要』による。)

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中院通勝~通純の系図

中院通勝~通純の系図

  中院通勝(みちかつ)【1556-1610】(以下、『系図纂要』による。)
 権中納言。三条西実枝や細川藤孝らから和歌を学んだ。『源氏物語』の注釈書『岷江入楚』を著した。日記は『継芥記』。

祖父 通胤 通右中院通氏~通右の系図
祖父 三条西公条三条西公時~公条の系図

 細川藤孝の娘
 実は一色義次の娘。
妻の父 細川藤孝→細川藤孝の系図
 孝以
 21歳で亡くなった。
 北畠親顕〔養父:北畠具房〕→北畠親顕の系図
 仲子〔養父:日野資茂(→日野弘資~永資の系図)〕

 通勝の娘(『中院家譜』による。)
 伊豆国に流された。


  中院通村(みちむら)/通貫【1587-1653】〔養子:孝源(→水無瀬氏成~氏信の系図)〕
 内大臣。武家伝奏を務めた。和歌にもすぐれた。日記は『後十輪院内府記』。
 溝口秀勝の娘
妻の父 溝口秀勝→溝口秀勝の系図
子の夫 清閑寺共綱清閑寺資房~共綱の系図
 煕房清閑寺煕房~秀定の系図

 広橋兼勝の娘
妻の父 広橋兼勝広橋兼勝・総光の系図


  中院通純(みちずみ)【1612-1653】
 権大納言。
 高倉永慶の娘
妻の父 高倉永慶高倉永孝~永俊の系図
 通茂 通躬中院通茂~通枝の系図
 野宮定縁〔養父:野宮定逸〕→野宮定逸~定之の系図
 正佐(『中院家譜』による。)
子の夫 鍋島光茂(『中院家譜』による。)→鍋島光茂の系図

 愛宕通福愛宕通福~通致の系図

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中院通茂~通枝の系図

中院通茂~通枝の系図

  中院通茂(みちしげ)【1631-1710】
 内大臣。後水尾上皇から古今伝授を受け、歌壇で活躍した。

祖父 通村 通純中院通勝~通純の系図
祖父 高倉永慶高倉永孝~永俊の系図

 小笠原政信の娘〔養父:板倉重矩(→板倉重昌~重種の系図)〕
妻の父 小笠原政信小笠原信嶺~貞信・信政の系図
 織田信昌→織田信昌の系図
 野宮定基〔養父:野宮定縁〕→野宮定逸~定之の系図
 久世通夏〔養父:久世通式〕→久世通式~通晃の系図

 周清〔養父:日野弘資(→日野弘資~永資の系図)〕
 尊智(『中院家譜』による。)
子の夫 山科持言(『中院家譜』による。)→山科言行~尭言の系図


  中院通躬(みちみ)【1668-1739】
 右大臣。
 飛鳥井雅章の娘
妻の父 飛鳥井雅章飛鳥井雅庸~雅豊の系図
 通藤【1709-1714】
子の夫 清閑寺治房清閑寺煕房~秀定の系図
子の夫 溝口重元→溝口重元の系図

子の夫 鍋島宗教→鍋島宗教の系図


  中院通枝(みちえだ)/茂栄【1722-1753】
 権中納言。
 通維 通古中院通維~通富の系図
子の夫 鍋島治茂→鍋島治茂の系図

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中院通維~通富の系図

中院通維~通富の系図

  中院通維(みちこれ)/維孝【1738-1823】
 実は久我通兄(→久我通誠~通兄の系図)の子。宝暦事件で蟄居を命じられた。

祖父 通躬 通枝中院通茂~通枝の系図

 久我通明〔養父:久我信通〕→久我信通~通久の系図


  中院通古(みちふる)【1750-1795】
 権大納言。実は久世栄通(→久世栄通~通煕の系図)の子。
 寂慈(『中院家譜』による。)


  中院通知(みちとも)【1771-1846】
 権大納言。
 蜂須賀沢
 蜂須賀重喜(→蜂須賀至央・重喜の系図)の娘。

 千種有名〔養父:千種有功〕→千種有補~有任の系図
 愛宕通祐〔養父:愛宕通典〕→愛宕通福~通致の系図
子の夫 高辻以長高辻総長~修長の系図


  中院通繁【1789-1863】
 鍋島治茂の娘
妻の父 鍋島治茂→鍋島治茂の系図
 通功【1821-1825】
子の夫 姉小路公前姉小路公文~公知の系図


  中院通富【1823-1885】
 権大納言。実は徳大寺実堅(→徳大寺実祖~実則の系図)の子。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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