このページでは、藤井松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤井松平家(出羽国上山藩主)の略系図
1 利長→松平利長~信吉の系図
4 忠国→松平忠国の系図
4-A 信重→松平信重~信寅の系図
5 信之→松平信之~信将の系図
10 信亨→松平信亨~信安の系図
松平利長~信吉の系図
松平利長(としなが)【?-1560】
藤井松平家の祖。三河国碧海郡藤井を領した。
祖父 親忠・父 長親→松平親忠~信忠の系図
松平信一(のぶかず)【1539-1624】
常陸国土浦藩主。
妻 松平好景の娘
妻の父 松平好景→松平忠定・好景の系図
子 久清(ひさきよ)【?-1592】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 大久保康忠→大久保康忠の系図
子の夫 小栗忠政→小栗忠政の系図
子の夫 門奈宗勝→門奈宗勝の系図
松平信吉(のぶよし)【1575-1620】
土浦藩主・上野国高崎藩主・丹波国篠山藩主。実は松平忠吉(→松平忠吉の系図)の子。
妻 松平信一の娘【?-1659】
子 忠国→松平忠国の系図
孫 信之→松平信之~信将の系図
孫 信重→松平信重~信寅の系図
子 忠晴・孫 忠昭→松平忠晴・忠昭の系図
子 忠秋(ただあき)/信秋(のぶあき)【1607-1652】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 信治(のぶはる)【?-1647】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 秋田俊季→秋田俊季の系図
子 季治(すえはる)【?-1694】
松平忠国の系図
松平忠国(ただくに)/忠勝(ただかつ)【1597-1659】
篠山藩主・播磨国明石藩主。
祖父 信一・父 信吉→松平利長~信吉の系図
妻 戸田氏鉄の娘
妻の父 戸田氏鉄→戸田氏輝~氏鉄の系図
子 信久(のぶひさ)【1629-1652】
子の妻 青山幸成の娘
子の妻の父 青山幸成→青山幸成~幸実の系図
子の妻の夫 山口重直→山口重直の系図
子 信之・孫 忠之→松平信之~信将の系図
子 信重・孫 信周→松平信重~信寅の系図
子 忠栄(ただよし)/信親(のぶちか)〔養父:松平忠晴(→松平忠晴・忠昭の系図)〕
孫の夫 加藤明治→加藤明治の系図
子の夫 内藤義概→内藤忠興~義稠の系図
子の夫 松浦鎮信→松浦鎮信・棟の系図
子の夫 保科正景→保科正貞~正寿の系図
子の夫 酒井忠綱→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
子の夫 本多忠将→本多忠相~忠敞の系図
子の夫 松平忠昭→松平忠晴・忠昭の系図
松平信重~信寅の系図
松平信重(のぶしげ)【1632-1714】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 信吉→松平利長~信吉の系図
父 忠国→松平忠国の系図
妻の父 戸田氏鉄→戸田氏輝~氏鉄の系図
子の夫 保科正静→保科正英~正棟の系図
松平信周(のぶちか)/信興(のぶおき)【1659-1717】
妻 菅沼定実の娘
妻の父 菅沼定実→菅沼定実の系図
子 忠隆→松平忠晴・忠昭の系図
実は松平忠昭の子。
松平信政(のぶまさ)【1698-1723】
実は内藤義英(→内藤忠興~義稠の系図)の子。
松平信成(のぶなり)【1718-1737】
松平信敏(のぶとし)【1727-1757】
実は松平忠愛(→松平忠愛の系図)の子。
妻 本多忠統の娘
妻の父 本多忠統→本多忠恒・忠統の系図
松平信交(のぶより)【1742-1779】
実は松平忠愛(→松平忠愛の系図)の子。
妻 朽木紀綱の娘
妻の父 朽木紀綱→朽木則綱~綱弘の系図
夫 大久保教純→大久保教純の系図
子 信交の娘〔養父:松平信志〕
松平信志(のぶむね)/忠福(ただよし)【1743-1793】
実は水野忠穀(→水野忠穀~忠敬の系図)の子。
松平信寅(のぶとき)/忠胤(ただたね)/信孝(のぶよし)【1774-?】
実は本多忠寛(→本多忠良~忠粛の系図)の子。
妻 松平信志の娘
実は松平信交の娘。
妻 片桐祐賢の娘
妻の父 片桐祐賢→片桐祐賢の系図
妻 堀田正邦の娘
妻の父 堀田正邦→堀田正邦の系図
夫 戸田忠従→戸田忠章~忠偲の系図
松平信之~信将の系図
松平信之(のぶゆき)【1631-1686】
明石藩主・大和国郡山藩主・下総国古河藩主。熊沢蕃山を庇護した。
祖父 信吉→松平利長~信吉の系図
父 忠国→松平忠国の系図
祖父 戸田氏鉄→戸田氏輝~氏鉄の系図
妻 小出吉英の娘
妻の父 小出吉英→小出吉英の系図
子 信通〔養父:松平忠之〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 信之の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 戸田氏定→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
子の夫 植村家言→植村家貞~家包の系図
子 信之の娘
遠藤常春に嫁ぐ予定であった。
松平忠之(ただゆき)【1674-1695】
古河藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。弟の信通に1万石を分与した。その後、乱心により所領を没収された。
妻 酒井忠義の娘
妻の父 酒井忠義→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
夫 植村正朝→植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図
松平信通(のぶみち)【1676-1722】
大和国興留藩主・備中国庭瀬藩主・出羽国上山藩主。実は松平信之の子。
妻 板倉久
板倉重常(→板倉重郷~重治の系図)の娘。
夫 堀田正朝→堀田正朝の系図
妻 宮崎氏
子 次郎四郎【?-1707】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 加藤明治→加藤明治の系図
松平長恒(ながつね)【1716-1779】
上山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
松平信将(のぶまさ)【1717-1761】
上山藩主。実は松平忠隆(→松平忠晴・忠昭の系図)の子。
妻 戸田氏長の娘
妻の父 戸田氏長→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
妻 松平宣富の娘
妻の父 松平宣富→松平光長~長煕の系図
子 信亨・孫 信古→松平信亨~信安の系図
子 忠融(ただあきら)【1755-1776】
子の夫 四辻公亨→四辻公韶~公賀の系図
松平信亨~信安の系図
松平信亨(のぶつら)【1746-1796】
上山藩主。『寛政重修諸家譜』によれば、一円氏を母とする娘が2人いる。
祖父 長恒・父 信将→松平信之~信将の系図
妻 毛利好
毛利重就(→毛利吉元~重就の系図)の娘。
子 信亨の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 山下氏
子 信恭
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 山下氏
子 鋭丸
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 信愛〔養父:松平信古〕
子 信亨の娘〔養父:松平信愛〕
子 信亨の娘
三室戸能光に嫁ぐ予定であった。
子の夫 三枝大学頭(『松平家譜(羽前上之山)』による。)
松平信古(のぶふる)【1770-1796】
上山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平忠恕の娘
妻の父 松平忠恕→松平忠刻~忠恕の系図
松平信愛(のぶざね)【1779-1805】
上山藩主。実は松平信亨の子。
松平信行(のぶゆき)【1790-1873】
上山藩主。実は松平康哉(→松平長孝・康哉の系図)の子。藩校天輔館を創設した。
妻 松平信愛の娘
実は松平信亨の娘。
妻 青山忠高の娘
妻の父 青山忠高→青山俊春~忠講の系図
子 信智(『松平家譜(羽前上之山)』による。)
子の夫 五島盛成→五島盛運~盛徳の系図
子の夫 田村邦顕→田村邦顕の系図
松平信宝(のぶたか)【1817-1872】(以下、『松平家譜(羽前上之山)』による。)
上山藩主。藩校を移転し、明新館に改称した。
妻 戸沢秀/孝
戸沢正胤(→戸沢正親~正実の系図)の娘。
妻 本庄宗発の娘
妻の父 本庄宗発→本庄宗発の系図
子 信安〔養父:松平信庸〕
子 典子→山内豊福の系図
子の夫 生駒親敬→生駒親敬の系図
子の夫 久世広業→久世広誉~広業の系図
松平信庸(のぶつね)【1844-1918】
上山藩主。戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に加わって敗れ、隠居した。
妻 小笠原直
小笠原長国(→小笠原長尭~長国の系図)の娘。
子の夫 青木重義(『華族系譜』による。)→青木一貫~重義の系図
松平信将(のぶやす)【1864-1918】
上山藩主。実は松平信宝の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。