このページでは、青山氏(藤原氏北家・師実流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
青山氏(丹波国篠山藩主)の略系図
1 師重→青山師重~忠門・忠教~義虎の系図
7-A1 重成→青山重成~正康の系図
7-A2 重勝→青山重勝~正知の系図
7-A3 盛長→青山盛長~長好の系図
7-B1 忠重→青山忠重~成次・成親~成房の系図
7-B2 成政→青山成政~成昌の系図
9 忠成→青山忠成・忠俊の系図
11 宗俊→青山宗俊~忠重の系図
14 俊春→青山俊春~忠講の系図
18 忠裕→青山忠裕の系図
19 忠良→青山忠良・忠敏の系図
青山師重~忠門・忠教~義虎の系図
青山師重(もろしげ)
実は花山院信賢(→花山院師継~師資の系図)の子。青山氏の祖とされる。上野国吾妻郡青山に住んだという。
祖父 信賢・父 師資→花山院師継~師資の系図
青山忠治(ただはる)【1386-1432】
子 光教〔養父:青山光長〕
青山光長(みつなが)【?-1450】
青山光教(みつのり)【?-1459】
実は青山忠治の子。
子 青木治教・子 光教の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
青山忠治(ただはる)【?-1470】
子 忠治の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
青山長光(ながみつ)【?-1496】
青山忠世(ただよ)【?-1535】
子 重成・孫 正長→青山重成~正康の系図
子 忠重・孫 成重→青山忠重~成次・成親~成房の系図
子 俊成〔養父:青木長義〕
青山忠門(ただかど)/忠義(ただよし)【1518-1571】
子 忠成・孫 忠俊→青山忠成・忠俊の系図
孫 幸成→青山幸成~幸実の系図
青山忠教(ただのり)【?-1543】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 清治(よしはる)【?-1561】
青山長利(ながとし)【?-1564】
青山定親(さだちか)【?-1570】
姉川の戦いで討ち死にした。
子 定長(さだなが)【?-1584】
青山定義(さだよし)【?-1590】
青山義信(よしのぶ)【1590-1628】
妻 戸田勝吉の娘
妻の父 戸田勝吉→戸田清勝~忠純の系図
青山義成(よしなり)【1625-1653】
妻 清水恒豊の娘
妻の父 清水恒豊→清水恒豊の系図
青山義虎(よしとら)
青山重成~正康の系図
青山重成(しげなり)【1521-1581】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 長光・父 忠世→青山師重~忠門・忠教~義虎の系図
子 小林重次(しげつぐ)【1553-1619】
孫 青山重勝〔養父:青山重長〕→青山重勝~正知の系図
孫 利政〔養父:青山重長〕
青山正長(まさなが)【1549-1607】
妻 大久保忠益の娘
妻の父 大久保忠益→大久保忠益の系図
子の夫 青山重勝→青山重勝~正知の系図
青山重長(しげなが)【1578-1639】
子 重勝・孫 宗長→青山重勝~正知の系図
子 盛長・孫 長恒→青山盛長~長好の系図
青山利政(としまさ)【1603-1650】
実は青山正成の子。
青山正康(まさやす)/政広(まさひろ)【1633-1682】
青山重勝~正知の系図
青山重勝(しげかつ)【1600-1654】
実は小林重次(→青山重成~正康の系図)の子。
祖父 正長・父 重長→青山重成~正康の系図
妻 青山正長の娘
妻の父 青山正長→青山重成~正康の系図
子 盛長〔養父:青山重長〕→青山盛長~長好の系図
青山宗長(むねなが)【1632-1676】
青山重広(しげひろ)【1657-1707】
妻 佐久間英顕の娘
妻の父 佐久間英顕→佐久間英顕の系図
青山重義(しげよし)【1681-1720】
青山広正(ひろまさ)【1713-1743】
青山広傍(ひろちか)/直上(なおかみ)【1724-1776】
実は横山元直(→横山元直の系図)の子。
子の夫 飯高胤美→飯高胤美の系図
子の夫 鈴木正邦→鈴木正邦の系図
子の夫 平岡正孝→平岡正孝の系図
子の夫 平岡道貞→平岡道貞の系図
青山正知(まさとも)【1757-?】
妻 河尻春之の娘
実は由利篤恭の娘。
妻の父 河尻春之→河尻春之の系図
青山盛長~長好の系図
青山盛長(もりなが)/重綱(しげつな)【1625-1685】
実は青山重勝(→青山重勝~正知の系図)の子。
祖父 正長・父 重長→青山重成~正康の系図
妻 高城重胤の娘
妻の父 高城重胤→高城重胤の系図
子 原田種蔵〔養父:原田種盛〕→原田種蔵の系図
子の夫 倉橋忠敬→倉橋忠敬の系図
子の夫 稲葉正員→稲葉正員~正善の系図
青山長恒(ながつね)【1669-1734】
子 原田種徳〔養父:原田種蔵〕→原田種徳の系図
子 仁木左内〔養父:仁木政行〕→仁木左内の系図
子の夫 植村正賀→植村正賀の系図
子の夫 木下信恭→木下信恭の系図
子の夫 野田守成→野田守成の系図
青山長聴(ながあきら)【1705-1753】
妻 野田清成の娘
妻の父 野田清成→野田清成の系図
妻 松風正晨の娘
妻の父 松風正晨→松風正晨の系図
妻 細井戸為易の娘
妻の父 細井戸為易→細井戸為易の系図
子 光暢〔養父:後藤光焞〕
子 天野景貞〔養父:天野繁信〕→天野景貞の系図
青山長視(ながみ)【1737-?】
妻 坂部正良の娘
妻の父 坂部正良→坂部正良の系図
妻 石丸定矩の娘
実は石丸清相(→石丸清相の系図)の娘。
妻の父 石丸定矩→石丸定矩の系図
子 長好〔養父:青山長恕〕
青山長恕(ながゆく)【1766-1793】
青山長好(ながよし)【1777-?】
実は青山長視の子。
妻 峰岸瑞興の娘
妻の父 峰岸瑞興→峰岸瑞興の系図
青山忠重~成次・成親~成房の系図
青山忠重(ただしげ)【1525-1571】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 長光・父 忠世→青山師重~忠門・忠教~義虎の系図
子 成国(なりくに)【?-1613】
実は大久保長安の子。
子の夫 浅羽幸正→浅羽幸正の系図
青山成重(なりしげ)/忠頼(ただより)【1549-1615】
実は服部正信の子。下総国で1万石を領した。
青山成次(なりつぐ)【1593-1639】
妻 彦坂光正の娘
妻の父 彦坂光正→彦坂光正の系図
子 成政・孫 成路→青山成政~成昌の系図
子の夫 小笠原元定→小笠原元定~元陳の系図
子の夫 太田資時→太田資時の系図
青山成親(なりちか)【?-1684】
青山成明(なりあきら)/貞安(さだやす)【1660-1725】
実は松平忠治(→松平忠治~忠候の系図)の子。
青山成胤(なりたね)【1699-1772】
子 成房〔養父:青山成歳〕
青山成歳(なりとし)【1728-1782】
青山成房(なりふさ)【1733-?】
実は青山成胤の子。
子 成興(なりおき)
実は石川忠盈(→石川忠盈の系図)の子。
青山成政~成昌の系図
青山成政(なりまさ)【1631-1700】
祖父 成重・父 成次→青山忠重~成次・成親~成房の系図
祖父 彦坂光正→彦坂光正の系図
妻 曽我包助の娘
妻の父 曽我包助→曽我包助の系図
妻 菅沼定政の娘
妻の父 菅沼定政→菅沼定政の系図
子の夫 大友義閭→大友義閭の系図
青山成路(なりみち)【1652-1694】
子 成福〔養父:青山成意〕
子 成路の娘〔養父:青山成政〕
子の夫 一尾安通→一尾安通の系図
子の夫 板橋勝成→板橋勝成の系図
青山成意(なりおき)/成利(なりとし)【1672-1708】
妻 山崎正周の娘
妻の父 山崎正周→山崎正周の系図
子 成意の娘〔養父:青山成福〕
子の夫 天野正勝→天野正勝の系図
青山成福(なりとみ)【1684-1730】
実は青山成路の子。
妻 久津見充信の娘
妻の父 久津見充信→久津見充信の系図
子の夫 三淵政甫→三淵政甫の系図
子の夫 板橋永盛→板橋永盛の系図
青山成存(なりすみ)/成久(なりひさ)/成親(なりちか)【1714-1795】
妻 伏屋為貞の娘
妻の父 伏屋為貞→伏屋為貞の系図
子 板橋盛備〔養父:板橋庸盛〕→板橋盛備の系図
子 金田正道〔養父:金田正秋〕→金田正道の系図
子の夫 赤井忠英→赤井忠英の系図
青山成満(なりみつ)/成芳(なりよし)【1740-1790】
妻 折井正容の娘
妻の父 折井正容→折井正容の系図
青山成昌(なりよし)/成文(なりてる)【1770-?】
青山忠成・忠俊の系図
青山忠成(ただなり)【1551-1613】
徳川家康に仕えて1万8000石を領し、関東総奉行・江戸町奉行などを務めた。
祖父 忠世・父 忠門→青山師重~忠門・忠教~義虎の系図
妻 天方通興の娘
妻の父 天方通興→天方通興の系図
子 忠次(ただつぐ)【1576-1594】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 朝比奈泰重〔養父:朝比奈泰勝〕→朝比奈泰重の系図
子 幸成・孫 幸利→青山幸成~幸実の系図
孫 幸通→青山幸通~幸発の系図
孫 幸正→青山幸正~幸宣の系図
孫 幸高→青山幸高~幸繁の系図
子 天方通直〔養父:天方通興〕→天方通直の系図
子の夫 川口近次→川口近次の系図
青山忠俊(ただとし)【1578-1643】
老中・武蔵国岩槻藩主・上総国大多喜藩主。徳川家光を教育係を務めたが、勘気を蒙って減封された。
妻 大久保忠佐の娘
妻の父 大久保忠佐→大久保忠佐の系図
子 宗俊・孫 忠雄→青山宗俊~忠重の系図
子 宗祐(むねすけ)/宗佐(むねすけ)【1608-1643】〔養父:大久保忠佐(→大久保忠佐の系図)〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 滝川正利→滝川正利の系図
子の夫 稲葉一通→稲葉貞通~一通の系図
孫 通任→稲葉通任~通碩の系図
子の夫 川口正信→川口正信の系図
子の夫 中根正次→中根正次の系図
子 忠俊の娘〔養父:大久保忠佐(→大久保忠佐の系図)〕
子 忠俊の息子・子 忠俊の娘(3人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 佐野政成→佐野政成の系図
青山宗俊~忠重の系図
青山宗俊(むねとし)/光俊(みつとし)【1604-1679】
信濃国小諸藩主・遠江国浜松藩主。
祖父 忠成・父 忠俊→青山忠成・忠俊の系図
祖父 大久保忠佐→大久保忠佐の系図
妻 石橋氏
子 貞俊(さだとし)【1655-1667】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠貴〔養父:青山忠重〕
妻 大河原氏
子 忠重〔養父:青山忠雄〕
子の夫 永井尚長→永井尚征の系図
子の夫 半井成明→半井成明の系図
子の夫 本多忠隆→本多忠隆・忠吉・忠直~忠篤の系図
青山忠雄(ただお)/忠親(ただちか)【1651-1685】
浜松藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 真田信政の娘
妻の父 真田信政→真田信政の系図
子 忠雄の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
青山忠重(ただしげ)【1654-1722】
浜松藩主・丹波国亀山藩主。実は青山宗俊の子。
妻 青山幸通の娘
妻の父 青山幸通→青山幸通~幸発の系図
子 忠重の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 青山幸実の娘
妻の父 青山幸実→青山幸成~幸実の系図
子 伊織・喜太郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 鈴木氏
子 豊丸
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 伊達村豊→伊達宗純~村信の系図
子の夫 九鬼隆直→九鬼隆季~隆寛の系図
子の夫 酒井忠菊→酒井忠菊・忠武の系図
子の夫 安部信賢→安部信賢の系図
妻 上田氏
子 俊春・孫 忠朝→青山俊春~忠講の系図
子 忠貴(ただたか)/正俊(まさとし)/忠義(ただよし)【1658-1713】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は青山宗俊の子。
子の妻 雨宮正長の娘
子の妻の父 雨宮正長→雨宮正長の系図
子の妻 川村氏
孫 忠貴の娘
安部信賢に嫁ぐ予定であった。
子 忠重の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
青山俊春~忠講の系図
青山俊春(としはる)/宗忠(むねただ)/俊重(とししげ)【1700-1730】
亀山藩主。
祖父 忠雄・父 忠重→青山宗俊~忠重の系図
青山忠朝(ただあさ)/幸堅(よしかた)/忠知(ただとも)【1708-1760】
亀山藩主・丹波国篠山藩主。実は青山幸督(→青山幸督~幸道の系図)の子。
妻 榊原政邦の娘
妻の父 榊原政邦→榊原政邦の系図
青山忠高(ただたか)/正幸(まさよし)【1734-1816】
篠山藩主。実は青山幸秀(→青山幸督~幸道の系図)の子。『寛政重修諸家譜』によれば、母を繁野氏とする娘が1人いる。藩校振徳館を創設した。
妻 戸田忠余の娘
妻の父 戸田忠余→戸田忠昌~忠盈の系図
子 忠高の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 鵜飼氏
子 冬次郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠裕〔養父:青山忠講〕→青山忠裕の系図
子の夫 岡部長備→岡部長著~長備の系図
子の夫 牧野忠精→牧野忠精の系図
妻 小林氏
子の夫 武田信誼→武田信安~信誼の系図
子の夫 本多重賀→本多重能~重賀の系図
妻 田原氏
子の夫 松平信弥→松平信望~信弥の系図
妻 梅原氏
子 恒之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 黒沼氏
子 侶吉郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 景山〔養父:曲淵景露〕(『青山家譜(丹波笹山)』による。)
子の夫 松平信行→松平信亨~信安の系図
青山忠講(ただつぐ)【1765-1785】
篠山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠裕→青山忠裕の系図
孫 忠良→青山忠良・忠敏の系図
青山忠裕の系図
青山忠裕(ただやす)【1768-1836】(以下、『青山家譜(丹波笹山)』による。)
老中・篠山藩主。実は青山忠高(→青山俊春~忠講の系図)の子。
祖父 忠高・父 忠講→青山俊春~忠講の系図
妻 土井利里の娘
実は土井利剛(→土井利益~利見の系図)の娘。
妻の父 土井利里→土井利益~利見の系図
子 藤五郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 森矢氏
子 忠裕の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 小林氏
子 久之助・忠固
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠良・孫 忠敏→青山忠良・忠敏の系図
子 幸哉〔養父:青山幸礼〕→青山幸完~幸宜の系図
子 幸知〔養父:青山幸有〕
子 日野資敬〔養父:日野資邦〕→日野資敬の系図
子の夫 岡部長慎→岡部長慎~長職の系図
子の夫 牧野節成→牧野節成の系図
子の夫 松平忠誨→松平忠誨の系図
子の夫 松浦曜→松浦清~詮の系図
青山忠良・忠敏の系図
青山忠良(ただなが)【1807-1864】
老中・篠山藩主。
祖父 忠講→青山俊春~忠講の系図
父 忠裕→青山忠裕の系図
妻 内藤政峻の娘
妻の父 内藤政峻→内藤学文~文成の系図
妻 千葉清の娘
子 成瀬正肥〔養父:成瀬正住〕→成瀬正肥の系図
子 井上正誠〔養父:井上正健〕→井上正長~正巳の系図
子 大関増徳〔養父:大関増昭〕→大関増輔~増勤の系図
子 忠誠〔養父:青山忠敏〕
子の妻 土屋民
土屋寅直(→土屋英直~挙直の系図)の娘。
子 銀→戸沢正親~正実の系図
子の夫 太田資功→太田資言~資美の系図
子の夫 松平直諒→松平近明~直巳の系図
子の夫 佐竹義尭→佐竹義尭の系図
子の夫 朽木為綱→朽木倫綱~為綱の系図
子の夫 土井利与→土井利厚~利与の系図
子の夫 松丸喜惣治(『華族系譜』による。)
青山忠敏(ただゆき)【1834-1873】〔養子:青山忠誠〕
篠山藩主。
妻 牧野節成の娘
妻の父 牧野節成→牧野節成の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。