このページでは、松浦氏(嵯峨源氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
松浦氏(肥前国平戸藩主)の略系図
1 正→松浦正~興信の系図
20 隆信→松浦隆信~久信の系図
20-A1 親→松浦親~信貞の系図
20-A2 信方→松浦信方~脩の系図
20-A3 信吉→松浦信吉~剛の系図
20-A4 信勝→松浦信勝~信好の系図
22-A 信辰→松浦信辰~信安の系図
23 隆信→松浦隆信の系図
24 鎮信→松浦鎮信・棟の系図
26 篤信→松浦篤信・有信の系図
28 誠信→松浦誠信・政の系図
30 清→松浦清~詮の系図
松浦正~興信の系図
松浦正(まさし)/公頼(きんより)
松浦氏の祖とされるが、松浦鎮信に至るまでは異同が多い。
祖父 綱・父 久→渡辺綱~安の系図
松浦糺
子 弘(ひろむ)
孫 武(たけし)
曾孫 繁(しげし)
弘孫 月(つきむ)・増(まし)
松浦好(このむ)
松浦武(以下、『系図纂要』による。)
松浦持(たもつ)
父は松浦枝(→渡辺満~道綱の系図)とも。
子 等(『華族系譜』による。)
松浦繋(つなぐ)
松浦湛(たたう)
子 熊鶴(『華族系譜』による。)
松浦授
『寛政重修諸家譜』・『松浦家譜(肥前平戸)』・『華族系譜』にはみえない。
松浦答(こたう)
文永の役・弘安の役で元軍と戦った。
子 勝(以下、『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
勝孫 義
父は松浦理とも。
松浦定(さだむ)/貞
鬼八郎と称された。
子 理(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
松浦勝(かつ)
父は松浦答(『松浦家譜(肥前平戸)』)とも。
松浦与栄(ともよし)/興栄
『松浦家譜(肥前平戸)』によれば、松浦勝(答の子)の法名が興栄。
松浦安正(やすまさ)
『松浦家譜(肥前平戸)』によれば、松浦理の法名が安正。
松浦是興(これおき)
『寛政重修諸家譜』によれば、「安正─昌栄─正林─是興」。『松浦家譜(肥前平戸)』によれば、松浦直の法名が昌栄。
松浦理
父は松浦定(『松浦家譜(肥前平戸)』)とも。『寛政重修諸家譜』にはみえない。
松浦義(よし)【?-1470】〔養父:峯省〕
父は松浦勝(『松浦家譜(肥前平戸)』)とも。
子 峯弘(『華族系譜』による。)〔養子:松浦純元〕
子 帯刀・義の息子(『華族系譜』による。)
子の夫 百枝麻佐留(『華族系譜』による。)
松浦豊久(とよひさ)/淳【?-1479】
母は『松浦家譜(肥前平戸)』による。
子 純元〔養父:峯弘〕(以下、『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
孫 興信〔養父:松浦弘定〕
子 頼〔養父:佐々勝〕(『華族系譜』による。)
子 栄(『華族系譜』による。)
子 定久〔養父:大野右馬助〕(『華族系譜』による。)
子 始〔養父:紫加田宗栄〕(『華族系譜』による。)
松浦弘定(ひろさだ)【1466-1515】
妻 御厨祐忠の娘【?-1526】
子 大黒(『華族系譜』による。)→宇久覚~盛定の系図
松浦興信(おきのぶ)/興定【?-1541】
実は松浦純元の子。
子 隆信・孫 鎮信→松浦隆信~久信の系図
子 信賢(『華族系譜』による。)
子の夫 奈留民部少輔(『華族系譜』による。)
松浦隆信~久信の系図
松浦隆信(たかのぶ)【1529-1599】
母は『松浦家譜(肥前平戸)』による。『松浦隆信十一ヶ条』を制定したほか、ポルトガルと貿易を行った。
祖父 弘定・父 興信→松浦正~興信の系図
妻 杉隆景の娘【?-1556】
『松浦家譜(肥前平戸)』によれば、鎮信・惟明・親・隆信の娘(志佐純意の妻)の母。
妻 杉隆景の娘【?-1599】
子 後藤惟明(これあきら)〔養父:後藤貴明(→大村忠澄~純前の系図)〕
後藤晴明との家督争いに敗れた。
子 親・孫 定→松浦親~信貞の系図
子 信実〔養子:松浦信清〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 志佐純意(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 山代貞・寺沢正孝(『寛政重修諸家譜』による。)
松浦鎮信(しげのぶ)【1549-1614】
肥前国平戸藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。関ケ原の戦いで東軍に属し、本領を安堵された。オランダ・イギリスの商館を建て、平戸貿易を推し進めた。
妻 西郷純隆の娘【?-1585】
子 角左衛門〔養父:日高勝秀〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子 三四郎〔養父:南総右衛門〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 南総右衛門(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 五島純玄→宇久純定~五島玄雅の系図
松浦久信(ひさのぶ)【1571-1602】
平戸藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 大村メンシャ【?-1656】
大村純忠(→大村純忠~純信の系図)の娘。鎮信・久信から棄教を求められたが、信仰を貫いた。
子 隆信→松浦隆信の系図
孫 鎮信→松浦鎮信・棟の系図
子 信辰・孫 信生→松浦信辰~信安の系図
子 信清〔養父:松浦信実〕
子の夫 松浦信正→松浦親~信貞の系図
子の夫 松浦忠広(『寛政重修諸家譜』による。)
松浦信辰~信安の系図
松浦信辰(のぶとき)【1597-1638】
祖父 鎮信・父 久信→松浦隆信~久信の系図
祖父 大村純忠→大村純忠の系図
松浦信生(のぶなり)/信成(のぶなり)【1620-1687】
松浦信正(のぶまさ)【1637-1711】
実は松浦信貞(→松浦親~信貞の系図)の子。
子 信福〔養父:松浦信吉〕→松浦信吉~剛の系図
子 信正〔養父:松浦信守〕→松浦信勝~信好の系図
子の夫 星合顕行→星合顕行の系図
子の夫 青山幸増→青山幸高~幸繁の系図
子の夫 北条氏如→北条元氏~氏富の系図
松浦信英(のぶひで)【?-1724】
松浦信尹(のぶただ)【1695-1730】
実は新庄直詮(→新庄直詮の系図)の子。
子の夫 小幡景利→小幡景利の系図
松浦信庸(のぶつね)【1714-1751】
妻 酒井忠之の娘
妻の父 酒井忠之→酒井忠垠~忠迢の系図
松浦信富(のぶみつ)【1735-1772】
妻 島津久芬の娘
妻の父 島津久芬→島津久芬の系図
松浦信安(のぶやす)【1756-?】
実は横田清松(→横田清松の系図)の子。
松浦親~信貞の系図
松浦親(ちかし)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
21歳で亡くなった。
祖父 興信→松浦正~興信の系図
父 隆信→松浦隆信~久信の系図
妻 秋月種実の娘
妻の父 秋月種実→秋月種実~種信の系図
松浦定(さだむ)【1571-1593】
文禄の役で戦死した。
子 盛
実は有馬晴純(→有馬晴純~晴信の系図)の子。
松浦信正(のぶまさ)/正(まさし)/高信(たかのぶ)【1591-1623】
妻 松浦久信の娘
妻の父 松浦久信→松浦隆信~久信の系図
松浦信貞(のぶさだ)【1609-1694】
子 信方・孫 信朝→松浦信方~脩の系図
子 信正〔養父:松浦信生〕→松浦信辰~信安の系図
子 信吉・孫 信福→松浦信吉~剛の系図
子 信勝・孫 信守→松浦信勝~信好の系図
子の夫 赤井忠広→赤井忠広の系図
松浦信方~脩の系図
松浦信方(のぶかた)【1631-1684】
祖父 信正・父 信貞→松浦親~信貞の系図
妻 松浦隆信の娘
妻の父 松浦隆信→松浦隆信の系図
子 豊〔養父:松浦信朝〕
子 信方の娘
実は松浦鎮信(→松浦鎮信・棟の系図)の娘。
子の夫 北条氏如→北条元氏~氏富の系図
松浦信朝(のぶとも)【?-1709】
子 信朝の娘〔養父:松浦豊〕
子の夫 天野雄好→天野雄好の系図
松浦豊(とよし)【?-1740】
実は松浦信方の子。
妻 小堀政郷の娘
実は平岡宗右衛門の娘。
妻の父 小堀政郷→小堀政郷の系図
子 信豊〔養父:松浦備〕
子の夫 北条氏孝→北条元氏~氏富の系図
松浦備(そのう)【1723-1761】
妻 松浦信正の娘
実は松浦篤信(→松浦篤信・有信の系図)の娘。
妻の父 松浦信正→松浦信勝~信好の系図
松浦信豊(のぶとよ)【1731-1784】
実は松浦豊の子。
妻 小出有陟の娘
妻の父 小出有陟→小出有陟の系図
松浦忠(ただし)/忠満(ただみつ)/信忠(のぶただ)【1768-?】
実は本多忠籌(→本多忠晴~忠籌の系図)の子。
妻 斎藤三益の娘
妻の父 斎藤三益→斎藤三益の系図
子 忠の娘〔養父:北条氏統〕→北条元氏~氏富の系図
松浦脩(おさむ)
妻 井上利恭の娘
妻の父 井上利恭→井上利恭の系図
松浦信吉~剛の系図
松浦信吉(のぶよし)【?-1686】
祖父 信正・父 信貞→松浦親~信貞の系図
松浦信福(のぶよし)【1670-1760】
実は松浦信正(→松浦信辰~信安の系図)の子。
子の夫 秋月種輔→秋月種封~種賀の系図
松浦信秀(のぶひで)【1708-1760】
実は秋月種封(→秋月種封~種賀の系図)の子。
妻 井戸弘宰の娘
妻の父 井戸弘宰→井戸弘宰の系図
子 佐橋佳秀〔養父:佐橋佳品〕→佐橋佳秀の系図
子 三井良恭〔養父:三井良泰〕→三井良恭の系図
子の夫 平塚為善→平塚為善の系図
子の夫 松浦信程→松浦信勝~信好の系図
松浦信邦(のぶくに)【1731-1775】
妻 山口光奉の娘
妻の父 山口光奉→山口光奉の系図
妻 藤堂良徳の娘
妻の父 藤堂良徳→藤堂嘉正~良英の系図
妻 山中広亮の娘
妻の父 山中広亮→山中広亮の系図
夫 神保定和→神保定和の系図
子 信定(のぶさだ)【1751-1775】
実は藤堂良徳(→藤堂嘉正~良英の系図)の子。
子 信邦の娘〔養父:松浦信義〕
子の夫 徳山貞中→徳山貞中の系図
松浦信義(のぶよし)【1752-?】
実は浅井元武(→浅井元武の系図)の子。
子の夫 近藤用容→近藤用政・用清・用常~用利・用貞~用容の系図
松浦剛(りきし)【1777-?】
妻 徳山貞時の娘
妻の父 徳山貞時→徳山貞時の系図
松浦信勝~信好の系図
松浦信勝(のぶかつ)【1641-1706】
祖父 信正・父 信貞→松浦親~信貞の系図
松浦信守(のぶもり)【1676-1704】
実は松浦昌(→松浦昌~致の系図)の子。
松浦信正(のぶまさ)【1696-1769】
実は松浦信正(→松浦信辰~信安の系図)の子。
妻 六郷政慶の娘
妻の父 六郷政慶→六郷政慶の系図
子の夫 朝倉豊良→朝倉豊良の系図
子の夫 松浦備→松浦信方~脩の系図
松浦信程(のぶきよ)【1736-?】
実は松浦篤信(→松浦篤信・有信の系図)の子。
妻 松浦信秀の娘
妻の父 松浦信秀→松浦信吉~剛の系図
妻 大友義武の娘
妻の父 大友義武→大友義孝~義智の系図
松浦信好(のぶよし)【1765-?】
妻 市橋長璉の娘
妻の父 市橋長璉→市橋直挙~長義の系図
妻 堀田一暾の娘
妻の父 堀田一暾→堀田一暾の系図
子 信程の娘〔養父:池内光忠〕
子 信程の娘〔養父:渡辺孝〕→渡辺孝の系図
子の夫 渡辺孝→渡辺孝の系図
松浦隆信の系図
松浦隆信(たかのぶ)【1591-1637】
平戸藩主。オランダ・イギリスとの交易を進めた。キリシタンになったが棄教し、幕命で長崎の教会堂を破壊した。
祖父 鎮信・父 久信→松浦隆信~久信の系図
祖父 大村純忠→大村純忠~純信の系図
妻 牧野康成の娘【?-1678】
妻の父 牧野康成→牧野康成の系図
子 鎮信・孫 棟→松浦鎮信・棟の系図
孫 昌→松浦昌~致の系図
子の夫 秋月種信→秋月種実~種信の系図
孫 種政→秋月種政~種美の系図
孫 種封→秋月種封~種賀の系図
妻 大村喜前の娘
妻の父 大村喜前→大村純忠~純信の系図
子の夫 秋山正俊→秋山正俊の系図
子の夫 松浦信方→松浦信方~脩の系図
子 信忠〔養父:松浦忠広〕
孫の夫 佐竹義長→佐竹義長の系図
松浦鎮信・棟の系図
松浦鎮信(しげのぶ)/重信【1622-1703】
平戸藩主。鎖国により平戸貿易が禁止されたため、新田開発等で藩財政の強化に努めた。片桐貞昌に茶道を学び、鎮信流を起こした。
祖父 久信→松浦隆信~久信の系図
父 隆信→松浦隆信の系図
妻 松平忠国の娘【?-1649】
妻の父 松平忠国→松平忠国の系図
子 寧子→石川乗政・松平乗紀の系図・酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
妻 志佐氏
子 昌・孫 邑→松浦昌~致の系図
妻 岡氏
子 頼母
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 篤信〔養父:松浦棟〕→松浦篤信・有信の系図
子の夫 板倉重冬→板倉重郷~重治の系図
妻 宮崎氏
子 鎮信の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。熊沢正令に嫁いだ。
子 斉(ただし)〔養父:松浦信斉、養子:松浦篤信の娘(→松浦篤信の系図)〕
子 仙菊〔養父:戸川助七〕
子 鎮信の娘〔養父:松浦信方〕→松浦信方~脩の系図
子 鎮信の娘
実は松浦信知の子。山鹿高基に嫁いだ。
子の夫 牧野忠貴→牧野忠貴の系図
子の夫 佐竹義長→佐竹義長の系図
子の夫 織田信明→織田信明~信存の系図
子の夫 南部政信→南部政信~信方の系図
子の夫 新庄直賢→新庄直賢の系図
子の夫 生駒親猶(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)→生駒親猶の系図
松浦棟(たかし)【1646-1713】
平戸藩主。
妻 松平信綱の娘【?-1675】
妻の父 松平信綱→松平信綱の系図
妻 奥田氏
子 長(ながし)【1671-1692】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 秋月種政→秋月種政~種美の系図
子 篤信・孫 有信→松浦篤信・有信の系図
子の夫 加藤嘉矩→加藤嘉矩の系図
松浦篤信・有信の系図
松浦篤信(あつのぶ)【1684-1756】
平戸藩主。実は松浦鎮信(→松浦鎮信・棟の系図)の子。
祖父 鎮信・父 棟→松浦鎮信・棟の系図
妻 稲葉正則の娘【?-1706】
妻の父 稲葉正則→稲葉正則の系図
妻 池内氏
子 誠信〔養父:松浦有信〕→松浦誠信・政の系図
子 民之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 伊藤氏
子 義信〔養父:松浦致知〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 良〔養父:松浦矩〕→松浦宝~脩の系図
妻 松村氏
子 信程〔養父:松浦信正〕→松浦信勝~信好の系図
子 致〔養父:松浦鄰〕→松浦昌~致の系図
子 雅信/稚信〔養父:松浦信辰〕
子 綾子→松平乗賢~乗命の系図
子 篤信の娘〔養父:松浦斉〕
松浦民部に嫁いだ。
子 篤信の娘
曲淵勝周に嫁ぐ予定であった。
子の夫 牧野貞通→牧野貞通の系図
子の夫 朝倉豊良→朝倉豊良の系図
子の夫 本多忠如→本多忠晴~忠籌の系図
子の夫 松浦備→松浦信方~脩の系図
松浦有信(ありのぶ)【1710-1728】
平戸藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 誠信・孫 政→松浦誠信・政の系図
松浦誠信・政の系図
松浦誠信(さねのぶ)【1712-1779】
平戸藩主。実は松浦篤信(→松浦篤信・有信の系図)の子。
祖父 篤信・父 有信→松浦篤信・有信の系図
妻 前川氏
子 邦(くに)【1732-1757】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 佐竹義峯の娘【?-1798】
子の妻の父 佐竹義峯→佐竹義峯の系図
子 吉松
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 稲垣昭央→稲垣昭央の系図
妻 宮川トメ【1718-1786】
孫の清を養育し、訓戒書を与えた。
子の夫 永井尚俶→永井直陳~尚服の系図
子の夫 木下利忠→木下利忠の系図
子の夫 市橋長璉→市橋直挙~長義の系図
妻 蒲生氏
子 千蔵・保
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 誠信の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 本多忠籌→本多忠晴~忠籌の系図
松浦政(まさし)/政信【1735-1771】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 真田信安の娘
妻の父 真田信安→真田信安の系図
夫 建部政賢→建部政周~政世の系図
子 清・孫 煕→松浦清~詮の系図
松浦清~詮の系図
松浦清(きよし)【1760-1841】〔養子:松浦矩の娘(→松浦宝~脩の系図)〕
平戸藩主。藩政改革を進め、藩校維新館を設立した。文芸や武芸にも秀でたほか、『甲子夜話』を著した。
祖父 誠信・父 政→松浦誠信・政の系図
妻 松平信礼の娘
妻の父 松平信礼→松平信復・信礼の系図
妻 菊地氏
子 章/敦
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 兒玉氏
子の夫 永井直与→永井直進~直諒の系図
妻 鎌奥氏
子 武(たけし)【1782-1794】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平斉厚→松平武元~武聡の系図
妻 孝坂氏
子 参子→樋口宜康~静康の系図・黒田直方~直養の系図
妻 安川氏
子 貞固〔養父:滝川貞顕〕(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
子 重義〔養父:浦上忠義〕(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
子の夫 園基茂→園基衡~基祥の系図
子の夫 姉小路公遂→姉小路公文~公知の系図
妻 鈴木氏
子 皓〔養父:松浦良〕→松浦宝~脩の系図
子の夫 松平輝実→松平輝和~輝声の系図
子の夫 稲垣長興→稲垣長興の系図
妻 磯目氏
子 瑞/端
母は『松浦家譜(肥前平戸)』による。
子 尹〔養父:松浦信和〕(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
子 信元〔養父:松浦信孝〕(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
妻 宮川氏
子 信旭〔養父:松浦信賢〕
母は『松浦家譜(肥前平戸)』による。
妻 勝多氏
子の夫 宮原義直→宮原義直の系図
妻 森氏
子 縫之丞〔養父:菅沼義一〕(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
子 愛子→中山愛親~忠愛の系図
子の夫 今川義順→今川氏睦~範叙の系図
子の夫 松浦覚・松浦信逸・松浦重光(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
妻 富田氏
子 義陣〔養父:菅沼義一〕(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
子 清の娘
実は小笠原常亮の娘。松浦覚に嫁いだ。
松浦煕(ひろむ)【1791-1867】
平戸藩主。海防体制を強化した。
妻 松平秦子
松平定信(→松平定信の系図)の娘。
妻 高橋氏
子 啓〔養父:松浦信恵〕
子 正観〔養父:熊沢正景〕(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
子 高明〔養父:山鹿高満〕(『松浦家譜(肥前平戸)』による。)
子の夫 日野資宗→日野資時~資平の系図
妻 政野氏
子 秋(はやし)〔養父:松浦信敬〕
孫 詮〔養父:松浦曜〕
松浦曜(てらす)【1812-1858】
平戸藩主。軍制や土地制度の改革を行った。
妻 加藤泰済の娘
妻の父 加藤泰済→加藤泰済の系図
妻 青山忠裕の娘
妻の父 青山忠裕→青山忠裕の系図
夫 松平忠誨→松平忠誨の系図
妻 岡部長慎の娘
妻の父 岡部長慎→岡部長慎~長職の系図
松浦詮(あきら)【1840-1908】〔養子:青山幸哉の娘(→青山幸完~幸宜の系図)〕
平戸藩主。実は松浦秋の子。海防体制を強化し、大村藩などとも連携した。
妻 松浦皓の娘
妻の父 松浦皓→松浦宝~脩の系図
妻 青山幸哉の娘
妻の父 青山幸哉→青山幸完~幸宜の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。