このページでは、清和源氏・頼光流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
清和源氏・頼光流の略系図
1 頼光→源頼光の系図
2 頼国→源頼国の系図
2-A 頼弘→源頼弘の系図
2-B1 実国→源実国・行実の系図
2-B2 顕行・行賢→源顕行・行賢の系図
2-B3 光行→源光行の系図
2-C1 国房→源国房・光国の系図
2-C2 光信→源光信・光基の系図
2-D 師光→源師光の系図
5 頼政→馬場頼政~宗仲の系図
源頼光の系図
源頼光(よりみつ)【948-1021】〔養子:源孝道(→源孝道の系図)、源頼平(→源頼平の系図)、源頼範(→源頼範の系図)、源頼明・源頼貞(→源満仲の系図)〕
摂津源氏の祖。藤原道長が土御門殿を新造した際には、調度類を献上した。酒呑童子を退治したとされる。
祖父 経基→貞純親王・源経基の系図
父 満仲→源満仲の系図
祖父 源俊→源定の系図
妻 藤原元平の娘
子 頼国→源頼国の系図
孫 頼弘→源頼弘の系図
孫 実国→源実国・行実の系図
孫 多田頼綱→多田頼綱の系図
孫 国房→源国房・光国の系図
孫 師光→源師光の系図
妻 平惟仲の娘
妻の父 平惟仲→平時望・真材の系図
子 頼家〔養父:源頼範〕→源頼家の系図
子 頼基
父は源頼範(→源頼範の系図)とも。
子 永寿・頼昭
父は源頼平(→源頼平の系図)、源頼範(→源頼範の系図)とも。
子の夫 源済政・子の夫 源資通→源済政・資通の系図
孫 政長→源政長の系図
子の夫 大江公資(『系図纂要』による。)→大江千古~成衡の系図
源頼国の系図
源頼国(よりくに)
母は平惟仲(→平時望・真材の系図)の娘とも。
妻 藤原信理の娘
妻の父 藤原信理→藤原永頼の系図
子 頼弘→源頼弘の系図
子 実国・孫 行実→源実国・行実の系図
孫 頼季→源頼季の系図
父は源頼信(→源頼信の系図)とも。
妻 藤原師長の娘
妻の父 藤原師長→藤原興方~師長の系図
子 頼資→源頼資の系図
妻 藤原中清の娘
妻の父 藤原中清→藤原為雅・中清の系図
子 多田頼綱→多田頼綱の系図
孫 明国→多田明国の系図
孫 馬場仲正→馬場仲正の系図
子 師光→源師光の系図
妻 藤原興方の娘
妻の父 藤原興方→藤原興方~師長の系図
子 国房・孫 光国→源国房・光国の系図
子 六条斎院宣旨→源隆国の系図
子の夫 藤原師実→藤原師実の系図
孫 花山院家忠→花山院家忠の系図
子の夫 藤原為房→藤原為房の系図
孫 為隆→藤原為隆の系図
孫 顕隆→藤原顕隆の系図
孫 長隆→藤原長隆・顕時の系図
子の夫 藤原顕家→藤原経通の系図
子の夫 源朝任→源朝任の系図
孫 朝実→源朝実の系図
子の夫 藤原盛綱→藤原為時~盛綱の系図
孫 盛国→藤原盛国の系図
子の夫 藤原定輔→藤原定輔~孝博の系図
子の夫 藤原良綱→藤原良綱の系図
孫 孝清→藤原孝清~実隆の系図
源頼弘の系図
源頼弘
父は源頼範(→源頼範の系図)とも。
祖父 頼光→源頼光の系図
父 頼国→源頼国の系図
祖父 藤原信理→藤原永頼の系図
孫 淳国/家遠
曾孫 国光/知光
父は源時光とも。
時光孫 頼成/頼氏
時光孫 頼実/頼房
時光孫 頼継/頼経
時光孫 国光/知光
父は源淳国とも。
源実国・行実の系図
源実国
祖父 頼光→源頼光の系図
父 頼国→源頼国の系図
祖父 藤原信理→藤原永頼の系図
子 行延
父は多田頼綱(→多田頼綱の系図)とも。
孫 国隆/盛隆〔養父:多田明国(→多田明国の系図)〕
行延孫 国政〔養父:山県国直〕→山県国政の系図
孫 有頼〔養父:多田明国〕→多田明国の系図
源行実
妻 源頼資の娘
妻の父 源頼資→源頼資の系図
子 顕行→源顕行・行賢の系図
子 光行→源光行の系図
子 行賢→源顕行・行賢の系図
孫 信光〔養父:源行頼(→源光行の系図)〕
父は頼仁(→源政長の系図)とも。
曾孫 時光/信親
行仁孫 行宗/行氏
源顕行・行賢の系図
源顕行
祖父 実国・父 行実→源実国・行実の系図
祖父 源頼資→源頼資の系図
子 雅行
子の妻 石橋義綱の娘
子の妻の父 石橋義綱→石橋義綱の系図
孫 保行【?-1183】
法住寺合戦で討たれた。
孫 信雅/信政【?-1183】
法住寺合戦で討たれた。
孫の夫 藤原仲頼→藤原義経の系図
曾孫 行広
曾孫の子の夫 藤原孝時→藤原孝定の系図
曾孫 頼俊/惟俊
源行賢
父は源光行(→源光行の系図)とも。
子 行季〔養父:源行広〕
孫 光賢〔養父:源行広〕
父は源行賢とも。
曾孫 行綱
父は源光賢、源行頼とも。
行綱孫 行英/行秀
曾孫 行兼・行定
父は源行広とも。
行兼孫 惟行/惟頼
子 行広
孫 行兼・行定
父は源光賢とも。
孫 光賢
実は源行季、源行賢の子。
孫 行季
実は源行賢の子。
子 光賢〔養父:源行広〕
父は源行季とも。
源光行の系図
源光行
祖父 実国・父 行実→源実国・行実の系図
祖父 源頼資→源頼資の系図
妻 源康季の娘
妻の父 源康季→源康季の系図
子 行頼
子の妻 藤原国定の娘
子の妻の父 藤原国定→藤原有定の系図
子の妻の夫 源有房→源顕仲の系図
孫 信光→源実国・行実の系図
実は行仁、頼仁の子。
孫 行長
父は源光行とも。
曾孫の夫 藤原公茂→藤原仲実の系図
曾孫の夫 三条基定→三条成定の系図
曾孫 教行
実は源政信(→馬場頼政~宗仲の系図)の子。
曾孫 国清
実は源長清(→源仲宗・顕清の系図)の子。
子 重光/季仲
曾孫 国房・為国〔養父:源光実〕
実は源忠国の子。
曾孫 為行【?-1219】
子 行賢→源顕行・行賢の系図
父は源行実とも。
子 行長
父は源行頼とも。
孫 国長/行重
子の夫 源顕定→源雅俊の系図
源国房・光国の系図
源国房〔養父:多田頼綱(→多田頼綱の系図)〕
子の夫 源信雅→源信雅・雅仲の系図
源光国【1063-1147】
妻 藤原家実の娘
妻の父 藤原家実→藤原隆方の系図
子 光信・孫 光基→源光信・光基の系図
妻 大中臣輔清の娘
妻の父 大中臣輔清→大中臣輔清の系図
子 光保(みつやす)【?-1160】〔養子:源全、源実忠〕
平治の乱で藤原通憲を捕らえた。後に後白河上皇への謀反の疑いで薩摩国に流されることとなり、その途中で殺された。
子 源全〔養父:源光保〕
孫 実忠〔養父:源光保〕
源全孫 仲継〔養父:源仲行〕
実は源仲忠の子。
源光信・光基の系図
源光信(みつのぶ)【?-1145】
鳥羽上皇の四天王の一人。土佐国に流されたことで土佐判官と称された。
祖父 国房・父 光国→源国房・光国の系図
祖父 藤原家実→藤原隆方の系図
妻 藤原佐実の娘
妻の父 藤原佐実→藤原行房の系図
妻 清俊の娘
子 光長【?-1183】
子の妻 白川局
二条定能(→二条定能の系図)の娘。
孫 土岐光衡〔養父:源光基〕→土岐光衡・光行の系図
孫 光経【?-1183】
子 光重〔養父:馬場仲正〕→深栖光重の系図
源光基
子 土岐光衡・孫 光行→土岐光衡・光行の系図
孫 浅野光時→浅野光時~幸長の系図
子の夫 藤原秀宗→藤原秀宗の系図
源師光の系図
源師光/国仲/国保
祖父 頼光→源頼光の系図
父 頼国→源頼国の系図
祖父 藤原中清→藤原為雅・中清の系図
子 盛実/憲之
孫の夫 源師俊→源俊房の系図
孫 経光/綱光
曾孫 光義/重光
父は福島満隆とも。
曾孫 隆綱
実は福島満隆の子。
孫 光国〔養父:藤原成光〕
孫 光義
父は福島経光とも。
孫 隆綱〔養父:福島経光〕
曾孫 智俊
父は源実俊とも。
多田頼綱の系図
多田頼綱(よりつな)【1024-1097】〔養子:源国房(→源国房・光国の系図)〕
歌人として活躍した。
祖父 頼光→源頼光の系図
父 頼国→源頼国の系図
祖父 藤原中清→藤原為雅・中清の系図
子 明国→多田明国の系図
子 馬場仲正→馬場仲正の系図
孫 頼政→馬場頼政~宗仲の系図
孫 小国頼行→小国頼行の系図
孫 池田奉政→池田奉政・奉光の系図
子 行延→源実国・行実の系図
父は源実国とも。
子 山県国直→山県国直の系図
子 盛子→白河天皇の系図
子の夫 藤原行実→藤原行房の系図
子の夫 源能俊→源俊明の系図
孫 藤原為綱〔養父:藤原章家〕→藤原定任の系図
多田明国の系図
多田明国/行光
子 行国【1082-1153】
孫 頼憲・曾孫 盛綱
保元の乱で斬首された。
曾孫 行綱(ゆきつな)
鹿ヶ谷の陰謀を平氏に密告した。後に源頼朝に反抗した源義経が西海に逃れようとするところを妨げた。
行綱孫 行実/忠国
行綱孫 重綱・親綱〔養父:多田光綱〕
実は多田基綱の子。
行綱孫 中川清深(『中川家譜(豊後岡)』による。)→中川清深~清村の系図
高頼孫 資国
資国の子の夫 平信範→平信範・信基の系図
資国の子の夫 高階光兼→高階光兼の系図
高頼孫 国宗
実は惟信の子。
子 有頼
実は行延(→源実国・行実の系図)の子。
孫 慈賢→馬場頼政~宗仲の系図
父は源頼兼とも。
子 国隆→源実国・行実の系図
実は行延の子。
馬場仲正の系図
馬場仲正(なかまさ)
妻 藤原友実の娘
妻の父 藤原友実→藤原友実・能兼の系図
子 頼政・孫 仲綱→馬場頼政~宗仲の系図
子 小国頼行→小国頼行の系図
子 深栖光重→深栖光重の系図
子 池田奉政・孫 奉光→池田奉政・奉光の系図
小国頼行の系図
小国頼行
祖父 頼綱→多田頼綱の系図
父 仲正→馬場仲正の系図
祖父 藤原友実→藤原友実・能兼の系図
子 宗頼〔養父:宗雅〕
孫 頼連/頼継
孫 頼衡
実は小国頼重の子。
曾孫 頼衡〔養父:小国宗頼〕
子 兼綱〔養父:馬場頼政〕→馬場頼政~宗仲の系図
子 宜秋門院丹後(ぎしゅうもんいんのたんご)
九条兼実や宜秋門院に仕え、歌人として活躍した。
孫の夫 九条良経→九条良経の系図
馬場頼政~宗仲の系図
馬場頼政(よりまさ)【1104-1180】〔養子:慈賢、源仲家(→源義賢~木曽家村の系図)〕
従三位。平治の乱では平清盛側につき、清盛の進言により従三位に昇った。以仁王の挙兵に参加したが、敗れて平等院で自害した。
祖父 頼綱→多田頼綱の系図
父 仲正→馬場仲正の系図
祖父 藤原友実→藤原友実・能兼の系図
妻 源忠清の娘
妻の父 源忠清→善積忠隆・斉頼の系図
子の夫 藤原重頼→藤原顕能の系図
妻 紀頼季の娘
妻の父 紀頼季→紀頼季の系図
子 国政→山県国政の系図
実は源国平の子。
子 兼綱【?-1180】
実は小国頼行(→小国頼行の系図)の子。
孫 重広(『系図纂要』による。)
孫 成実(以下、『系図纂要』による。)
孫 大河内顕綱・曾孫 政顕→大河内顕綱~貞綱の系図
曾孫 貞顕→大河内貞顕~正雄の系図
子 頼兼(よりかね)
平重衡を鎌倉から南都へ護送した。
孫 頼茂(よりもち)【?-1219】
源実朝に仕えた。謀反の疑いで捕らえられ、内裏の仁寿殿で自殺した。
頼茂孫 頼明/頼時
頼茂孫 頼連/頼遠
孫 光円→光円の系図
孫 慈賢〔養父:馬場頼政〕
父は多田有頼(→多田明国の系図)とも。
長頼孫 教行〔養父:源国基〕→源光行の系図
子 太田広綱〔養父:馬場仲綱〕→太田広綱~資高の系図
子の夫 藤原憲定→藤原説定・憲頼の系図
子の夫 藤原隆保→藤原隆季の系図
子の夫 源明国→源明国の系図
馬場仲綱(なかつな)【1126-1180】
母は紀頼季の娘とも。父とともに挙兵し、平等院で敗れて自害した。
子 有綱→馬場有綱の系図
子 太田広綱・孫 隆綱→太田広綱~資高の系図
子 頼季/頼重
馬場宗綱【?-1180】
馬場宗仲
子 下間宗重→下間宗重の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。