このページでは、醍醐家(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
醍醐冬基~忠順の系図
醍醐冬基(ふゆもと)【1648-1697】
権大納言。醍醐家の祖。
祖父 内基・父 昭良→一条冬良~昭良の系図
子 徳大寺公全〔養父:徳大寺実維〕→徳大寺実維~公城の系図
子 冬基の娘(『醍醐家譜』による。)
醍醐冬煕/昭尹/冬実【1679-1756】
左大臣。
妻 宗義真の娘
妻の父 宗義真→宗義真~義方の系図
子 冬煕の娘(5人)(『醍醐家譜』による。)
子の夫 大炊御門経秀→大炊御門経秀~師前の系図
子の夫 広幡長忠→広幡長忠~忠礼の系図
醍醐経胤/兼潔【1717-1781】
右大臣。
妻 宗義誠の娘
妻の父 宗義誠→宗義誠~義蕃の系図
子 冬香〔養父:醍醐兼純〕
子 輝久〔養父:醍醐冬香〕
子 経胤の息子(『醍醐家譜』による。)
醍醐兼純【1747-1758】〔養父:一条道香(→一条教輔~道香の系図)〕
権中納言。実は一条兼香(→一条教輔~道香の系図)の子。
醍醐冬香【1751-1772】〔養父:一条道香(→一条教輔~道香の系図)〕
権中納言。実は醍醐経胤の子。
醍醐輝久【1760-1801】〔養父:一条道香(→一条教輔~道香の系図)〕
権大納言。実は醍醐経胤の子。
妻 蜂須賀幸子
蜂須賀重喜(→蜂須賀至央・重喜の系図)の娘。
子 四条隆生〔養父:四条隆師〕→四条隆重~隆平の系図
子 信子→徳大寺実祖~実則の系図
子 輝久の息子・子 輝久の娘(3人)(『醍醐家譜』による。)
醍醐輝弘(てるひろ)【1791-1859】〔養父:一条輝良(→一条輝良の系図)〕
内大臣。
妻 鷹司辰子【1805-?】
鷹司政煕(→鷹司政煕の系図)の娘。
妻 蜂須賀宗子
蜂須賀休光(→蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図)の娘。
子 忠善【1819-1820】〔養父:一条忠良(→一条忠良~実良の系図)〕
母は『醍醐家譜』による。
子 峯〔養父:蜂須賀休紹〕→蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図
子 輝弘の息子(3人)・子 輝弘の娘(6人)(『醍醐家譜』による。)
子の夫 英彦山座主(『醍醐家譜』による。)
醍醐忠順(ただおさ)【1830-1900】〔養父:一条忠良(→一条忠良~実良の系図)〕
権大納言。維新後は大阪府知事、貴族院議員などを務めた。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。