このページでは、津軽氏(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
津軽氏(陸奥国弘前藩主)の略系図
1 政信→大浦政信~津軽信枚の系図
5 信義→津軽信義の系図
6 信政→津軽信政~信著の系図
10 信寧→津軽信寧~承昭の系図
大浦政信~津軽信枚の系図
大浦政信(まさのぶ)【1498-1541】(以下、『系図纂要』による。)
近衛尚通の猶子となったが、南部氏の一族という。
祖父 政家→近衛兼嗣~政家の系図
父 尚通→近衛尚通~信尹の系図
子 為則【?-1568】〔養子:津軽為信〕(以下、『津軽家譜(陸奥弘前)』による。)
大浦守信(もりのぶ)【?-1554】
津軽為信(ためのぶ)【1550-1607】〔養父:大浦為則〕
陸奥国弘前藩主。津軽地方を統一し、関ケ原の戦いで東軍についた。
子 信建(のぶたて)【1574-1607】
子 信堅(のぶかた)【1573-1597】
子 虎千代・子 為信の娘(2人)(『津軽家譜(陸奥弘前)』による。)
子の夫 津軽建広→津軽建広の系図
津軽信枚(のぶひら・のぶかず)/信牧(のぶひら)【1586-1631】
弘前藩主。高岡城を築城し、青森港を開いた。
妻 徳川満天姫
実は松平康元(→松平康元の系図)の娘。
妻の父 徳川家康→徳川家康の系図
夫 福島正之→福島正之の系図
子 信義→津軽信義の系図
孫 信政→津軽信政~信著の系図
子 信英・孫 信敏→津軽信英~承叙の系図
子 信隆・信枚の息子(6人)・子 信枚の娘(2人)(『津軽家譜(陸奥弘前)』による。)
津軽信義の系図
津軽信義(のぶよし)【1619-1655】
弘前藩主。
祖父 為信・父 信枚→大浦政信~津軽信枚の系図
祖父 徳川家康→徳川家康の系図
妻 松平康久の娘
妻の父 松平康久→松平康元の系図
子 信政・孫 信寿→津軽信政~信著の系図
子の夫 土井利房→土井利房~利寛の系図
子 信義の息子(16人)・子 信義の娘(17人)(『津軽家譜(陸奥弘前)』による。)
子の夫 戸田氏春→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図
子の夫 五島盛清→五島盛清~運竜の系図
子の夫 今大路親俊→今大路親俊の系図
子の夫 津軽信敏→津軽信英~承叙の系図
津軽信政~信著の系図
津軽信政(のぶまさ)【1646-1710】
弘前藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。藩法を整備し、藩政の確立に努めた。
祖父 信枚→大浦政信~津軽信枚の系図
父 信義→津軽信義の系図
祖父 松平康久→松平康元の系図
妻 増山正利の娘
妻の父 増山正利→青木利長~増山正任・正元~正富の系図
子 那須資徳〔養父:那須資弥〕→那須資徳の系図
子 信政の娘
松平信清に嫁ぐ予定であった。
子の夫 堀親賢→堀親賢の系図
子 寿世〔養父:津軽政兕〕→津軽信英~承叙の系図
子 鍋之助(『津軽家譜(陸奥弘前)』による。)
子の夫 松平信清(『津軽家譜(陸奥弘前)』による。)→松平信平~信清の系図
津軽信寿(のぶひさ)/信重(のぶしげ)【1669-1746】
弘前藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。『津軽一統志』の編纂を命じた。
妻 松平忠尚の娘
妻の父 松平忠尚→松平忠尚~忠恒の系図
子の夫 久世暉之→久世暉之・広明の系図
子の夫 保科正寿→保科正貞~正寿の系図
孫 正富→保科正富~正益の系図
子の夫 岩城隆韶→岩城隆韶の系図
子 著教(あきのり)【1723-1745】
子 信寿の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
津軽信興(のぶおき)【1695-1730】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 近衛家煕の娘
妻の父 近衛家煕→近衛信尋~家煕の系図
子の夫 脇坂安興→脇坂安興の系図
子の夫 松平忠恒→松平忠尚~忠恒の系図
孫 忠福→松平忠福~忠恕の系図
津軽信著(のぶあき)【1719-1744】
弘前藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 有馬幸
有馬則維(→有馬則維・頼徸の系図)の娘。
子 信寧・孫 信明→津軽信寧~承昭の系図
子 仙石好古〔養父:仙石久当〕→仙石好古の系図
津軽信寧~承昭の系図
津軽信寧(のぶやす)【1739-1784】
弘前藩主。
祖父 信興・父 信著→津軽信政~信著の系図
妻 松平章
松平明矩(→松平明矩~直温の系図)の娘。
子 信寧の娘
安部信亨に嫁ぐ予定であった。
子 信寧の娘
堀親忠に嫁ぐ予定であった。
子の夫 阿部正倫→阿部正倫の系図
孫 正精→阿部正精~正桓の系図
子の夫 堀親忠→堀親忠の系図
子の夫 那須資明→那須資明の系図
津軽信明(のぶあきら・のぶはる)【1762-1791】
弘前藩主。天明の飢饉からの復興に尽力した。
妻 松平喜佐
松平朝矩(→松平明矩~直温の系図)の娘。
子の夫 柴田勝峯→柴田勝峯の系図
津軽寧親(やすちか)/征方(ただみち)【1765-1833】
弘前藩主。実は津軽著高(→津軽信英~承叙の系図)の子。藩校稽古館を設立した。
妻 杉浦正勝の娘
妻の父 杉浦正勝→杉浦正勝の系図
子 典暁・孫 親足→津軽信英~承叙の系図
子 保三郎・鋭之助(『津軽家譜(陸奥弘前)』による。)
子 寧親の娘
松平鶴松丸に嫁ぐ予定であった。
子の夫 岩城隆喜→岩城隆喜の系図
子の夫 堀直央→堀直方~直弘の系図
子の夫 安藤信義(『華族系譜』による。)→安藤信義~信勇の系図
津軽信順(のぶゆき)【1800-1862】
弘前藩主。
妻 田安欽姫
田安斉匡(→田安治察~亀之助の系図)の娘。
津軽順承(ゆきつぐ)/順徳(ゆきのり)【1800-1865】〔養父:津軽親足(→津軽信英~承叙の系図)〕(以下、『津軽家譜(陸奥弘前)』による。)
陸奥国黒石藩主・弘前藩主。実は松平信明(→松平信明~信古の系図)の子。
妻 有馬久保の娘
妻の父 有馬久保→有馬頼次~氏弘の系図
子 承祐【1838-1855】
実は津軽順朝の子。
子 鉄之丞・子 順承の娘(17人)(『津軽家譜(陸奥黒石)』による。)
津軽承昭(つぐあきら)【1840-1916】
弘前藩主。実は細川斉護(→細川斉茲~護久の系図)の子。戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟を脱退し、新政府側についた。
妻 近衛忠煕の娘
妻の父 近衛忠煕→近衛経煕~忠房の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。