このページでは、小倉家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
小倉家(羽林家)の略系図
1 公雄→小倉公雄~実名の系図
5 公種→小倉公種~実躬の系図
15 煕季→小倉煕季~長季の系図
小倉公雄~実名の系図
小倉公雄(きんお)〔養子:正親町公蔭(→正親町実明~実綱の系図)〕
権中納言。小倉家の祖。
祖父 公経→西園寺公経の系図
父 実雄→洞院実雄の系図
祖父 一条頼氏→一条高能の系図
妻 藤原実世の娘
妻の父 藤原実世→姉小路公宣~実広の系図
妻 藤原良平の娘
妻の父 藤原良平→九条兼実の系図
子 季子→洞院実泰の系図
孫 洞院公賢→洞院公賢の系図
孫 洞院公敏→洞院公敏・公泰の系図
子の夫 亀山天皇→亀山天皇の系図
子の夫 衣笠冬良→粟田口忠良の系図
小倉実教(さねのり)【1264-1349】
権大納言。二条派の歌人として活躍した。
子 季雄【1289-1336】
権中納言。
孫 実遠【1321-1384】
権中納言。
孫 賢季〔養父:花山院師信〕→花山院師継~師資の系図
子 季長(『系図纂要』による。)
従三位。
子の夫 洞院公賢→洞院公賢の系図
子の夫 園基成→園基成~基有の系図
子の夫 忠房親王→忠房親王の系図
小倉公脩【1294-1337】
権中納言。
小倉実名/季保【1315-1404】
権大納言。
子 公種・孫 実右→小倉公種~実躬の系図
小倉公種~実躬の系図
小倉公種【1384-?】
権大納言。
祖父 公脩・父 実名→小倉公雄~実名の系図
小倉実右【1418-1470】
権中納言。実は正親町実秀(→正親町公仲~公叙の系図)の子。
小倉季種/季煕【1456-1529】
権大納言。実は正親町持季(→正親町公仲~公叙の系図)の子。
妻 四辻実仲の娘
妻の父 四辻実仲→室町公春~四辻公音の系図
小倉公右【1511-1536】
小倉季藤/季滋【1569-?】
実は四辻公遠(→四辻季遠~季満の系図)の子。勅勘を蒙り、家領を没収された。
妻 久我晴通の娘
妻の父 久我晴通・夫 久我敦通→久我晴通~敦通の系図
子 季藤の娘(『系図纂要』による。)
子の夫 岩倉具起(『系図纂要』による。)→岩倉具尭~乗具の系図
小倉公根【1584-1644】(以下、『系図纂要』による。)
参議。実は花園実教(→花園実教~実延の系図)の子。小倉家を再興した。
小倉実為【1604-1637】
母は戸渡遠江守女(『小倉家譜』)とも。
小倉実起(さねおき)/季雅【1622-1684】
権大納言。実は藪嗣良(→藪嗣良~嗣義の系図)の子。済深法親王の出家に反対した結果、蟄居・流罪になり、佐渡で亡くなった。
妻 小倉公根の娘
子 煕季〔養父:小倉実躬〕→小倉煕季~長季の系図
子 中納言典侍局→霊元天皇の系図
小倉公連(きんつら)/公代【1647-1684】
参議。父と共に佐渡に配流された。
妻 吉田兼起の娘
妻の父 吉田兼起→吉田兼起の系図
小倉実躬【1672-1685】
子 煕季・孫 季永→小倉煕季~長季の系図
小倉煕季~長季の系図
小倉煕季【1651-1720】
権中納言。実は小倉実起(→小倉公種~実躬の系図)の子。
祖父 公連・父 実躬→小倉公種~実躬の系図
子 有季【1699-1708】
実は清水谷実業(→清水谷実業~公美の系図)の子。
子 公映【1698-1709】
実は押小路公音(→押小路公音~実潔の系図)の子。
小倉季永/氏昭【1684-1707】
実は水無瀬兼豊(→水無瀬兼豊~経業の系図)の子。
小倉宜季【1710-1766】
権大納言。実は西園寺致季(→西園寺実晴~致季の系図)の子。
妻 広幡豊忠の娘
妻の父 広幡豊忠→広幡忠幸・豊忠の系図
子の夫 東坊城益良→東坊城恒長~夏長の系図
小倉貢季【1734-1763】
参議。
妻 谷衛衝の娘
妻の父 谷衛衝→谷衛利~衛将の系図
小倉見季【1762-1829】
子 善超〔養父:今出川公種〕→今出川公言~実順の系図
小倉豊季【1781-1830】〔養子:今出川寿丸(→今出川公言~実順の系図)〕
権中納言。
妻 勧修寺良顕の娘
妻の父 勧修寺良顕→勧修寺良顕~経理の系図
子 豊季の娘(『小倉家譜』による。)
小倉随季【1802-1830】
母は『小倉家譜』による。
妻 今出川尚季の娘
妻の父 今出川尚季→今出川公言~実順の系図
小倉輔季(すけすえ)【1824-1891】
実は甘露寺国長(→甘露寺国長~義長の系図)の子。母は『小倉家譜』による。
子 橋本実梁〔養父:橋本実麗〕→橋本実理~実梁の系図
子 窿季・道徴・慈舜・道俊・岡麿・歌麿・邦麿・寛麿・常麿・子 美子・輔子・慶子・竹・周詮・文・政子・駒(『小倉家譜』による。)
小倉長季【1839-1881】
実は橋本実久(→橋本実理~実梁の系図)の子。
妻 小倉季子【1845-1908】〔養父:橋本実久(→橋本実理~実梁の系図)〕
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。