このページでは、宗氏(桓武平氏・知盛流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
宗氏(対馬国府中藩主)の略系図
1 知宗→宗知宗~成職の系図
11 貞国→宗貞国~義純の系図
20 義智→宗義智・義成の系図
22 義真→宗義真~義方の系図
25 義誠→宗義誠~義蕃の系図
29 義暢→宗義暢~重正の系図
宗知宗~成職の系図
宗知宗(ともむね)
母は『系図纂要』による。宗氏の祖とされる。
祖父 清盛・父 知盛→平清盛の系図
子 右衛門三郎【?-1274】(以下、『系図纂要』による。)
元寇で戦死した。
子 助国〔養父:宗重尚〕(『系図纂要』による。)
子 下野二郎・荒四郎・越前五郎・甲斐六郎(『系図纂要』による。)
宗重尚(しげひさ)(以下、『系図纂要』による。)
宗助国(すけくに)【?-1274】
実は宗知宗の子。元寇で奮戦したが戦死した。
子 右馬二郎【?-1274】
元寇で戦死した。
宗盛明(もりあきら)
弘安の役で奮戦した。
宗盛国(もりくに)
子 宗香(しゅうこう)【?-1369】
曾孫 興秀〔養父:宗茂秀〕
実は宗茂直の子。
宗経茂(つねしげ)【?-1370/72】
少弐氏に仕えていたが、対馬国の支配権を確立し、朝鮮との貿易を開始した。
宗貞茂(さだしげ)【?-1418】
対馬国守護として倭寇を取り締まった。
子 盛国(もりくに)【?-1444】
大内氏と戦って亡くなった。
孫 貞国〔養父:宗成職〕→宗貞国~義純の系図
宗成職(しげもと)【1419?-1467】
少弐教頼と筑前国を攻めるが敗れた。
子 貞国・孫 材盛→宗貞国~義純の系図
宗貞国~義純の系図
宗貞国(さだくに)【1423-1495】
実は宗盛国(→宗知宗~成職の系図)の子。宗氏内の対立を解消した。一時、大内氏を破って大宰府を占領した。
祖父 貞盛・父 成職→宗知宗~成職の系図
宗材盛(きもり)/盛貞(もりさだ)【1457-1507】
宗義盛(よしもり)/盛順(もりのぶ)【1476-1520】
三浦の乱の際には兵を送ったが完敗した。その後、朝鮮との通交の回復のために尽力した。
宗盛長(もりなが)【1502-1526】
実は宗盛家の子。
子 熊満
『寛政重修諸家譜』によれば、あるいは二子おり、兄を熊寿、弟を熊満といったという。
宗将盛(まさもり)/盛賢(もりかた)【1509-1573】
実は宗盛弘の子。
子 茂尚〔養父:宗義調〕
子 義純〔養父:宗茂尚〕
子 調国〔養子:宗智順〕
子 義智〔養父:宗義純〕→宗義智・義成の系図
宗晴康(はるやす)/貞泰(さだやす)/晴茂(はるしげ)【1475-1563】
実は宗盛俊の子。
宗義調(よししげ)/義親(よしちか)【1532-1588】
豊臣秀吉に命じられ、朝鮮との折衝に当たった。
宗茂尚(しげなお)/調尚(しげなお)【1547-1569】
実は宗将盛の子。
宗義純(よしずみ)/調弘(しげひろ)/貞氏(さだうじ)/貞信(さだのぶ)【?-1580】
実は宗将盛の子。
子 義智・孫 義成→宗義智・義成の系図
子 智順〔養父:宗調国〕
子の夫 小河加賀右衛門(『寛政重修諸家譜』による。)
宗義智・義成の系図
宗義智(よしとし)/昭景(あきかげ)【1568-1615】
対馬国府中藩主。実は宗将盛(→宗貞国~義純の系図)の子。豊臣秀吉の朝鮮出兵で先陣を務めた。関ヶ原の戦いでは西軍に属したが、所領は安堵された。その後は朝鮮との関係回復に尽力し、己酉約条を成立させた。
祖父 茂尚・父 義純→宗貞国~義純の系図
妻 小西マリア【?-1605?】
小西行長の娘。義智にキリスト教を棄てるよう求められたが拒否し、離縁された。
子の夫 柳川調興(しげおき)【1603-1684】
宗家の家臣として専権を振るい、宗義成との争論に発展した。争論は徳川家光により有罪とされ、津軽に流された。
宗義成(よしなり)/貞光【1604-1657】
府中藩主。重臣の柳川調興と対立した。
妻 日野資勝の娘
妻の父 日野資勝→日野輝資~光慶の系図
子 義真・孫 義倫→宗義真~義方の系図
子の夫 松平正信→松平正信・正基~正賢の系図
子の夫 三条公富→三条実秀~公充の系図
子の夫 太田資次→太田資次~資晴の系図
宗義真~義方の系図
宗義真(よしざね)【1639-1702】
府中藩主。藩政改革を推し進め、銀山開発や貿易を振興した。
祖父 義智・父 義成→宗義智・義成の系図
祖父 日野資勝→日野輝資~光慶の系図
妻 京極阿久里
京極高和(→京極高次~高和の系図)の娘。
子 彦満
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 土田氏
子の夫 日野資茂→日野弘資~永資の系図
子の夫 徳大寺公全→徳大寺実維~公城の系図
妻 三浦氏
子 義方〔養父:宗義倫〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 睦→亀井茲親~茲胤の系図
子の夫 松平忠敏→松平忠敏の系図
子の夫 毛利高慶→毛利高慶・高通の系図
妻 松岡氏
子 真周〔養父:古川真昌〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 野村氏
子 倫寛〔養父:多田真重〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 醍醐冬煕→醍醐冬基~忠順の系図
妻 斎藤氏
子 義誠〔養父:宗義方〕→宗義誠~義蕃の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 庄司氏
子 方煕〔養父:宗義誠〕→宗義誠~義蕃の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 永井直時→永井直清~直英の系図
宗義倫(よしつぐ・よしとも)/義竜(よしたつ)/義就【1671-1694】
府中藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 溝口重雄の娘
妻の父 溝口重雄→溝口重雄の系図
宗義方(よしみち・よしかた)【1684-1718】
府中藩主。実は宗義真の子。
妻 有馬紀伊【1687-1706】
有馬頼元(→有馬忠頼~頼旨の系図)の娘。
妻 池田氏
子 彦千代
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 阿比留氏
子 岩丸
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 山川氏
子 村岡如喬
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 義誠・孫 方煕→宗義誠~義蕃の系図
宗義誠~義蕃の系図
宗義誠(よしのぶ)/方誠(みちのぶ)【1692-1730】
府中藩主。実は宗義真(→宗義真~義方の系図)の子。
祖父 義倫・父 義方→宗義真~義方の系図
妻 間永氏
子の夫 藤堂高治→藤堂高治・高朗の系図
妻 樋口氏
子 義如〔養父:宗方煕〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 義蕃〔養父:宗義如〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平忠名→松平忠名の系図
子の夫 醍醐経胤→醍醐冬基~忠順の系図
宗方煕(みちひろ)【1696-1759】
府中藩主。実は宗義真(→宗義真~義方の系図)の子。
妻 樋口氏
子 如連〔養父:樋口真連〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 古賀氏
子の夫 難波宗城→難波宗尚~宗礼の系図
宗義如(よしゆき)【1716-1752】
府中藩主。実は宗義誠の子。
妻 細川喜和
細川宣紀(→細川宣紀~治年の系図)の娘。
妻 村江氏
子 如式
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 佐伯氏
子 義暢〔養父:宗義蕃〕→宗義暢~重正の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 如泰〔養父:俵方紹〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 暢朝〔養父:樋口如基〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 早田氏
子 義如の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
宗義蕃(よしあり・よししげ)/如苗(ゆきなえ)【1717-1775】
府中藩主。実は宗義誠の子。
妻 古川氏
子 氏江蕃寿
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 大炊御門家孝→大炊御門経秀~師前の系図
子 義暢・孫 義功→宗義暢~重正の系図
宗義暢~重正の系図
宗義暢(よしなが)【1742-1778】
府中藩主。実は宗義如(→宗義誠~義蕃の系図)の子。
祖父 義如・父 義蕃→宗義誠~義蕃の系図
妻 松平頼恭の娘【?-1797】
妻の父 松平頼恭→松平頼豊~頼恭の系図
妻 長留氏
子 義功(よしかつ)【1771-1785】
府中藩主。一度も江戸に行くことないまま死去した。
宗義功(よしかつ)【1773-1813】
府中藩主。若くして死去した兄の替え玉となった。
妻 大炊御門梁
大炊御門家孝(→大炊御門経秀~師前の系図)の娘。
妻 大炊御門家孝の娘
妻の父 大炊御門家孝→大炊御門経秀~師前の系図
子 徳→九条師孝~道孝の系図・松平斉典~直方の系図
宗義質(よしかた・よしただ)【1800-1838】
府中藩主。
妻 前田栄
前田利謙(→前田利幸~利謙の系図)の娘。
子 義和〔養父:宗義章〕
宗義章(よしあや)【1817-1842】
府中藩主。
妻 毛利万寿子
毛利斉煕(→毛利治親~元徳の系図)の娘。
宗義和(よしより)【1818-1890】
府中藩主。
妻 浅野斉賢の娘
『浅野家譜(安芸広島)』によれば、立花鑑備に嫁ぐ予定であった。
妻の父 浅野斉賢→浅野斉賢~長勲の系図
子 植子→松平信志~信正の系図
子の夫 大原重実→大原栄顕~重実の系図
宗重正(しげまさ)/義達(よしあき)【1847-1902】
府中藩主。
妻 鍋島直正の娘
実は鍋島直与(→鍋島直与の系図)の娘。
妻の父 鍋島直正→鍋島直正の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。