このページでは、水野氏(清和源氏・満政流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
水野氏(下総国結城藩主)の略系図
1 重房→小河重房~水野清忠の系図
13-A1 為善→水野為善~正直の系図
13-A2 正勝→水野正勝~勝時の系図
13-A3 正直→水野正直~守富・守勝~浦次郎の系図
13-A4 勝久→水野勝久~勝吉の系図
14-A1 政祖→水野政祖~守政の系図
14-A2 忠慎→水野忠慎~忠晋の系図
16-A1 清重→水野清重~清氏の系図
16-A2 重定→水野重定~穠延の系図
16-B 元興→水野元興~元貞の系図
17 忠政→水野忠政の系図
17-A1 信近→水野信近~信村の系図
17-A2 信勝→水野信勝・信直・信政~信益の系図
17-A3 重勝→水野重勝~忠順の系図
17-A4 信利→水野信利~忠保の系図
17-A5 信義・信政→水野信義~信敬・水野信政~忠英の系図
17-B1 近信→水野近信・近之・近次~近富の系図
17-B2 近広→水野近広~忠暁の系図
18 信元→水野信元の系図
19 忠重→水野忠重の系図
20 勝成→水野勝成~勝貞の系図
20-A 成貞→水野成貞・成之・忠丘~勝至の系図
20-B1 勝忠→水野勝忠・勝岑・勝直の系図
20-B2 勝隆・勝宥→水野勝隆~忠一・勝宥~勝興の系図
20-B3 勝彦・勝英→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
23 勝種→水野勝種~勝庸の系図
28 勝前→水野勝前~勝寛の系図
小河重房~水野清忠の系図
小河重房(しげふさ)
知多郡阿久比郷小河に住み、小河を称した。水野氏の祖とされる。
祖父 重実→源重実の系図
父 重遠→源重遠・山田重直の系図
子 重満(『系図纂要』による。)
水野重清(しげきよ)【?-1181】
春日井郡山田庄水野に移り、水野を称した。源頼朝に仕えた。
子 友重(以下、『系図纂要』による。)
水野清房(きよふさ)(以下、『系図纂要』による。)
父は藤原道経(→藤原道経・鷹司兼基の系図)とも。
水野雅経(まさつね)【?-1264】
水野雅継(まさつぐ)【?-1278】
水野胤雅(たねまさ)
水野光氏(みつうじ)
水野正房(まさふさ)
母は『華族系譜』による。
水野信忠(のぶただ)
水野信安(のぶやす)【?-1381】
水野信義(のぶよし)【?-1405】
水野信重(のぶしげ)【?-1428】
水野忠義(ただよし)【?-1448】
子 為善・孫 忠守→水野為善~正直の系図
水野貞守(さだもり)【1437-1487】
子 政祖・孫 忠綱→水野政祖~守政の系図
水野賢正(かたまさ)【?-1514】
水野清忠(きよただ)/信政(のぶまさ)
子 清重・孫 清信→水野清重~清氏の系図
子 忠政→水野忠政の系図
孫 信元→水野信元の系図
孫 信近→水野信近~信村の系図
孫 忠守→水野忠守・忠元の系図
孫 近信→水野近信・近之・近次~近富の系図
孫 忠分→水野忠分の系図
子 元興・孫 元教→水野元興~元貞の系図
子の夫 松平信忠→松平親忠~信忠の系図
孫 清康→松平清康・広忠の系図
子の夫 奥平貞勝→奥平貞俊~貞勝の系図
孫 貞能→奥平貞能~忠昌の系図
水野清重~清氏の系図
水野清重(きよしげ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 賢正・父 清忠→小河重房~水野清忠の系図
曾孫 重定→水野重定~穠延の系図
水野清信(きよのぶ)
29歳で亡くなった。
孫 四郎右衛門の娘〔養父:安部信勝(→安部信勝の系図)〕
孫の夫 前田正勝→前田正勝の系図
水野正重(まさしげ)/清久(きよひさ)【1545-1617】
子の夫 渡辺重綱→渡辺重綱の系図
水野清次(きよつぐ)【1574-1616】
子 服部保継→服部保継の系図
実は服部保俊の子。
子の夫 服部保俊→服部保俊の系図
水野清定(きよさだ)【1607-1626】
水野清氏(きようじ)
実は服部保俊(→服部保俊の系図)の子。
水野重定~穠延の系図
水野重定(しげさだ)
『寛政重修諸家譜』によれば、水野元定の孫というが、代数が合わないとされる。
祖父 元定→水野清重~清氏の系図
水野重好(しげよし)
水野穠孝(しげたか)【1676-1756】
実は千種六郎右衛門の子。
妻 内藤勝正の娘
妻の父 内藤勝正→内藤勝正の系図
子 中村利奉〔養父:中村利憲〕→中村利奉の系図
子 小知正苗〔養父:小知正令〕→小知正苗の系図
子の夫 由井忠時→由井忠時の系図
子の夫 堀之常→堀之常の系図
子の夫 村上宜如→村上宜如の系図
子の夫 中山顕生→中山顕生の系図
水野穠喜(しげよし)【1700-1764】
子 内崎隆恭〔養父:内崎正明〕→内崎隆恭の系図
子 穠延〔養父:水野穠久〕
子 松井頎長〔養父:松井長孝〕→松井頎長の系図
子の夫 根本成員→根本成員の系図
水野穠久(しげひさ)【1730-?】
水野穠延(しげのぶ)【1745-?】〔養父:竹垣直照(→竹垣直照の系図)〕
実は水野穠喜の子。
水野元興~元貞の系図
水野元興(もとおき)/邦重(くにしげ)【1547-1571】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 賢正・父 清忠→小河重房~水野清忠の系図
水野元教(もとのり)
妻 水野信元の娘
妻の父 水野信元→水野信元の系図
水野元繁(もとしげ)
水野元俊(もととし)
子 江坂正俊〔養父:江坂正虎〕→江坂正俊の系図
子 江坂正範〔養父:江坂正俊〕→江坂正範の系図
水野元雄(もとお)【1675-1728】
水野元櫨(もとのぶ)【1717-1782】
実は江坂正範(→江坂正範の系図)の子。
水野元著(もとあき)【1737-1771】
実は筒井政虎(→筒井政虎の系図)の子。
子 石川春直〔養父:石川春厚〕→石川康長~春房・春忠~春厚の系図
子の夫 遠藤準政→遠藤準政の系図
水野元貞(もとさだ)【1755-?】
妻 新庄直救の娘
妻の父 新庄直救→新庄直救の系図
水野政祖~守政の系図
水野政祖(まさもと)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠義・父 貞守→小河重房~水野清忠の系図
水野忠綱(ただつな)【?-1529】
水野守次(もりつぐ)/守尚(もりなお)/守隆(もりたか)【?-1598】
妻 水野信元の娘【?-1639】
妻の父 水野信元→水野信元の系図
子 新七【?-1584】
水野守信(もりのぶ)【1577-1636】
妻 有馬豊氏の娘
妻の父 有馬豊氏→有馬義祐~豊氏の系図
子の夫 成瀬正勝→成瀬正勝の系図
子の夫 織田信当→織田信当の系図
子の夫 徳山重政→徳山重政の系図
水野守政(もりまさ)/守行(もりゆき)【1623-1715】
実は荒尾重就の子。
妻 内藤正勝の娘
妻の父 内藤正勝→内藤清成~重頼の系図
子 内藤清枚〔養父:内藤重頼〕→内藤清枚~頼直の系図
子 忠矩(ただのり)【?-1693】
子の妻 伊沢政成の娘
子の妻の父 伊沢政成→伊沢政成の系図
子 忠慎・孫 忠富→水野忠慎~忠晋の系図
子の夫 成瀬正章→成瀬正章の系図
水野忠慎~忠晋の系図
水野忠慎(ただちか)/守常(もりつね)【1653-1730】
実は荒尾帯刀の子。
祖父 守信・父 守政→水野政祖~守政の系図
子 有馬則武〔養父:有馬則致〕→有馬則致~則篤の系図
水野忠富(ただよし)/守忠(もりただ)【1688-1764】
妻 酒井忠助の娘
実は酒井忠垠(→酒井忠垠~忠迢の系図)の娘。
妻の父 酒井忠助→酒井忠助~忠懿の系図
子の夫 伊沢方貞→伊沢方貞の系図
子の夫 竹中定弘→竹中定弘の系図
子の夫 服部保富→服部保富の系図
子の夫 本多将成→本多重看~成孝の系図
子の夫 有馬則雄→有馬則致~則篤の系図
子の夫 杉浦好政→杉浦好政の系図
子の夫 筧正堅→筧正堅の系図
水野忠〓(ただひさ)【1723-1773】
〓は「老」+「高」。
妻 水野忠定の娘
妻の父 水野忠定→水野忠増~忠定の系図
子 山名豊翔〔養父:山名義安〕→山名豊翔の系図
子の夫 伊沢政則→伊沢政則の系図
子の夫 松平正職→松平正職の系図
水野忠敞(ただたか)【1746-1789】
妻 酒井忠香の娘
妻の父 酒井忠香→酒井忠香の系図
妻 大久保忠翰の娘
妻の父 大久保忠翰→大久保忠翰の系図
夫 遠山伊氐→遠山伊氐の系図
子の夫 南部信鄰→南部政信~信方の系図
水野忠晋(ただゆき)【1767-?】
実は水野忠見(→水野忠見~忠順の系図)の子。
妻 水野忠敞の娘
実は大久保忠翰(→大久保忠翰の系図)の娘。
妻 本多忠薫の娘
妻の父 本多忠薫→本多忠薫の系図
子 〓二郎
〓は「弓」+「人」。
子 〓三郎
〓は「藺」+「辶」。
水野為善~正直の系図
水野為善(ためよし)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 信重・父 忠義→小河重房~水野清忠の系図
水野忠守(ただもり)
妻 水野忠政の娘
妻の父 水野忠政→水野忠政の系図
子 正勝・孫 宗勝→水野正勝~勝時の系図
水野吉守(よしもり)
妻 水野信元の娘
妻の父 水野信元→水野信元の系図
子の夫 水野宗勝→水野正勝~勝時の系図
孫 正直→水野正直~守富・守勝~浦次郎の系図
水野正長(まさなが)
水野正春(まさはる)/正忠(まさただ)
水野正行(まさゆき)/正蔵(まさくら)【?-1630】
子 雅房〔養父:水野正行〕
子 権左衛門【?-1672】
子の夫 長田永政→長田白政~白行・義則~義久・政次~繁応の系図
水野正行(まさゆき)/正幸(まさゆき)【?-1653】
水野雅房(まさふさ)【1624-1691】
妻 多賀常次の娘
妻の父 多賀常次→多賀常次の系図
子 政長〔養父:水野正要〕
子 多賀主税〔養父:多賀源六郎〕→多賀主税の系図
子の夫 市野真則→市野真則の系図
子の夫 酒井昌村→酒井昌村の系図
水野正要(まさよし)【1656-1695】
水野政長(まさなが)【1682-1742】
実は水野雅房の子。
妻 曽雌俊昌の娘
妻の父 曽雌俊昌→曽雌俊昌の系図
水野正量(まさかず)【1717-1766】
実は市野真徳(→市野真徳の系図)の子。
妻 土屋利起の娘
妻の父 土屋利起→土屋利起の系図
子 市野正殷〔養父:市野正致〕→市野正殷の系図
子の夫 国領正為→国領正為の系図
水野正恭(まさやす)【1744-?】
妻 山下隆多の娘
妻の父 山下隆多→山下隆多の系図
水野正直(まさただ)/吉直(よしただ)
実は国領正為(→国領正為の系図)の子。
妻 水野正恭の娘
実は守能正明の娘。
水野正勝~勝時の系図
水野正勝(まさかつ)/忠勝(ただかつ)【1505-1581】
祖父 為善・父 忠守→水野為善~正直の系図
水野宗勝(むねかつ)【1552-1616】
妻 水野吉守の娘
妻の父 水野吉守→水野為善~正直の系図
子 正直・孫 正盛・守勝→水野正直~守富・守勝~浦次郎の系図
水野勝次(かつつぐ)【?-1645】
妻 小川長保の娘
妻の父 小川長保→小川長保の系図
水野勝長(かつなが)【?-1666】
子 勝久〔養父:水野勝時〕→水野勝久~勝吉の系図
子の夫 神谷直重→神谷直重の系図
水野勝時(かつとき)【?-1682】
妻 細井勝正の娘
妻の父 細井勝正→細井勝正の系図
夫 蜂屋可英→蜂屋可英の系図
子 勝久・孫 勝承→水野勝久~勝吉の系図
子の夫 蜂屋可能→蜂屋可能の系図
水野勝久~勝吉の系図
水野勝久(かつひさ)【1654-1716】
実は水野勝長(→水野正勝~勝時の系図)の子。
祖父 勝長・父 勝時→水野正勝~勝時の系図
妻 河野通成の娘
実は大久保長好(→大久保長好の系図)の娘。
妻の父 河野通成→河野通成の系図
子 勝興〔養父:水野勝美〕→水野成貞・成之・忠丘~勝至の系図
子 武蔵義房〔養父:武蔵義時〕→武蔵義房の系図
子 滝川一積〔養父:滝川一重〕→滝川一積の系図
子の夫 奥村矩政→奥村矩政の系図
水野勝承(かつつぐ)【1696-1773】
妻 井上方正の娘
実は杉浦安重(→杉浦安重の系図)の娘。
妻の父 井上方正→井上方正の系図
妻 滝川一徧の娘
実は別所治道(→別所治道の系図)の娘。
妻の父 滝川一徧→滝川一徧の系図
子 勝富〔養父:水野勝明〕→水野成貞・成之・忠丘~勝至の系図
子の夫 兼松正景→兼松正景の系図
水野勝寧(かつやす)【1745-1772】
妻 高木元高の娘
妻の父 高木元高→高木元高の系図
妻 岩本正利の娘
妻の父 岩本正利→岩本正利の系図
夫 大久保忠篤→大久保忠篤の系図
水野勝明(かつあきら)【1763-1796】
妻 近藤孟卿の娘
妻の父 近藤孟卿→近藤孟卿の系図
水野勝吉(かつよし)【1782-?】
実は岩本正信(→岩本正信の系図)の子。
水野正直~守富・守勝~浦次郎の系図
水野正直(まさなお)/政道(まさみち)【1594-1663】
祖父 正勝・父 宗勝→水野正勝~勝時の系図
祖父 水野吉守→水野為善~正直の系図
子の夫 美濃部茂永→美濃部茂永の系図
水野正盛(まさもり)/守要(もりよし)【1625-1701】
妻 本間季重の娘
妻の父 本間季重→本間季重の系図
子 政重(まさしげ)【?-1678】
子 守継(もりつぐ)【?-1688】
水野守房(もりふさ)【1661-1709】
妻 川井正之の娘
妻の父 川井正之→川井正之の系図
水野守成(もりしげ)【1696-1766】
子 光澄(みつずみ)【1729-1756】
孫 光澄の娘〔養父:水野守成〕
水野景守(かげもり)/守常(もりつね)【1730-?】
実は松前広隆(→松前当広~広澄の系図)の子。
妻 水野守成の娘
実は水野光澄の娘。
妻 石河勝昌の娘
妻の父 石河勝昌→石河勝昌の系図
子 守儿(もりひと)【1767-1788】
水野守富(もりとみ)【1771-?】
実は高田政意(→高田政意の系図)の子。
水野守勝(もりかつ)【?-1700】
妻 桜井正宣の娘
妻の父 桜井正宣→桜井正宣の系図
水野守正(もりまさ)【1672-1714】
水野浦次郎【1701-1714】
水野忠政の系図
水野忠政(ただまさ)【1493-1543】
祖父 賢正・父 清忠→小河重房~水野清忠の系図
妻 松平昌安の娘
妻の父 松平昌安→松平昌安の系図
子 信元→水野信元の系図
孫 忠重→水野忠重の系図
子の夫 松平家広→松平家広・家房の系図
孫 家忠→松平家忠・家信の系図
妻 華陽院
実は青木一宗(→青木高方の系図)の娘。
妻の父 大河内元綱→大河内満澄~忠用の系図
夫 松平清康→松平清康・広忠の系図
夫 川口宗定→川口宗定の系図
子 忠守・孫 忠元→水野忠守・忠元の系図
孫 守重→水野守重・春守・守次~守之の系図
孫 重家・元吉→水野重家~為昌・元吉~元典の系図
子 近信・孫 近之→水野近信・近之・近次~近富の系図
子 忠分→水野忠分の系図
孫 分長→水野分長~元貞の系図
孫 義忠→水野義忠~忠次・光綱~忠近の系図
孫 重央→水野重央・重良・良全~長啓の系図
孫 吉勝→水野吉勝~勝之・吉政~勝行の系図
子 忠重〔養父:水野信元〕→水野忠重の系図
子 於大の方→松平清康・広忠の系図・久松俊勝・定員の系図
孫 徳川家康→徳川家康の系図
孫 松平康元→松平康元の系図
孫 松平康俊→松平康俊~勝易の系図
孫 松平定勝→松平定勝の系図
子 近守(ちかもり)【?-1556】
子 信近・孫 信行→水野信近~信村の系図
子 忠勝(ただかつ)【?-1567】
子 藤助【?-1574】
子の夫 石川清兼→石川親康~清兼・康正~三長の系図
孫 家成→石川家成の系図
子の夫 水野豊信→水野豊信の系図
子の夫 中山勝時→中山勝時の系図
子の夫 水野忠守→水野為善~正直の系図
子の夫 戸田康光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
水野信近~信村の系図
水野信近(のぶちか)【1525-1560】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 清忠→小河重房~水野清忠の系図
父 忠政→水野忠政の系図
子 信政〔養父:水野信元〕→水野信元の系図
子の夫 村瀬重治→村瀬重治の系図
水野信行(のぶゆき)/妙勝(たえかつ)
水野信常(のぶつね)/勝綱(かつつな)【1550-1602】
妻 久松俊勝の娘
妻の父 久松俊勝→久松俊勝・定員の系図
子 信勝・孫 信直・信政→水野信勝・信直・信政~信益の系図
水野信村(のぶむら)/勝氏(かつうじ)【1569-1620】
子 重勝・孫 勝正→水野重勝~忠順の系図
子 信利・孫 信生→水野信利~忠保の系図
水野重勝~忠順の系図
水野重勝(しげかつ)【?-1670】
祖父 信常・父 信村→水野信近~信村の系図
子 新右衛門〔養父:水野勝正〕
水野勝正(かつまさ)【?-1677】
子 勝忠〔養父:水野新右衛門〕
水野新右衛門【?-1678】
実は水野重勝の子。
水野勝忠(かつただ)【?-1679】
実は水野勝正の子。
妻 本目直信の娘
妻の父 本目直信→本目直信の系図
水野勝易(かつやす)【?-1695】
実は朝比奈昌次(→朝比奈昌次の系図)の子。
妻 本多正次の娘
妻の父 本多正次→本多正次の系図
水野正直(まさなお)【1680-1748】
実は天野正春(→天野正春の系図)の子。
妻 猪子一長の娘
実は猪子一弘(→猪子一弘の系図)の娘。
妻の父 猪子一長→猪子一長の系図
子 正近(まさちか)【1718-1746】
孫 正近の娘〔養父:水野正直〕
子 天野正道〔養父:天野正方〕→天野正道の系図
水野忠国(ただくに)/正酉(まさとき)【1730-1793】
実は多田正好(→多田正好の系図)の子。
妻 水野正直の娘
実は水野正近の娘。
妻 小山内貞雄の娘
子 秋山正祐〔養父:秋山歳政〕→秋山正祐の系図
子の夫 志村師延→志村師延の系図
水野忠順(ただみち)【1767-?】
妻 竹尾元貞の娘
妻の父 竹尾元貞→竹尾元貞の系図
水野信利~忠保の系図
水野信利(のぶとし)/信興(のぶおき)【1613-1674】
祖父 信常・父 信村→水野信近~信村の系図
妻 高木元吉の娘
妻の父 高木元吉→高木元吉の系図
子 信賢〔養父:水野信政〕→水野信義~信敬・水野信政~忠英の系図
子 深津憲延〔養父:深津嘉憲〕→深津憲延の系図
子の夫 高木元明→高木元明の系図
水野信生(のぶなり)【?-1692】
水野信一(のぶかず)【1646-1713】
実は細井勝武(→細井勝武の系図)の子。
子の夫 河野通久→河野通久の系図
水野忠鄰(ただちか)/忠魚(ただしげ)【1689-1764】
実は遠山景周の子。
子 神尾正容〔養父:神尾正易〕→神尾正容の系図
子の夫 宮川定之→宮川定之の系図
水野忠量(ただかず)【1713-1778】
妻 稲富直暀の娘
妻の父 稲富直暀→稲富直暀の系図
水野忠紀(ただのり)【1746-1790】
実は住吉広守(→住吉広守の系図)の子。
水野忠保(ただやす)【1778-?】
水野信勝・信直・信政~信益の系図
水野信勝(のぶかつ)【1571-1620】
祖父 信行・父 信常→水野信近~信村の系図
水野信直(のぶなお)/信郷(のぶさと)【?-1671】
妻 牛奥昌茂の娘
妻の父 牛奥昌茂→牛奥昌茂の系図
子 信政・孫 信賢→水野信義~信敬・水野信政~忠英の系図
子 信義・孫 信生→水野信義~信敬・水野信政~忠英の系図
水野信政(のぶまさ)
水野親信(ちかのぶ)【1654-1726】
子の夫 桜井政英→桜井政英の系図
子の夫 内田弘元→内田弘元の系図
水野信方(のぶかた)【1690-1753】
妻 森政治の娘
妻の父 森政治→森政治の系図
子 信良〔養父:水野蔭信〕
水野蔭信(かげのぶ)【1724-1795】
子の夫 中村次名→中村次名の系図
水野信良(のぶよし)【1736-1777】
実は水野信方の子。
水野信益(のぶます)【1761-?】
実は吉川政容の子。
水野信義~信敬・水野信政~忠英の系図
水野信義(のぶよし)【1638-1676】
祖父 信勝・父 信直→水野信勝・信直・信政~信益の系図
妻 大草公吉の娘
妻の父 大草公吉→大草公吉の系図
水野信生(のぶなり)【?-1695】
水野政明(まさあきら)【1672-1729】
実は加藤伝兵衛の子。
子の夫 佐久間審仍→佐久間審仍の系図
水野忠一(ただかず)【?-1735】
実は大草公貞(→大草公貞の系図)の子。
妻 大瀬光房の娘
妻の父 大瀬光房→大瀬光房の系図
水野忠寄(ただより)【1724-?】
水野信友(のぶとも)【1757-1798】
実は三河口吉道(→三河口吉道の系図)の子。
水野信敬(のぶたか)【1791-?】
水野信政(のぶまさ)【1638-1698】
祖父 牛奥昌茂→牛奥昌茂の系図
子の夫 杉原正照→杉原正照の系図
水野信賢(のぶかた)【1656-1706】
実は水野信利(→水野信利~忠保の系図)の子。
妻 中沢景貞の娘
実は本多鼠柄の子。
妻の父 中沢景貞→中沢景貞の系図
水野忠央(ただひさ)【1695-1767】
水野忠天(ただたか)【1734-?】
子 深津憲成〔養父:深津憲政〕→深津憲成の系図
子の夫 諏訪頼峯→諏訪頼峯の系図
水野忠英(ただふさ)【1776-?】
妻 志賀忠恭の娘
妻の父 志賀忠恭→志賀忠恭の系図
水野近信・近之・近次~近富の系図
水野近信(ちかのぶ)/忠近(ただちか)【?-1602】
祖父 清忠→小河重房~水野清忠の系図
父 忠政→水野忠政の系図
子の夫 多門信正→多門信正の系図
子の夫 松平正次→松平正次の系図
水野近之(ちかゆき)/広次(ひろつぐ)【?-1643】
子 近広・孫 近房→水野近広~忠暁の系図
子 太田正成〔養父:太田正冬〕→太田正成の系図
子の夫 大岡清重→大岡清重の系図
子の夫 多門正明→多門正明の系図
水野近次(ちかつぐ)/近主(ちかぬし)【?-1665】
水野近義(ちかよし)
水野近貞(ちかさだ)/久次(ひさつぐ)【1674-1734】
実は杉浦勝房(→杉浦勝房の系図)の子。
妻 御手洗通定の娘
実は御手洗正可(→御手洗正可の系図)の娘。
妻の父 御手洗通定→御手洗通定の系図
水野近久(ちかひさ)【1713-1759】
子の夫 塚原正展→塚原正展の系図
子の夫 宮川定就→宮川定就の系図
子の夫 森種好→森種好の系図
水野近富(ちかとみ)【1743-?】
妻 御手洗隈通の娘
妻の父 御手洗隈通→御手洗隈通の系図
子 近知(ちかとも)/近善(ちかよし)
水野近広~忠暁の系図
水野近広(ちかひろ)【?-1669】
祖父 近信・父 近之→水野近信・近之・近次~近富の系図
子 近久〔養父:水野近房〕
子 太田資明〔養父:太田正澄〕→太田資明の系図
子の夫 太田資春→太田資春の系図
子の夫 福井久一→福井久一の系図
水野近房(ちかふさ)【1646-1688】
妻 仁賀保誠次の娘
妻の父 仁賀保誠次→仁賀保誠次の系図
子 近真〔養父:水野近久〕
子の夫 逸見義雅→逸見義雅の系図
子の夫 桜井信古→桜井信古の系図
子の夫 加藤正顕→加藤正顕の系図
子の夫 長谷川重好→長谷川重好の系図
水野近久(ちかひさ)【1657-1713】
実は水野近広の子。
水野近真(ちかざね)【1672-1722】
実は水野近房の子。
水野忠村(ただむら)/忠玄(ただはる)【1696-1767】
実は桜井信古(→桜井信古の系図)の子。
水野守政(もりまさ)/定守(さだもり)【1721-1796】
実は久世氏の子。
水野忠暁(ただとし)【1767-?】
水野信元の系図
水野信元(のぶもと)/忠次(ただつぐ)【?-1575】
織田信長に仕え、徳川家康との仲を取り持った。後に信長に切腹を命じられた。
祖父 清忠→小河重房~水野清忠の系図
父 忠政→水野忠政の系図
妻 松平信定の娘
妻の父 松平信定→松平信定の系図
子 十郎三郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠重→水野忠重の系図
孫 勝成→水野勝成~勝貞の系図
孫 忠清→水野忠清・忠職の系図
子 信政(のぶまさ)/忠高(ただたか)/元茂(もとしげ)【?-1575】
実は水野信近(→水野信近~信村の系図)の子。
子 土井利勝→土井利勝の系図
父は土井利昌とも。
子 信元の娘【?-1655】
鈴木重政に嫁いだ。
子の夫 水野守次→水野政祖~守政の系図
子の夫 荒尾善次→荒尾善次の系図
子の夫 水野吉守→水野為善~正直の系図
子の夫 水野重央→水野重央・重良・良全~長啓の系図
孫 定勝→水野定勝・忠順~忠告の系図
子の夫 水野元教→水野元興~元貞の系図
子の夫 鈴木重信(『寛政重修諸家譜』による。)→鈴木重信の系図
水野忠重の系図
水野忠重(ただしげ)【1514-1600】
実は水野忠政(→水野忠政の系図)の子。徳川家康の家臣。堀尾吉晴らを饗応している時に殺された。
妻 都筑吉豊の娘
子 勝成・孫 勝俊→水野勝成~勝貞の系図
孫 成貞→水野成貞・成之・忠丘~勝至の系図
孫 勝忠→水野勝忠・勝岑・勝直の系図
子 忠胤(ただたね)/忠元(ただもと)【?-1609】
子の妻 織田信長の娘
子の妻の父 織田信長→織田信長の系図
孫 勝信〔養父:水野勝成〕→水野勝成~勝貞の系図
孫の夫 丹羽氏信→丹羽氏信~氏音・信氏~知氏の系図
孫の夫 南条宜政→南条宜政の系図
妻 宇川孫兵衛の娘
子 忠清・孫 忠職→水野忠清・忠職の系図
孫 忠増→水野忠増~忠定の系図
子 忠直(ただなお)/重直(しげなお)【1583-1635】
孫 政直(まさなお)/忠広(ただひろ)【?-1706】
孫 忠直の娘〔養父:向井利次〕
孫の夫 春日家次→春日家次の系図
子の夫 加藤清正→加藤清正の系図
子の夫 安部信勝→安部信勝の系図
水野勝成~勝貞の系図
水野勝成(かつなり)【1564-1651】
三河国刈谷藩主・大和国郡山藩主・備後国福山藩主。
妻 青木氏
子 成言(なりのぶ)/成忠(なりただ)【1603-1684】
子の妻 池田長幸の娘【?-1648】
子の妻の父 池田長幸→池田長吉~長常・高島長親~千次郎の系図
孫 勝興・頼直(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 桜庭氏
子 成貞・孫 成之・忠丘→水野成貞・成之・忠丘~勝至の系図
妻 藤島氏
子 勝則(かつのり)【1610-1631】
孫 勝寿(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 瀬川氏
子 勝忠・孫 勝岑・勝直→水野勝忠・勝岑・勝直の系図
子 勝信(かつのぶ)/勝直(かつなお)【?-1671】
実は水野忠胤(→水野忠重の系図)の子。
子 勝成の娘【?-1614】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 勝成の娘【?-1645】(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 徳川頼宣→徳川頼宣~頼職の系図
子の夫 丹羽氏信→丹羽氏信~氏音・信氏~知氏の系図
水野勝俊(かつとし)/勝重(かつしげ)【1598-1655】
福山藩主。
妻 九鬼守隆の娘【?-1662】
妻の父 九鬼守隆→九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
子 長吉【?-1625】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 月岡氏
子の夫 園基福→園基福~基香の系図
子 亀之助【?-1654】
子 小八郎【?-1661】
子 勝清【?-1681】
子 万寿【?-1652】(『華族系譜』による。)
子 勝俊の娘【?-1634】(『華族系譜』による。)
子 多門・子 勝俊の娘(3人)(『寛政重修諸家譜』による。)
水野勝貞(かつさだ)/勝春(かつはる)/勝秀(かつひで)【1625-1662】
福山藩主。
妻 酒井忠勝の娘
実は松平康政(→松平康政~康功の系図)の娘。
妻の父 酒井忠勝→酒井忠勝の系図
子 鶴→勧修寺光豊~経敬の系図
孫 勧修寺尹隆→勧修寺尹隆・高顕の系図
妻 野瀬氏
子 勝種・孫 勝岑→水野勝種~勝庸の系図
子 与曽【?-1673】
母は『華族系譜』による。
水野成貞・成之・忠丘~勝至の系図
水野成貞(なりさだ)【?-1650】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠重→水野忠重の系図
父 勝成→水野勝成~勝貞の系図
妻 蜂須賀万【1615-1683】
蜂須賀至鎮(→蜂須賀至鎮・忠英の系図)の娘。
水野成之(なりゆき)/貞義(さだよし)
水野忠丘(ただおか)/成春(なりはる)【1642-1708】
子 勝美〔養父:水野忠豊〕
水野忠位(ただつら)【1679-1707】
子 忠位の娘〔養父:水野勝美〕
子の夫 森定利→森定利の系図
水野忠豊(ただとよ)【1706-1712】
水野勝美(かつよし)【1697-1744】
実は水野忠丘の子。
子の夫 日下部定近→日下部定近の系図
水野勝興(かつおき)【1706-1753】
実は水野勝久(→水野勝久~勝吉の系図)の子。
子の夫 横山一屯→横山一屯の系図
水野勝明(かつあきら)【1737-1765】
実は滝川一積(→滝川一積の系図)の子。
水野勝富(かつとみ)【1749-1774】
実は水野勝承(→水野勝久~勝吉の系図)の子。
水野勝至(かつよし)【1757-?】
実は武蔵義知(→武蔵義知の系図)の子。
水野勝忠・勝岑・勝直の系図
水野勝忠(かつただ)【1611-1666】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠重→水野忠重の系図
父 勝成→水野勝成~勝貞の系図
妻 仙石忠政の娘
妻の父 仙石忠政→仙石忠政の系図
妻 池田長賢の娘
妻の父 池田長賢→池田長賢~長休の系図
夫 松平康朗→松平康政~康功の系図
子 忠明〔養父:水野吉政〕→水野吉勝~勝之・吉政~勝行の系図
水野勝岑(かつみね)【1638-1693】
妻 奥田忠虎の娘
妻の父 奥田忠虎→奥田忠虎の系図
子 勝隆・勝宥・孫 忠寄・勝尹→水野勝隆~忠一・勝宥~勝興の系図
子の夫 細井勝長→細井勝長の系図
水野勝直(かつなお)【1649-1706】
妻 仙石政俊の娘
実は仙石政勝(→仙石政勝の系図)の娘。
妻の父 仙石政俊→仙石政俊の系図
子 勝英・孫 勝美→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
妻 大出氏
子 勝長〔養父:水野勝岑〕→水野勝種~勝庸の系図
子 勝政〔養父:水野勝長〕→水野勝種~勝庸の系図
子 槌→大田原扶清・友清の系図
子 勝彦・孫 勝澄→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
水野勝隆~忠一・勝宥~勝興の系図
水野勝隆(かつたか)【1678-1735】
祖父 勝忠・父 勝岑→水野勝忠・勝岑・勝直の系図
祖父 奥田忠虎→奥田忠虎の系図
妻 水野忠明の娘
妻の父 水野忠明→水野吉勝~勝之・吉政~勝行の系図
子の夫 間宮兼澄→間宮兼澄の系図
子の夫 増山政美→増山政美の系図
水野忠寄(ただより)【1715-1775】
妻 本間季光の娘
妻の父 本間季光→本間季光の系図
妻 黒川盛章の娘
妻の父 黒川盛章→黒川盛章の系図
夫 篠山光官→篠山光官の系図
妻 水野勝彦の娘
妻の父 水野勝彦→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
子 勝久(かつひさ)/忠久(ただひさ)
子の妻 辻富守の娘
子の妻の父 辻富守→辻富守の系図
子の妻の夫 都筑為房→都筑為房の系図
孫 勝久の娘〔養父:水野忠通〕
子の夫 朽木徳綱→朽木徳綱の系図
子の夫 水野勝羨→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
水野忠通(ただゆき)【1747-?】
妻 鳥居忠雄の娘
妻の父 鳥居忠雄→鳥居成勝~成純の系図
夫 本多重守→本多重勝~正照の系図
妻 秋月種蔭の娘
妻の父 秋月種蔭→秋月種蔭の系図
夫 蔭山広賢→蔭山広賢の系図
子 飯田直好〔養父:飯田恒徳〕→飯田直好の系図
子の夫 高田政武→高田政武の系図
子の夫 朝倉景岡→朝倉景岡の系図
水野忠一(ただかず)【1782-?】
妻 松平忠勧の娘
妻の父 松平忠勧→松平伊行~忠勧の系図
水野勝宥(かつひろ)【1676-1737】
子 佐久間盛庸〔養父:佐久間勝忠〕→佐久間盛庸の系図
子の夫 佐々木俊秀→佐々木俊秀の系図
水野勝尹(かつただ)【1720-1757】
妻 井出正相の娘
妻の父 井出正相→井出正相の系図
水野勝親(かつちか)【1742-?】
妻 水野勝美の娘
妻の父 水野勝美→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
子の夫 井出正参→井出正参の系図
子の夫 田辺庸定→田辺庸定の系図
子の夫 小長谷時昉→小長谷時昉の系図
水野勝興(かつおき)/忠郁(たださと)/成武(なりたけ)【1771-?】
妻 中田正喜の娘
妻の父 中田正喜→中田正喜の系図
水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
水野勝彦(かつよし)【1686-1740】
祖父 勝忠・父 勝直→水野勝忠・勝岑・勝直の系図
妻 高山利勝の娘
妻の父 高山利勝→高山利勝の系図
子の夫 松平勝周→松平勝周の系図
子の夫 水野忠寄→水野勝隆~忠一・勝宥~勝興の系図
水野勝澄(かつずみ)【1714-1769】
妻 武田信胤の娘
妻の父 武田信胤→武田信貞~信親・川窪信慈~信睦の系図
水野勝羨(かつなか)【1733-?】
実は松平康郷(→松平忠充~康豊の系図)の子。
妻 水野忠寄の娘
実は水野勝行(→水野吉勝~勝之・吉政~勝行の系図)の娘。
妻の父 水野忠寄→水野勝隆~忠一・勝宥~勝興の系図
子の夫 大久保忠移→大久保忠移の系図
子の夫 京極高〓(「虫」+「鬲」)→京極高住・水野善興~京極高〓の系図
子の夫 朽木金綱→朽木宣綱・良綱~金綱の系図
水野勝善(かつよし)【1759-?】
妻 土岐頼久の娘
妻の父 土岐頼久→土岐頼親~頼栄の系図
水野勝英(かつひで)【1689-1756】
祖父 仙石政俊→仙石政俊の系図
子 勝義〔養父:水野勝美〕
子の夫 鶴見直泰→鶴見直泰の系図
水野勝美(かつよし)【1716-1796】
子の夫 水野勝親→水野勝隆~忠一・勝宥~勝興の系図
水野勝義(かつのり)
実は水野勝英の子。
妻 諏訪頼定の娘
妻の父 諏訪頼定→諏訪頼定の系図
子の夫 長田忠成→長田忠勝~忠成の系図
水野勝順(かつゆき)【1773-?】
妻 藤懸永忠の娘
妻の父 藤懸永忠→藤懸永忠の系図
水野勝種~勝庸の系図
水野勝種(かつたね)/勝慶(かつよし)【1661-1697】
福山藩主。
祖父 勝俊・父 勝貞→水野勝成~勝貞の系図
妻 酒井忠清の娘【?-1742】
妻の父 酒井忠清→酒井忠世~忠清の系図
妻 甲田氏
子 カネ【1692-1694】
母は『華族系譜』による。
妻 藤井氏
子 秋津虎千代【1696-1697】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 数馬【1688-1689】
子 伊織【1688-1689】
子 藤十郎【1688-1690】
子 百助【?-1697】
子 千菊【1697】
子 八重【1684-1686】(『華族系譜』による。)
子 由多【1684-1685】(『華族系譜』による。)
水野勝岑(かつみね)【1697-1698】
福山藩主。跡継ぎがいないまま病死した。
水野勝長(かつなが)【1679-1703】
能登国西谷藩主・下総国結城藩主。実は水野勝直(→水野勝忠・勝岑・勝直の系図)の子。断絶した福山藩主の家を継いだ。
妻 内田正衆の娘【?-1701】
妻の父 内田正衆→内田正信~正偏の系図
水野勝政(かつまさ)【1685-1745】
結城藩主。実は水野勝直(→水野勝忠・勝岑・勝直の系図)の子。
妻 風早公長の娘【?-1715】
妻の父 風早公長→風早実種~公紀の系図
子 結【?-1709】(『華族系譜』による。)
子 升【?-1719】(『華族系譜』による。)
妻 伊藤氏
子 市→植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図
子 道→生駒親賢の系図
妻 北村氏
子 勝盛(かつもり)【1720-1739】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 勝前〔養父:水野勝庸〕→水野勝前~勝寛の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 勝珍(かつもり)【1728-1744】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 倫→松平直堅~直好の系図
子 犬【?-1720】(『華族系譜』による。)
妻 青山氏
子 結【?-1729】(『華族系譜』による。)
子 槌→大田原扶清・友清の系図
水野勝庸(かつのぶ)【1718-1749】
結城藩主。
妻 榊原政邦の娘【?-1744】
妻の父 榊原政邦→榊原政邦の系図
子 勝庸の息子【1744】(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 風早実積の娘【?-1753】
妻の父 風早実積→風早実種~公紀の系図
子 勝前・孫 勝起→水野勝前~勝寛の系図
水野勝前~勝寛の系図
水野勝前(かつちか)【1724-1763】
結城藩主。実は水野勝政(→水野勝種~勝庸の系図)の子。
祖父 勝政・父 勝庸→水野勝種~勝庸の系図
妻 内藤信輝の娘【?-1756】
妻の父 内藤信輝→内藤信良~信輝の系図
夫 加藤明経→加藤明経の系図
子 勝前の娘【1755】(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 森野氏
子 勝盈(かつみつ)【1761-1831】
子 稲葉正衡〔養父:稲葉正陽、井上正盈〕→稲葉正衡の系図
子 友→林忠久・忠篤の系図
水野勝起(かつおき)【1745-1783】
結城藩主。
妻 松平忠名の娘【?-1774】
妻の父 松平忠名→松平忠名の系図
妻 小笠原篤/綱【1750-1787】
小笠原長逵(→小笠原長勝~長逵の系図)の娘。
子 栄/茂【1779-1794】
母は『華族系譜』による。水野勝剛に嫁ぐ予定であった。
子 鑓→大岡忠恒~忠敬の系図
水野勝剛(かつかた)【1760-1834】
結城藩主。実は中川久貞(→中川久貞~久成の系図)の子。
妻 久保氏
子 勝敬【1794-1850】
子 昌→須田盛興の系図
子 鷹【1789-1858】
妻 板東氏
子 偕【1798-1817】(『華族系譜』による。)
妻 山本氏
子 沢【1813-?】(『華族系譜』による。)
妻 名和氏
子 錬【1825-?】(『華族系譜』による。)
水野勝愛(かつちか)【1780-1837】
結城藩主。
妻 青山幸完の娘【?-1840】
妻の父 青山幸完→青山幸完~幸宜の系図
子 鍋五郎【1803-1809】
母は『華族系譜』による。
子 粛之丞【1807】(『華族系譜』による。)
子 硯→松平信志~信正の系図
子 俊【1805-1830】
母は『華族系譜』による。
子 万世【1809-1812】(『華族系譜』による。)
妻 河内氏
子 雄之進【1804-1827】(『華族系譜』による。)
妻 浅野氏
子 勝彬【1818-1846】(『華族系譜』による。)
子 勝廉【1822-?】(『華族系譜』による。)
水野勝進(かつゆき)【1817-1873】(以下、『華族系譜』による。)
結城藩主。
妻 植村家教の娘【?-1846】
妻の父 植村家教→植村家道~家壺の系図
子 多鶴【1840-1841】
子 鉚【1841-1844】
子 鈞【1843-1844】
子 賽【1845-1854】
水野勝任に嫁ぐ予定であった。
妻 堀親寚の娘
妻の父 堀親寚→堀親寚の系図
妻 中村氏
子 勝寛〔養父:水野勝知〕
孫 忠愛
実は水野忠固の子。
子 鋹【1857-1870】
子 寿【1861-?】
水野勝任(かつとう)【1840-1862】
結城藩主。実は水野忠央(→水野忠啓~忠幹の系図)の子。
妻 松平乗利の娘
妻の父 松平乗利→松平乗穏~乗謨の系図
子 牛息丸【1861-1862】
水野勝知(かつとも)/富以【1838-1919】
結城藩主。実は丹羽長富(→丹羽長富の系図)の子。新政府軍に敗れて隠居に追い込まれた。
妻 堀治
堀直格(→堀直皓~直明の系図)の娘。
妻 内藤作
実は内藤政民(→内藤貞幹~政憲の系図)の娘。
妻の父 内藤政恒→内藤貞幹~政憲の系図
水野勝寛(かつひろ)【1856-1873】
結城藩主。実は水野勝進の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。