このページでは、石川氏(清和源氏・義時流)・総長流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
石川氏・総長流(常陸国下館藩主)の略系図
1 総長→石川総長~総陽の系図
2-A 忠明→大久保忠明~石川総集の系図
5 総候→石川総候~総管の系図
石川総長~総陽の系図
石川総長(ふさなが)【1605-1661】
伊勢国神戸藩主。
祖父 家成→石川家成の系図
父 忠総→石川忠総~義孝の系図
祖父 堀尾吉晴→堀尾吉晴の系図
妻 加々爪忠澄の娘
妻の父 加々爪忠澄→加々爪忠澄の系図
子 加々爪直清〔養父:加々爪直澄〕→加々爪直清の系図
子の夫 斎藤三賢→斎藤三賢の系図
子の夫 菅谷政照→菅谷政照の系図
石川総良(ふさよし)【1642-1685】
神戸藩主。
妻 石川廉勝の娘
妻の父 石川廉勝→石川忠総~義孝の系図
妻 本多忠義の娘
妻の父 本多忠義→本多忠義・忠以の系図
子 大久保忠明・孫 総比→大久保忠明~石川総集の系図
子の夫 近藤徳用→近藤徳用の系図
石川総茂(ふさしげ)【1671-1733】
神戸藩主・常陸国下館藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。徳川家重の側用人を務めた。
妻 石川昌能の娘
妻の父 石川昌能→石川忠総~義孝の系図
子 友次郎【?-1708】
石川総陽(ふさはる)/尹要(ただのり)/教賢(のりかた)【1693-1744】
下館藩主。実は大久保忠増(→大久保忠増の系図)の子。
子 総候・孫 総弾→石川総候~総管の系図
大久保忠明~石川総集の系図
大久保忠明(ただあきら)【1673-1692】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 総長・父 総良→石川総長~総陽の系図
大久保総比(ふさちか)/武伴(たけとも)【1689-1730】
実は石川総昌(→石川総氏~総朋の系図)の子。
子 石川総共〔養父:石川総朗〕→石川総氏~総朋の系図
子 石川総候〔養父:石川総陽〕→石川総候~総管の系図
子 細井勝名〔養父:細井勝尚〕→細井勝名の系図
子の夫 石河七蔵→石河七蔵の系図
子の夫 今大路元勲→今大路元勲の系図
子の夫 神尾元経→神尾元経の系図
孫 隠岐義知〔養父:隠岐義栄〕→隠岐義知の系図
石川総朋(ふさとも)【1712-1773】
石川総相(ふさすけ)【1736-?】
妻 木下利潔の娘
妻の父 木下利潔→木下利潔の系図
石川総彬(ふさよし)/文実(のりさね)【1761-1792】
実は細川興文(→細川興文の系図)の子。
妻 石川総相の娘
実は石川総候(→石川総候~総管の系図)の娘。
石川総集(ふさなり)【1782-?】
妻 石川総般の娘
妻の父 石川総般→石川総候~総管の系図
石川総候~総管の系図
石川総候(ふさとき)【1718-1770】
下館藩主。実は大久保総比(→大久保忠明~石川総集の系図)の子。
祖父 総茂・父 総陽→石川総長~総陽の系図
妻 大久保忠方の娘
妻の父 大久保忠方→大久保忠方の系図
子 総孝(ふさたか)【1746-1769】
子の妻 三浦明次の娘
子の妻の父 三浦明次→三浦明敬~明次の系図
子 総賢(ふさかた)【1746-1763】
子 総般〔養父:石川総弾〕
子 総候の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
横瀬貞臣に嫁ぐ予定であった。
子の夫 土方雄年→土方雄年の系図
子の夫 水野忠実→水野重上~忠実の系図
孫 範明→水野範明の系図
子の夫 石川総彬(『寛政重修諸家譜』による。)→大久保忠明~石川総集の系図
石川総弾(ふさただ)【1755-1795】
下館藩主。
妻 石川総慶の娘
妻の父 石川総慶→石川総慶~総博の系図
子 金之丞(『石川家譜(常陸下館)』による。)
子 総弾の娘〔養父:石川総般〕
石川総般(ふさつら)【1757-1802】
下館藩主。実は石川総候の子。
子 総承〔養父:石川総親〕
子 総安〔養父:石川総佐〕→石川総師~成之の系図
子 鉄喜千(『石川家譜(常陸下館)』による。)
子の夫 水野元貞→水野分長~元貞の系図
子の夫 石川総集→大久保忠明~石川総集の系図
石川総親(ふさちか)/忠朝(ただとも)【1788-1808】
下館藩主。実は牧野忠精(→牧野忠精の系図)の子。
妻 石川総般の娘
実は石川総弾の娘。
石川総承(ふさつぐ)【1796-1865】(以下、『石川家譜(常陸下館)』による。)
下館藩主。実は石川総般の子。
妻 青山幸孝の娘
妻の父 青山幸孝→青山幸完~幸宜の系図
子 総詮〔養父:石川総儔〕
石川総貨(ふさとみ)【1819-1849】
下館藩主。二宮尊徳を招き、農村復興などに努めた。
妻 加納久儔の娘
妻の父 加納久儔→加納久儔の系図
子 充子→松平乗穏~乗謨の系図
子の夫 大久保忠礼→大久保忠礼の系図
石川総管(ふさかね)【1841-1899】
下館藩主。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。