このページでは、小笠原氏(清和源氏・義光流)・光康流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
小笠原氏・光康流(越前国勝山藩主)の略系図
1 光康→小笠原光康~信貴の系図
5-A 長臣→小笠原長臣~長著の系図
6 信嶺→小笠原信嶺~貞信・信政の系図
7-A 信由・信凭→小笠原信由~信将・信凭~直信の系図
10 信辰→小笠原信辰~長守の系図
小笠原光康~信貴の系図
小笠原光康(みつやす)【1415-1461】
信濃国伊那松尾を領し、小笠原持長と争った。
祖父 長基・父 政康→小笠原貞宗~政康の系図
子 光長(『寛政重修諸家譜』による。)
小笠原家長(いえなが)【?-1490】(以下、『系図纂要』による。)
子 貞朝(『寛政重修諸家譜』による。)
小笠原定基(さだもと)【?-1511】
小笠原貞忠(さだただ)【?-1550】
妻 小笠原貞朝の娘
妻の父 小笠原貞朝→小笠原持長~貞朝の系図
小笠原信貴(のぶたか)【?-1579】
子 信嶺・孫 信之→小笠原信嶺~貞信・信政の系図
子 長臣・孫 長泰→小笠原長臣~長著の系図
子の夫 井上兵庫(『寛政重修諸家譜』による。)
小笠原長臣~長著の系図
小笠原長臣(ながおみ)【1551-1634】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 貞忠・父 信貴→小笠原光康~信貴の系図
妻 武田信実の娘
妻の父 武田信実→武田信実~川窪信雄の系図
子 鷲千代【1600-1621】
子 泰政/長三
小笠原長泰(ながやす)【1595-1676】
妻 知久則直の娘
妻の父 知久則直→知久則直の系図
小笠原長朝(ながとも)【1642-1715】
実は知久直政(→知久直政の系図)の子。
子の夫 水野守美→水野守正~守美の系図
子の夫 座光寺為勝→座光寺為勝の系図
小笠原長貞(ながさだ)【1669-1721】
妻 知久昌直の娘
妻の父 知久昌直→知久昌直の系図
小笠原長暉(ながてる)【1706-1739】
妻 水野忠直の娘
妻の父 水野忠直→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
子 長暉の娘〔養父:木下氏〕
子の夫 佐久間信之→佐久間信之の系図
小笠原長孝(ながたか)【1724-1775】
妻 堀親蔵の娘
妻の父 堀親蔵→堀親蔵の系図
子 長著〔養父:小笠原長煕〕
妻 松村氏
子 座光寺為寿〔養父:座光寺為礥〕→座光寺為寿の系図
子の夫 松平信言→松平信言の系図
小笠原長煕(ながひろ)【1743-?】
小笠原長著(ながあきら)【1758-?】
実は小笠原長孝の子。
妻 中島勝英の娘
妻の父 中島勝英→中島勝英の系図
子 長計
実は松平親宝(→松平親宝の系図)の子。
小笠原信嶺~貞信・信政の系図
小笠原信嶺(のぶみね)【1547-1598】
信濃国松尾城主。織田信長・徳川家康に仕えた。
祖父 貞忠・父 信貴→小笠原光康~信貴の系図
妻 武田信綱の娘
妻の父 武田信綱→武田信縄・信虎の系図
子の夫 榊原忠勝→榊原忠勝の系図
小笠原信之(のぶゆき)【1570-1614】
下総国古河藩主。実は酒井忠次(→酒井氏忠~忠次の系図)の子。
妻 小笠原信嶺の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 青山幸成→青山幸成~幸実の系図
子の夫 高木貞勝→高木貞勝の系図
子の夫 水野忠貞→水野忠貞の系図
小笠原政信(まさのぶ)/忠貴(ただたか)【1607-1640】
古河藩主・下総国関宿藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 板倉重昌の娘
妻の父 板倉重昌→板倉重昌~重種の系図
子 源七郎【1633-1635】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 織田信昌→織田信昌の系図
子の夫 中院通茂→中院通茂~通枝の系図
小笠原貞信(さだのぶ)【1631-1714】
関宿藩主・美濃国高須藩主・越前国勝山藩主。実は高木貞勝(→高木貞勝の系図)の子。
妻 小笠原政信の娘【1631-1649】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 遠藤慶利の娘
妻の父 遠藤慶利→遠藤慶利の系図
子 式部【1670-1674】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 清信(きよのぶ)【1660-1716】
子 信秀(のぶひで)【1661-1693】
子の妻 井伊直武の娘
子の妻の父 井伊直武→井伊直勝~直員の系図
孫 信辰〔養父:小笠原貞信〕→小笠原信辰~長守の系図
孫の夫 高木衛貞→高木衛貞の系図
孫の夫 高木守勝(『寛政重修諸家譜』による。)→高木守勝の系図
子 貞政(さだまさ)【1680-1690】
子 信辰・孫 信成→小笠原信辰~長守の系図
子 貞信の娘【1648-1654】
子の夫 秋山正輔→秋山正輔の系図
小笠原信政(のぶまさ)/貞利(さだとし)【1608-1677】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 信由・信凭→小笠原信由~信将・信凭~直信の系図
子 通勝/信安〔養父:天方通次〕
子の夫 滝川一俊→滝川一俊の系図
小笠原信由~信将・信凭~直信の系図
小笠原信由(のぶよし)/知信(とものぶ)【1731-1700】
祖父 信之・父 信政→小笠原信嶺~貞信・信政の系図
妻 真田信勝の娘
妻の父 真田信勝→真田信勝の系図
子 酒井忠雄〔養父:酒井忠高〕→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
子 真田信豊〔養父:真田信利〕→真田信豊の系図
子の夫 酒井近治→酒井近治の系図
小笠原充信(みつのぶ)【1668-1702】
妻 夏目吉成の娘
妻の父 夏目吉成→夏目吉成の系図
小笠原信親(のぶちか)【1697-1754】
妻 宮原氏義の娘
妻の父 宮原氏義→宮原氏義の系図
妻 戸田忠位の娘
妻の父 戸田忠位→戸田忠重~直準の系図
子 花房正芳〔養父:花房正為〕→花房正芳の系図
子 信寿〔養父:野村寿〕
子 夏目為直〔養父:夏目直時〕→夏目為直の系図
子 信満〔養父:山本高輔〕
小笠原信安(のぶやす)【1723-1773】
小笠原信将(のぶまさ)【1740-?】
実は小笠原信用(→小笠原長住~信編の系図)の子。
妻 岡田善慶の娘
妻の父 岡田善慶→岡田善慶の系図
妻 向井政使の娘
妻の父 向井政使→向井政使の系図
妻 千種惟忠の娘
妻の父 千種惟忠→千種惟忠の系図
小笠原信凭(のぶより)/忠晴(ただはる)【1637-1715】
子 真田信紀〔養父:真田信豊〕→真田信紀の系図
小笠原信重(のぶしげ)【1673-1740】
妻 天方致通の娘
妻の父 天方致通→天方致通の系図
子の夫 松平忠郷→松平伊行~忠勧の系図
小笠原信征(のぶただ)【1710-1751】
実は山本正武(→山本正武の系図)の子。
妻 真田信紀の娘
妻の父 真田信紀→真田信紀の系図
小笠原信興(のぶおき)【1735-?】
妻 柘植晃正の娘
妻の父 柘植晃正→柘植晃正の系図
夫 富永泰房→富永泰房の系図
子 信興の娘【1781-1785】
実は小笠原信房(→小笠原信辰~長守の系図)の娘。
小笠原直信(なおのぶ)【1767-?】
妻 小笠原信房の娘
妻の父 小笠原信房→小笠原信辰~長守の系図
妻 長田繁趬の娘
妻の父 長田繁趬→長田重政~繁茂の系図
小笠原信辰~長守の系図
小笠原信辰(のぶとき)【1686-1736】
勝山藩主。実は小笠原信秀(→小笠原信嶺~貞信・信政の系図)の子。城主格を回復したが、勝山城の完成を見ることなく亡くなった。
祖父 政信・父 貞信→小笠原信嶺~貞信・信政の系図
妻 水野忠直の娘
妻の父 水野忠直→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
子 信辰の息子【1719】(『小笠原家譜(越前勝山)』による。)
子 信房〔養父:小笠原信胤〕
子 信辰の娘【1723-1738】〔養父:小笠原主馬〕(『小笠原家譜(越前勝山)』による。)
子 信辰の娘〔養父:小笠原信胤〕(『小笠原家譜(越前勝山)』による。)
小笠原信成(のぶなり)【1705-1730】
勝山藩主。実は酒井忠隆(→酒井忠知~忠倪の系図)の子。
妻 小笠原信辰の娘【1718-1735】
母は『寛政重修諸家譜』による。
小笠原信胤(のぶたね)【1715-1745】
勝山藩主。実は本多忠統(→本多忠恒・忠統の系図)の子。
妻 永井直陳の娘
妻の父 永井直陳→永井直陳~尚服の系図
夫 大久保忠烈→大久保忠烈の系図
夫 松平近輝→松平近明~直巳の系図
子の夫 高木篤貞→高木篤貞の系図
小笠原信房(のぶふさ)【1733-1794】
勝山藩主。実は小笠原信辰の子。
妻 伊達村候の娘
実は堀川広益(→堀川広益の系図)の娘。
妻の父 伊達村候→伊達村候の系図
子 信房の娘【1763】(『小笠原家譜(越前勝山)』による。)
子 豊次郎【1758-1760】
子 信賢(のぶかた)【1767-1795】
子 花房正方〔養父:花房正芳〕→花房正方の系図
子 信利【1774-1789】(『小笠原家譜(越前勝山)』による。)
子 彦弥【1775-1778】(『小笠原家譜(越前勝山)』による。)
子 孫次【1778-1779】(『小笠原家譜(越前勝山)』による。)
子 信房の娘【1766】(『小笠原家譜(越前勝山)』による。)
子 信房の娘【1766】(『小笠原家譜(越前勝山)』による。)
子 信房の娘〔養父:小笠原信興〕→小笠原信由~信将・信凭~直信の系図
子の夫 福島正聖→福島正聖の系図
子の夫 知久頼福→知久頼福の系図
子の夫 小笠原直信→小笠原信由~信将・信凭~直信の系図
子の夫 有馬広春→有馬広春の系図
小笠原長教(ながみち)/信愛(のぶよし)【1760-1799】
勝山藩主。
妻 中川充
中川久貞(→中川久貞~久成の系図)の娘。
夫 大久保忠顕→大久保忠顕の系図
子 長教の息子【1789】(『小笠原家譜(越前勝山)』による。)
小笠原長貴(ながたか)【1793-1840】
勝山藩主。
妻 酒井忠道の娘
妻の父 酒井忠道→酒井忠以・忠道の系図
子 長為(『華族系譜』による。)
子の夫 森長国→森長国の系図
小笠原長守(ながもり)【1834-1891】
勝山藩主。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。