高須松平家(清和源氏・義国流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、高須松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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高須松平家(美濃国高須藩主)の略系図

高須松平家の略系図

1 義行松平義行・義孝の系図
3 義淳徳川宗勝の系図
4 義敏松平義敏~義和の系図
10 義建松平義建~義生の系図

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松平義行・義孝の系図

松平義行・義孝の系図

  松平義行(よしゆき)【1656-1715】
 美濃国高須藩主。

祖父 義直徳川義直の系図
 光友徳川光友の系図
祖父 徳川家光徳川家光・家綱の系図

 毛利綱広の娘
妻の父 毛利綱広毛利秀就~吉広の系図

 榊原松
 榊原政房(→榊原政房の系図)の娘。
 蜂須賀綱通蜂須賀光隆~綱矩の系図

 源次郎【?-1687】
 弁之助【?-1701】
 武雅〔養父:松平清武〕→松平清武・武雅の系図


  松平義孝(よしたか)【1694-1732】
 高須藩主。実は徳川綱誠(→徳川綱誠の系図)の子。
 本庄資俊の娘
妻の父 本庄資俊→本庄資俊の系図

 義淳徳川宗勝の系図
 義敏松平義敏~義和の系図

 元姫松平頼寛~頼之の系図

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松平義淳の系図

  松平義淳/徳川宗勝→徳川宗勝の系図
 高須藩主。後に宗家の名古屋藩を継いだ。

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松平義敏~義和の系図

松平義敏~勝当の系図

  松平義敏(よしとし)【1734-1771】
 高須藩主。

祖父 義孝松平義行・義孝の系図
 義淳徳川宗勝の系図

 松平幾姫
 松平頼寛(→松平頼寛~頼之の系図)の娘。
 義裕〔養父:松平義柄〕
 純姫→上杉治広の系図

 裕民【1770-1786】


  松平義柄(よしえ)/治行(はるゆき)【1760-1793】〔養父:徳川宗睦(→徳川宗睦~義宜の系図)〕
 高須藩主。
 徳川従姫【1757-1804】
 徳川宗将(→徳川宗将の系図)の娘。
 五郎太【1781-1794】

 岡本れよ
 厚子【1780-1792】


  松平義裕(よしひろ)【1762-1795】
 高須藩主。実は松平義敏の子。
 徳川時姫【1754-1786】
 徳川宗翰(→徳川宗翰の系図)の娘。


  松平勝当(かつまさ)【1737-1801】
 高須藩主。実は徳川宗勝(松平義淳)(→徳川宗勝の系図)の子。
 佐合三津
 久之丞【1769-1771】

 中島世野
 静子近衛経煕~忠房の系図


  松平義居(よしすえ)【1785-1804】
 高須藩主。実は一橋治済(→一橋治済の系図)の子。


  松平義和(よしより)【1776-1832】
 高須藩主。実は徳川治保(→徳川治保の系図)の子。
 義質【1796-1809】
 義建 義比松平義建~義生の系図
 遠藤胤昌〔養父:遠藤胤統〕→遠藤胤昌の系図
 宣姫松平近明~直巳の系図

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松平義建~義生の系図

松平義建~義生の系図

  松平義建(よしたつ)【1799-1862】
 高須藩主。

祖父 義居 義和松平義敏~義和の系図

 徳川規姫【1797-1851】
 徳川治紀(→徳川治紀・斉脩の系図)の娘。
 徳川慶勝〔養父:徳川慶臧〕→徳川宗睦~義宜の系図
 武成〔養父:松平武揚〕→松平武元~武聡の系図

 古森氏
 容保〔養父:松平容敬〕→松平容住~容大の系図
 義勇〔養父:松平義端〕

 今西氏
 定敬〔養父:松平猷〕→松平定永~定教の系図

 幸姫→上杉茂憲の系図


  松平義比/徳川茂徳→徳川宗睦~義宜の系図
 高須藩主。後に宗家の名古屋藩を継いだ。


  松平義端(よしまさ)【1858-1860】
 高須藩主。


  松平義勇(よしたけ)【1859-1891】
 高須藩主。実は松平義建の子。


  松平義生(よしなり)/英周(ふさちか)/義周(よしちか)【1855-1920】
 高須藩主。実は小出英教(→小出英教の系図)の子。
 徳川道姫【1856-1875】〔養父:松平義勇〕
 徳川慶勝(→徳川宗睦~義宜の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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