このページでは、橋本家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
橋本家(羽林家)の略系図
1 実俊→橋本実俊~公国の系図
7 公夏→橋本公夏~実村の系図
11 季村→橋本季村~実文の系図
15 実理→橋本実理~実梁の系図
橋本実俊~公国の系図
橋本実俊(さねとし)【1260-1341】
参議。橋本家の祖。
祖父 実氏→西園寺実氏の系図
父 公相→西園寺公相の系図
祖父 園基氏→園基氏~基藤の系図
子 性玄〔養父:西園寺実兼(→西園寺実兼の系図)〕(『系図纂要』による。)
子 一条局→後宇多天皇の系図
子 遊義門院一条局→後醍醐天皇の系図
子の夫 園基藤→園基氏~基藤の系図
子の夫 六条有忠→六条通有~有定の系図
橋本季経/俊季
従三位。『橋本家譜』では季経と俊季を別人とする。
橋本実澄【1331-1373】
権中納言。
橋本公音【?-1405】
権中納言。
子 実淳(以下、『橋本家譜』による。)
孫 実淳の息子〔養父:西園寺公名(→西園寺実俊~実遠の系図)〕
橋本実郷【1387-?】〔養子:橋本公夏(→橋本公夏~実村の系図)〕
権大納言。
橋本公国【1417-1469】
権中納言。
子 公夏・孫 公松→橋本公夏~実村の系図
橋本公夏~実村の系図
橋本公夏【1454-1538】
権中納言。実は一条実久(→一条公有~清水谷公栄の系図)の子。養父は橋本実郷(→橋本実俊~公国の系図)とも。
祖父 実郷・父 公国→橋本実俊~公国の系図
子 季宗(以下、『系図纂要』による。)
孫 季景【?-1634】
曾孫 実村〔養父:橋本実勝〕
曾孫 梅園実清→梅園実清~久季の系図
孫 季宗の娘(『橋本家譜』による。)
子 実勝(『系図纂要』による。)
実は一条公松の子。
橋本公松/一条公松〔養父:一条実久〕(以下、『系図纂要』による。)→一条公有~清水谷公栄の系図
橋本実勝〔養父:橋本公夏〕【?-1588】
子 梅園実清・孫 友清→梅園実清~久季の系図
子の夫 進成政(『寛政重修諸家譜』による。)→進成村~成美の系図
橋本実村【1598-1664】〔養子:橋本公綱(→橋本季村~実文の系図)〕
権中納言。実は橋本季景の子。
妻 花山院定煕の娘【?-1671】
妻の父 花山院定煕→花山院定煕・定好の系図
子 季村・孫 公綱→橋本季村~実文の系図
子の夫 万里小路綱房→万里小路輔房~綱房の系図
孫 雅房→万里小路雅房~尚房の系図
子の夫 葉室頼業→葉室頼業~頼要の系図
子 実村の娘(『橋本家譜』による。)
橋本季村~実文の系図
橋本季村【1627-1648】
祖父 実勝・父 実村→橋本公夏~実村の系図
祖父 花山院定煕→花山院定煕・定好の系図
子 季村の娘(『橋本家譜』による。)
実は万里小路雅房(→万里小路雅房~尚房の系図)の娘。
橋本公綱【1648-1674】〔養父:橋本実村(→橋本公夏~実村の系図)〕
実は葉室頼業(→葉室頼業~頼要の系図)の子。
妻 大炊御門長子
大炊御門経敦(→大炊御門経敦~経音の系図)の娘。
子 公綱の娘(『橋本家譜』による。)
橋本実松【1672-1732】
権中納言。実は葉室頼孝(→葉室頼業~頼要の系図)の子。
妻 七条隆豊の娘
妻の父 七条隆豊→七条隆脩~信睦の系図
子 葉室頼胤〔養父:葉室頼重〕→葉室頼業~頼要の系図
子 穂波尚明〔養父:穂波晴宣〕→穂波経尚~経度の系図
子 鷹子(『橋本家譜』による。)
子 元子〔養父:万里小路稙房(→万里小路稙房~通房の系図)〕(『橋本家譜』による。)
妻 鷲尾隆量の娘
妻の父 鷲尾隆量→鷲尾隆尚~隆尹の系図
橋本実文/実照【1704-1779】
権大納言。
妻 岡崎国久の娘
妻の父 岡崎国久→岡崎宣持~国有の系図
子 実氏【1735-1753】
子 実理・孫 実誠→橋本実理~実梁の系図
子 実文の娘(『橋本家譜』による。)
子の夫 梅園実縄(『橋本家譜』による。)→梅園実縄~実静の系図
橋本実理~実梁の系図
橋本実理/寿季【1726-1798】
権大納言。実は西園寺致季(→西園寺実晴~致季の系図)の子。
祖父 実松・父 実文→橋本季村~実文の系図
子 実理の娘(『橋本家譜』による。)
子の夫 山本公逵→山本勝忠~実政の系図
橋本実誠【1758-1817】
権中納言。
妻 花山院常雅の娘
妻の父 花山院常雅→花山院定誠~家理の系図
子 理子・勝子(『橋本家譜』による。)
橋本実久【1790-1857】
権大納言。
子 小倉長季〔養父:小倉輔季〕・子 季子→小倉煕季~長季の系図
子 孝実(『橋本家譜』による。)
子 裏辻公篤〔養父:裏辻実孚〕→裏辻季福~実脩の系図
子 経子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 婉子→八条隆英~隆声の系図
子 久子・観朗・了照(『橋本家譜』による。)
橋本実麗(さねあきら)【1809-1882】
権大納言。
妻 萩原員維の娘
妻の父 萩原員維→萩原員維の系図
子 麗子(『橋本家譜』による。)→東坊城恒長~夏長の系図
子 松子(『橋本家譜』による。)→池尻栄房~胤房の系図
子 夏子(『橋本家譜』による。)
橋本実梁(さねやな)【1834-1885】
実は小倉輔季(→小倉煕季~長季の系図)の子。
妻 谷衛昉の娘
妻の父 谷衛昉→谷衛秀~衛滋の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。