岡部氏(藤原氏南家・乙麿流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、岡部氏(藤原氏南家・乙麿流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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岡部氏(和泉国岸和田藩主)の略系図

岡部氏の略系図

1 泰綱岡部泰綱~正綱の系図
14 長盛岡部長盛の系図
14-A1 与賢岡部与賢~美勝の系図
14-A2 長良岡部長良~盛昌の系図
14-B 定直岡部定直~長貴の系図

15 宣勝岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
15-A 豊明岡部豊明~豊矩の系図
15-B 直好岡部直好~直温の系図

17 長泰岡部長泰・長敬の系図
18-A 長晧岡部長晧~長教の系図

19 長著岡部長著~長備の系図
23 長慎岡部長慎~長職の系図

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岡部泰綱~正綱の系図

岡部泰綱~正綱の系図

  岡部泰綱(やすつな)

祖父 維綱 清綱工藤維清の系図

 忠澄(ただずみ)【?-1197】(『系図纂要』による。)
 一の谷の戦いで平忠度を討った。


  岡部忠綱(ただつな)


  岡部長綱(ながつな)(以下、『系図纂要』による。)
 『岡部家譜』によれば父は岡部時綱。


  岡部家綱(いえつな)


  岡部康綱(やすつな)【?-1335】


  岡部照綱(てるつな)
 『岡部家譜』によれば、「照綱─明綱─永綱─春綱─俊綱─仲綱─親綱─信綱─正綱」。


  岡部時綱(ときつな)


  岡部良喜(さだよし)


  岡部常憲(つねのり)
 長秋(ながあき)【?-1570】
 長教(ながのり)/真幸/真行【?-1581】
 今川義元の家臣。桶狭間の戦いでは鳴海城を守った。後に武田信玄に仕え、高天神城主となったが、徳川家康に攻められて討ち死にした。
子の夫 伊丹康直→伊丹康直の系図


  岡部正綱(まさつな)【1542-1583】
 今川氏の家臣。その後、武田信玄に仕え、さらに徳川家康に従い、甲斐平定で活躍した。
 長盛岡部長盛の系図
 宣勝岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
 与賢岡部与賢~美勝の系図
 定直岡部定直~長貴の系図

子の夫 朝比奈宗利→朝比奈宗利の系図

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岡部長盛の系図

岡部長盛の系図

  岡部長盛(ながもり)【1568-1632】
 下総国山崎藩主・丹波国亀山藩主・丹波国福知山藩主・美濃国大垣藩主。

祖父 常憲 正綱岡部泰綱~正綱の系図

 松平清宗の娘
妻の父 松平清宗→松平清宗の系図
子の夫 鍋島勝茂→鍋島勝茂の系図

 松平康元の娘
妻の父 松平康元松平康元の系図
 宣勝 行隆 高成岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
 豊明岡部豊明~豊矩の系図
 直好岡部直好~直温の系図

 与賢 勝政岡部与賢~美勝の系図
 長良岡部長良~盛昌の系図

 長政(ながまさ)【?-1626】
子の夫 織田信則→織田信則の系図
子の夫 加藤泰興→加藤泰興の系図
子の夫 寺沢堅高→寺沢堅高の系図
子の夫 大久保教勝→大久保教勝の系図

 佳深(よしふか)/久高(ひさたか)【?-1668】
子の妻 長谷川正尚の娘
子の妻の父 長谷川正尚→長谷川正尚の系図

 嘉忠(よしただ)【?-1699】
孫の夫 池田利重→池田利重の系図

 定直 定長岡部定直~長貴の系図
 長盛の娘(『岡部家譜』による。)

岡部与賢~美勝の系図

岡部与賢~美勝の系図

  岡部与賢(ともかた)/興賢(おきかた)/長賢(ながかた)【1605-1686】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 正綱岡部泰綱~正綱の系図
 長盛岡部長盛の系図
祖父 松平康元→松平康元の系図

 三宅康信の娘
妻の父 三宅康信→三宅康信の系図
 興貞(おきさだ)【1633-1669】
子の妻 鍋島元茂の娘
 実は多茂辰の娘。
子の妻の父 鍋島元茂→鍋島元茂の系図

 右衛門【?-1667】

 長良 盛命岡部長良~盛昌の系図
子の夫 天野雄重→天野雄重の系図


  岡部勝政(かつまさ)/宣政(のぶまさ)【1640-1713】
 渡辺綱貞の娘
 実は松平三左衛門の娘。
妻の父 渡辺綱貞渡辺綱貞~徳綱・親綱~亀之助の系図
 保科正純〔養父:保科正静〕→保科正純の系図
 盛親〔養父:岡部盛明〕


  岡部盛明(もりあきら)/長庸(ながつね)【1671-1723】
 鍋島吉茂の娘
 実は鍋島光茂(→鍋島光茂の系図)の娘。
妻の父 鍋島吉茂→鍋島吉茂の系図


  岡部盛親(もりちか)【1682-1722】
 実は岡部勝政の子。


  岡部盛清(もりきよ)【1720-1739】


  岡部経盛(つねもり)/正信(まさのぶ)【1723-1760】
 実は保科正純(→保科正純の系図)の子。
 柴田康完の娘
妻の父 柴田康完→柴田康完の系図

 盛美〔養父:岡部盛真〕
 美勝〔養父:岡部盛美〕


  岡部盛真(もりざね)【1746-1773】
 松平乗佑の娘
妻の父 松平乗佑松平乗佑の系図


  岡部盛美(もりよし)【1753-1776】
 実は岡部経盛の子。


  岡部美勝(よしかつ)【1759-?】
 実は岡部経盛の子。
 戸田光為の娘
妻の父 戸田光為戸田光直~光一の系図

 盛勝
 実は岡部長備(→岡部長著~長備の系図)の子。

岡部長良~盛昌の系図

岡部長良~盛昌の系図

  岡部長良(ながよし)【1667-1727】

祖父 長盛岡部長盛の系図
 与賢岡部与賢~美勝の系図

 松平忠房の娘
 実は松平忠治(→松平忠治の系図)の娘。
妻の父 松平忠房→松平忠房の系図


  岡部盛命(もりとし)【1689-1752】
子の夫 横山氏知→横山氏知の系図
子の夫 徳永昌豊→徳永昌豊の系図


  岡部盛邑(もりさと)【1736-1776】
 岡田利信の娘
妻の父 岡田利信→岡田利信の系図
 岡田利貞〔養父:岡田利道〕→岡田利貞の系図

 竹本政道〔養父:竹本正孫〕→竹本政道の系図
子の夫 依田信旨→依田信旨の系図


  岡部盛昌(もりまさ)/長上(ながたか)【1760-?】
 岩本正利の娘
 実は大久保忠篤(→大久保忠篤の系図)の娘。
妻の父 岩本正利→岩本正利の系図

 岡田善算の娘
妻の父 岡田善算→岡田善算の系図
 岡田善宥→岡田善宥の系図

 盛昌の娘
 実は岡田善述(→岡田善述の系図)の娘。

岡部定直~長貴の系図

岡部定直~長貴の系図

  岡部定直(さだなお)/正勝(まさかつ)【1631-1683】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 正綱岡部泰綱~正綱の系図
 長盛岡部長盛の系図


  岡部定長(さだなが)【?-1705】
 実は岡部直好(→岡部直好~直温の系図)の子。
 土岐頼定の娘
妻の父 土岐頼定土岐頼親~頼栄の系図

子の夫 柳沢信孝柳沢信尹~聴信の系図


  岡部長臧(ながよし)【1692-1763】
 実は岡部宣直(→岡部直好~直温の系図)の子。
 伊東長救の娘【1702-1743】
妻の父 伊東長救伊東長昌~長救の系図
 直清〔養父:岡部直貞〕→岡部直好~直温の系図

 臧衍(よしのぶ)【1724-1747】
子の妻 武田信胤の娘
子の妻の父 武田信胤武田信貞~信親・川窪信慈~信睦の系図
子の妻の夫 花房正域→花房正域の系図

 荻原秀形〔養父:荻原秀興〕→荻原秀形の系図
子の夫 小川正倖→小川正倖の系図
子の夫 土岐頼雄土岐頼親~頼栄の系図
子の夫 加藤明邦→加藤明邦の系図
子の夫 丸毛政良→丸毛政良の系図
子の夫 青山幸延青山幸高~幸繁の系図


  岡部長説(ながとき)/臧俊(よしとし)【1730-1770】
 新庄直矢の娘
妻の父 新庄直矢→新庄直矢の系図

 太田資賢の娘
妻の父 太田資賢太田資良~資承の系図


  岡部長貴(ながたけ)【1754-?】
 近藤用随の娘
妻の父 近藤用随→近藤用随の系図

 小堀政明の娘
妻の父 小堀政明→小堀政明の系図

 長員
 実は岡部長備(→岡部長著~長備の系図)の子。
子の夫 松平乗集松平致乗~乗集の系図

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岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図

岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図

  岡部宣勝(のぶかつ)【1597-1668】
 大垣藩主・播磨国竜野藩主・摂津国高槻藩主・和泉国岸和田藩主。

祖父 正綱岡部泰綱~正綱の系図
 長盛岡部長盛の系図
祖父 松平康元松平康元の系図

 桑山元晴の娘
妻の父 桑山元晴→桑山元晴の系図
 豊明 勝栄岡部豊明~豊矩の系図
 直好 定長岡部直好~直温の系図
子の夫 松平康映松平康映~康福の系図
子の夫 朽木稙昌朽木稙昌~稙綱の系図
子の夫 内藤信全内藤信全~信義の系図

 正敦〔養父:岡部高成〕
 成俊〔養子:岡部長徳(→岡部長泰・長敬の系図)〕
 宣勝の娘(『岡部家譜』による。)


  岡部行隆(ゆきたか)【1617-1687】
 岸和田藩主。

 堀直寄の娘
 母は『華族系譜』による。
妻の父 堀直寄堀直寄~直為・直次・直定の系図
 長泰 長敬岡部長泰・長敬の系図
 国子有馬清純~孝純の系図

子の夫 堀直宥堀直良~直喜の系図
子の夫 町野幸重→町野幸重の系図


  岡部高成(たかなり)【?-1671】
 毛利千福【1626-?】
 毛利就隆(→毛利就隆・元賢の系図)の娘。


  岡部正敦(まさあつ)【1654-1719】
 実は岡部宣勝の子。
 内藤信良の娘
妻の父 内藤信良内藤信良~信輝の系図

子の夫 岡部勝栄岡部豊明~豊矩の系図


  岡部広高(ひろたか)【1700-1720】

岡部豊明~豊矩の系図

岡部豊明~豊矩の系図

  岡部豊明(とよあきら)【1633-1690】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 長盛岡部長盛の系図
 宣勝岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
祖父 桑山元晴→桑山元晴の系図

 松平忠昭の娘
妻の父 松平忠昭松平成重~近陣の系図

 左京【?-1688】
 高木清英〔養父:高木清長〕→高木清英の系図
子の夫 町野幸重→町野幸重の系図
子の夫 皆川広逵→皆川広逵の系図

 勝盈〔養父:岡部勝栄〕


  岡部勝栄(かつよし)/豊栄(とよよし)【1668-1725】
 岡部正敦の娘
妻の父 岡部正敦岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図


  岡部勝盈(かつみつ)【1697-1760】
 実は岡部充董の子。
 巨勢由利の娘
 実は中井正豊の娘。
妻の父 巨勢由利→巨勢由利の系図

 長久〔養父:岡部長豊〕
 松平正方〔養父:松平正房〕→松平正方の系図
 利寛〔養父:岡部長久〕
子の夫 伏屋為将→伏屋為将の系図
子の夫 三宅与直→三宅与直の系図
子の夫 蜂屋貞信→蜂屋貞信の系図
子の夫 中根信之→中根信之の系図
子の夫 諏訪頼庸→諏訪頼庸の系図


  岡部長豊(ながとよ)【1727-1757】


  岡部長久(ながひさ)【1741-1772】
 実は岡部勝盈の子。


  岡部利寛(としひろ)【1747-?】
 実は岡部勝盈の子。
 毛利広豊の娘
妻の父 毛利広豊毛利広豊の系図

子の夫 駒井政明→駒井政明の系図
子の夫 松平正敏→松平正敏の系図


  岡部豊矩(とよのり)【1777-?】
 岡部長備の娘
 実は岡部長房(→岡部長晧~長教の系図)の娘。
妻の父 岡部長備岡部長著~長備の系図

岡部直好~直温の系図

岡部直好~直温の系図

  岡部直好(なおよし)/孝之(たかゆき)/長隆(ながたか)【?-1705】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 長盛岡部長盛の系図
 宣勝岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
祖父 桑山元晴→桑山元晴の系図

 定長〔養父:岡部定直〕→岡部定直~長貴の系図
子の夫 脇坂安照→脇坂安照の系図
子の夫 柳沢信孝柳沢信尹~聴信の系図
子の夫 桑山一慶→桑山一慶の系図
子の夫 安部信行→安部信行の系図

 長臧〔養父:岡部定長〕→岡部定直~長貴の系図


  岡部定長(さだなが)【1680-1720】
子の夫 岡部長辰→岡部長辰の系図


  岡部直明(なおあきら)【1710-1752】
 青沼正次の娘
 実は渡辺氏の娘。
妻の父 青沼正次→青沼正次の系図

 水上正美の娘
妻の父 水上正美→水上正美の系図

 大久保忠恒の娘
妻の父 大久保忠恒→大久保忠恒の系図
 山本茂珍→山本茂珍の系図

子の夫 矢部正勝→矢部正勝の系図


  岡部直貞(なおさだ)【1735-1756】
 市岡正峰の娘
妻の父 市岡正峰→市岡正峰の系図
 永田直喬→永田直喬の系図
 永井元平永井元勝~元武の系図


  岡部直清(なおきよ)【1740-1794】
 実は岡部長臧(→岡部定直~長貴の系図)の子。
子の夫 松平乗集松平致乗~乗集の系図


  岡部直温(なおあつ)【1771-?】
 庄田安久の娘
妻の父 庄田安久→庄田安久の系図

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岡部長泰・長敬の系図

岡部長泰・長敬の系図

  岡部長泰(ながやす)/宣就(のぶなり)【1650-1724】
 岸和田藩主。林鳳岡に儒学を学んだ。

祖父 宣勝 行隆岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
祖父 堀直寄堀直寄~直為・直次・直定の系図

 内藤義概の娘
妻の父 内藤義概内藤忠興~義稠の系図
 竜千代【?-1676】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 長徳〔養父:岡部成俊(→岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図)、養子:岡部長矩〕
 柳生宗盈〔養父:柳生俊方〕→柳生宗重の系図
 小次郎主計 長泰の娘(4人)(『岡部家譜』による。)


  岡部長敬(ながたか)/致清(むねきよ)/宣隆(のぶたか)【1680-1724】
 岸和田藩主。
 土屋政直の娘
妻の父 土屋政直→土屋政直の系図
 大助
 母は『岡部家譜』による。
 長敬の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。板倉重治に嫁ぐ予定であった。
 長敬の娘(3人)(『岡部家譜』による。)

 長著 長住岡部長著~長備の系図
 長晧 長剛岡部長晧~長教の系図
 長矩〔養父:岡部長徳〕
 長道 長敬の娘(『岡部家譜』による。)

岡部長晧~長教の系図

岡部長晧~長教の系図

  岡部長晧(ながつぐ)【1711-1765】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 長泰 長敬岡部長泰・長敬の系図

 筧正春〔養父:筧正知〕→筧正春の系図
子の夫 水野政勝→水野政勝の系図
子の夫 大屋昌美→大屋昌美の系図
子の夫 鍋島直益→鍋島直益の系図
子の夫 根来正武→根来正武の系図


  岡部長剛(ながかた)【1740-1778】
 岡部長著の娘
妻の父 岡部長著岡部長著~長備の系図

子の夫 鈴木和政→鈴木和政の系図


  岡部長房(ながふさ)【1750-1785】
 実は岡部長著(→岡部長著~長備の系図)の子。
子の夫 岡部豊矩岡部豊明~豊矩の系図


  岡部長教(ながのり)【1769-?】
 遠山友清の娘
妻の父 遠山友清→遠山友清の系図

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岡部長著~長備の系図

岡部長著~長備の系図

  岡部長著(ながあきら)/長富(ながとみ)【1711-1756】
 岸和田藩主。藩札を発行し、享保の条目を定めた。

祖父 長泰 長敬岡部長泰・長敬の系図

 松平乗邑の娘
妻の父 松平乗邑松平乗邑の系図
子の夫 久世広明→久世広明の系図
子の夫 内藤政陽内藤政樹~政挙の系図

 長修〔養父:岡部長住〕
 長房〔養父:岡部長剛〕→岡部長晧~長教の系図
子の夫 岡部長剛岡部長晧~長教の系図


  岡部長住(ながすみ)/長茂(ながもと)【1740-1809】
 岸和田藩主。
 鍋島宗茂の娘
妻の父 鍋島宗茂→鍋島宗茂の系図

 長住の息子(『岡部家譜』による。)


  岡部長修(ながなお)/長佶(ながよし)/長恭(ながゆき)【1746-1795】
 岸和田藩主。実は岡部長著の子。
 長祥(ながよし)/薫訓(ただくに)〔養父:岡部長堅〕
子の妻 岡部長備の娘(『岡部家譜』による。)
 『系図纂要』は、長備の娘として岡部宗三郎の妻を載せる。


  岡部長備(ながとも)【1763-1803】
 岸和田藩主。
 青山忠高の娘
妻の父 青山忠高青山俊春~忠講の系図
 長周(ながのり)【?-1803】
子の夫 堀直哉堀直著~之美の系図

 長慎 長和岡部長慎~長職の系図
 盛勝〔養父:岡部美勝〕→岡部与賢~美勝の系図
 長員〔養父:岡部長貴〕→岡部定直~長貴の系図
 長備の息子(『岡部家譜』による。)
子の夫 土井利義土井利貞~利恒の系図
子の夫 岡部豊矩岡部豊明~豊矩の系図
子の夫 渡辺則綱渡辺豪綱~章綱の系図

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岡部長慎~長職の系図

岡部長慎~長職の系図

  岡部長慎(ながちか)【1787-1858】
 岸和田藩主。倹約令を出し、財政再建を図った。隠居後には『岡部氏家訓』を作った。

祖父 長修 長備岡部長著~長備の系図

 松平忠済の娘
妻の父 松平忠済松平忠順~忠礼の系図
子の夫 池田定保池田定常~徳定の系図

 青山忠裕の娘
 実は青山幸孝(→青山幸完~幸宜の系図)の娘。
妻の父 青山忠裕青山忠裕の系図

 長寛〔養父:岡部長発〕
 長発〔養父:岡部長和〕
 長慎の娘
 実は岡部長富の娘。岡部賢盛に嫁いだ。
 長慎の娘〔養父:岡部長和〕
 勝三郎樟之進良五郎長慎の息子 長慎の娘(『岡部家譜』による。)
子の夫 三宅康明→三宅康明の系図
子の夫 土井利器土井利貞~利恒の系図
子の夫 松浦曜松浦清~詮の系図
子の夫 朝比奈秀之丞(『岡部家譜』による。)


  岡部長和(ながより)【1807-1850】
 岸和田藩主。
 中川貴
 中川久貴(→中川久貞~久成の系図)の娘。
 秀太郎
 母は『岡部家譜』による。

 長和の娘
 実は大森頼常の娘。岡部豊明に嫁いだ。
 長和の娘〔養父:岡部長発〕(『岡部家譜』による。)
 鉄之進 長和の娘(3人)(『岡部家譜』による。)
子の夫 六郷政殷→六郷政殷の系図


  岡部長発(ながゆき)【1834-1855】
 岸和田藩主。実は岡部長慎の子。藩校の講習館を設立した。
 鳥居錫子
 鳥居忠挙(→鳥居忠挙の系図)の娘。
 長職〔養父:岡部長寛〕

 長発の娘〔養父:岡部長寛〕(『岡部家譜』による。)
子の夫 牧野康済(『岡部家譜』による。)→牧野康済の系図


  岡部長寛(ながひろ)【1809-1887】〔養父:岡部長貞〕(以下、『岡部家譜』による。)
 岸和田藩主。実は岡部長慎の子。

 内藤信美〔養父:内藤信思〕→内藤信興~信美の系図
 長興〔養父:岡部長直〕
 鐮子板倉勝矩~勝達の系図松平乗賢~乗命の系図
 松平直周~直致の系図
子の夫 六郷政鑑→六郷政鑑の系図


  岡部長職(ながもと)【1854-1925】
 岸和田藩主。実は岡部長発の子。維新後はアメリカに留学し、外交官として活躍したほか、東京府知事や司法大臣を務めた。
 青山幸哉の娘
妻の父 青山幸哉青山幸完~幸宜の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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