このページでは、池田氏(清和源氏・頼光流)・輝澄流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
池田氏・輝澄流(播磨国福本藩主)の略系図
1 輝澄→池田輝澄の系図
1-A 政済→池田政済~政行の系図
2 政武→池田政武の系図
2-A 政親→池田政親~政満の系図
3 政森→池田政森~徳潤の系図
池田輝澄の系図
池田輝澄(てるずみ)【1604-1662】
播磨国山崎藩主・因幡国鹿野藩主。山崎藩主の時にお家騒動で領地を没収され、鹿野で籠居した。
祖父 信輝→池田恒利・信輝の系図
父 輝政→池田輝政の系図
祖父 徳川家康→徳川家康の系図
妻 生駒正俊の娘
妻の父 生駒正俊→生駒正俊の系図
子 政直(まさなお)【1634-1665】
播磨国福本藩主。
子の妻 姉小路公景の娘
子の妻の父 姉小路公景→姉小路公景~実武の系図
孫の夫 松平勝以→松平勝以~勝慈の系図
孫の夫 水野忠位→水野忠増~忠定の系図
孫 右京(『池田家譜(因幡鳥取)』による。)
子 政武→池田政武の系図
孫 政森→池田政森~徳潤の系図
孫 政親→池田政親~政満の系図
子 公侃(こうかん)【1640-1690】
子 政済・孫 政因→池田政済~政行の系図
子 輝澄の娘【1628-1710】
母は『寛政重修諸家譜』による。玄悦に嫁いだ。
子 輝澄の娘〔養父:池田光仲(→池田忠継~光仲の系図)〕
母は『寛政重修諸家譜』による。福田久可に嫁いだ。
子 岩松・左京・子 輝澄の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 九鬼隆昌→九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
池田政済~政行の系図
池田政済(まさなり)【1641-1697】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 輝政→池田輝政の系図
父 輝澄→池田輝澄の系図
祖父 生駒正俊→生駒正俊の系図
妻 小出有棟の娘
妻の父 小出有棟→小出有棟の系図
子 政済の娘〔養父:池田政因〕
子の夫 宮城和堅→宮城和堅の系図
子の夫 酒井忠穏→酒井忠次~忠貞の系図
子の夫 駒井政周→駒井政周の系図
池田政因(まさよし)【1677-1705】
池田政職(まさもと)【1686-1732】
実は池田政武(→池田政武の系図)の子。
妻 池田政因の娘
実は池田政済の娘。
夫 松下重長→松下重長の系図
子の夫 駒井政潔→駒井政潔の系図
池田政休(まさよし)【1715-1741】
池田政美(まさよし)【1725-1756】
実は池田由道(→池田由道の系図)の子。
妻 藤堂良端の娘
妻の父 藤堂良端→藤堂嘉長~良真の系図
池田政朗(まさあきら)【1742-1782】
妻 柳生俊峯の娘
妻の父 柳生俊峯→柳生俊方~俊郎の系図
子 政朗の娘〔養父:池田方教〕
池田方教(まさのり)【1765-1791】
実は池田政方(→池田政方・政香の系図)の子。
池田政富(まさよし)【1771-1812】
実は池田政勝(→池田政親~政満の系図)の子。
妻 池田方教の娘
実は池田政朗の娘。
池田政行【?-1819】(『系図纂要』による。)
実は松平定休(→松平定休の系図)の子。
妻 池田定常の娘
妻の父 池田定常→池田定常~徳定の系図
子 松平勝道〔養父:松平定芝〕→松平定剛~定法の系図
池田政武の系図
池田政武(まさたけ)【1649-1687】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
兄の政直の跡を継いだが、弟に3000石分与されたため、交代寄合になった。
祖父 輝政→池田輝政の系図
父 輝澄→池田輝澄の系図
祖父 生駒正俊→生駒正俊の系図
妻 安部信之の娘
妻の父 安部信之→安部信之の系図
子 政森・孫 喜以→池田政森~徳潤の系図
子 政親・孫 政勝→池田政親~政満の系図
子 政職〔養父:池田政因〕→池田政済~政行の系図
子の夫 松平勝以→松平勝以~勝慈の系図
子の夫 水野忠位→水野忠増~忠定の系図
子の夫 九鬼隆律→九鬼隆律~隆義の系図
池田政親~政満の系図
池田政親(まさちか)【1684-1750】
子の夫 中根正義→中根正義の系図
池田政勝(まさかつ)【1709-1782】
子 定常〔養父:池田定得〕→池田定常~徳定の系図
子 政富〔養父:池田方教〕→池田政済~政行の系図
池田政貞(まささだ)/輝貞(てるさだ)【1748-?】
実は池田喜以(→池田政森~徳潤の系図)の子。
妻 京極高常の娘
妻の父 京極高常→京極高国~高福の系図
夫 大沢信容→大沢信容の系図
子の夫 池田輝名→池田政森~徳潤の系図
池田政満(まさみつ)【1774-?】
池田政森~徳潤の系図
池田政森(まさもり)/政安(まさやす)/政豊(まさとよ)/政種(まさたね)【1682-1719】
妻 朽木稙昌の娘
妻の父 朽木稙昌→朽木稙昌~稙綱の系図
子 頼致〔養父:池田頼教〕→池田頼致の系図
子の夫 近藤用純→近藤用純の系図
子の夫 池田頼教→池田頼教の系図
池田喜以(よしもち)/政方(まさかた)/政耀(まさあきら)【1712-1786】
子 政韶(まさあきら)【1734-1758】
子 庸煕(つねひろ)【1743-1764】
実は池田仲央(→池田仲澄~延俊の系図)の子。
子 政貞〔養父:池田政勝〕→池田政親~政満の系図
池田喜生(とみしげ)【1745-1817】
実は奥平昌敦(→奥平昌能~昌敦の系図)の子。
子 輝名(てるかた)/忠脩(ただなか)【1773-1803】
実は松平忠順(→松平忠順~忠礼の系図)の子。
子の妻 池田喜生の娘
実は池田政貞(→池田政親~政満の系図)の娘。
孫 喜長〔養父:池田喜生〕
子 喜生の娘
実は島津忠厚(→島津忠厚の系図)の娘。
子 喜生の娘(『池田家譜(播磨福本)』による。)
池田喜長(よしなが)【?-1836】(以下、『池田家譜(播磨福本)』による。)
実は池田輝名の子。
妻 池田定常の娘
妻の父 池田定常→池田定常~徳定の系図
子 政和〔養父:池田政範〕→池田政弼~政礼の系図
池田喜通(よしみち)【1828-1868】
福本藩主。新田や本藩からの分与で1万1573石になり、再度立藩した。
妻 池田道一の娘
妻の父 池田道一→池田治道~慶徳の系図
妻 奥平昌高の娘
妻の父 奥平昌高→奥平昌高~昌邁の系図
池田徳潤(のります)/喜延【1847-1929】
福本藩主。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。