このページでは、壬生家(藤原氏北家・頼宗流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
葉川基起~壬生基修の系図
葉川基起(もとおき)【1646-1679】
従三位。壬生家の祖。当初は葉川を号した。
祖父 基任・父 基音→園基富~基音の系図
子 石山師香・孫 直宗→石山師香~基正の系図
子 六角基維・孫 益通→六角基維~博通の系図
子 基章〔養父:葉川基淳〕
葉川基淳【1667-1686】
葉川基章【1674-1701】
実は葉川基起の子。
子 基曲【1691-1701】
壬生俊平/家房【1694-1729】
従三位。家名を壬生に改めた。
壬生基貫【1725-1791】
権中納言。実は園基香(→園基福~基香の系図)、五条為範(→五条為範~為定の系図)の子。
妻 常勤の娘
妻の父 常勤→常勤の系図
子 石山篤煕〔養父:石山基陳〕→石山師香~基正の系図
子 家尹〔養父:壬生師基〕
『壬生家譜』によれば、母は常勤の娘。
子 専慶〔養父:桜井氏敦〕→桜井氏敦・氏福の系図
子の夫 日野資矩→日野資時~資平の系図
壬生師基/基胤【1757-1826】
壬生家尹【1776-1834】
参議。実は壬生基貫の子。
子 五条為定〔養父:五条為貴〕→五条為範~為定の系図
子 清岡長煕〔養父:清岡長材〕→清岡長時~長説の系図
壬生道吉【1799-1874】
壬生基修(もとなが)【1835-1906】
実は庭田重基(→庭田重煕~重胤の系図)の子。尊攘派の公家として活躍し、維新後は東京府知事や貴族院議員などを歴任した。
妻 四辻重子
四辻公績(→四辻公韶~公賀の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。