このページでは、西園寺家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
西園寺家(清華家)の略系図
1 通季→西園寺通季の系図
2 公通→西園寺公通の系図
3 実宗→西園寺実宗の系図
3-A 公定→清水谷公定の系図
4 公経→西園寺公経の系図
5 実氏→西園寺実氏の系図
6 公相→西園寺公相の系図
7 実兼→西園寺実兼の系図
8 公衡→西園寺公衡~公宗の系図
11 実俊→西園寺実俊~実遠の系図
16 公藤→西園寺公藤~公益の系図
21 実晴→西園寺実晴~致季の系図
28 公晃→西園寺公晃~公望の系図
西園寺通季の系図
西園寺通季(みちすえ)【1090-1128】
権中納言。西園寺家の祖。昇進は早かったが若くして亡くなった。
祖父 実季→藤原実季の系図
父 公実→藤原公実の系図
祖父 藤原隆方→藤原隆方の系図
妻 難波忠教の娘
妻の父 難波忠教→難波忠教の系図
子 公通→西園寺公通の系図
孫 実宗→西園寺実宗の系図
子 公重(きんしげ)【1118-1178】〔養父:徳大寺実能(→徳大寺実能の系図)〕
梢少将と号した。
子の妻 藤原定信の娘
子の妻の父 藤原定信→藤原定実~伊行の系図
子の妻 中原師遠の娘
子の妻の父 中原師遠→中原師遠の系図
曾孫 公順/公方〔養父:徳大寺実定(→徳大寺実定・公継の系図)〕
子の妻 難波忠基の娘
子の妻の父 難波忠基→難波忠基の系図
孫 実広/実信
孫の夫 高倉天皇→高倉天皇・安徳天皇の系図
妻 藤原盛輔の娘
妻の父 藤原盛輔→藤原盛実の系図
子 公長→藤原俊忠の系図
実は藤原俊忠の子。
子の夫 堀河経定→堀河経定の系図
孫 三条成定→三条成定の系図
子の夫 徳大寺実能→徳大寺実能の系図
西園寺公通の系図
西園寺公通(きんみち)【1117-1173】
権大納言。
祖父 公実→藤原公実の系図
父 通季→西園寺通季の系図
祖父 難波忠教→難波忠教の系図
妻 藤原通基の娘
妻の父 藤原通基→藤原基頼・通基の系図
子 実宗→西園寺実宗の系図
孫 清水谷公定→清水谷公定の系図
孫 公経→西園寺公経の系図
子 実明(さねあき)【1153-1223】
参議。
子の妻 玄修の娘
子の妻の父 玄修→中御門宗能の系図
孫 公雅(きんまさ)【1183-1248】
権大納言。
孫の妻 忠恵の娘
曾孫 実任【1207-?】
権中納言。
曾孫の妻 佐原盛連の娘
曾孫の妻の父 佐原盛連→佐原盛連の系図
曾孫の子の夫 亀山天皇→亀山天皇の系図
曾孫 実躬/実時【1211-?】
従三位。
曾孫の夫 中御門経任→中御門経任の系図
曾孫 房順
父は明暹とも。
明暹孫 実印
父は藤原公兼(→藤原公兼の系図)とも。
子の夫 藤原清通→白河伊実の系図
西園寺実宗の系図
西園寺実宗(さねむね)【1144-1212】〔養子:藤原保季(→藤原俊成の系図)〕
内大臣。
祖父 通季→西園寺通季の系図
父 公通→西園寺公通の系図
祖父 藤原通基→藤原基頼・通基の系図
妻 藤原教良の娘
妻の父 藤原教良→難波忠教の系図
夫 藤原泰通→藤原泰通の系図
子 清水谷公定→清水谷公定の系図
妻 持明院基家の娘
妻の父 持明院基家→持明院基家の系図
子 公経→西園寺公経の系図
孫 実氏→西園寺実氏の系図
孫 一条実有→一条実有~実連の系図
孫 洞院実雄→洞院実雄の系図
孫 室町実藤→室町実藤~実為の系図
子の夫 松殿隆忠→松殿隆忠・師家の系図
子の夫 川原公国→川原実家・公国の系図
子の夫 藤原定家→藤原定家の系図
孫 為家→藤原為家の系図
孫 公澄〔養父:西園寺実氏(→西園寺実氏の系図)〕
清水谷公定の系図
清水谷公定(きんさだ)/実経【1163-?】
権中納言。一度佐渡に配流された。三条と号した。
祖父 公通→西園寺公通の系図
父 実宗→西園寺実宗の系図
祖父 藤原教良→難波忠教の系図
妻 藤原成親の娘
妻の父 藤原成親→藤原成親の系図
子 実持【1189-1256】
権大納言。
子の妻 宇佐公通の娘
孫 公蔭【?-1271】
正三位。母は源定清の娘とも。
孫の妻 洞院実雄の娘
孫の妻の父 洞院実雄→洞院実雄の系図
曾孫 実時【1251-1308】
参議。
孫 公兼【1240-1312】
正二位。
孫の妻 藤原経家の娘
孫の妻の父 藤原経家→九条良経の系図
曾孫 実秀【1271-1339】
参議。
実秀孫 公広【1327-1377】
参議。
実秀孫 実秋→一条公有~清水谷公栄の系図
実は一条公勝の子。
曾孫 長嗣〔養父:鷹司長雅(→花山院忠経・定雅の系図)〕
曾孫の妻 源資平の娘
曾孫の妻の父 源資平→源清信の系図
長嗣孫 成経/成雅【1297-1351】
参議。
曾孫の子の夫 源顕実→中院通方の系図
曾孫の子の夫 二条師基→二条兼基・道平の系図
長嗣孫 慈什〔養父:洞院実泰(→洞院実泰の系図)〕
長嗣孫 尊什〔養父:三条実重(→三条実重~公忠の系図)〕
孫 持子→洞院公守の系図
孫 按子→花山院忠経・定雅の系図
子 実基(さねもと)
後鳥羽上皇の怒りを買い、配流された。
西園寺公経の系図
西園寺公経(きんつね)【1171-1244】〔養子:八条実清(→八条公清~一条公邦の系図)、藤原為家(→藤原為家の系図)、藤原実雅(→一条通重・能保の系図)〕
太政大臣。源頼朝との姻戚関係で勢力を伸ばし、天皇家や九条家とも姻戚関係を築いた。北山第を築き、西園寺を建立した。
祖父 公通→西園寺公通の系図
父 実宗→西園寺実宗の系図
祖父 持明院基家→持明院基家の系図
妻 一条全子
一条能保(→一条通重・能保の系図)の娘。
子 実氏→西園寺実氏の系図
孫 公相→西園寺公相の系図
子 綸子→九条道家の系図
孫 九条教実→九条教実~師教の系図
孫 二条良実→二条良実・師忠の系図
孫 一条実経→一条実経~内経の系図
妻 源雅頼の娘
妻の父 源雅頼→源雅頼の系図
子 一条実有・孫 公藤→一条実有~実連の系図
妻 平親宗の娘
妻の父 平親宗→平親宗・範国の系図
子 洞院実雄→洞院実雄の系図
孫 小倉公雄→小倉公雄~実名の系図
孫 公守→洞院公守の系図
妻 舞女
夫 平親清→平実親・範家の系図
子 室町実藤・孫 公重→室町実藤~実為の系図
子 実材(さねき)【1229-1267】
中納言。
子 成子→後深草天皇の系図
子 公子→後嵯峨天皇の系図
子 嘉子→九条教実~師教の系図
子の夫 三条実親→三条実親・公親の系図
西園寺実氏の系図
西園寺実氏(さねうじ)【1194-1269】〔養子:藤原公為(→三条実房の系図)、公澄(→西園寺実宗の系図)〕
太政大臣。後深草天皇・亀山天皇の外祖父となった。幕府との関係も深く、関東申次になった。
祖父 実宗→西園寺実宗の系図
父 公経→西園寺公経の系図
祖父 一条能保→一条通重・能保の系図
妻 藤原幸子
藤原親雅(→藤原親雅の系図)の娘。
子 公基(きんもと)【1220-1274】〔養子:藤原公澄(→阿野公佐~公廉の系図)〕
右大臣。
子の妻 藤原親子
藤原隆衡(→藤原隆衡の系図)の娘。
孫 実平/実綱【1251-?】
権中納言。
孫の妻 坊城経俊の娘
孫の妻の父 坊城経俊→坊城経俊・俊定の系図
曾孫 雲助
父は藤原公基とも。
曾孫 相助〔養父:西園寺公相(→西園寺公相の系図)〕
子の妻 園基氏の娘
子の妻の父 園基氏→園基氏~基藤の系図
孫 実宝〔養父:徳大寺実基(→徳大寺実基~実孝の系図)〕
孫 実静〔養父:西園寺実兼(→西園寺実兼の系図)〕
孫 雲助
父は藤原実平とも。
孫の夫 藤原実顕→西園寺公相の系図
孫の夫 衣笠経平→粟田口忠良の系図
妻 藤原貞子(ていし)/今林准后【1196-1302】
藤原隆衡(→藤原隆衡の系図)の娘。100歳を超える長寿を保った。
子 姞子→後嵯峨天皇の系図
孫 後深草天皇→後深草天皇の系図
孫 亀山天皇→亀山天皇の系図
子 公子→後深草天皇の系図
子 公相→西園寺公相の系図
孫 実兼→西園寺実兼の系図
孫 橋本実俊→橋本実俊~公国の系図
子 道勝【?-1273】
子 道耀(どうよう)【1234-1304】
東寺長者。
子 守助【?-1295】
西園寺公相の系図
西園寺公相(きんすけ)【1223-1267】〔養子:相助(→西園寺実氏の系図)、持明院相保(→持明院保家の系図)、藤原寿子(→亀山天皇の系図)〕
太政大臣。
妻 中原師朝の娘
妻の父 中原師朝→中原師朝の系図
子 実兼→西園寺実兼の系図
孫 公衡→西園寺公衡~公宗の系図
孫 今出川兼季→今出川兼季~公彦の系図
子 実康
出家して丹波国に住んだ。
子 嬉子→亀山天皇の系図
妻 中納言典侍
藤原定家(→藤原定家の系図)の娘。
夫 法性寺雅平→法性寺雅平の系図
子 実顕【?-1272】
参議。
子の妻 藤原公基の娘
子の妻の父 藤原公基→西園寺実氏の系図
妻 園基氏の娘
妻の父 園基氏→園基氏~基藤の系図
子 橋本実俊→橋本実俊~公国の系図
妻 高平の娘
子 尊教(そんきょう)
天台座主。
妻 徳大寺教子
徳大寺実基(→徳大寺実基~実孝の系図)の娘。
子 相子→後深草天皇の系図
子の夫 近衛基平→近衛基平の系図
子の夫 徳大寺公孝・実孝→徳大寺実基~実孝の系図
孫 公清→徳大寺公清~実盛の系図
子の夫 九条忠教→九条教実~師教の系図
西園寺実兼の系図
西園寺実兼(さねかね)【1249-1322】〔養子:実静(→西園寺実氏の系図)、性玄(→橋本実俊~公国の系図)〕
太政大臣。関東申次を継いだほか、両統迭立に関与した。
祖父 実氏→西園寺実氏の系図
父 公相→西園寺公相の系図
祖父 中原師朝→中原師朝の系図
妻 中院顕子(けんし)
中院通成(→中院通成~通冬の系図)の娘。
子 公衡・孫 実衡→西園寺公衡~公宗の系図
子 鏱子→伏見天皇・花園天皇の系図
子 瑛子→亀山天皇の系図
妻 花山院師継の娘
妻の父 花山院師継→花山院師継~師資の系図
子 今出河公顕(きんあき)【1274-1321】
右大臣。
子の妻 菅原在綱の娘
子の妻の父 菅原在綱→菅原定義~在茂の系図
孫 実顕【?-1333】
権中納言。
曾孫 公冬【1330-1380】
参議。
子の妻 堀川具守の娘
子の妻の父 堀川具守→堀川具守の系図
孫の夫 二条道平→二条兼基・道平の系図
曾孫 良基→二条良基~持基の系図
孫の夫 一条内経→一条実経~内経の系図
曾孫 経通→一条経通~兼良の系図
孫の夫 今出川兼季→今出川兼季~公彦の系図
孫の夫 尊良親王→後醍醐天皇の系図
妻 藤原孝子
藤原孝泰(→藤原孝定の系図)の娘。
子 今出川兼季・孫 実尹→今出川兼季~公彦の系図
子 性守【?-1325】
子 道意(どうい)【1290-1356】
東寺長者。
子 禧子→後醍醐天皇の系図
子 公具
北山池に身を投げたとされる。
西園寺公衡~公宗の系図
西園寺公衡(きんひら)【1264-1315】
左大臣。関東申次を務めたほか、『春日権現霊験記』の制作を主導した。竹林院左府と号した。
祖父 公相→西園寺公相の系図
父 実兼→西園寺実兼の系図
祖父 中院通成→中院通成~通冬の系図
妻 藤原兼子
藤原光保(→難波教宗の系図)の娘。
子 大宮季衡(すえひら)【1289-1346】〔養子:恒助法親王(→亀山天皇の系図)〕
右大臣。
子の妻 久我通雄の娘
子の妻の父 久我通雄→久我通忠~通雄の系図
孫 氏衡【1305-?】
従三位。
孫 公名【1318-1352】
大納言。
曾孫 実尚【1344-1399】
権大納言。
孫 道巌(『系図纂要』による。)
孫の夫 九条道教→九条房実~満教の系図
孫の夫 三条公忠→三条実重~公忠の系図
曾孫 実冬→三条実冬~公敦の系図
子 寧子→後伏見天皇の系図
孫 光厳天皇・光明天皇→光厳天皇・光明天皇の系図
妻 中御門経子
中御門経任(→中御門経任の系図)の娘。
妻 室町公行の娘
妻の父 室町公行→室町実藤~実為の系図
子の夫 恒明親王→亀山天皇の系図
西園寺実衡(さねひら)【1290-1326】
内大臣。関東申次の職を継ぐも、若くして亡くなった。
妻 昭訓門院春日(しょうくんもんいんのかすが)
御子左為世(→御子左為世の系図)の娘。歌人。
子 公重(きんしげ)【1317-1367】
内大臣。兄公宗の謀反を密告した。のちに南朝に仕え、太政大臣になった。
孫 実長【?-1355】
権中納言。
孫の妻 洞院公泰の娘
孫の妻の父 洞院公泰→洞院公敏・公泰の系図
子の夫 大炊御門冬信→大炊御門信嗣~冬信の系図
孫 宗実→大炊御門宗実~頼国の系図
西園寺公宗(きんむね)【1309-1335】
権大納言。北条氏の遺臣と謀反を計画し、捕らえられて殺された。
妻 日野名子(めいし)【?-1358】
日野資名(→日野俊光・資名の系図)の娘。『竹むきか記』を著した。
子 実俊・孫 公永→西園寺実俊~実遠の系図
西園寺実俊~実遠の系図
西園寺実俊(さねとし)【1335-1389】
右大臣。
祖父 実衡・父 公宗→西園寺公衡~公宗の系図
祖父 日野資名→日野俊光・資名の系図
妻 四条隆資の娘
妻の父 四条隆資→四条隆親~隆宗の系図
妻 洞院公賢の娘
妻の父 洞院公賢→洞院公賢の系図
妻 日野資名の娘
妻の父 日野資名→日野俊光・資名の系図
子 公兼【?-1417】
権大納言。
孫 実敦【?-1401】
参議。
曾孫 実光〔養父:西園寺公兼〕
孫 実光/実種【?-1448】
権大納言。実は西園寺実敦の子。
曾孫 公家(以下、『系図纂要』による。)
実光孫 公広【?-1587】
実光孫 宣久【?-1580】
孫 良守〔養父:洞院公定(→洞院実夏~公連の系図)〕
西園寺公永【1353-1390】
権大納言。
妻 河野通朝の娘
妻の父 河野通朝(『系図纂要』による。)→河野通継~通直の系図
西園寺実永(さねなが)【1377-1431】
右大臣。
妻 持明院基親の娘
妻の父 持明院基親→持明院基兼~基信の系図
西園寺公名(きんな)【1410-1468】〔養子:橋本実淳の息子(→橋本実俊~公国の系図)〕
太政大臣。観音寺相国と号した。
妻 広橋兼宣の娘
妻の父 広橋兼宣→広橋兼綱~兼宣の系図
子 公承【?-1485】(『系図纂要』による。)
子 公忍(『西園寺家譜』による。)
西園寺実遠(さねとお)【1434-1495】
左大臣。母は『西園寺家譜』による。
子 公藤・孫 実宣→西園寺公藤~公益の系図
子 洞院公連〔養父:洞院公数〕→洞院実夏~公連の系図
子 実怡(『西園寺家譜』による。)
西園寺公藤~公益の系図
西園寺公藤(きんふじ)【1455-1512】
右大臣。
祖父 公名・父 実遠→西園寺実俊~実遠の系図
子の夫 兼俊(『系図纂要』による。)→兼俊の系図
西園寺実宣(さねのぶ)【1496-1541】
左大臣。
妻 正親町三条実望の娘
妻の父 正親町三条実望→正親町三条実雅~実望の系図
子 実源/公広
子 実雄(『系図纂要』による。)
子 実宣の娘(『系図纂要』による。)
『系図纂要』では「右大臣源通言公室」とある。
子の夫 邦輔親王(『系図纂要』による。)→邦輔親王の系図
妻 久我通言の娘
妻の父 久我通言→久我通博~通言の系図
子の夫 阿野季時(『阿野家譜』による。)→阿野季継~実顕の系図
西園寺公朝(きんとも)【1515-1590】
左大臣。
妻 万里小路秀房の娘
妻の父 万里小路秀房→万里小路賢房~惟房の系図
子 花山院定煕〔養父:花山院家輔〕→花山院定煕・定好の系図
子の夫 三条西公国→三条西実世~実条の系図
子の夫 松木宗満→松木宗満~宗条の系図
西園寺実益(さねます)【1560-1632】
右大臣。
妻 久我晴通の娘
妻の父 久我晴通→久我晴通~敦通の系図
西園寺公益(きんます)【1582-1640】(以下、『系図纂要』による。)
内大臣。母は『西園寺家譜』による。
子 実晴・孫 公満→西園寺実晴~致季の系図
子 大宮季光・孫 実勝→大宮季光~実典の系図
子 性演【1610-1674】〔養父:二条康道(→二条康道の系図)〕
西園寺実晴~致季の系図
西園寺実晴(さねはる)【1601-1673】〔養子:山本実富(→山本勝忠~実政の系図)〕
左大臣。
祖父 実益・父 公益→西園寺公藤~公益の系図
妻 細川忠隆の娘
妻の父 細川忠隆→細川頼貞~忠興の系図
子 公遂〔養父:西園寺公宣〕
子 公宣〔養父:西園寺実尚〕
子 実晴の息子〔養父:今出川経季〕→今出川晴季~公規の系図
西園寺公満【1622-1651】
権中納言。
妻 松平久仁女
松平康重(→松平康重の系図)の娘。
子の夫 久我通名→久我通世~通名の系図
西園寺実尚/実良【1645-1660】
西園寺公宣【1665-1669】
実は西園寺実晴の子。
西園寺公遂【1663-1678】
従三位。実は西園寺実晴の子。
西園寺実輔/兼敦【1661-1685】
権中納言。実は鷹司房輔(→鷹司房輔~基輝の系図)の子。
西園寺致季(むねすえ)【1683-1756】〔養子:山本実福の息子(→山本勝忠~実政の系図)〕
左大臣。
子 公晃・孫 賞季→西園寺公晃~公望の系図
子 飛鳥井雅香〔養父:飛鳥井雅豊〕→飛鳥井雅香~雅望の系図
子 小倉宜季〔養父:小倉季永〕→小倉煕季~長季の系図
子 今出川誠季〔養父:今出川実興〕→今出川伊季~誠季の系図
子 橋本実理〔養父:橋本実文〕→橋本実理~実梁の系図
子 大宮貞季〔養父:大宮昌季〕→大宮季光~実典の系図
西園寺公晃~公望の系図
西園寺公晃(きんあきら)【1702-1770】
内大臣。
祖父 実輔・父 致季→西園寺実晴~致季の系図
妻 今出川式姫
今出川伊季(→今出川伊季~誠季の系図)の娘。
子 徳大寺実祖〔養父:徳大寺公城〕→徳大寺実祖~実則の系図
子 今出川実種〔養父:今出川公言〕→今出川公言~実順の系図
西園寺賞季【1743-1799】
右大臣。
妻 広幡長忠の娘〔養父:近衛内前(→近衛家久・内前の系図)〕
妻の父 広幡長忠→広幡長忠~忠礼の系図
子 公兼【1765-1772】
子 実韶【1777-1786】
従三位。実は一条輝良(→一条輝良の系図)の子。
子 公氏【1777-1793】
子の夫 野宮定業→野宮定晴~定平の系図
子の夫 毛利匡芳→毛利匡満・匡芳の系図
西園寺寛季【1786-1856】〔養子:道永(→二条治孝~斉敬の系図)〕
権中納言。実は二条治孝(→二条治孝~斉敬の系図)の子。
妻 正親町公明の娘
妻の父 正親町公明→正親町公明~公董の系図
子 治季【1809-1826】
従三位。
孫 師季〔養父:西園寺公潔〕
西園寺公潔(きんずみ)【1818-1836】
従三位。実は韶仁親王(→韶仁親王の系図)の子。
子 公潔の娘【1836-1847】
西園寺師季【1826-1851】
正三位。実は西園寺治季の子。
妻 徳大寺定子
徳大寺実堅(→徳大寺実祖~実則の系図)の娘。
西園寺公望(きんもち)【1849-1940】
権中納言。実は徳大寺公純(→徳大寺実祖~実則の系図)の子。のちに内閣総理大臣を務めた。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。