このページでは、藤原氏北家・藤成流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原藤成〜村雄の系図
藤原藤成(ふじなり)【776−822】
子の夫 藤原氏宗→藤原常嗣・常永・氏宗の系図
藤原豊沢/典沢
藤原村雄
子 秀郷→藤原秀郷の系図
孫 千常→藤原千常~公光の系図
子の夫 平国香→平国香~正衡の系図
藤原秀郷の系図
藤原秀郷(ひでさと)
平将門の乱では、下野押領使として平将門の討伐にあたった。
祖父 豊沢・父 村雄→藤原藤成〜村雄の系図
妻 源通の娘
子 千常・孫 文脩→藤原千常~公光の系図
子 千晴(ちはる)/智晴
安和の変で捕らえられ、隠岐に流された。
曾孫 正頼
父は藤原兼光(→藤原兼光の系図)とも。
千晴孫 頼遠・頼清
父は藤原千清とも。
頼遠孫 経清(つねきよ)
父は藤原正頼とも。前九年の役で敗死した。
妻 安倍頼時の娘
妻の父 安倍頼時(よりとき)【?-1057】
俘囚の長。前九年の役で亡くなった。
妻の夫 清原武貞(たけさだ)
妻の子 清原家衡(いえひら)【?-1087】
後三年の役で敗死した。
頼遠孫 清衡(きよひら)【1056-1128】
奥州藤原氏の祖。中尊寺を創建した。
清衡の子の夫 佐竹昌義→佐竹昌義の系図
頼遠孫 基衡(もとひら)
毛越寺を創建した。
妻 安倍宗任(むねとう)の娘
頼遠孫 秀衡(ひでひら)【1122-1187】
源平合戦では中立を守り、のちに源義経を保護した。
妻 藤原基成の娘
妻の父 藤原基成→藤原基隆の系図
頼遠孫 国衡(くにひら)【?-1189】
頼遠孫 泰衡(やすひら)【?-1189】
奥州藤原氏最後の当主。源頼朝に滅ぼされた。
頼遠孫 忠衡(ただひら)【1167-1189】
源義経を庇護し、兄泰衡に討たれた。
頼遠孫 清綱
父は藤原経清とも。
子の夫 佐藤元治(もとはる)
孫 佐藤継信(つぐのぶ)【1158-1185】
藤原秀衡の郎従。源義経に従い、屋島の戦いで射殺された。
孫 佐藤忠信(ただのぶ)【?-1186】
藤原秀衡の郎従。源義経に従って平氏と戦った。
頼遠孫 俊衡(としひら)
父は藤原基衡とも。源頼朝に投降した。
頼遠孫 師衡【?-1189】
頼清孫 内藤行俊→内藤行俊~家長の系図
頼清孫 季賢
父は藤原頼俊とも。
子 千方〔養父:藤原千常(→藤原千常~公光の系図)〕
藤原千常~公光の系図
藤原千常
祖父 村雄→藤原藤成〜村雄の系図
父 秀郷→藤原秀郷の系図
子 千方
実は藤原秀郷(→藤原秀郷の系図)の子。
藤原文脩
妻 藤原利仁の娘
妻の父 藤原利仁→藤原時長・利仁の系図
子 兼光・孫 頼行→藤原兼光~兼行の系図
藤原文行
子 公行
子の妻 平貞文の娘
子の妻の父 平貞文→葛原親王・万多親王・仲野親王の系図
孫 公光〔養父:藤原文行〕
子 公通(『系図纂要』による。)→藤原公通の系図
子 近藤脩行・孫 行景→近藤脩行~能成の系図
藤原公光〔養子:首藤助清(→首藤助清の系図)〕
妻 藤原兼光の娘
妻の父 藤原兼光→藤原兼光~兼行の系図
子 佐藤公清→佐藤公清の系図
妻 佐伯氏
子 波多野経範→波多野経範の系図
妻 大江良貞の娘
子 公停(以下、『系図纂要』による。)
子 公俊【?-1057】(以下、『系図纂要』による。)
子 伊賀公季→伊賀公季の系図
子 公方・公秀(『系図纂要』による。)
藤原兼光~兼行の系図
藤原兼光(かねみつ)
祖父 千常・父 文脩→藤原千常~公光の系図
祖父 藤原利仁→藤原時長・利仁の系図
子 兼助
父は藤原頼行とも。
子 貞光(以下、『系図纂要』による。)
子の夫 藤原公光(『系図纂要』による。)→藤原千常~公光の系図
孫 行尊→大田行尊の系図
父は藤原頼行、藤原武行とも。
藤原頼行(よりゆき)
子 兼助
父は藤原兼光とも。
子 大田行尊→大田行尊の系図
藤原兼行(かねゆき)
子 足利成行・孫 家綱→足利成行~有綱の系図
子 佐貫行房→佐貫行房の系図
子 孝綱→藤原孝綱の系図
足利成行~有綱の系図
足利成行(なりゆき)
祖父 頼行・父 兼行→藤原兼光~兼行の系図
子 薗田成実
父は藤原頼行(→藤原兼光~兼行の系図)とも。
子 大胡重俊→大胡重俊の系図
子 師綱・成次(『系図纂要』による。)
孫 家綱〔養父:足利成行〕
足利家綱(いえつな)
実は足利成綱の子。
子 成俊〔養子:足利有綱〕
父は足利忠綱(『系図纂要』)とも。
孫 康綱/泰綱
曾孫 忠広(『系図纂要』による。)
曾孫 成俊(『系図纂要』による。)
父は足利家綱とも。
足利有綱(ありつな)〔養父:足利成俊〕
子 佐野基綱・孫 国基→佐野基綱~信吉の系図
子 木村信綱→木村信綱の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。