このページでは、広橋家(藤原氏北家・真夏流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
広橋家(名家)の略系図
1 頼資→勘解由小路頼資~光業の系図
5 兼綱→広橋兼綱~兼宣の系図
8 兼郷→広橋兼郷~守光の系図
12 兼秀→広橋兼秀・国光の系図
14 兼勝→広橋兼勝・総光の系図
16 兼賢→広橋兼賢~貞光の系図
20 兼廉→広橋兼廉~勝胤の系図
23 伊光→広橋伊光の系図
24 胤定→広橋胤定の系図
25 光成→広橋光成~胤光の系図
勘解由小路頼資~光業の系図
勘解由小路頼資(よりすけ)【1182-1236】〔養父:藤原光範(→藤原成季~永範の系図)〕
権中納言。広橋家の祖。
妻 源兼資の娘
妻の父 源兼資→源季兼~兼教の系図
子 兼恵・頼誉
父は良兼(→藤原兼光の系図)とも。
子 頼源【1222-1283】
子 経朝〔養父:藤原行能〕→藤原伊経の系図
子 頼円
父は良兼(→藤原兼光の系図)とも。
子 頼舜→藤原有俊の系図
実は頼全の子。
勘解由小路経光(つねみつ)【1212-1274】〔養子:藤原資定(→日野家光・資宣の系図)〕
権中納言。日記は『民経記』。
妻 藤原親実の娘
妻の父 藤原親実→藤原成親の系図
子 兼頼【1239-1280】
子 経恵【?-1314】
実は円弁(→藤原実光の系図)の子。
子 朝円
実は藤原経朝(→藤原伊経の系図)の子。
勘解由小路兼仲(かねなか)【1244-1308】
権中納言。日記は『勘仲記』。
妻 源親時の娘
子 光資【1282-1303】
子 宗昭→宗昭の系図
実は宗恵(→藤原範綱・資光の系図)の子。
子の夫 藤井嗣実→粟田口基良の系図
子の夫 六条氏家→六条経家の系図
勘解由小路光業【1287-1361】
権中納言。
妻 坊門俊輔の娘
妻の父 坊門俊輔→坊門隆清の系図
子 広橋兼綱・孫 仲光→広橋兼綱~兼宣の系図
広橋兼綱~兼宣の系図
広橋兼綱【1315-1381】〔養子:通蔭(→通蔭の系図)〕
准大臣。瑞雲院贈左大臣と号した。
祖父 兼仲・父 光業→勘解由小路頼資~光業の系図
祖父 坊門俊輔→坊門隆清の系図
子 綱厳→綱厳の系図
実は光玄の子。
子 仲子→後光厳天皇の系図
孫 後円融天皇→後円融天皇~称光天皇の系図
広橋仲光(なかみつ)【1342-1406】
権大納言。
子 竹屋兼俊・孫 冬俊→竹屋兼俊~光昭の系図
子 周鳳【?-1425】
子 寅助/仲助
孫 公助/祐助/兼応【?-1510】
子 光雅
実は懐雅(→徳大寺実定・公継の系図)の子。
子 光暁/円暁
実は葉室光資(→藤原光親の系図)の子。
子 慈達→慈達の系図
実は綱厳の子。
広橋兼宣(かねのぶ)【1366-1429】
准大臣。武家伝奏を務めた。日記は『兼宣公記』。
子 定光【1388-1407】
子 資光【1392-1420】
権中納言。実は竹屋光俊(→竹屋兼俊~光昭の系図)の子。
子 兼郷・孫 綱光→広橋兼郷~守光の系図
子 貞兼(ていけん)【1403-1452】
実は伊勢貞国(→伊勢貞国の系図)の子。
子 兼暁【1402-?】
子 宣雅
実は良清の子。
子 光憲/宜暁
子 円兼→円兼の系図
実は玄康の子。
子 慈賢→慈賢の系図
実は慈達の子。
子の夫 西園寺公名→西園寺実俊~実遠の系図
広橋兼郷~守光の系図
広橋兼郷(かねさと)/宣光/親光【1401-1446】〔養子:日野郷子(→後花園天皇~後柏原天皇の系図)〕
権中納言。
祖父 仲光・父 兼宣→広橋兼綱~兼宣の系図
妻 豊子女王
資忠王(→資忠王~雅業王の系図)の娘。
子 春龍丸【1425-1432】〔養父:日野秀光(→日野時光・資康の系図)〕
子 阿婦丸【1433-1447】
子 兼尋【1441-1470】
子 顕子
後土御門天皇の乳母。
子の夫 万里小路冬房→万里小路資通~冬房の系図
子の夫 二条政嗣→二条持通~晴良の系図
子 兼円
実は竹屋兼俊(→竹屋兼俊~光昭の系図)の子。
子 兼寿→兼寿の系図
実は円兼の子。
子 慈範
実は慈賢(→慈賢の系図)の子。
広橋綱光(つなみつ)【1431-1477】〔養子:蓮乗(→蓮乗の系図)、享清の娘(→享清の系図)〕
准大臣。内大臣を贈られた。日記は『綱光公記』。
子 澄承【1458-1470】
子 聖慶【1465-1536】
子 守子【1465-1529】
後柏原天皇の乳母。
広橋兼顕(かねあき)【1449-1479】〔養子:広橋綱光の娘、兼寿の娘(→兼寿の系図)〕
権中納言。日記は『兼顕卿記』。
子 兼継【1474-1553】
実は町広光(→町資藤の系図)の子。
子 兼親/貞就
実は伊勢貞親(→伊勢貞親の系図)の子。
子 宏助
実は菅原在永(→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図)の子。
広橋守光(もりみつ)【1471-1526】〔養子:光実(→日野勝光~晴光の系図)〕
准大臣。実は町広光(→町資藤の系図)の子。内大臣を贈られた。日記は『守光公記』。
妻 広橋綱光の娘【1467-1517】〔養父:広橋兼顕〕
子 兼秀・孫 国光→広橋兼秀・国光の系図
子 妙祐→兼琇の系図
子 宗玉【1503-1516】
子 貞雅【?-1539】
実は伊勢貞陸(→伊勢貞陸の系図)の子。
子 光尊【1502-?】
実は中山宣親(→中山宣親~孝親の系図)の子。
子 猷静【1514-?】
実は伊勢貞泰(→伊勢貞泰の系図)の子。
子 兼範【?-1554】
実は竹屋光継(→竹屋兼俊~光昭の系図)の子。
子 光祐【1509-1546】
実は一条実治(→一条実村~河鰭基秀の系図)の子。
子 具子→後奈良天皇~誠仁親王の系図
広橋兼秀・国光の系図
広橋兼秀(かねひで)【1506-1567】〔養子:光実(→日野勝光~晴光の系図)〕
内大臣。
祖父 綱光・兼顕・父 守光→広橋兼郷~守光の系図
妻 勧修寺政顕の娘
妻の父 勧修寺政顕→勧修寺政顕~尹豊の系図
子 光俊/光遍【1518-1550】
子 国子→後奈良天皇~誠仁親王の系図
子 聖音〔養父:近衛稙家(→近衛尚通~信尹の系図)〕
子 桂玉【1537-1547】
妻 源陸益の娘
子 保子→一条冬良~昭良の系図
妻 源承の娘
妻の父 源承→源基の系図
子 円清【1539-1547】
子 秀貴〔養父:近衛稙家(→近衛尚通~信尹の系図)〕
7歳で亡くなった。
子 理広〔養父:大内義隆(→大内義隆の系図)〕
子の夫 庭田重保→庭田雅行~重保の系図
孫 重具→庭田重具~重秀の系図
妻 大江重家の娘
子 寿玉〔養父:大内義隆(→大内義隆の系図)〕
子 慈澄
実は高倉範久(→高倉範継~教遠の系図)の子。
子 兼真
実は上冷泉為和(→上冷泉為富~為益の系図)の子。
子の夫 大内義隆→大内義隆の系図
広橋国光【1526-1568】
権大納言。
妻 高倉永家の娘
妻の父 高倉永家→高倉永継~永相の系図
子 日野輝資〔養父:日野晴光〕→日野輝資~光慶の系図
子 兼勝・孫 総光→広橋兼勝・総光の系図
妻 烏丸光康の娘
妻の父 烏丸光康→烏丸豊光~光康の系図
子 宏俊
実は高辻長雅(→高辻国長~長雅の系図)の子。
子 光恵
実は庭田重保(→庭田雅行~重保の系図)の子。
子 光紹【1561-1620】(『系図纂要』による。)
広橋兼勝・総光の系図
広橋兼勝(かねかつ)【1558-1622】
内大臣。江戸時代最初の武家伝奏を務めた。
祖父 兼秀・父 国光→広橋兼秀・国光の系図
祖父 高倉永家→高倉永継~永相の系図
妻 烏丸光康の娘
妻の父 烏丸光康→烏丸豊光~光康の系図
子 油小路隆基〔養父:油小路隆秀〕(『系図纂要』による。)→油小路隆基~隆董の系図
子 兼祐(『広橋家譜』による。)
子の夫 三浦監物(『広橋家譜』による。)
妻 内堀壱岐守の娘
子 鷲尾隆量〔養父:鷲尾隆尚〕(『系図纂要』による。)→鷲尾隆尚~隆尹の系図
子 勧助/観助(『系図纂要』による。)
子 牛古丸(『広橋家譜』による。)
子 兼勝の娘(3人)(『広橋家譜』による。)
子の夫 裏辻季福(『系図纂要』による。)→裏辻季福~実脩の系図
子の夫 松木宗保(『系図纂要』による。)→松木宗満~宗条の系図
子 信遍(『系図纂要』による。)
実は上冷泉為満(→上冷泉為満~為清の系図)の子。
子 聖春・兼勝の娘(『広橋家譜』による。)
子の夫 樋口信孝(『系図纂要』による。)→樋口信孝~康煕の系図
子の夫 中院通村(『広橋家譜』による。)→中院通勝~通純の系図
子の夫 有馬吉政→有馬頼次~氏弘の系図
広橋総光【1580-1629】
権大納言。
妻 若杉越後守の娘
子 兼賢・孫 綏光→広橋兼賢~貞光の系図
子 西大路隆郷〔養父:西大路隆範〕(『系図纂要』による。)→西大路隆郷~隆脩の系図
子 竹屋光長〔養父:竹屋光継〕→竹屋兼俊~光昭の系図
子 日野西総盛→日野西総盛~延栄の系図
子 日野西光氏〔養父:日野西総盛〕(『系図纂要』による。)→日野西総盛~延栄の系図
子 若王子意経・鶴松丸・菊松丸・光時・子 総光の娘(4人)(『広橋家譜』による。)
子の夫 東坊城長維(『系図纂要』による。)→東坊城益長~長維の系図
孫 恒長→東坊城恒長~夏長の系図
広橋兼賢~貞光の系図
広橋兼賢【1595-1669】〔養子:巌雄〕(以下、『系図纂要』による。)
准大臣。
祖父 兼勝・父 総光→広橋兼勝・総光の系図
妻 正親町季康の娘
妻の父 正親町季康→正親町実彦~実豊の系図
子 賢定・光英・八丸・子 兼賢の娘(2人)(『広橋家譜』による。)
子の夫 松平忠昌→松平忠昌の系図
孫 光通→松平光通~吉邦の系図
子の夫 藪嗣孝(『広橋家譜』による。)→藪嗣良~嗣義の系図
子 竹屋光忠〔養父:竹屋光久〕→竹屋兼俊~光昭の系図
子 日野西国豊〔養父:日野西国宣〕→日野西総盛~延栄の系図
子 勝海(『広橋家譜』による。)
子 光深(『広橋家譜』による。)
実は三条西実条(→三条西実世~実条の系図)の子。
子 兼尊(『広橋家譜』による。)
実は土御門泰重(→土御門泰重の系図)の子。
子 実定
実は滋野井季吉(→滋野井季吉~実光の系図)の子。
子 幸子→光瑛の系図
広橋綏光【1616-1654】
権中納言。
妻 三条西公勝の娘
妻の父 三条西公勝→三条西公勝~公福の系図
子 貞光〔養父:広橋兼茂〕
子 西大路隆平〔養父:西大路隆郷〕→西大路隆郷~隆脩の系図
子 巌雄〔養父:広橋兼賢〕
子 宗光・綏尚・厳耀・光英(『広橋家譜』による。)
広橋兼茂【1636-1687】
広橋貞光/国宣【1643-1699】〔養父:日野西光氏(→日野西総盛~延栄の系図)〕
権中納言。実は広橋綏光の子。当初、日野西家を継いだ。
子 兼廉・孫 兼頼→広橋兼廉~勝胤の系図
子 西大路隆業〔養父:西大路隆栄〕→西大路隆郷~隆脩の系図
子 日野西国豊→日野西総盛~延栄の系図
子 光範(『広橋家譜』による。)
子 聖円(『広橋家譜』による。)
実は万里小路雅房(→万里小路雅房~尚房の系図)の娘。
子の夫 松木宗顕→松木宗顕~宗有の系図
子の夫 六条有藤→六条有継~有藤の系図
孫 有起→六条有起~有義の系図
広橋兼廉~勝胤の系図
広橋兼廉【1678-1724】
権大納言。
祖父 兼茂・父 貞光→広橋兼賢~貞光の系図
妻 松平忠昭の娘
妻の父 松平忠昭→松平忠晴・忠昭の系図
子 兼廉の娘(『広橋家譜』による。)
子 久世栄通〔養父:久世通晃〕→久世栄通~通煕の系図
子 兼廉の娘〔養父:松平忠周〕→松平忠周・忠容~忠明の系図
子 岩丸・鶴丸・子 兼廉の娘(『広橋家譜』による。)
子の夫 本多忠篤→本多忠恒・忠統の系図
子の夫 榊原長良→榊原長良の系図
広橋兼頼【1700-1715】
妻 松平忠周の娘
妻の父 松平忠周→松平忠周・忠容~忠明の系図
広橋勝胤/兼胤(かねたね)【1715-1781】〔養子:松平忠愛の娘(→松平忠愛の系図)〕
准大臣。長く武家伝奏を務めた。日記は『八槐記』。
妻 成瀬正幸の娘
妻の父 成瀬正幸→成瀬正幸の系図
夫 松平尚澄→松平尚澄の系図
子 伊光→広橋伊光の系図
孫 胤定→広橋胤定の系図
子 東坊城益良〔養父:東坊城輝長〕→東坊城恒長~夏長の系図
子の夫 日野資枝→日野資時~資平の系図
妻 烏丸光栄の娘
妻の父 烏丸光栄→烏丸光栄~光徳の系図
子 資補(『広橋家譜』による。)→烏丸光栄~光徳の系図
実は烏丸光胤の子。
子 綱子〔養父:広橋伊光(→広橋伊光の系図)〕
子 賢子→綾小路俊宗~有良の系図
子の夫 藪保季→藪保季~実方の系図
子の夫 烏丸光祖→烏丸光栄~光徳の系図
広橋伊光の系図
広橋伊光(これみつ)【1745-1823】〔養子:広橋綱子(→広橋兼廉~勝胤の系図)〕
准大臣。日記は『勁槐記』。
祖父 兼頼・父 勝胤→広橋兼廉~勝胤の系図
祖父 成瀬正幸→成瀬正幸の系図
妻 黒田安/万千/代々【1745-1782】
黒田継高(→黒田綱政~継高の系図)の娘。
子 伊光の娘(『広橋家譜』による。)
妻 堀河康実の娘〔養父:堀河康実(→堀河康俊~康実の系図)〕
実は堀河康忠(→堀河康俊~康実の系図)の子。
子 竹屋俊康〔養父:竹屋光棣〕→竹屋兼俊~光昭の系図
子 七条信敬〔養父:七条隆則〕→七条隆脩~信睦の系図
子 喜光(『広橋家譜』による。)
実は池尻暉房(→池尻栄房~胤房の系図)の娘。
子 伊光の娘(『広橋家譜』による。)
子の夫 下冷泉為起→下冷泉為俊~為柔の系図
子 胤定→広橋胤定の系図
孫 光成→広橋光成~胤光の系図
子 交野時雍〔養父:交野時利〕→交野時貞~時万の系図
子 竹屋光棣〔養父:竹屋勝孟〕→竹屋兼俊~光昭の系図
子 光度(『広橋家譜』による。)
実は豊岡和資(→豊岡有尚~健資の系図)の子。
子 延千代・伊光の息子(2人)・子 光子・伊光の娘(2人)(『広橋家譜』による。)
子の夫 五条為徳→五条為範~為定の系図
広橋胤定の系図
広橋胤定(たねさだ)【1770-1832】
権大納言。日記は『日申記』。
祖父 勝胤→広橋兼廉~勝胤の系図
父 伊光→広橋伊光の系図
妻 葉室煕子
葉室頼煕(→葉室頼煕~長邦の系図)の娘。
子 道光【1790-1794】
子 光成・孫 胤保→広橋光成~胤光の系図
子 定子→持明院基胤~基和の系図
子 胤子(『広橋家譜』による。)
妻 藤波寛忠の娘
妻の父 藤波寛忠→藤波寛忠の系図
子 勘解由小路光宙〔養父:勘解由小路資善〕→勘解由小路資忠~光尚の系図
子 竹屋光有(『広橋家譜』による。)→竹屋兼俊~光昭の系図
子 日野資宗〔養父:日野資愛〕→日野資時~資平の系図
子 交野時晃〔養父:交野時雍〕→交野時貞~時万の系図
子 陳子(『広橋家譜』による。)→正親町公明~公董の系図
子 静子(『広橋家譜』による。)
子の夫 四辻公積→四辻公韶~公賀の系図
子 民丸・鷹丸(『広橋家譜』による。)
子 孝子→野宮定晴~定平の系図
広橋光成~胤光の系図
広橋光成(みつしげ)【1797-1862】
准大臣。日記は『後勁槐記』。
祖父 伊光→広橋伊光の系図
父 胤定→広橋胤定の系図
祖父 葉室頼煕→葉室頼煕~長邦の系図
妻 久世通理の娘
妻の父 久世通理→久世栄通~通煕の系図
子 康子→葉室頼煕~長邦の系図
子 光成の娘〔養父:日野資愛(→日野資時~資平の系図)〕
子 常丸・夷三丸・豊丸・千枝丸・子 富子(『広橋家譜』による。)
妻 飛鳥井雅光の娘
妻の父 飛鳥井雅光→飛鳥井雅香~雅望の系図
子 得子(『広橋家譜』による。)→土御門晴雄の系図
子 昌丸・子 光成の娘(『広橋家譜』による。)
子の夫 高倉永祜→高倉永範~永祜の系図
子の夫 三条西公允→三条西実称~公允の系図
子 義子(『広橋家譜』による。)→五条為範~為定の系図
子 光成の娘〔養父:久世通理(→久世栄通~通煕の系図)〕
覚了の妻になった。
子 善海・子 成子(『広橋家譜』による。)
広橋胤保(たねやす)【1819-1876】
権大納言。
子 藤波言忠(ことただ)【1853-1926】〔養父:藤波教忠(→藤波教忠の系図)〕(『広橋家譜』による。)
子 賢光(まさみつ)【1854-1910】(『広橋家譜』による。)
子 岩丸〔養父:南光度〕(『広橋家譜』による。)
実は竹屋光昭(→竹屋兼俊~光昭の系図)の子。
子 文子・恭子(『広橋家譜』による。)
実は藤波教忠(→藤波教忠の系図)の娘。
子 治丸・英丸・子 保子・栄子・幾子・利子・聖海・胤保の娘(2人)(『広橋家譜』による。)
広橋胤光【1852-1869】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。