このページでは、大村氏(藤原氏北家・長良流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大村氏(肥前国大村藩主)の略系図
1 忠澄→大村忠澄~純前の系図
12 純忠→大村純忠~純信の系図
16 純長→大村純長~純富の系図
20 純保→大村純保~純煕の系図
大村忠澄~純前の系図
大村忠澄(ただずみ)
大村氏の祖とされる。肥前国大村の久原城に住んだという。
祖父 遠澄・父 幸澄→藤原遠経の系図
大村親澄(ちかずみ)
大村澄宗(すみむね)
大村澄遠(すみとお)
大村純興(すみおき)
大村純弘(すみひろ)
大村純郷(すみさと)/純御(すみみつ)
孫 純盛〔養父:大村忠豊〕(『大村家譜(肥前大村)』による。)
大村徳純(のりずみ)
孫 純益(『大村家譜(肥前大村)』による。)
孫 純次(以下、『大村家譜(肥前大村)』による。)
曾孫 純淳
実は大村純伊の子。
大村純治(すみはる)【?-1471】
大村純伊(すみこれ)【1459-1537】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 有馬貴純の娘
実は東純量の娘。
妻の父 有馬貴純→有馬経澄~尚鑑の系図
子 良純(よしずみ)【?-1569】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 純重(『大村家譜(肥前大村)』による。)
子 忠豊
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 純盛(『大村家譜(肥前大村)』による。)
実は大村純重の子。
子の夫 有馬晴純→有馬晴純~晴信の系図
妻 朝長氏
子 尚純
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 少弐氏
子 藤八郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 阿音(あおん)【?-1551】
子 純淳〔養父:大村純次〕
大村純前(すみさき)【?-1551】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 有馬尚鑑の娘
妻の父 有馬尚鑑→有馬経澄~尚鑑の系図
子 純前の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 鈴田純種の娘
子 後藤貴明(たかあきら)【1534-1583】〔養父:後藤純明、養子:後藤惟明(→松浦隆信~久信の系図)〕
子 純忠・孫 喜前→大村純忠~純信の系図
大村純忠~純信の系図
大村純忠(すみただ)【1533-1587】
実は有馬晴純(→有馬晴純~晴信の系図)の子。初のキリシタン大名として、天正遣欧使節を派遣し、長崎港を整備した。
祖父 純伊・父 純前→大村忠澄~純前の系図
妻 西郷純久の娘
子 純宣
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 純忠の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 一瀬氏
子 純忠の娘【?-1650】
母は『寛政重修諸家譜』による。渋江公種に嫁いだ。
子の夫 長崎純景→有馬経澄~尚鑑の系図
妻 西郷氏
子 メンシャ→松浦隆信~久信の系図
孫 松浦隆信→松浦隆信の系図
妻 井上氏
子 純直(すみなお)【?-1618】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 敏武【?-1640】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
孫の妻 大村喜前の娘【?-1644】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 純栄(『寛政重修諸家譜』による。)
子 純忠の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 天窪氏
子 純忠の娘【?-1645】
母は『寛政重修諸家譜』による。福田兼親に嫁いだ。
大村喜前(よしさき)/喜純(よしずみ)【1569-1616】
肥前国大村藩主。キリシタン大名であったが棄教した。御一門払いをし、権力強化に努めた。
妻 有馬義純の娘
妻の父 有馬義純→有馬晴純~晴信の系図
子 喜前の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。有馬直純に嫁ぐ予定であった。
子の夫 松浦隆信→松浦隆信の系図
妻 朝長氏
子 新太郎【?-1627】
子 喜前の娘【?-1689】
母は『寛政重修諸家譜』による。大村公頼に嫁いだ。
子 喜前の娘【?-1635】
母は『寛政重修諸家譜』による。大村純茂に嫁いだ。
妻 皆吉氏
子 喜前の娘【?-1676】
母は『寛政重修諸家譜』による。
大村純頼(すみより)【1592-1619】
大村藩主。
妻 大村頼直の娘【?-1667】
大村純信(すみのぶ)【1618-1650】
大村藩主。
妻 伊丹勝長の娘【?-1673】
妻の父 伊丹勝長→伊丹勝長の系図
子 純長・孫 純尹→大村純長~純富の系図
大村純長~純富の系図
大村純長(すみなが)【1636-1706】
大村藩主。実は伊丹勝長(→伊丹勝長の系図)の子。藩政の諸機構を整備した。藩校集義館を創設した。
祖父 純頼・父 純信→大村純忠~純信の系図
妻 大村政直の娘【?-1658】
子の夫 生駒親興→生駒親興の系図
妻 有馬亀子【?-1677】
有馬康純(→有馬康純の系図)の娘。
子 純真(すみざね)【1662-1712】
子 大田原清勝〔養父:大田原政増〕→大田原増清~清昭の系図
子 五郎八【?-1690】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 純長の娘【?-1752】
母は『寛政重修諸家譜』による。福田長兼に嫁いだ。
妻 大村長行の娘
子 純庸〔養父:大村純尹〕
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
妻 相沢氏
子 西郷寿員〔養父:西郷延員〕→西郷寿員の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。『大村家譜(肥前大村)』によれば、有馬亀子。
子の夫 久世広隆→久世広当~広孝の系図
子の夫 平岡頼雄→平岡頼雄の系図
子の夫 堀秀行→堀秀行の系図
大村純尹(すみまさ)【1664-1712】
大村藩主。
妻 織田信久の娘【?-1711】
妻の父 織田信久→織田信久の系図
妻 浅田長令の娘
子 亀次郎【?-1704】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 源之助【?-1709】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 純尹の娘【?-1710】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子の夫 大田原清在→大田原増清~清昭の系図
大村純庸(すみつね)【1670-1738】
大村藩主。実は大村純長の子。
妻 諸星道之の娘
子 吉三郎【?-1765】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 純皓(すみあき)/純基(すみもと)【?-1743】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 虎之助【?-1723】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 純庸の娘【?-1742】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。大村保勝に嫁いだ。
子 純庸の娘【?-1715】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 純庸の娘【?-1792】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。大村富敬に嫁いだ。
子 純庸の娘【?-1724】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 純庸の娘【?-1752】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。針尾保納に嫁いだ。
子の夫 大田原友清→大田原扶清・友清の系図
妻 香取久武の娘
子 富包(ひきかね)【?-1793】〔養父:熊野包辰〕
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 富次(ひきつぐ)【?-1800】〔養父:三好利房〕
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
大村純富(すみひさ)【1711-1748】
大村藩主。母は『大村家譜(肥前大村)』による。
妻 本多ヱツ【?-1786】
本多正武(→本多正直~正矩の系図)の娘。
妻 大村友晴の娘【?-1747】
子 純保・孫 純鎮→大村純保~純煕の系図
子 采女【?-1738】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
大村純保~純煕の系図
大村純保(すみもり)【1731-1760】
大村藩主。母は『大村家譜(肥前大村)』による。
祖父 純庸・父 純富→大村純長~純富の系図
妻 植村家包の娘【?-1792】
妻の父 植村家包→植村家貞~家包の系図
子 純保の娘【?-1773】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 針尾幸納の娘【?-1756】
子 純将(すみまさ)【?-1790】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
大村純鎮(すみやす・すみしげ)【1759-1814】
大村藩主。
妻 松平留姫
実は松平容章(→松平正容~容頌の系図)の娘。
妻の父 松平容頌→松平正容~容頌の系図
子 純鎮の娘【?-1795】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 純鎮の娘【?-1795】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
妻 大村鎮直の娘
子 純鎮の娘【?-1781】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 純鎮の娘【?-1784】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 純鎮の娘【?-1789】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 純鎮の娘【?-1792】
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子 純文・子 純鎮の娘(2人)
母は『大村家譜(肥前大村)』による。
子の夫 板倉勝晙→板倉勝政~勝弼の系図
子の夫 織田信美→織田信美の系図
子の夫 酒井忠藎→酒井忠言~忠経の系図
大村純昌(すみよし)【1786-1838】(以下、『大村家譜(肥前大村)』による。)
大村藩主。
妻 亀井律/民/幹
亀井矩賢(→亀井矩貞~茲監の系図)の娘。
子 阿部正備〔養父:阿部正瞭〕→阿部正瞭~正功の系図
子 高木正功〔養父:高木正明〕→高木正功の系図
子 小出英教〔養父:小出英発〕→小出英教の系図
子 植村家興〔養父:植村家貴〕→植村家道~家壺の系図
子 純煕〔養父:大村純顕〕
子の夫 松平乗懿→松平乗完~乗秩の系図
子の夫 相良長福→相良長寛~頼基の系図
子の夫 松平忠恕→松平忠福~忠恕の系図
子の夫 九鬼精隆(『系図纂要』による。)→九鬼隆律~隆義の系図
大村純顕(すみあき)【1822-1882】
大村藩主。
妻 溝口直諒の娘
妻の父 溝口直諒→溝口直諒の系図
妻 秋田肥季の娘
実は秋田孝季(→秋田孝季の系図)の娘。
妻の父 秋田肥季→秋田肥季の系図
子 純顕の娘
松前徳広に嫁ぐ予定であった。
大村純煕(すみひろ)/利純【1825-1882】
大村藩主。実は大村純昌の子。
妻 片桐嘉庸
片桐貞信(→片桐貞信の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。