このページでは、京極氏(宇多源氏・扶義流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
京極氏(室町幕府四職・讃岐国丸亀藩主)の略系図
1 氏信→京極氏信・満信の系図
3 宗氏→京極宗氏~高詮の系図
7 高光→京極高光~高吉の系図
16 高次→京極高次~高和の系図
19 高豊→京極高豊~朗徹の系図
京極氏信・満信の系図
京極氏信(うじのぶ)【1220-1295】
京極氏の祖。京極高辻の邸を譲り受けて京極を称した。
妻 藤原実遠の娘
妻の父 藤原実遠→阿野公佐~公廉の系図
子 宗綱(むねつな)【1248-1297】
孫 祐信・時綱
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 貞宗(さだむね)【1287-1305】〔養子:京極宗氏(→京極宗氏~高詮の系図)〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫の妻 高嶋行綱の娘
孫の妻の父 高嶋行綱→高嶋高信の系図
孫の夫 出雲時清→出雲義清の系図
孫の夫 京極宗氏→京極宗氏~高詮の系図
子 頼氏(よりうじ)【?-1297】
子 範綱
子の妻 高嶋行綱の娘
子の妻の父 高嶋行綱→高嶋高信の系図
子の夫 加地経綱→加地盛綱の系図
子の夫 吉良満氏→吉良長氏~貞義の系図
子の夫 大江佐時→大江佐時の系図
京極満信(みつのぶ)/満綱【1256-1279】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 宗氏・孫 高氏→京極宗氏~高詮の系図
子 黒田宗満・孫 宗信→黒田宗満~孝高の系図
京極宗氏~高詮の系図
京極宗氏(むねうじ)/宗信(むねのぶ)【1269-1329】〔養父:京極貞宗(→京極氏信・満信の系図)〕
祖父 氏信・父 満信→京極氏信・満信の系図
妻 京極宗綱の娘
妻の父 京極宗綱→京極氏信・満信の系図
子 貞氏(さだうじ)【?-1355】
子 高谷貞満(さだみつ)【?-1335】
京極高氏(たかうじ)【1296-1373】
足利尊氏に従い、室町幕府で政所執事や近江守護などを務めた。婆娑羅大名と呼ばれた。
妻 二階堂時綱の娘
妻の父 二階堂時綱→二階堂時綱の系図
孫の夫 六角氏頼→近江頼綱~六角満高の系図
子 秀綱(ひでつな)【?-1353】
南朝方に攻められ、近江国堅田で戦死した。
孫 秀詮(ひであき)【?-1362】
摂津国渡辺で南朝方を迎え撃つ際に、伏兵にあって戦死した。
孫 氏詮(うじあき)【?-1362】
摂津国渡辺で南朝方を迎え撃つ際に、伏兵にあって戦死した。
子の夫 赤松則祐(『系図纂要』による。)→赤松則祐~則房の系図
子の夫 斯波氏頼(『系図纂要』による。)→斯波高経~義郷の系図
京極高秀(たかひで)【1328-1391】
康暦の政変で足利義満に背いたが、のちに許された。
子 尼子高久→尼子高久の系図
子 宍路秀益・宇賀野高雅・多田満秀(『系図纂要』による。)
京極高詮(たかのり)【1352-1401】
明徳の乱などで功をあげた。
子 高光・孫 持清→京極高光~高吉の系図
子 高数(たかかず)【?-1441】
嘉吉の乱で討ち死にした。
孫 多賀高忠〔養子:鯰江豊後守(→鯰江高久~森高次・吉安~浜之助・吉房~震太郎の系図)〕(『系図纂要』による。)
京極高光~高吉の系図
京極高光(たかみつ)【1375-1413】
祖父 高秀・父 高詮→京極宗氏~高詮の系図
子 持高(もちたか)【1401-1439】(『系図纂要』による。)
子 持重(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 細川持之(『系図纂要』による。)→細川満元~昭元の系図
京極持清(もちきよ)【1409-1472】(以下、『系図纂要』による。)
応仁の乱では細川勝元に従った。
子 政光〔養父:京極勝秀、黒田清高〕
子 政経〔養父:京極政光〕
子の夫 畠山政長→畠山政長の系図
京極勝秀(かつひで)【1433-1468】
子 高清〔養父:京極政経〕
京極政光(まさみつ)【1446-1469】〔養父:黒田清高(→黒田宗満~孝高の系図)〕
実は京極持清の子。
京極政経(まさつね)/経秀(つねひで)【1453-1502】
実は京極持清の子。家督を巡り、兄の政光や甥の高清と争った。
京極高清(たかきよ)【1460-1517/1538】
実は京極勝秀の子。おじの政経と家督を争ったほか、浅井亮政に攻められた。
子 上坂泰舜〔養父:上坂景重〕→上坂泰舜の系図
京極高峯(たかみね)【?-1546】
京極高秀(たかひで)/高家(たかいえ)【?-1556】
妻 六角氏綱の娘
妻の父 六角氏綱→六角氏綱の系図
京極高吉(たかよし)/高朝(たかとも)【1504-1581】
近江に逃れた足利義昭を保護した。子の高次を織田信長の人質として差し出して隠棲した。オルガンティーノから洗礼を受け、キリスト教を信仰した。
妻 浅井マリア【?-1618】
浅井祐政(→浅井祐政の系図)の娘。オルガンティーノから洗礼を受け、キリスト教を信仰した。
子 高次・孫 忠高→京極高次~高和の系図
子 高知→京極高知の系図
孫 高広→京極高広・高勝~高平の系図
孫 高三→京極高三~高盛・高門~高貞の系図
孫 高通→京極高通~高之・高重~高伴の系図
孫 田中満吉→田中満吉~京極高貞の系図
子 竜子→武田氏信~元明の系図・豊臣秀吉の系図
子の夫 朽木宣綱→朽木宣綱・良綱~金綱の系図
孫 智綱→朽木智綱~綱泰の系図
京極高次~高和の系図
京極高次(たかつぎ)【1563-1609】
若狭国小浜藩主。関ケ原の戦いの直前には、大津城主として西軍を大津に引き付けた。
祖父 高秀・父 高吉→京極高光~高吉の系図
祖父 浅井祐政→浅井祐政の系図
妻 浅井初【?-1633】
浅井長政(→浅井長政の系図)の娘。大坂の陣では、講和のための使者を務めた。
妻 小倉氏
子 安毛高政(たかまさ)【1602-1629】
孫 京極高和〔養父:京極忠高〕
子の夫 今出川経季→今出川晴季~公規の系図
京極忠高(ただたか)【1593-1637】
小浜藩主・出雲国松江藩主。嗣子がなく、領地を没収された。
妻 徳川初姫
徳川秀忠(→徳川秀忠の系図)の娘。
妻 園基任の娘【1609-1680】
妻の父 園基任→園基富~基音の系図
子 伊知子(いちこ)【?-1660】
京極高和(たかかず)【1619-1662】
播磨国竜野藩主・讃岐国丸亀藩主。実は安毛高政の子。
妻 藤堂高次の娘
妻の父 藤堂高次→藤堂高次~高敏の系図
子 阿久里→宗義真~義方の系図
子 小法師・子 高和の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 林氏
子 高豊・孫 高或→京極高豊~朗徹の系図
孫 高通→京極高通~高典の系図
子 高房(たかふさ)【1644-1677】
実は多賀常良の子。
子の妻 生駒高俊の娘
子の妻の父 生駒高俊→生駒高俊の系図
孫 高房の娘〔養父:京極高和〕
子 美屋→今出川晴季~公規の系図
孫 今出川伊季→今出川伊季~誠季の系図
子の夫 石川昌能→石川忠総~義孝の系図
子の夫 石川総乗→石川総乗~総武の系図
京極高豊~朗徹の系図
京極高豊(たかとよ)【1655-1694】
丸亀藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 忠高・父 高和→京極高次~高和の系図
妻 山内豊昌の娘
妻の父 山内豊昌→山内豊昌の系図
妻 酒井忠挙の娘
妻の父 酒井忠挙→酒井忠挙~親本の系図
子 祐次郎・松之助・八十郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 梅
子 種子→松平信祝の系図
子 弁子→西尾忠成~忠需の系図
妻 塩津可知
子 高通・孫 高慶→京極高通~高典の系図
京極高或(たかもち)【1692-1724】
丸亀藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。兄の高通に1万石を分与した。
妻 伊達光子【?-1725】
伊達宗利(→伊達宗利・宗贇の系図)の娘。
妻 留勢
子 照子→大久保忠胤の系図
妻 佐藤登麻
子 西尾忠需〔養父:西尾忠尚〕→西尾忠成~忠需の系図
妻 沢田佐野
子 高綏(たかやす)【1719-1751】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 高迢〔養父:京極高矩〕
妻 筒井美野
子 高亮(たかすけ)【1721-1743】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 大谷氏
子 多賀良安(よしやす)【1721-1743】〔養父:多賀良貴〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 坊城俊清の娘(『京極家譜(讃岐丸亀)』による。)
子の妻の父 坊城俊清→坊城俊清~俊親の系図
京極高矩(たかのり)/高定(たかさだ)【1718-1763】
丸亀藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平得寿子【?-1797】
松平信祝(→松平信祝の系図)の娘。
妻 生島尾上
子 鉄子→板倉重寛~勝行の系図
妻 藤田哥
子 熊子→遠山友清の系図
妻 松島氏
子 高教(以下、『京極家譜(讃岐丸亀)』による。)
母は『寛政重修諸家譜』による。
曾孫 高岑
曾孫の妻 京極明代【1820-1874】
曾孫 朗徹〔養父:京極高朗〕
子 高迢(たかとお)【1746-1762】
実は京極高綏の子。
京極高中(たかなか)/高躬(たかみ)【1754-1811】
丸亀藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 秋元凉朝の娘
実は秋田延季(→秋田延季の系図)の娘。
妻の父 秋元凉朝→秋元凉朝の系図
妻 太田氏
子 高行(たかゆき)【1773-1788】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 山田民
子 千吉
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 琴子→遠山友寿の系図
子 高中の息子・子 高中の娘(『京極家譜(讃岐丸亀)』による。)
京極高朗(たかあきら)【1798-1874】(以下、『京極家譜(讃岐丸亀)』による。)
丸亀藩主。
妻 酒井忠道の娘
妻の父 酒井忠道→酒井忠以・忠道の系図
妻 菅沼氏
子 高美【1818-1845】
子の妻 浅野満子
実は浅野長懋(→浅野重晟の系図)の娘。
子の妻の父 浅野長訓→浅野斉賢~長勲の系図
子 豊子→京極高通~高典の系図
京極朗徹(あきゆき)【1828-1882】
丸亀藩主。実は京極高周の子。
妻 京極十子【1836-1852】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。