森川氏(宇多源氏・扶義流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、森川氏(宇多源氏・扶義流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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森川氏(下総国生実藩主)の略系図

森川氏の略系図1

1 宗綱堀部宗綱~堀場氏兼の系図
8-A1 定兼森川定兼~政寧の系図
8-A2 信宗森川信宗~信彦の系図
9-A1 重次森川重次~昌房・昌氏~伝之助の系図
9-A2 次政森川次政~次忠・近治~永賢の系図
9-B 正次堀場正次~森川元政の系図

森川氏の略系図2

10-A1 長次森川長次~友会の系図
10-A2 長俊森川長俊~克長の系図
10-B 重成森川重成~利雄・重定~定刑の系図
10-C 重定堀場重定~森川勝房・重房~寛勝の系図

森川氏の略系図3

11 氏俊森川氏俊・正次~氏佳の系図
11-A1 氏信森川氏信~氏知・光房~長興の系図
11-A2 氏時森川氏時~氏林の系図
11-A3 之俊森川之俊~之重の系図
11-A4 氏房森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図

12 重俊森川重俊~俊胤の系図
12-A 重名森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図
12-B 重頼森川重頼~俊懌の系図

16 俊常森川俊常~俊方の系図

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堀部宗綱~堀場氏兼の系図

堀部宗綱~堀場氏兼の系図

  堀部宗綱(むねつな)

祖父 泰綱近江泰綱の系図
 頼綱近江頼綱~六角満高の系図


  堀部宗泰(むねやす)


  堀部高泰(たかやす)


  堀部満泰(みつやす)


  堀部秀泰(ひでやす)


  堀部秀定(ひでさだ)(以下、『系図纂要』による。)


  堀部泰氏(やすうじ)


  堀部定泰(さだやす)
 森川定兼 助右衛門森川定兼~政寧の系図


  堀場宗氏(むねうじ)
 森川重次 近次森川重次~昌房・昌氏~伝之助の系図
 正次 森川重次堀場正次~森川元政の系図


  堀場氏兼(うじかね)【?-1561】
 森川定兼の娘
妻の父 森川定兼森川定兼~政寧の系図
 森川氏俊 正次森川氏俊・正次~氏佳の系図
 氏信森川氏信~氏知・光房~長興の系図
 重俊森川重俊~俊胤の系図

 森川長次 長貞森川長次~友会の系図
 長俊森川長俊~克長の系図

 森川重成 重次森川重成~利雄・重定~定刑の系図
 重定 森川重氏堀場重定~森川勝房・重房~寛勝の系図

子の夫 真野信重(『寛政重修諸家譜』による。)→真野信重の系図
子の夫 山羽長勝→山羽長勝の系図

森川長次~友会の系図

森川長次~友会の系図

  森川長次(ながつぐ)/氏重(うじしげ)【1550-1615】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 宗氏 氏兼堀部宗綱~堀場氏兼の系図
祖父 森川定兼森川定兼~政寧の系図

 氏成〔養父:佐々九郎右衛門〕
 長俊 長次森川長俊~克長の系図
 重次〔養父:森川重成〕→森川重成~利雄・重定~定刑の系図
子の夫 内田正弘→内田正弘の系図

 長次〔養父:森川長俊〕→森川長俊~克長の系図


  森川長貞(ながさだ)/信之(のぶゆき)【1582-1639】
 森川重次の娘
妻の父 森川重次堀場正次~森川元政の系図


  森川長重(ながしげ)/信正(のぶまさ)【1620-1685】
 氏次〔養父:森川重時〕→堀場重定~森川勝房・重房~寛勝の系図


  森川信春(のぶはる)【?-1713】
 信春の娘〔養父:森川信定〕


  森川信定(のぶまさ)【1684-1715】


  森川信政(のぶまさ)【1694-1742】
 実は安部信旨(→安部信旨の系図)の子。
 森川信定の娘
 実は森川信春の娘。
 榊原忠朝の娘
妻の父 榊原忠朝→榊原忠朝の系図

子の夫 根岸定寧→根岸定寧の系図


  森川信馮(のぶより)【1719-1775】
 清須幸考〔養父:清須幸堅〕→清須幸考の系図
子の夫 堀屋常明→堀屋常明の系図
子の夫 小田切昌言→小田切昌言の系図


  森川信友(のぶとも)【1746-?】
 服部義府の娘
妻の父 服部義府→服部義府の系図


  森川友会(ともより)【1774-?】

森川長俊~克長の系図

森川長俊~克長の系図

  森川長俊(ながとし)【1584-1642】

祖父 氏兼堀部宗綱~堀場氏兼の系図
 長次森川長次~友会の系図


  森川長次(ながつぐ)【1617-1680】
 実は森川政俊(→森川長次~友会の系図)の子。
 森川重次の娘
妻の父 森川重次森川重成~利雄・重定~定刑の系図
 榊原政茂〔養父:榊原正次〕→榊原政茂の系図


  森川長政(ながまさ)【1646-1676】
 森川長重の娘
妻の父 森川長重→森川長重の系図


  森川長英(ながふさ)【1672-1744】
 小長谷時苗の娘
妻の父 小長谷時苗→小長谷時苗の系図

子の夫 榊原脩政→榊原脩政の系図
子の夫 比留正記→比留正記の系図


  森川継長(つぐなが)【1717-1784】
 惟長
 実は森川氏芳(→森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図)の子。
 克長〔養父:森川長珍〕


  森川長珍(ながよし)【1736-1787】


  森川克長(かつなが)【1761-?】
 比留正記の娘
 実は比留正珍(→比留正珍の系図)の娘。
妻の父 比留正記→比留正記の系図

森川重成~利雄・重定~定刑の系図

森川重成~利雄・重定~定刑の系図

  森川重成(しげなり)/重利(しげとし)【1553-1635】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 宗氏 氏兼堀部宗綱~堀場氏兼の系図
祖父 森川定兼森川定兼~政寧の系図


  森川重次(しげつぐ)/重久(しげひさ)【?-1649】
 実は森川長次(→森川長次~友会の系図)の子。
 重定(しげさだ)【?-1645】
子の夫 森川長次森川長俊~克長の系図


  森川重成(しげなり)【?-1669】
 雨宮忠重の娘
妻の父 雨宮忠重→雨宮忠重の系図


  森川重之(しげゆき)【1663-1692】
 森川昌次の娘
妻の父 森川昌次森川重次~昌房・昌氏~伝之助の系図


  森川盛房【1682-1740】
 河野通賢の娘
妻の父 河野通賢→河野通賢の系図


  森川綱利(つなとし)【1714-1771】
 深谷盛重の娘
 実は渡辺良悦の娘。
妻の父 深谷盛重→深谷盛重の系図


  森川定利(さだとし)【1735-1789】
 中沢清因の娘
妻の父 中沢清因→中沢清因の系図

 朝比奈泰見の娘
妻の父 朝比奈泰見→朝比奈泰見の系図


  森川義利(よしとし)【1766-1792】
 実は木村恒佐(→木村恒佐の系図)の子。
 森川定利の娘
 実は杉田忠明(→杉田忠明の系図)の娘。


  森川利雄(としお)【1768-?】
 実は木村恒佐(→木村恒佐の系図)の子。
 加賀美遠清の娘
妻の父 加賀美遠清→加賀美遠清の系図


  森川重定(しげさだ)【1628-1679】


  森川重清(しげきよ)【?-1707】
 実は飯田有清(→飯田有清の系図)の子。
子の夫 都筑為得→都筑為得の系図


  森川重種(しげたね)【1693-1716】
 実は神尾長孝(→神尾長孝の系図)の子。


  森川重富(しげとみ)【1700-1722】
 実は都筑為昌(→都筑為昌の系図)の子。
子の夫 杉浦勝満→杉浦勝満の系図


  森川定見(さだみ)【1710-1782】
 実は都筑為昌(→都筑為昌の系図)の子。
 長義孝の娘
妻の父 長義孝→長義孝の系図
 都筑為行〔養父:都筑為房〕→都筑為行の系図


  森川定美(さだよし)【1742-1792】
 佐野政信の娘
妻の父 佐野政信→佐野政信の系図


  森川定刑(さだのり)【1768-?】
 柳世友卓の娘
妻の父 柳世友卓→柳世友卓の系図

 永田義休の娘
妻の父 永田義休→永田義休の系図

堀場重定~森川勝房・重房~寛勝の系図

堀場重定~森川勝房・重房~寛勝の系図

  堀場重定(しげさだ)【1552-1594】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 宗氏 氏兼堀部宗綱~堀場氏兼の系図
祖父 森川定兼森川定兼~政寧の系図


  森川重氏(しげうじ)【1575-1634】


  森川重政(しげまさ)【1608-1646】
 実は森川重次(→堀場正次~森川元政の系図)の子。
 近藤用清の娘
妻の父 近藤用清→近藤用清の系図

子の夫 知久直次→知久直次の系図


  森川重時(しげとき)【1628-1704】
 森川元政の娘
妻の父 森川元政堀場正次~森川元政の系図


  森川氏次(うじつぐ)【1666-1706】
 実は森川長重(→森川長次~友会の系図)の子。
 深尾永常の娘
妻の父 深尾永常→深尾永常の系図


  森川勝矩(かつのり)【1691-1770】
 実は川井久重(→川井久重の系図)の子。
 布施正房の娘
妻の父 布施正房→布施正房の系図

 菅沼正勝〔養父:菅沼定景〕→菅沼正勝の系図
子の夫 渡辺久綱渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図


  森川快勝(よしかつ)【1733-?】
 森川之忠の娘
妻の父 森川之忠森川之俊~之重の系図
 小島重勝〔養父:小島秀清〕→小島重勝の系図
 寛勝〔養父:森川佳景〕

 正之
 実は小林正興(→小林正興の系図)の子。
子の夫 佐橋佳覚→佐橋佳覚の系図
子の夫 伴政広→伴政広の系図


  森川勝命(かつよし)【1756-?】
 実は設楽貞好(→設楽貞好の系図)の子。
子の夫 坪内定矩→坪内定矩の系図


  森川勝房(かつふさ)
 佐々長義の娘
妻の父 佐々長義→佐々長義の系図


  森川重房(しげふさ)【1643-1719】


  森川末房(すえふさ)【1682-1742】
子の夫 為井祐安→為井祐安の系図


  森川由房(よしふさ)【1720-1783】
子の夫 為井祐貞→為井祐貞の系図


  森川佳景(よしかげ)【1772-1790】
 実は市川佳寛(→市川佳寛の系図)の子。
 森川快勝の娘
 実は為井祐貞(→為井祐貞の系図)の娘。
 坪内定政→坪内定政の系図


  森川寛勝(ひろかつ)【1782-?】
 実は森川快勝の子。

森川重次~昌房・昌氏~伝之助の系図

森川重次~昌房の系図

  森川重次(しげつぐ)【1529-1599】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 定泰 宗氏堀部宗綱~堀場氏兼の系図


  森川近次(ちかつぐ)【1661-1632】


  森川次吉(つぐよし)【1599-1650】
 三橋成次の娘
妻の父 三橋成次→三橋成次の系図
 三橋成芳〔養父:三橋成次〕→三橋成芳の系図

 次政 吉次近治森川次政~次忠・近治~永賢の系図


  森川昌次(まさつぐ)【?-1689】
子の夫 森川重之森川重成~利雄・重定~定刑の系図
子の夫 岡部長興→岡部長興の系図


  森川昌勝(まさかつ)【1666-1729】
 大沢基治の娘
妻の父 大沢基治→大沢基治の系図


  森川昌武(まさたけ)【1676-1740】


  森川昌忠(まさただ)【1716-1754】
 竹本正節の娘
妻の父 竹本正節→竹本正節の系図

子の夫 斎藤正方→斎藤正方の系図


  森川昌敬(まさよし)【1738-?】
 渡辺政富の娘
妻の父 渡辺政富→渡辺政富の系図

 大久保忠孝の娘
妻の父 大久保忠孝→大久保忠孝の系図
 鈴木政徳〔養父:鈴木政邑〕→鈴木政徳の系図

子の夫 山角盛富→山角盛富の系図


  森川昌房(まさふさ)【1773-?】
 大久保忠養の娘
妻の父 大久保忠養→大久保忠養の系図


  森川昌氏(まさうじ)【1669-1728】


  森川新太郎【1701-1743】
 新太郎の娘
 森川伝之助に嫁ぐ予定であった。


  森川伝之助
 実は小島源左衛門の子。

森川次政~次忠・近治~永賢の系図

森川次政~次忠・近治~永賢の系図

  森川次政(つぐまさ)【?-1672】

祖父 近次 次吉森川重次~昌房・昌氏~伝之助の系図


  森川吉次(よしつぐ)
 実は長塩正家(→長塩正家の系図)の子。
 次勝〔養父:森川方次〕


  森川方次(まさつぐ)


  森川次勝(つぐかつ)【1665-1741】
 実は森川吉次の子。


  森川次信(つぐのぶ)【1701-1770】
 勝通〔養父:森川正勝〕


  森川房次(ふさつぐ)【1727-?】
 次尚〔養父:森川次秀〕


  森川次秀(つぐひで)【1746-1782】


  森川次尚(つぐなお)【1762-1793】
 実は森川房次の子。


  森川次忠(つぐただ)【1777-?】
 実は久松定賢(→久松定次・定房~定安の系図)の子。


  森川近治(ちかはる)【?-1725】


  森川房治(ふさはる)【1699-1733】
 実は一場政勝(→一場政勝の系図)の子。


  森川正勝(まさかつ)【1720-1753】
 実は一場政信(→一場政信の系図)の子。


  森川勝通(かつつら)【1730-?】
 実は森川次信の子。


  森川重賢(しげよし)【1770-1798】
 実は中川長利(→中川長利の系図)の子。


  森川永賢(ながかた)【1793-?】

堀場正次~森川元政の系図

堀場正次~森川元政の系図

  堀場正次(まさつぐ)/重定(しげさだ)【?-1585】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 定泰 宗氏堀部宗綱~堀場氏兼の系図


  森川重次(しげつぐ)【?-1648】
 重政〔養父:森川重氏〕→堀場重定~森川勝房・重房~寛勝の系図
子の夫 森川長貞→森川長貞の系図

 宗信〔養父:森川元政〕


  森川重則(しげのり)
 長井盛実の娘
妻の父 長井盛実→長井盛実の系図

 正則(まさのり)【?-1671】
 太郎助【?-1681】

 重義(しげよし)【?-1667】
 次郎左衛門
 実は森川元政の子。


  森川元政(もとまさ)
 次郎左衛門〔養父:森川重義〕
 宗信
 実は森川重俊の子。
子の夫 森川重時堀場重定~森川勝房・重房~寛勝の系図

森川定兼~政寧の系図

森川定兼~政寧の系図

  森川定兼(さだかね)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 泰氏 定泰堀部宗綱~堀場氏兼の系図

子の夫 堀場氏兼堀部宗綱~堀場氏兼の系図
 森川氏俊森川氏俊・正次~氏佳の系図
 森川長次森川長次~友会の系図
 森川重成森川重成~利雄・重定~定刑の系図
 重定堀場重定~森川勝房・重房~寛勝の系図


  森川照道(てるみち)


  森川照憲(てるのり)


  森川照方(てるかた)
 信宗 信貞森川信宗~信彦の系図
 照方の娘〔養父:森川信宗〕→森川信宗~信彦の系図


  森川照重(てるしげ)


  森川政記(まさとき)【1674-1720】
 実は大谷木季政(→大谷木季政の系図)の子。
 政記の娘〔養父:森川政方〕


  森川政方(まさかた)【1703-1733】
 政方の娘
 実は江添英盛の娘。


  森川政明(まさあきら)【1710-1746】
 実は江添英盛の子。
 森川政方の娘
 実は森川政記の娘。
 政之〔養父:森川政光〕


  森川政光(まさみつ)【1730-1755】


  森川政之(まさゆき)【1737-1786】
 実は森川政明の子。
 酒井勝英の娘
妻の父 酒井勝英→酒井勝英の系図
 室富保〔養父:室富芳〕→室富保の系図

 佐々長専の娘
妻の父 佐々長専→佐々長専の系図

子の夫 酒井勝保→酒井勝保の系図


  森川政寧(まさやす)【1768-?】
 高林直豊の娘
妻の父 高林直豊→高林直豊の系図

森川信宗~信彦の系図

森川信宗~信彦の系図

  森川信宗(のぶむね)

祖父 照憲 照方森川定兼~政寧の系図


  森川信貞(のぶさだ)
 実は大屋又右衛門の子。
 森川信宗の娘
 実は森川照方(→森川定兼~政寧の系図)の娘。


  森川信之(のぶゆき)【1659-1725】
 実は沢貴茂(→沢貴茂の系図)の子。
 末高信元の娘
妻の父 末高信元→末高信元の系図

 森政春〔養父:森政治〕→森政春の系図


  森川信英(のぶひで)【1698-1760】
 実は新山秀知の子。
 榊原政世の娘
妻の父 榊原政世→榊原政世の系図

子の夫 石野広澄→石野広澄の系図


  森川信賢(のぶかた)【1718-1774】
 青木義豊の娘
妻の父 青木義豊→青木義豊の系図
 清純〔養父:森川清房〕→森川清純の系図
 服部長右〔養父:服部長嶙〕→服部長右の系図

 諏訪頼深の娘
妻の父 諏訪頼深→諏訪頼深の系図

子の夫 儀我定経→儀我定経の系図
子の夫 金田房通→金田房通の系図


  森川信彦(のぶひこ)【1750-?】
 吉野信哲の娘
妻の父 吉野信哲→吉野信哲の系図

 杉浦好政の娘
妻の父 杉浦好政→杉浦好政の系図

 信彦の娘
 実は金森可宗(→金森可宗の系図)の娘。

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森川氏俊・正次~氏佳の系図

森川氏俊・正次~氏佳の系図

  森川氏俊(うじとし)【1545-1598】

祖父 宗氏 氏兼堀部宗綱~堀場氏兼の系図
祖父 森川定兼森川定兼~政寧の系図

 氏信 氏之森川氏信~氏知・光房~長興の系図
 氏時森川氏時~氏林の系図
 之俊森川之俊~之重の系図

 重俊 重政森川重俊~俊胤の系図
 重名森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図
 重頼森川重頼~俊懌の系図

子の夫 成瀬正成→成瀬正成の系図
子の夫 長谷川正吉→長谷川正吉の系図
子の夫 土屋忠直一色範貞~土屋忠直・正猶~正名の系図
 利直土屋利直・直樹の系図
 数直土屋数直・政直の系図
 之直土屋之直~業直の系図

子の夫 稲垣重綱→稲垣重綱の系図


  森川正次(まさつぐ)【1582-1641】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)


  森川次弘(つぐひろ)
 友房〔養父:森川友重〕
子の夫 山高信久→山高信久の系図


  森川友重(ともしげ)【1669-1728】
子の夫 前田定得→前田定得の系図


  森川友房(ともふさ)【1681-1727】
 実は森川次弘の子。
 島田道行の娘
妻の父 島田道行→島田道行の系図

子の夫 富永直温→富永直温の系図


  森川友方(ともかた)【1713-1790】
 実は島田正勝(→島田正勝の系図)の子。
 常致
 実は久志本常周(→久志本常周の系図)の子。
 布施義彬〔養父:布施義容〕→布施義彬の系図
子の夫 茂野智利→茂野智利の系図


  森川友旋(ともとし)
 実は石丸輝信(→石丸輝信の系図)の子。
 森川友方の娘
 初めは森川常致に嫁ぐ予定であった。
 宇田川定円の娘
妻の父 宇田川定円→宇田川定円の系図

子の夫 多田正親→多田正親の系図
子の夫 多田正長→多田正長の系図
子の夫 彦坂恭英→彦坂恭英の系図


  森川氏佳(うじもと)【1764-?】
 森川氏寿の娘
妻の父 森川氏寿森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図

森川氏信~氏知・光房~長興の系図

森川氏信~氏知・光房~長興の系図

  森川氏信(うじのぶ)【1579-1645】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 氏兼堀部宗綱~堀場氏兼の系図
 氏俊森川氏俊・正次~氏佳の系図

 酒井重勝の娘
妻の父 酒井重勝→酒井重勝の系図
 氏時 氏芳森川氏時~氏林の系図
 之俊 之勝森川之俊~之重の系図


  森川氏之(うじゆき)【1602-1657】
 高木正綱の娘
妻の父 高木正綱→高木正綱の系図
 氏親(うじちか)【1637-1689】

子の夫 小堀正之→小堀正之の系図


  森川氏知(うじとも)【1634-1686】
 森川氏時の娘
妻の父 森川氏時森川氏時~氏林の系図
 氏房 氏長氏治森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図

 石川政信の娘
妻の父 石川政信石川政次・政信の系図

子の夫 駒井政春→駒井政春の系図
子の夫 井出政方→井出政方の系図
子の夫 松平忠郷→松平忠郷の系図


  森川光房(みつふさ)【1685-1756】
 渋川春海の娘
妻の父 渋川春海→渋川春海の系図


  森川氏央(うじひろ)【1718-1782】
 実は森川氏長(→森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図)の子。
 赤林公利の娘
妻の父 赤林公利→赤林公利の系図
 佐々政脩→佐々政脩の系図

 滝邦好の娘
妻の父 滝邦好→滝邦好の系図

 氏央の娘〔養父:小野寺氏〕
子の夫 加藤景明→加藤景明の系図


  森川氏栄(うじひさ)【1750-1793】


  森川長興(ながおき)【1777-?】
 実は森川氏寿(→森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図)の子。

森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図

森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図

  森川氏房(うじふさ)【1656-1704】

祖父 氏之 氏知森川氏信~氏知・光房~長興の系図
祖父 森川氏時→森川氏時の系図

 井上正義の娘
妻の父 井上正義井上正義~正矩の系図

子の夫 中根政秀→中根政秀の系図


  森川氏長(うじなが)【1690-1760】
 井上正清の娘
妻の父 井上正清井上重成~正直の系図

 滝田氏
 氏央〔養父:森川光房〕→森川氏信~氏知・光房~長興の系図
 氏映〔養父:森川氏治〕

子の夫 小出有陟→小出有陟の系図
子の夫 加藤正興→加藤正興の系図


  森川氏芳(うじよし)【1715-1750】
 山下勝行の娘
妻の父 山下勝行→山下勝行の系図

 惟長〔養父:森川継長〕→森川長俊~克長の系図


  森川氏寿(うじひさ)【1734-?】
 森川俊因の娘
妻の父 森川俊因森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図
 由良貞通→由良貞通の系図

 阿部正鎮の娘
妻の父 阿部正鎮阿部正春~正実・正長~正保の系図
 長春〔養父:森川義比〕
 長興〔養父:森川氏栄〕→森川氏信~氏知・光房~長興の系図

子の夫 森川氏佳森川氏俊・正次~氏佳の系図
子の夫 森川氏林森川氏時~氏林の系図


  森川氏昌(うじまさ)
 山下勝延の娘
妻の父 山下勝延→山下勝延の系図


  森川氏治(うじはる)【1680-1728】


  森川氏映(うじあきら)【1721-1779】
 実は森川氏長の子。
 安井氏庸〔養父:安井保狡〕 →安井氏庸の系図


  森川義比(よしひろ)/氏比(うじひろ)【1745-1793】


  森川長春(ながはる)【1773-?】
 実は森川氏寿の子。

森川氏時~氏林の系図

森川氏時~氏林の系図

  森川氏時(うじとき)【1607-1664】

祖父 氏俊森川氏俊・正次~氏佳の系図
 氏信森川氏信~氏知・光房~長興の系図
祖父 酒井重勝→酒井重勝の系図

子の夫 森川氏知森川氏信~氏知・光房~長興の系図


  森川氏芳(うじよし)【?-1674】


  森川氏屋(うじいえ)【?-1701】
 実は森川長重(→森川長重の系図)の子。
子の夫 飯高胤守→飯高胤守の系図


  森川氏従(うじより)【1683-1723】
 之忠〔養父:森川之為〕→森川之俊~之重の系図
子の夫 河野賀通→河野賀通の系図


  森川氏勝(うじかつ)【1706-1739】
 妻木光広の娘
妻の父 妻木光広→妻木光広の系図

 三浦直好の娘
妻の父 三浦直好→三浦直好の系図
 永井盛繁→永井盛繁の系図


  森川氏方(うじかた)【1717-1788】
 実は森川長方(→森川長方の系図)の子。
 森川之直の娘
妻の父 森川之直森川之俊~之重の系図

 本間季治の娘
妻の父 本間季治→本間季治の系図

 氏保
子の妻 石川矩仲の娘
子の妻の父 石川矩仲→石川矩仲の系図


  森川氏致(うじむね)【1751-1781】
 実は山下隆多(→山下隆多の系図)の子。
 森川氏方の娘
 実は森川之忠(→森川之俊~之重の系図)の娘。

 氏致の娘〔養父:森川氏村〕


  森川氏村(うじむら)/時村(ときむら)【1765-1783】
 実は森川之忠(→森川之俊~之重の系図)の子。


  森川氏林(うじしげ)【1766-?】
 実は朝比奈勝之(→朝比奈勝之の系図)の子。
 森川氏村の娘
 実は森川氏致の娘。
 森川氏寿の娘
妻の父 森川氏寿森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図

森川之俊~之重の系図

森川之俊~之重の系図

  森川之俊(ゆきとし)【1610-1682】

祖父 氏俊森川氏俊・正次~氏佳の系図
 氏信森川氏信~氏知・光房~長興の系図
祖父 酒井重勝→酒井重勝の系図

 守俊(もりとし)【1650-1679】
子の夫 戸田政英戸田政道~政方の系図


  森川之勝(ゆきかつ)【1648-1701】
 之為〔養父:森川之直〕


  森川之直(ゆきなお)【1670-1731】
 之直の娘〔養父:森川之為〕
子の夫 森川氏方森川氏時~氏林の系図


  森川之為(ゆきため)【1685-1765】
 実は森川之勝の子。


  森川之忠(ゆきただ)【1712-1795】
 実は森川氏従(→森川氏時~氏林の系図)の子。
 森川之為の娘
 実は森川之直の娘。
 朝比奈勝林〔養父:朝比奈義永〕→朝比奈勝林の系図
 朝比奈勝之〔養父:朝比奈義林〕→朝比奈勝之の系図
 遠山光長〔養父:遠山政之〕→遠山光長の系図

 氏村〔養父:森川氏致〕→森川氏時~氏林の系図
 安長〔養父:森川長房〕→森川安長の系図
子の夫 森川快勝堀場重定~森川勝房・重房~寛勝の系図
子の夫 佐々長勝→佐々長勝の系図
子の夫 森川氏致森川氏時~氏林の系図
子の夫 荻原昌邦→荻原昌邦の系図
子の夫 太田資周→太田資周の系図


  森川忠福(ただすけ)【1743-?】
 松平乗政の娘
妻の父 松平乗政→松平乗政の系図

 之信/乗信
 実は松平乗備(→松平乗備の系図)の子。
子の夫 河野通亮→河野通亮の系図


  森川之重(ゆきしげ)
 太田資信の娘
妻の父 太田資信→太田資信の系図
 加藤景成→加藤景成の系図

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森川重俊~俊胤の系図

森川重俊~俊胤の系図

  森川重俊(しげとし)【1584-1632】
 老中・下総国生実藩主。大久保忠隣の改易に連坐したが、のちに許された。徳川秀忠に近侍し、秀忠の死に際して殉死した。

祖父 氏兼堀部宗綱~堀場氏兼の系図
 氏俊森川氏俊・正次~氏佳の系図

 大久保忠隣の娘
 実は設楽貞清(→設楽貞清の系図)の娘。
妻の父 大久保忠隣→大久保忠隣の系図
 重名 重高俊勝森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図
 重頼 重良森川重頼~俊懌の系図
子の夫 溝口宣直→溝口宣直の系図
子の夫 坂部広利→坂部広利の系図
子の夫 服部政勝→服部政勝の系図


  森川重政(しげまさ)【1608-1663】
 生実藩主。
 板倉長福
 板倉重宗(→板倉重宗の系図)の娘。
 重般(しげかず)【1637-1717】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 俊勝〔養父:森川重名〕→森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図

子の夫 山口重直→山口重直の系図

 小泉氏
 重高〔養父:森川重名〕→森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図


  森川重信(しげのぶ)【1645-1706】
 生実藩主。
 井上正利の娘
妻の父 井上正利井上正利・正興~正章の系図
 俊央〔養父:森川重高〕→森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図
 戸田氏紀〔養父:戸田氏道〕→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
 重信の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 森川俊勝森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図


  森川俊胤(としたね)/重範(しげのり)/重興(しげおき)/重令(しげのり)【1670-1746】
 生実藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 亀井梅
 亀井茲政(→亀井茲政の系図)の娘。
 重能(しげよし)【1699-1716】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 大学 俊胤の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 俊常 俊令森川俊常~俊方の系図
 俊胤の娘
 実は戸田氏紀(→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図)の娘。酒井忠英に嫁ぐ予定であった。

森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図

森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図

  森川重名(しげな)【1614-1666】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 氏俊森川氏俊・正次~氏佳の系図
 重俊森川重俊~俊胤の系図
祖父 大久保忠隣→大久保忠隣の系図


  森川重高(しげたか)/重房(しげふさ)/重明(しげあきら)【1649-1693】
 実は森川重政(→森川重俊~俊胤の系図)の子。
 内藤重頼の娘
妻の父 内藤重頼内藤清成~重頼の系図

子の夫 安部信方→安部信方の系図


  森川俊央(としなか)/重矩(しげのり)/重都(しげさと)【1674-1732】
 実は森川重信(→森川重俊~俊胤の系図)の子。
 青山幸豊の娘
妻の父 青山幸豊青山幸正~幸宣の系図


  森川俊因(としより)【1717-1764】
 森川俊常の娘
妻の父 森川俊常→森川俊常の系図

 近藤氏
 俊世〔養父:森川俊清〕

子の夫 森川氏寿森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図
子の夫 由良貞通→由良貞通の系図
子の夫 駒木根政永→駒木根政永の系図


  森川俊清(としきよ)【1743-1790】
 上田義当の娘
妻の父 上田義当→上田義当の系図


  森川俊世(としひさ)【1764-?】
 実は森川俊因の子。
 青山幸省の娘
妻の父 青山幸省青山幸通~幸発の系図


  森川俊勝(としかつ)/重雅(しげつね)【1663-1732】
 実は森川重般(→森川重俊~俊胤の系図)の子。
 森川重信の娘
妻の父 森川重信森川重俊~俊胤の系図


  森川俊矩(としのり)【1707-1773】


  森川俊美(としよし)【1729-1770】
 実は水野分質(→水野重矩~忠貞・忠英・忠護の系図)の子。


  森川俊尹(としただ)【1745-?】
 実は正木康恒(→正木康恒の系図)の子。
 森川俊美の娘
 実は森川俊因の娘。
 伊東祐房の娘
妻の父 伊東祐房伊東祐春~祐膺・祐恵・祐程の系図
 渡辺富栄→渡辺富栄の系図

 俊尹の娘〔養父:正木康満〕→正木康満の系図
子の夫 小長谷政良→小長谷政良の系図
子の夫 深津英盛→深津英盛の系図


  森川俊直(としなお)【1777-?】

森川重頼~俊懌の系図

森川重頼~俊懌の系図

  森川重頼(しげより)【1620-1676】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 氏俊森川氏俊・正次~氏佳の系図
 重俊森川重俊~俊胤の系図
祖父 大久保忠隣→大久保忠隣の系図


  森川重良(しげよし)【1654-1721】
 実は設楽貞辰(→設楽貞辰の系図)の子。
 俊令〔養父:森川俊常〕→森川俊常~俊方の系図


  森川俊賢(としかた)【1692-1748】
子の夫 伊藤正醇→伊藤正醇の系図


  森川俊顕(としあき)【1725-1792】
 山田政孝の娘
妻の父 山田政孝→山田政孝の系図

 俊親(としちか)【1756-1771】
 実は柳生久隆(→柳生久隆の系図)の子。
子の夫 三上季寛→三上季寛の系図
子の夫 加藤忠久→加藤忠久の系図
子の夫 花房職興→花房職興の系図


  森川俊輝(としてる)【1746-1796】
 実は森川俊令(→森川俊常~俊方の系図)の子。
 俊知〔養父:森川俊孝〕→森川俊常~俊方の系図
子の夫 中山直経中山直好~直経の系図


  森川俊懌(としよし)【1780-?】

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森川俊常~俊方の系図

森川俊常~俊方の系図

  森川俊常(としつね)/重紹(しげつぐ)/重基(しげもと)【1697-1734】
 生実藩主。

祖父 重信 俊胤森川重俊~俊胤の系図


  森川俊令(としのり)/俊方(としかた)【1718-1787】
 生実藩主。実は森川重良(→森川重頼~俊懌の系図)の子。
 俊輝〔養父:森川俊顕〕→森川重頼~俊懌の系図
子の夫 内藤正芳→内藤正芳の系図
子の夫 小笠原長喜小笠原長章~長世の系図
子の夫 甲斐庄正昉→甲斐庄正昉の系図


  森川俊孝(としたか)【1744-1788】
 生実藩主。
 酒井忠用の娘
妻の父 酒井忠用酒井忠隆~忠用の系図

 俊盛(としもり)【1770-1788】
 俊孝の娘〔養父:牧野貞長(→牧野貞長の系図)〕
 実は有馬氏保(→有馬頼次~氏弘の系図)の娘。
 俊孝の娘〔養父:森川俊知〕


  森川俊知(としとも)/俊敏(としまさ)【1779-1838】
 生実藩主。実は森川俊輝(→森川重頼~俊懌の系図)の子。
 青山幸完の娘
妻の父 青山幸完青山幸完~幸宜の系図

 分部光実の娘
妻の父 分部光実→分部光実の系図

 俊一
 実は諏訪忠粛(→諏訪忠粛の系図)の子。
 俊知の娘
 実は森川俊孝の娘。


  森川俊民(としたみ)【1804-1855】
 生実藩主。実は松平忠馮(→松平忠馮~忠和の系図)の子。
 俊用【1831-1855】
 俊民の娘(『森川家譜(下総生実)』による。)


  森川俊位(としひら)【1841-1858】
 生実藩主。


  森川俊徳(としのり)【1844-1862】(以下、『森川家譜(下総生実)』による。)
 生実藩主。実は石川総紀(→石川総師~成之の系図)の子。


  森川俊方(としかた)【1850-1877】
 生実藩主。実は酒井忠方(→酒井忠礼~忠匡の系図)の子。
 牧野節成の娘
妻の父 牧野節成→牧野節成の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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