このページでは、桓武平氏・高棟流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
桓武平氏・高棟流の略系図
3 高棟王→高棟王・平惟範の系図
5 時望→平時望・真材の系図
7 親信→平親信の系図
7-A 重義→平重義の系図
8 行義→平行義の系図
8-A1 実親→平実親・範家の系図
8-A2 行範・棟範→平行範・棟範の系図
9 範国→平範国~知信の系図
11-A1 時信→平時信の系図
11-A2 親宗→平親宗・範国の系図
11-A3 惟忠・有親→平惟忠・平有親の系図
12 信範→平信範・信基の系図
12-A 信国・信実→平信国・信実の系図
高棟王・平惟範の系図
高棟王(たかむね)/平高棟【804−867】
大納言。高身長で読書を好んだ。晩年は深く仏教に帰依した。
祖父 桓武天皇→桓武天皇の系図
父 葛原親王→葛原親王・万多親王・仲野親王の系図
妻 藤原有子(ありこ)【?-866】
妻の父 藤原長良→藤原長良の系図
子 平実雄(さねお)
子 平正範(まさのり)
子 平季長(すえなが)【?-897】
孫 中興〔養父:忠望王〕→式瞻王・興我王・忠望王の系図
子の夫 藤原房雄→藤原村田・富士麿の系図
平惟範(これのり)【855-909】
中納言。『延喜格』の編纂にも携わった。
妻 人康親王の娘
妻の父 人康親王→人康親王・本康親王・源光の系図
子 時望・孫 真材→平時望・真材の系図
子 伊望【881-939】
大納言。
曾孫 覚慶(かくけい)【928-1014】
天台座主。応和の宗論に参加した。
平時望・真材の系図
平時望(ときもち)【877-938】
中納言。
祖父 高棟王・父 惟範→高棟王・平惟範の系図
祖父 人康親王→人康親王・本康親王・源光の系図
孫 惟仲(これなか)【944-1005】
中納言。宇佐八幡宮の宝殿に封をしたために、同宮から訴えられた。腰の骨折が原因で亡くなった。
孫の妻 藤原繁子→藤原道兼の系図
孫の妻の父 藤原師輔→藤原師輔の系図
曾孫 忠貞
実は源致治(→源当年の系図)の子。
曾孫の夫 藤原道雅→藤原伊周の系図
曾孫の夫 藤原義忠→藤原近主~仲実の系図
曾孫の夫 源頼光→源頼光の系図
孫 生昌(なりまさ)
父は平惟仲とも。藤原定子が生昌邸で出産した。『枕草子』にも登場する。
曾孫 雅康
曾孫の妻 藤原興方の娘
曾孫の妻の父 藤原興方→藤原興方~師長の系図
生昌孫 国仲〔養父:藤原資国(→藤原資国の系図)〕
平真材【900-968】
妻 藤原定高の娘
子 親信→平親信の系図
孫 重義→平重義の系図
孫 行義→平行義の系図
孫 出羽弁(でわのべん・いでわのべん)
女流歌人。藤原彰子・藤原威子・馨子内親王・章子内親王らに仕えた。
平親信の系図
平親信【945-1017】
参議。
祖父 時望・父 真材→平時望・真材の系図
妻 源通理の娘
妻の父 源通理→源通理・国盛の系図
子 行義→平行義の系図
孫 範国→平範国~知信の系図
子 重義→平重義の系図
子の夫 源道成→盛明親王~源道成の系図
孫 定親【?-1063】
孫の妻 藤原典雅の娘
孫の妻の父 藤原典雅→藤原典雅の系図
曾孫の夫 藤原師実→藤原師実の系図
孫の夫 源定成→盛明親王~源道成の系図
平重義の系図
平重義
妻 藤原道隆の娘
妻の父 藤原道隆→藤原道隆の系図
曾孫の夫 源惟兼→盛明親王~源道成の系図
珍賀孫 珍喜
珍喜の子の夫 源通氏→源通氏の系図
子の夫 藤原頼宣→藤原宣孝の系図
孫 仲子/周防内侍(すおうのないし)
歌人。『百人一首』にも歌が収められている。
平行義の系図
平行義
祖父 真材→平時望・真材の系図
父 親信→平親信の系図
祖父 源通理→源通理・国盛の系図
妻 源致明の娘
妻の父 源致明→源能有の系図
子 範国・孫 経方→平範国~知信の系図
子 師季
父は平範国(→平範国~知信の系図)とも。
子 行親
子の妻 藤原頼祐の娘
子の妻の父 藤原頼祐→藤原頼祐の系図
孫 定家
孫の妻 藤原家任の娘
孫の妻の父 藤原家任→藤原寧親の系図
曾孫 時範(ときのり)【1054-1109】
藤原師通の家司を務めた。日記は『時範記』。
曾孫の妻 平経章の娘
曾孫の妻の父 平経章→平範国~知信の系図
曾孫の子 実親→平実親・範家の系図
曾孫の子の夫 藤原邦忠→藤原邦忠の系図
孫の夫 藤原師実→藤原師実の系図
孫の夫 藤原隆方→藤原隆方の系図
曾孫 為房→藤原為房の系図
平実親・範家の系図
平実親【1087-1148】
参議。
祖父 定家・父 時範→平行義の系図
祖父 平経章→平範国~知信の系図
妻 藤原為隆の娘
妻の父 藤原為隆→藤原為隆の系図
子の夫 藤原俊経→藤原俊経・盛経の系図
平範家【1114-1161】〔養子:藤原仲職(→藤原邦忠の系図)〕
従三位。
妻 藤原清隆の娘
妻の父 藤原清隆→藤原清隆の系図
子 親範(ちかのり)【1137-1220】
参議。出家後は、出雲寺などの再建に尽力した。左大臣正一位を追贈された。
子の妻 高階泰重の娘
子の妻の父 高階泰重→高階泰重の系図
孫 基親(もとちか)【1151-?】
従三位。『官職秘抄』を撰進した。
曾孫の夫 水無瀬親兼→水無瀬親兼~具隆の系図
孫の夫 吉田定経→吉田経房・定経の系図
曾孫 資経→吉田資経の系図
曾孫 親清
曾孫の妻 舞女
曾孫の妻の夫 西園寺公経→西園寺公経の系図
子 行範・棟範→平行範・棟範の系図
子の夫 藤原脩範→藤原脩範の系図
子の夫 吉田経房→吉田経房・定経の系図
子の夫 藤原能業→藤原政業の系図
平行範・棟範の系図
平行範
祖父 実親・父 範家→平実親・範家の系図
祖父 藤原清隆→藤原清隆の系図
子 経高(つねたか)【1180-1255】〔養父:吉田経房(→吉田経房・定経の系図)〕
参議。一貫して鎌倉幕府に批判的であった。日記は『平戸記』。
曾孫 高望
曾孫の子の夫 一条家経→一条実経~内経の系図
子 範耀〔養父:藤原脩範〕→藤原脩範の系図
平棟範(むねのり)【1150-1194】
子 棟基
子の妻 藤原忠方の娘
子の妻の父 藤原忠方→藤原顕能の系図
孫 成俊【1217-1292】〔養父:藤原定俊(→藤原顕能の系図)〕
権中納言。
曾孫 惟俊
正三位。
曾孫の夫 一条実経→一条実経~内経の系図
曾孫の夫 二条資氏→二条資家の系図
棟俊孫 勾当内侍→後二条天皇の系図
子 棟子→日野資実の系図
孫 日野家光→日野家光・資宣の系図
平範国~知信の系図
平範国(のりくに)
後一条天皇から後朱雀天皇の御代で蔵人を務めた。日記は『範国記』。
祖父 親信→平親信の系図
父 行義→平行義の系図
祖父 源致明→源能有の系図
子の夫 藤原良基→藤原良基の系図
平経方
妻 藤原惟信の娘
妻の父 藤原惟信→藤原永頼の系図
妻 一宮小弁
娘とともに祐子内親王に仕えた。
子 祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)/一宮紀伊
父は源忠重とも。祐子内親王に仕えた。歌人として活躍し、『百人一首』にも歌が採られている。
平知信(とものぶ)【?-1144】
藤原忠実の家司を務めた。日記は『知信朝臣記』。
妻 藤原惟信の娘
妻の父 藤原惟信→藤原永頼の系図
子 信範・孫 信基→平信範・信基の系図
孫 信国・信実→平信国・信実の系図
子の夫 藤原成隆→藤原家隆の系図
平時信の系図
平時信(ときのぶ)【?-1149】
高倉天皇の外祖父となったことで、正一位左大臣を追贈された。
祖父 経方・父 知信→平範国~知信の系図
妻 藤原家範の娘
妻の父 藤原家範→藤原師家・家範の系図
夫 藤原顕憲→藤原顕憲の系図
子 親宗・孫 範国→平親宗・範国の系図
妻 藤原祐子
藤原顕頼(→藤原顕頼の系図)の娘。
子 滋子→後白河天皇~六条天皇の系図
孫 高倉天皇→高倉天皇・安徳天皇の系図
子 時忠(ときただ)【1130-1189】〔養子:平時兼(→平信国・信実の系図)〕
権大納言。平氏の都落ちに同行し、壇ノ浦で捕らえられて能登に流された。
子の妻 藤原領子(むねこ・りょうし)
藤原顕時(→藤原長隆・顕時の系図)の娘。建春門院・建礼門院に仕え、安徳天皇の乳母になった。平氏の都落ちにも同行した。
孫 時実(ときざね)【1151-1213】
従三位。平氏の都落ちに同行した。のちに上総に流された。
孫の妻 吉田経房の娘
孫の妻の父 吉田経房→吉田経房・定経の系図
孫 時家(ときいえ)/信時【?-1193】
孫の夫 源義経→源義朝の系図
孫の夫 藤原道経→藤原道経・鷹司兼基の系図
孫の夫 大炊御門頼実→大炊御門頼実の系図
曾孫 鷹司頼平→鷹司頼平の系図
孫の夫 中山忠親→中山忠親・兼宗の系図
子 時子→平清盛の系図
子の夫 平宗盛→平清盛の系図
子の夫 平重盛→平重盛の系図
子の夫 藤原親隆→藤原親隆の系図
平親宗・範国の系図
平親宗(ちかむね)【1144-1199】
中納言。
祖父 知信→平範国~知信の系図
父 時信→平時信の系図
祖父 藤原家範→藤原師家・家範の系図
子 親長(ちかなが)/親季
正三位。
子 宗宣(むねのぶ)/宗信【1177-1231】
従三位。
子の夫 平維盛→平重盛の系図
子の夫 西園寺公経→西園寺公経の系図
孫 洞院実雄→洞院実雄の系図
子の夫 松殿兼嗣→松殿忠房の系図
子の夫 藤原光房→藤原光房の系図
平範国/親国(ちかくに)【1165-1208】
従三位。
妻 壬生光隆の娘
妻の父 壬生光隆→壬生光隆の系図
子 有親→平惟忠・平有親の系図
子 惟忠→平惟忠・平有親の系図
平惟忠・有親の系図
平惟忠【1187-1263】
参議。
祖父 親宗・父 範国→平親宗・範国の系図
子 親継(ちかつぐ)【?-1265】
従三位。
孫の夫 洞院公守→洞院公守の系図
曾孫 実泰→洞院実泰の系図
孫の夫 鷹司兼平→鷹司兼平~冬教の系図
孫の夫 堀川具守→堀川具守の系図
曾孫 親守/親賢
曾孫 親明【1294-1354】
従三位。
子の夫 堀川基具→堀川通具~基具の系図
孫 具守→堀川具守の系図
平有親(ありちか)/知親【1194-1261】
参議。
祖父 壬生光隆→壬生光隆の系図
子 時継(ときつぐ)【1222-1294】
権大納言。
子の妻 高階経雅の娘
子の妻の父 高階経雅→高階経雅の系図
孫 経親(つねちか)【1260/62-?】
権大納言。伏見天皇の崩御に際して出家した。
曾孫 親時【1284-1339】
権大納言。
親時孫 親顕【1317-1378】
権中納言。
曾孫 宗経(むねつね)【1294-1349】
権中納言。
曾孫の夫 飛鳥井雅孝→飛鳥井雅経~雅孝の系図
孫 忠世【?-1291】
権中納言。
孫の夫 土御門定実→土御門定実の系図
平信範・信基の系図
平信範(のぶのり)【1112-1187】
正三位。摂家の家司や鳥羽院・後白河院の院司として仕えた。日記は『兵範記』。
祖父 経方・父 知信→平範国~知信の系図
祖父 藤原惟信→藤原永頼の系図
妻 藤原能忠の娘
妻の父 藤原能忠→藤原能季の系図
孫 親輔〔養父:平信基〕→平親輔の系図
妻 能瀬資国の娘
妻の父 能瀬資国→多田明国の系図
子 信国・信実→平信国・信実の系図
子の夫 近衛基通→近衛基通の系図
孫 道経→藤原道経・鷹司兼基の系図
子の夫 藤原定長→藤原定長の系図
子の夫 藤原有経→藤原有佐の系図
平信国・信実の系図
平信国
子 時兼(ときかね)【1168-1249】〔養父:平時忠(→平時信の系図)〕
従三位。
孫 兼親(かねちか)
従三位。
曾孫 高兼【1219-1281】
従二位。
信国孫 惟継(これつぐ)【1266-1343】
権中納言。
孫の夫 藤原光俊→藤原光俊の系図
平信実
信実孫 兼有
従三位。
信実孫 定有/有信
信実孫 惟清【1318-1369】
従三位。
信実孫 惟有【?-1419】
従三位。
平親輔の系図
平親輔(ちかすけ)
従三位。実は平信季(→平信範・信基の系図)の子。
祖父 信範・父 信基→平信範・信基の系図
妻 山科実教の娘
妻の父 山科実教→山科実教の系図
子 時高・孫 時仲→平時高~行高の系図
子 範輔(のりすけ)【1192-1235】
権中納言。
子の妻 藤原清実の娘
子の妻の父 藤原清実→藤原清実の系図
曾孫 範賢/範忠【?-1282】
従三位。
範頼孫 信忠
信忠の子の夫 猪熊兼教→近衛基平の系図
子の妻 源仲章の娘
子の妻の父 源仲章→源光遠の系図
孫 高輔【?-1270】
孫の妻 藤原公俊の娘
孫の妻の父 藤原公俊→三条実房の系図
曾孫 信輔【?-1296】〔養子:平高有〕
参議。
曾孫の妻 範誉の娘
曾孫の妻の父 範誉→藤原憲親・経憲の系図
曾孫の子の夫 後二条天皇→後二条天皇の系図
信輔孫 惟輔【1272-1330】
権中納言。
信輔孫 成輔(なりすけ)【1291-1332】
参議。後醍醐天皇の倒幕計画に参加した。
曾孫 高有
実は範誉(→藤原憲親・経憲の系図)の子。養父は平信輔とも。
高有孫 棟有【?-1389】〔養子:玄有(→藤原光家の系図)〕
従三位。
曾孫の夫 五辻忠継→五辻雅継の系図
曾孫の夫 高倉永定→藤原範昌~冷泉範賢の系図
平時高~行高の系図
平時高(ときたか)/範実/知時【1196-1254】
従二位。
祖父 信基→平信範・信基の系図
父 親輔→平親輔の系図
祖父 山科実教→山科実教の系図
平時仲
妻 惟宗行貞の娘
子 仲親【1249-?】
参議。
子 仲覚
父は平仲兼とも。
子 帥典侍→亀山天皇の系図
平仲兼(なかかね)【1248-1312】〔養子:平行高〕
権中納言。近衛家・鷹司家で家司を務めた。
子 範高
従三位。
孫 信兼【?-1381】
参議。
曾孫 惟之/惟以
子の夫 藤原資冬→日野俊光・資名の系図
平行高【1296-?】〔養父:平仲兼〕
従三位。
子 安居院行兼【1316-1352】
従三位。
孫 行知
権中納言。
曾孫 知輔【?-1393】
参議。
子 西洞院行時・孫 時盛→西洞院行時~時慶の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。