このページでは、樋口家(藤原氏北家・長良流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
樋口家(羽林家)の略系図

1 信孝→樋口信孝~康煕の系図
4 基康→樋口基康・冬康の系図
6 宜康→樋口宜康~静康の系図
樋口信孝~康煕の系図
樋口信孝(のぶたか)【1599-1658】
参議。樋口家の祖。
祖父 永家→高倉永孝~永俊の系図
父 親具→堀河親具~則康の系図
妻 広橋兼勝の娘
妻の父 広橋兼勝→広橋兼勝・総光の系図
子 中条信慶→中条信慶の系図
子 信久【?-1715】(『樋口家譜』による。)
子 信孝の息子(『樋口家譜』による。)
子 信孝の娘【?-1683】(『樋口家譜』による。)
子 信孝の娘【?-1707】(『樋口家譜』による。)
子の夫 徳川光友→徳川光友の系図
孫 松平義昌→松平義昌~義真の系図
樋口信康(のぶやす)【1623-1691】
権中納言。
妻 堀河康胤の娘
妻の父 堀河康胤→堀河親具~則康の系図
子 康勝【1652-1663】
子 康資【1665-1671】
子 中条康満【?-1725】〔養子:信濃康英〕(『樋口家譜』による。)
子 綾(『樋口家譜』による。)
子 立(『樋口家譜』による。)→大原綱高~竹腰正映の系図
子 初(『樋口家譜』による。)→松平忠利~忠幸の系図
子 長(『樋口家譜』による。)→松平頼重・頼常の系図
子 久(『樋口家譜』による。)→葉室頼業~頼要の系図
子 初(『樋口家譜』による。)→阿野公業~実惟の系図
子 信康の娘(『樋口家譜』による。)
樋口康煕(やすひろ)/永康【1677-1723】
正三位。
妻 吉田兼敬の娘
妻の父 吉田兼敬→吉田兼敬の系図
子 康輝【1698-1705】
子 富喜丸【?-1705】
子 基康・孫 冬康→樋口基康・冬康の系図
子 信濃康英【1710-1730】〔養父:中条康満〕(『樋口家譜』による。)
樋口基康・冬康の系図
樋口基康(もとやす)【1706-1780】
権大納言。
祖父 信康・父 康煕→樋口信孝~康煕の系図
妻 松平頼豊の娘
妻の父 松平頼豊→松平頼豊~頼恭の系図
子 義運【1735-?】(『樋口家譜』による。)
子 亀久丸【1749】(『樋口家譜』による。)
子 虎丸【1759-?】(『樋口家譜』による。)
子 五百丸【1760-?】(『樋口家譜』による。)
子 鍋丸【1761-?】(『樋口家譜』による。)
子 金千世丸【1762-?】(『樋口家譜』による。)
子 石井行宣〔養父:石井行文〕→石井行文~行知の系図
子 米若丸【1762-?】(『樋口家譜』による。)
子 日野西延光〔養父:日野西勝貫〕→日野西総盛~延栄の系図
子 石井行弘〔養父:石井行宣〕→石井行文~行知の系図
子 信子→二条治孝~斉敬の系図
子 八千姫【1748-1768】(『樋口家譜』による。)
実は高倉永秀(→高倉永重~永秀の系図)の娘。
子 信姫【1751-?】(『樋口家譜』による。)
信子と同一人物か。
子 元姫【1755-1758】(『樋口家譜』による。)
子 藤子【1755-1833】(『樋口家譜』による。)
子 悦姫【1756-1761】(『樋口家譜』による。)
子 和姫【1764-1766】(『樋口家譜』による。)
子 多喜【1766-?】(『樋口家譜』による。)
子の夫 高丘紹季→高丘季起~紀季の系図
樋口冬康(ふゆやす)/方康【1727-1768】
正三位。
妻 姉小路公文の娘
妻の父 姉小路公文→姉小路公文~公知の系図
子 福寿丸【1756-1758】(『樋口家譜』による。)
妻 阿野公縄の娘
妻の父 阿野公縄→阿野公縄~実允の系図
子 宗康【1750-1756】
子 宜康・孫 寿康→樋口宜康~静康の系図
子 三百丸【1764-?】(『樋口家譜』による。)
子 慶姫【1755-?】(『樋口家譜』による。)
子 槌姫【1761】(『樋口家譜』による。)
樋口宜康~静康の系図
樋口宜康(よしやす)【1754-1822】
権中納言。
祖父 基康・父 冬康→樋口基康・冬康の系図
妻 姉小路公聡の娘
妻の父 姉小路公聡→姉小路公文~公知の系図
妻 本多幸【1754-1828】
本多副紹(→本多長教~副元の系図)の娘。
子 章康【1804-?】
子 品丸・宜康の息子・子 町姫(『樋口家譜』による。)
子の夫 七条信元→七条隆脩~信睦の系図
『系図纂要』は七条信元を宜康の子とする。
樋口寿康(ひさやす)【1790-1839】
正三位。
妻 松浦参子
松浦清(→松浦清~詮の系図)の娘。
夫 黒田直侯→黒田直方~直養の系図
子 乙丸【1805-1808】(『樋口家譜』による。)
子 寿康の娘【1807-?】(『樋口家譜』による。)
子 八十姫(『樋口家譜』による。)→石井行文~行知の系図
子 久之姫【?-1822】(『樋口家譜』による。)
子 豊姫【1819-1820】(『樋口家譜』による。)
子 弥生姫【1822-?】(『樋口家譜』による。)
子 信姫・藤姫(『樋口家譜』による。)
樋口保康【1804-1868】
妻 高倉永雅の娘
妻の父 高倉永雅→高倉永範~永祜の系図
妻 石井行遠の娘
妻の父 石井行遠→石井行文~行知の系図
子 民康【1854-?】(『樋口家譜』による。)
子 保姫【1859-?】(『樋口家譜』による。)
子 功康【1821-?】
子 保康の息子【?-1825】(『樋口家譜』による。)
子 保康の息子(『樋口家譜』による。)
子の夫 妙蔵院中将(『樋口家譜』による。)
樋口静康【1835-1874】
従三位。
妻 高倉永胤の娘
妻の父 高倉永胤→高倉永範~永祜の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。