日野西家(藤原氏北家・真夏流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、日野西家(藤原氏北家・真夏流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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日野西総盛~延栄の系図

日野西総盛~延栄の系図

  日野西総盛【1605-1635】(以下、『系図纂要』による。)
 日野西家の祖。

祖父 兼勝 総光広橋兼勝・総光の系図


  日野西光氏【1616-1644】
 実は広橋総光(→広橋兼勝・総光の系図)の子。


  日野西国宣/貞光→広橋兼賢~貞光の系図
 実は広橋綏光の子。広橋家を継いだ。


  日野西国豊/康光/庸光【1653-1710】
 権中納言。実は広橋兼賢(→広橋兼賢~貞光の系図)の子。
 資敬〔養父:日野西国賢〕
 国豊の息子 国豊の娘(4人)(『日野西家譜』による。)
子の夫 松平吉邦→松平吉邦の系図


  日野西国賢【1673-1693】


  日野西資敬/資教/兼栄【1695-1736】
 参議。
 高野保春の娘
妻の父 高野保春高野保春~保建の系図


  日野西資興【1732-1756】
 実は石井行康(→石井行豊~行忠の系図)の子。
 敬子資興の娘(『日野西家譜』による。)


  日野西勝貫/兼貫【1755-1781】


  日野西延光/豊康【1771-1846】
 権中納言。実は樋口基康(→樋口基康・冬康の系図)の子。
 延光の息子(2人)・ 延光の娘(4人)(『日野西家譜』による。)


  日野西光暉【1797-1864】
 権中納言。
 外山光施の娘
妻の父 外山光施外山光顕~光輔の系図
 光暉の娘(『日野西家譜』による。)

 光規/今原肇(『日野西家譜』による。)
 光融〔養父:尾崎幸盈〕(『日野西家譜』による。)
 晏子(『日野西家譜』による。)→河鰭実陳~公述の系図
 岡崎光脩河辺盛光尊信観道演賢光暉の息子(2人)・ 暉子光暉の娘(2人)(『日野西家譜』による。)


  日野西延栄【1827-1861】
 母は『日野西家譜』による。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』及び東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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