蜂須賀氏(清和源氏・義国流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、蜂須賀氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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蜂須賀氏(阿波国徳島藩主)の略系図

蜂須賀氏の略系図

1 正昭蜂須賀正昭~家政の系図
5 至鎮蜂須賀至鎮・忠英の系図
6-A 隆重蜂須賀隆重~正員の系図

7 光隆蜂須賀光隆~綱矩の系図
10 宗員蜂須賀宗員~宗鎮の系図
12-A 重隆休光蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図

13 至央蜂須賀至央・重喜の系図
15 治昭蜂須賀治昭~茂韶の系図

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蜂須賀正昭~家政の系図

蜂須賀正昭~家政の系図

  蜂須賀正昭(まさあき)【?-1527】(『華族系譜』による。)
 斯波高経(→斯波高経~義郷の系図)の末裔で、尾張国海部郡蜂須賀村に住んだという。
 坂合部次房の娘【?-1531】

 実道【?-1581】


  蜂須賀正利(まさとし)【?-1553】
 高岸宗養【?-1589】
 大橋貞広の娘【?-1569】

 又十郎【?-1556】
 正信(まさのぶ)【1556-1572】
 【?-1584】


  蜂須賀正勝(まさかつ)/利政(としまさ)【1526-1586】
 斎藤道三・織田信長・豊臣秀吉に仕え、播磨竜野城主となった。秀吉の四国攻めで軍功をあげた。
 益田松【1521-1611】
 奈良【?-1597】

 鳥井越中守の娘
 黒田長政~光之・高政~長寛の系図

 長存【1655-1634】


  蜂須賀家政(いえまさ)/一茂(かずしげ)/政家(まさいえ)/可慶(よしやす)/茂成(しげなり)【1558-1638】
 四国攻めの軍功で阿波国徳島を与えられた。
 生駒姫【1564-1606】
 至鎮 忠英蜂須賀至鎮・忠英の系図
 【?-1596】
 池田恒利・信輝の系図

 滝川弥次郎の娘
 正慶(まさよし)【1592-1612】

 阿喜井伊直親~直澄の系図
 戸田宜光~光重の系図

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蜂須賀至鎮・忠英の系図

蜂須賀至鎮・忠英の系図

  蜂須賀至鎮(よししげ)/豊勝(とよかつ)/豊雄(とよお)/忠吉(ただきち)/豊住(とよすみ)【1586-1620】
 阿波国徳島藩主。関ケ原の戦いで東軍に加わり、大坂の陣で功をあげた。

祖父 正勝 家政蜂須賀正昭~家政の系図

 徳川万姫/虎/氏【1592-1666】
 実は小笠原秀政(→小笠原貞慶・秀政の系図)の娘。
妻の父 徳川家康徳川家康の系図
 三保池田忠継~光仲の系図
 水野成貞・成之・忠丘~勝至の系図

 →前田利意の系図


  蜂須賀忠英(ただてる)/正鎮(まさしげ)/忠鎮(ただしげ)【1611-1652】
 徳島藩主。
 小笠原繁【1610-1655】
 実は小笠原忠脩(→小笠原忠脩・長次の系図)の娘。
妻の父 小笠原忠真小笠原忠真の系図
 光隆 綱通蜂須賀光隆~綱矩の系図
 隆重 隆長蜂須賀隆重~正員の系図

 高田正治の娘
 隆矩(たかのり)/興竜(おきたつ)/真辰(まさとき)【1641-1694】
子の妻 松平七【1641-1704】
 綱矩〔養父:蜂須賀綱通〕→蜂須賀光隆~綱矩の系図
 土井【?-1665】
 【?-1667】

 藤勝【?-1693】
 久米【1664-1696】
 山田宗名に嫁ぐ予定であった。

 細谷彦右衛門の娘
 実は金屋九右衛門の娘。
 隆喜(たかよし)【1643-1698】
子の妻 岡本元近の娘【1642-1707】
 隆長〔養父:蜂須賀隆重〕→蜂須賀隆重~正員の系図
 豊之助【?-1685】
 /芳【1679-1712】

子の妻 加藤祐仙の娘
 宗英〔養父:蜂須賀宗員〕→蜂須賀宗員~宗鎮の系図

 【1645-1701】

 櫛笥隆兼の娘
 賀出【?-1649】

 石松【?-1639】

蜂須賀隆重~正員の系図

蜂須賀隆重~正員の系図

  蜂須賀隆重(たかしげ)/至照(よしてる)/正武(まさたけ)【1634-1707】
 阿波国富田藩主。

祖父 至鎮 忠英蜂須賀至鎮・忠英の系図
祖父 小笠原忠真小笠原忠真の系図

 清田源【1638-1684】
 正上(まさたか)【1656-1673】
 千代鶴〔養父:蜂須賀光隆〕→蜂須賀光隆~綱矩の系図
 松平頼元・頼貞の系図
 阿々具利【?-1686】

 上里得次の娘
 内藤信良~信輝の系図

 〔養父:蜂須賀隆長〕
 【?-1696】
 【?-1700】


  蜂須賀隆長(たかなが)【1674-1714】
 富田藩主。実は蜂須賀隆喜(→蜂須賀至鎮・忠英の系図)の子。
 慈光寺仲学の娘【1672-1733】
妻の父 慈光寺仲学慈光寺明郷~右仲の系図
 清隆(きよたか)【?-1701】
 【?-1704】

 隆寿(たかひさ)/豊竜(とよたつ)【1695-1755】
 実は蜂須賀綱矩(→蜂須賀光隆~綱矩の系図)の子。
子の妻 井後征房の娘
 【1720-1743】

子の妻 吉成永勝の娘
 重隆〔養父:蜂須賀宗鎮〕→蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図

 重規蜂須賀宗員~宗鎮の系図

 南部信恩・利幹の系図


  蜂須賀正員/宗員→蜂須賀宗員~宗鎮の系図
 富田藩主。実は蜂須賀綱矩(→蜂須賀光隆~綱矩の系図)の子。後に宗家の徳島藩を継いだ。

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蜂須賀光隆~綱矩の系図

蜂須賀光隆~綱矩の系図

  蜂須賀光隆(みつたか)/至政(よしまさ)/光賀(みつよし)/光鎮(みつしげ)【1630-1666】
 徳島藩主。

祖父 至鎮 忠英蜂須賀至鎮・忠英の系図
祖父 小笠原忠真小笠原忠真の系図

 小笠原金【1633-1676】
 小笠原長次(→小笠原忠脩・長次の系図)の娘。
 佐野藤兵衛の娘
 →丹羽長次の系図

 櫛笥隆朝の娘
妻の父 櫛笥隆朝櫛笥隆憲~隆方の系図

 千代鶴【1665-1678】
 実は蜂須賀隆重(→蜂須賀隆重~正員の系図)の娘。井伊直興に嫁ぐ予定であった。


  蜂須賀綱通(つなみち)/正能(まさよし)【1656-1678】
 徳島藩主。
 榊原松
 榊原政房(→榊原政房の系図)の娘。
 松平義行松平義行・義孝の系図


  蜂須賀綱矩(つなのり)/竜之(たつゆき)/正儔(まさとも)【1661-1730】
 徳島藩主。実は蜂須賀隆矩(→蜂須賀至鎮・忠英の系図)の子。
 奥津園【1668-1706】
 吉武(よしたけ)/竜虎(たつとら)/竜誠(たつのぶ)【1692-1725】
子の妻 池田豊【1691-1758】
 実は池田政弘(→池田利隆・恒元~恒行・輝興~清勝の系図)の娘。
子の妻の父 池田綱清池田綱清~重寛の系図

 蜂須賀宗員~宗鎮の系図

 安西架【1689-1731】
 宗員 宗英蜂須賀宗員~宗鎮の系図

 横山与二左衛門の妹
 小太郎【?-1692】
 岩丸【?-1700】
 隆寿〔養父:蜂須賀隆長〕→蜂須賀隆重~正員の系図

 青木平左衛門の娘
 老之丞【?-1699】

 長谷川正時の娘
 井伊直惟・直定の系図

 鈴木広長の娘
 八五郎【?-1711】
 綱矩の息子【?-1717】

 福良儀兵衛の娘
 【?-1716】

 丸山主水の娘
 /乙【1716-1730】
 大久保忠数に嫁ぐ予定であった。

 山田立安の娘
 【?-1727】

 源五【?-1717】
 佐賀小笠原忠雄~忠総の系図
 【1722-1740】
 牧野忠軌・安藤信尹に嫁ぐ予定であった。

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蜂須賀宗員~宗鎮の系図

蜂須賀宗員~宗鎮の系図

  蜂須賀宗員(むねかず)/正員(まさかず)【1709-1735】〔養父:蜂須賀隆長(→蜂須賀隆重~正員の系図)〕
 富田藩主・徳島藩主。

祖父 綱通 綱矩蜂須賀光隆~綱矩の系図

 福岡正辰の娘
 常千代【?-1730】

 高橋作左衛門の娘
 保濃〔養父:蜂須賀宗鎮〕

 岡田休意の娘
 重規〔養父:蜂須賀宗鎮〕


  蜂須賀宗英(むねてる)/隆泰(たかやす)【1684-1743】
 徳島藩主。実は蜂須賀隆喜(→蜂須賀至鎮・忠英の系図)の子。
 浄久の娘
 東園基禎~基愛の系図

 宗純(むねすみ)/清純(きよすみ)【1716-1739】
 実は松平忠雅(→松平忠雅~忠功の系図)の子。
 伊与【?-1709】


  蜂須賀宗鎮(むねしげ)/頼珍(よりよし)/正泰(まさやす)【1721-1780】
 徳島藩主。実は松平頼煕(→松平頼重・頼常の系図)の子。
 蜂須賀元【1722-1742】
 実は蜂須賀吉武(→蜂須賀光隆~綱矩の系図)の娘。
 宗鎮の娘【?-1742】

 村田資保の娘
 亀千代【?-1748】

 久米半次兵衛の娘
 岩松【?-1749】

 福井直道の娘
 喜久【?-1748】

 小瀬忠雄の娘
 養之助【?-1757】
 休光 休紹蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図
 美代三条実顕~実美の系図
 太亀【?-1765】

 万屋与八の娘
 万蔵【?-1765】
 【?-1757】
 志賀/兎和【1759-1772】

 重規(しげのり)/充矩(みつのり)【1734-1751】〔養父:蜂須賀隆寿(→蜂須賀隆重~正員の系図)〕
 実は蜂須賀宗員の子。
 重隆 隆穀蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図
 至央 重喜蜂須賀至央・重喜の系図
 保濃【1734-1745】
 実は蜂須賀宗員の娘。

蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図

蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図

  蜂須賀重隆/隆起(たかおき)【1733-1787】
 実は蜂須賀隆寿(→蜂須賀隆重~正員の系図)の子。

祖父 宗英 宗鎮蜂須賀宗員~宗鎮の系図

 喜憲(よしのり)【1760-1774】
 八重花山院定誠~家理の系図


  蜂須賀隆穀(たかよし)/貫孝(よしたか)【1768-1807】
 滝居易の娘
 隆穀の息子【?-1795】
 知道【?-1801】
 【?-1792】
 美徽/文【?-1794】
 【?-1798】

 松本伯雅の娘
 惟章(これのり)【?-1805】
 【?-1800】

 下条信広の妹
 【?-1806】


  蜂須賀隆寛(たかひろ)【1801-1823】
 【?-1821】


  蜂須賀休栄(よしなか)【1798-1836】
 実は蜂須賀休光の子。
 蜂須賀津世【?-1842】
 樋富則直の姉
 朝太郎【?-1818】

 服部有恒の妹
 盛吉【?-1828】
 休栄の娘【?-1823】
 【?-1826】


  蜂須賀隆実(たかさね)【1819-?】
 庄野由将の娘
 隆実の息子【?-1838】

 山内時盛の娘
 和十郎〔養父:蜂須賀隆芳〕


  蜂須賀隆芳(たかよし)【1831-?】
 実は蜂須賀昭順(→蜂須賀治昭~茂韶の系図)の子。
 和十郎【?-1847】
 実は蜂須賀隆実の子。
 隆芳の息子【?-1853】
 鷹司政通~輔政の系図
 蜂須賀治昭~茂韶の系図
 【?-1858】
 隆芳の娘【?-1859】
 隆芳の娘【?-1865】


  蜂須賀休光(よしみつ)/保詰(やすつく)【1760-1812】
 安芸周助の娘
 成之(なりゆき)【?-1795】
 昭訓(あきくに)/幸通【1791-1842】〔養父:池田長興〕
 俊英(としふさ)【1793-1810】
 【1793-1826】
 /太美【1792-1832】
 宗子醍醐冬基~忠順の系図

 武間尭知の娘
 【?-1790】

 福永基直の姉
 休栄〔養父:蜂須賀隆寛〕

 井沢氏
 休光の息子【?-1799】
 嘉吉【?-1802】
 【?-1805】


  蜂須賀休紹(よしつぐ)/棐常(すけつね)【1803-1862】
 貞之助【?-1827】
 猪之丞【?-1832】
 速吉【?-1831】
 【?-1835】
 /〓(「糸」+「育」)【1813-1850】
 実は醍醐輝弘(→醍醐冬基~忠順の系図)の娘。


  蜂須賀休尉(よしやす)【1834-?】
 実は蜂須賀昭順(→蜂須賀治昭~茂韶の系図)の子。
 安田以孝の娘
 信之助【?-1859】
 【?-1860】

 江口由之の伯母
 安之丞【?-1868】

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蜂須賀至央・重喜の系図

蜂須賀至央・重喜の系図

  蜂須賀至央(よしひさ)/頼央(よりひさ)【1736-1754】
 徳島藩主。実は松平頼煕(→松平頼重・頼常の系図)の子。

祖父 宗英 宗鎮蜂須賀宗員~宗鎮の系図


  蜂須賀重喜(しげよし)/義居(よしやす)/政胤(まさたね)【1738-1801】
 徳島藩主。実は佐竹義道(→佐竹義道の系図)の子。藩政改革に着手したが、幕命で隠居した。
 立花伝【1737-1802】
 立花貞俶(→立花貞俶の系図)の娘。
 治昭 斉昌蜂須賀治昭~茂韶の系図
 喜翰(よしもと)【1759-1819】
子の妻 池田祐春の娘
 喜周(よしちか)【1783-1849】
 喜翰の息子【?-1790】
 /義【1784-1800】
 【?-1785】
 【1793-1837】

子の妻 兼子義矩の娘
 実は和銅能右衛門の娘。
 喜貞(よしさだ)【?-1796】
 【1797-1818】
 【?-1811】

子の妻 長尾角左衛門の娘
 喜文(よしふみ)/翰儀(もとのり)【1801-1862】
 【1798-1816】

 喜和(よしかず)【1760-1807】
 和保(かずもり)【1792-1832】〔養父:樋口正孚〕
 信近(のぶちか)/敬近【1800-1842】
 【?-1791】
 【1795-1860】
 /誠【1797-1822】

 喜儀(よしのり)/義起(よしおき)/義教(よしのり)【1764-1816】

 梁田喬近の娘
 義功(よしかず)/允功(のぶかず)【1769-1787】
 喜粛(よしはや)【?-1774】
 【?-1766】
 儀子鷹司政煕の系図
 幸子醍醐冬基~忠順の系図

 曽木惟銛の娘
 喜寛(よしひろ)/允迪(のぶみち)/義寛(よしひろ)【1772-1820】
 喜泰(よしやす)【?-1778】
 中院通維~通富の系図
 登世【?-1776】

 清瀬儀右衛門の娘
 喜敦(よしあつ)【?-1778】
 義直(よしなお)/允頴(のぶひで)【?-1790】
 【?-1776】
 寿美戸田光悌~光則の系図
 【?-1785】
 【?-1787】
 伊世戸沢正親~正実の系図
 【?-1793】
 重喜の娘【?-1795】

 三浦延良の娘
 喜端(よしただ)/允澄(のぶずみ)/義端(よしただ)【1780-1828】
 喜之(よしゆき)【?-1784】
 昭則(あきのり)【1790-1849】
 昭義(あきよし)【1793-1860】
 喜道(よしみち)【?-1795】
 昭栄(あきなり)【1800-1843】
 九鬼隆律~隆義の系図
 松平忠福~忠恕の系図
 →堀親寚の系図

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蜂須賀治昭~茂韶の系図

蜂須賀治昭~茂韶の系図

  蜂須賀治昭(はるあき)/喜昭(よしあき)【1757-1814】
 徳島藩主。

祖父 至央 重喜蜂須賀至央・重喜の系図
祖父 立花貞俶→立花貞俶の系図

 井伊俊【1762-1786】
 井伊直幸(→井伊直幸の系図)の娘。
 高野甚平の娘
 昭尹(あきただ)【?-1779】
 昭順(あきのぶ)【1797-1866】
子の妻 佐藤舎美の娘
 昭順の息子【?-1817】
 昭徳(あきのり)【1826-1865】
曾孫 昭融(あきてる)【1837-?】
 実は蜂須賀昭順の子。
曾孫 【?-1863】

 隆芳〔養父:蜂須賀隆実〕→蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図
 規四郎【?-1834】
 【?-1819】
 【1824-1838】
 【?-1831】

子の妻 真霜高久の娘
 規二郎【?-1834】
 休尉〔養父:蜂須賀休紹〕→蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図
 昭融〔養父:蜂須賀昭徳〕
 〔養父:蜂須賀斉昌〕

子の妻 原田惟武の娘
 【?-1844】
 /克【?-1846】
 【1847-1858】

 →大久保忠真の系図
 【?-1801】

 辻和通の娘
 松平定永~定教の系図

 東村清安の娘
 九鬼隆律~隆義の系図
 戸田光悌~光則の系図

 伊世戸沢正親~正実の系図


  蜂須賀斉昌(なりまさ)/昭昌(あきまさ)【1795-1859】
 徳島藩主。年貢増徴で一揆を招いた。
 井伊穠/文【1792-1820】
 井伊直幸(→井伊直中~直憲の系図)の娘。
 鷹司并子(かねこ)/季【1799-1837】
 鷹司政煕(→鷹司政煕の系図)の娘。

 藤堂高兌~高潔の系図


  蜂須賀斉裕(なりひろ)【1821-1868】
 徳島藩主。実は徳川家斉(→徳川家斉の系図)の子。ペリー来航時には江戸湾を警備し、のちに幕府の陸軍・海軍の総裁に任じられた。
 鷹司標子(ひでこ)/愛【1820-1858】
 鷹司政通(→鷹司政通~輔政の系図)の娘。
 斉裕の息子【?-1846】

 山村秀方の娘
 実は山本頼徳の娘。
 武若【?-1859】
 賀代【1848-1865】
 松平茂昭に嫁ぐ予定であった。

 萩原雅良の娘
 斉裕の息子【?-1847】
 斉裕の娘【?-1849】

 鷹司政通~輔政の系図


  蜂須賀茂韶(もちあき)【1846-1918】
 徳島藩主。維新後はイギリスに留学し、東京府知事・貴族院議長などを務めた。
 蜂須賀斐/豊
 蜂須賀隆芳(→蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図)の娘。
 徳川随姫
 徳川慶篤(→徳川斉昭~昭武の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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