本多氏(藤原氏北家・兼通流)・忠義流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、本多氏(藤原氏北家・兼通流)・忠義流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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本多氏・忠義流(陸奥国泉藩主)の略系図

本多氏・忠義流の略系図

1 忠義本多忠義・忠以の系図
1-A 忠平本多忠平~忠烈の系図
1-B 忠利本多忠利~忠慎の系図
1-C 忠周本多忠周~忠曄の系図

3 忠晴本多忠晴~忠籌の系図
7 忠誠本多忠誠~忠伸の系図

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本多忠義・忠以の系図

本多忠義・忠以の系図

  本多忠義(ただよし)/忠光(ただみつ)【1602-1676】
 遠江国掛川藩主・越後国村上藩主・陸奥国白河藩主。

祖父 忠勝本多忠勝・忠朝~勝行の系図
 忠政本多忠政の系図
祖父 松平信康松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図

 森忠政の娘
妻の父 森忠政→森忠政の系図
 忠平 忠常本多忠平~忠烈の系図
 忠利 忠次本多忠利~忠慎の系図
 忠晴〔養父:本多忠以〕→本多忠晴~忠籌の系図
 忠周 忠貞本多忠周~忠曄の系図

 忠常〔養父:本多忠平〕→本多忠平~忠烈の系図
 忠寄〔養父:本多忠利〕→本多忠利~忠慎の系図
 勢幾前田利治~利章の系図
子の夫 金森頼直→金森頼直の系図
子の夫 毛利光広毛利光広~元矩の系図
子の夫 井上正任→井上正任の系図
子の夫 松平頼純松平頼純の系図
子の夫 石川総良石川総長~総陽の系図
子の夫 松平忠倫→松平忠倫の系図
子の夫 水野忠盈水野忠春~忠任の系図


  本多忠以(ただもち)/忠序(ただのぶ)【1640-1664】
 陸奥国浅川藩主。
 忠晴 忠通本多忠晴~忠籌の系図

本多忠平~忠烈の系図

本多忠平~忠烈の系図

  本多忠平(ただひら)【1632-1695】
 白河藩主・下野国宇都宮藩主・大和国郡山藩主。

祖父 忠政本多忠政の系図
 忠義本多忠義・忠以の系図
祖父 森忠政→森忠政の系図

 池田光政の娘
妻の父 池田光政池田光政の系図

子の夫 水野忠盈水野忠春~忠任の系図


  本多忠常(ただつね)【1661-1709】
 郡山藩主。実は本多忠義(→本多忠義・忠以の系図)の子。
 浅野綱晟の娘
妻の父 浅野綱晟浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図

子の夫 黒田吉之黒田綱政~継高の系図


  本多忠直(ただなお)【1670-1717】
 郡山藩主。実は本多忠晴(→本多忠晴~忠籌の系図)の子。
 石井氏
 忠村(ただむら)【1710-1722】
 郡山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 忠通〔養父:本多忠晴〕→本多忠晴~忠籌の系図
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 稲垣氏
 忠如〔養父:本多忠通〕→本多忠晴~忠籌の系図
 母は『寛政重修諸家譜』による。

子の夫 土井利庸土井利長~利信の系図
子の夫 米倉忠仰米倉昌明~里矩の系図
子の夫 戸田忠久戸田忠昌~忠盈の系図


  本多忠烈(ただつら)【1710-1723】
 郡山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。忠烈の死により、郡山藩主の家は断絶した。

本多忠利~忠慎の系図

本多忠利~忠慎の系図

  本多忠利(ただとし)【1635-1700】
 三河国挙母藩主。

祖父 忠政本多忠政の系図
 忠義本多忠義・忠以の系図
祖父 森忠政→森忠政の系図

 忠寄(ただより)【1662-1690】
 実は本多忠義(→本多忠義・忠以の系図)の子。
子の夫 黒田吉之黒田綱政~継高の系図


  本多忠次(ただつぐ)/匡英(まさひで)【1679-1711】
 挙母藩主。実は毛利綱元(→毛利光広~元矩の系図)の子。
 忠次の娘
 実は本多忠直の娘。本多忠央の養女となる。
子の夫 井上正之→井上正之の系図


  本多忠央(ただなか)/忠就(ただなり)【1708-1788】
 挙母藩主・遠江国相良藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。郡上八幡の百姓一揆の報告を怠り、領地を没収された。
 本多忠統の娘【?-1775】
妻の父 本多忠統本多忠恒・忠統の系図
 吉田良延→吉田良延の系図

子の夫 土井利庸土井利長~利信の系図


  本多忠由(ただよし)【1727-1792】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 実は有馬一準(→有馬清純~孝純の系図)の子。


  本多忠福(ただとみ)/賢宗(かたむね)【1773-?】
 実は米倉昌晴(→米倉昌晴~昌言の系図)の子。


  本多忠慎
 実は本多忠誠(→本多忠誠~忠伸の系図)の子。

本多忠周~忠曄の系図

本多忠周~忠曄の系図

  本多忠周(ただちか)/忠当(ただまさ)【1641-1712】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 三河国足助藩主。所領を削られて旗本となった。

祖父 忠政本多忠政の系図
 忠義本多忠義・忠以の系図
祖父 森忠政→森忠政の系図

 忠職(ただもと)【1682-1701】
 忠知(ただとも)【1685-1702】
 実は金森近供(→金森近供の系図)の子。


  本多忠貞(たださだ)/知隆(ともちか)【1686-1723】
 実は松平直矩(→松平直基~基知の系図)の子。
 井上正岑の娘
 実は井上正幸(→井上正幸の系図)の娘。
妻の父 井上正岑→井上正岑の系図
 松平康房松平康映~康福の系図

子の夫 曽我助有→曽我助有の系図


  本多忠強(ただつよ)【1714-1744】
 実は本多忠英(→本多政信~忠尭の系図)の子。
子の夫 大岡忠喜大岡忠光~忠要の系図


  本多忠弘(ただひろ)/正武(まさたけ)【1728-1785】
 実は井上正富(→井上正富の系図)の子。
 松平信岑の娘
 実は松平庸倫(→松平庸倫の系図)の娘。
妻の父 松平信岑→松平信岑の系図

 忠弘の娘〔養父:本多忠保〕
 忠弘の娘
 土屋愿直に嫁ぐ予定であった。


  本多忠保(ただもち)【1763-1785】
子の夫 宮城和方→宮城和方の系図


  本多忠堅(ただかた)【1766-1786】
 実は本多忠籌(→本多忠晴~忠籌の系図)の子。


  本多忠昶(ただあき)【1767-1791】
 実は永井直珍(→永井直珍の系図)の子。
 松平貞姫
 松平直泰(→松平直泰・直之の系図)の娘。
 内藤正博内藤正貞~正博の系図


  本多忠恒(ただつね)【1782-?】


  本多忠曄/直貞【1780-1841】
 実は松平直泰(→松平直泰・直之の系図)の子。

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本多忠晴~忠籌の系図

本多忠晴~忠籌の系図

  本多忠晴(ただはる)【1641-1715】
 浅川藩主・三河国伊保藩主・相良藩主。実は本多忠義(→本多忠義・忠以の系図)の子。

祖父 忠義 忠以本多忠義・忠以の系図

 忠直〔養父:本多忠常〕→本多忠平~忠烈の系図
 八郎(『本多家譜(磐城泉)』による。)


  本多忠通(ただみち)【1705-1721】
 相良藩主。実は本多忠直(→本多忠平~忠烈の系図)の子。


  本多忠如(ただゆき)【1712-1773】
 相良藩主・陸奥国泉藩主。実は本多忠直(→本多忠平~忠烈の系図)の子。
 松浦篤信の娘
妻の父 松浦篤信松浦篤信・有信の系図
子の夫 山口弘倉→山口弘倉の系図

 山田氏
 忠貫(ただつら)【?-1769】

 隈五郎【?-1742】
子の夫 甘南備正矩(『寛政重修諸家譜』による。)


  本多忠籌(ただかず)【1739-1812】
 泉藩主。藩の財政を再建し、松平定信による寛政の改革を支えた。
 松浦誠信の娘
妻の父 松浦誠信松浦誠信・政の系図
 忠雄(ただお)【1765-1816】
 造酒丞【?-1786】
孫の夫 山口弘致→山口弘致の系図

 松浦忠〔養父:松浦信豊〕→松浦信方~脩の系図

 後藤氏
 忠誠 忠知本多忠誠~忠伸の系図
 忠堅〔養父:本多忠保〕→本多忠周~忠曄の系図
子の夫 大田原清昭→大田原清昭の系図

 松村氏
 忠順/正道
 忠純/政直〔養父:荒木由政〕

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本多忠誠~忠伸の系図

本多忠誠~忠伸の系図

  本多忠誠(ただしげ)【1761-1832】
 泉藩主。

祖父 忠如 忠籌本多忠晴~忠籌の系図

 板倉勝暁の娘
妻の父 板倉勝暁板倉勝暁~勝殷の系図
 忠衛/忠成〔養父:松平忠補〕
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 景祚/忠明〔養父:遠山景寿〕
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 忠誠の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 稲葉正盛→稲葉正盛の系図

 星野氏
 忠誠の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 忠慎〔養父:本多忠福〕→本多忠利~忠慎の系図
 定国/忠隆〔養父:安藤定矩〕
 忠寛〔養父:荒木忠純〕
 忠久/忠詔
 貞行〔養父:秋田貞吉〕
 忠誠の娘〔養父:荒木忠純〕(『本多家譜(磐城泉)』による。)
 新八郎(『本多家譜(磐城泉)』による。)
子の夫 山口弘致→山口弘致の系図


  本多忠知(ただとも)【1787-1839】
 泉藩主。
 榊原政敦の娘
妻の父 榊原政敦→榊原政敦の系図

 正之進【?-1812】
 忠紀〔養父:本多忠徳〕
 佐多京極高栄~高厚の系図
 忠知の娘(2人)(『本多家譜(磐城泉)』による。)
子の夫 酒井忠良酒井忠寧~忠彰の系図


  本多忠徳(ただのり)【1818-1860】(以下、『本多家譜(磐城泉)』による。)
 泉藩主。
 柳沢保泰の娘
妻の父 柳沢保泰柳沢保光~保申の系図


  本多忠紀(ただとし)【1819-1883】
 泉藩主。実は本多忠知の子。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わった。
 堀隆
 堀直格(→堀直皓~直明の系図)の娘。
 柳沢里顕の娘
妻の父 柳沢里顕柳沢時睦~徳忠の系図


  本多忠伸(ただのぶ)【1852-1903】
 泉藩主。実は本多忠行の子。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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