このページでは、藤原氏北家・頼宗流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏北家・頼宗流の略系図
1 頼宗→藤原頼宗の系図
1-A 能長→藤原能長の系図
1-B 基貞→藤原基貞の系図
1-C 能季→藤原能季の系図
2 俊家→藤原俊家の系図
3 宗通→藤原宗通の系図
3-A 信通・季通→藤原信通・季通の系図
3-B1 成通→藤原成通の系図
3-B2 泰通→藤原泰通の系図
3-C1 重通→高倉重通・家通の系図
3-C2 敦通→高倉敦通の系図
藤原頼宗の系図
藤原頼宗(よりむね)【993-1065】
右大臣。歌人としては藤原公任に次ぐとされた。
祖父 兼家→藤原兼家の系図
父 道長→藤原道長の系図
祖父 源高明→源高明の系図
妻 藤原伊周の娘
妻の父 藤原伊周→藤原伊周の系図
子 兼頼【1014-1063】
権中納言。
子の妻 源忠重の娘
子の妻の父 源忠重→源満政~重宗の系図
孫 宗実【1041-1090】
孫の妻 藤原保家の娘
孫の妻の父 藤原保家→藤原公信~伊信の系図
孫の妻 源師房の娘
孫の妻の父 源師房→源師房の系図
曾孫 基隆
曾孫の妻 藤原師実の娘
曾孫の妻の父 藤原師実→藤原師実の系図
孫の妻 藤原経俊の娘
孫の妻の父 藤原経俊→藤原朝光・正光の系図
曾孫の夫 藤原長忠→藤原能長の系図
宗実孫 忠頼/宗雅【?-1132】
子の妻 藤原千古
藤原実資(→藤原斉敏の系図)の娘。
子の妻 藤原懐平の娘
子の妻の父 藤原懐平→藤原懐平の系図
子 俊家→藤原俊家の系図
孫 中御門宗俊→中御門宗俊の系図
孫 基頼→藤原基頼・通基の系図
孫 宗通→藤原宗通の系図
子 能長→藤原能長の系図
子 延子→後一条天皇~後冷泉天皇の系図
子 昭子→後三条天皇の系図
妻 源公子
源高雅(→源高雅の系図)の娘。
子 基貞→藤原基貞の系図
妻 藤原親時の娘
子 能季→藤原能季の系図
子 頼観(らいかん)【1032-1102】
子の夫 敦明親王→三条天皇の系図
子の夫 源師房→源師房の系図
孫 師忠→源師忠の系図
子の夫 藤原師信→藤原師信の系図
藤原能長の系図
藤原能長(よしなが)【1022-1082】〔養父:藤原能信(→藤原能信の系図)〕
内大臣。
祖父 道長→藤原道長の系図
父 頼宗→藤原頼宗の系図
祖父 藤原伊周→藤原伊周の系図
妻 源済政の娘
妻の父 源済政→源済政・資通の系図
子 基長【1043-1095】
権中納言。
子の妻 藤原基貞の娘
子の妻の父 藤原基貞→藤原基貞の系図
孫 実兼〔養父:藤原信家(→藤原信家の系図)〕
子 道子→白河天皇の系図
妻 伊頼の娘
禎子内親王の乳母。
子 長明【?-1104】
孫 信賢
腰禅師と号した。
妻 昭登親王の娘
妻の父 昭登親王→冷泉天皇・花山天皇の系図
子 長忠【1058-1129】
権中納言。母は信子女王とも。石山大蔵卿と号した。
子の妻 藤原宗実の娘
子の妻の父 藤原宗実→藤原頼宗の系図
曾孫 延杲【1123-1206】
六条僧正と号した。
曾孫の夫 顕広王→顕広王・仲資王の系図
孫の夫 藤原忠能→藤原忠能の系図
孫の夫 藤原基隆→藤原基隆の系図
妻 信子女王(のぶこ)
清仁親王(→清仁親王~源顕康の系図)の娘。長忠の母ともされる。
子 宗信/惟信
孫 能定〔養父:藤原能実(→藤原能実の系図)〕
曾孫の夫 中御門宗家→中御門宗家~宗雅の系図
宗信孫 惟忠〔養父:平忠盛(→平正盛・忠盛の系図)〕
藤原基貞の系図
藤原基貞
祖父 道長→藤原道長の系図
父 頼宗→藤原頼宗の系図
祖父 源高雅→源高雅の系図
妻 源章任の娘
妻の父 源章任→源高雅の系図
子 敦基
子の妻 藤原憲輔の娘
子の妻の父 藤原憲輔→藤原憲輔の系図
敦雅孫 澄尊/貞円
孫 紀宗兼〔養父:紀宗政〕→紀宗兼の系図
曾孫 隆教〔養父:三条公教(→三条公教の系図)〕
曾孫の妻 丹波知康の娘
曾孫の妻の父 丹波知康→丹波知康の系図
宗隆孫 隆康〔養父:丹波知康(→丹波知康の系図)〕
子 基仲【?-1072】
子の妻 藤原実範の娘
子の妻の父 藤原実範→藤原能通・実範の系図
孫 知仲〔養父:藤原知房〕→藤原信長の系図
孫の夫 藤原能実→藤原能実の系図
子 兼実〔養父:藤原信長〕→藤原信長の系図
妻 藤原良頼の娘
妻の父 藤原良頼→藤原良頼の系図
子 時実・貞禅
父は藤原兼実(→藤原信長の系図)とも。
子 永基
父は藤原兼実(→藤原信長の系図)とも。
子の夫 藤原公実→藤原公実の系図
孫 実隆→藤原実隆・季成の系図
孫 三条実行→三条実行の系図
子の夫 藤原師実→藤原師実の系図
孫 大炊御門経実→大炊御門経実の系図
孫 藤原能実→藤原能実の系図
子の夫 藤原基長→藤原能長の系図
子の夫 藤原長房→藤原長房の系図
藤原能季の系図
藤原能季【1039-1077】
権中納言。伊勢中納言と号された。
妻 源信房の娘
妻の父 源信房→源扶義の系図
子 有家/能実
子の妻 藤原知綱の娘
子の妻の父 藤原知綱→藤原惟経~知信の系図
孫 能忠【?-1151】
柿御園少納言と号された。
孫の妻 藤原有業の娘
孫の妻の父 藤原有業→藤原行家の系図
曾孫 増忠→藤原経忠の系図
父は藤原経忠とも。
曾孫の夫 平信範→平信範・信基の系図
曾孫の夫 源師長→源師忠の系図
保忠孫 景俊
景俊の子の夫 大炊御門冬氏→大炊御門信嗣~冬信の系図
景俊の子の夫 藤原光久→藤原光家の系図
藤原俊家の系図
藤原俊家(としいえ)【1019-1082】
右大臣。催馬楽の名手。日記は『大右記』。
祖父 道長→藤原道長の系図
父 頼宗→藤原頼宗の系図
祖父 藤原伊周→藤原伊周の系図
妻 源隆国の娘
妻の父 源隆国→源隆国の系図
子 中御門宗俊→中御門宗俊の系図
孫 宗忠→中御門宗忠の系図
子 師兼【1048-1076】
参議。
子の妻 藤原憲輔の娘
子の妻の父 藤原憲輔→藤原憲輔の系図
孫の夫 白河天皇→白河天皇の系図
妻 高階順業の娘
子 基俊(もととし)【1060-1142】
歌人。『百人一首』に歌が収められている。『新撰朗詠集』を編纂した。
子の妻 藤原定成の娘
子の妻の父 藤原定成→藤原定成の系図
曾孫の夫 藤原頼佐→藤原顕能の系図
子の妻 源隆国の娘
子の妻の父 源隆国→源隆国の系図
孫 能仲
孫の妻 源兼俊の娘
孫の妻の父 源兼俊→源経相~範基の系図
曾孫 孝能/能政
曾孫の妻 菅原時登の娘
曾孫の妻の父 菅原時登→菅原時登の系図
基俊孫 良弘(りょうこう)【1142-?】
安徳天皇の護持僧。治承・寿永の乱では平氏方につき、阿波に流された。
曾孫の夫 藤原忠兼→花山院家忠の系図
孫 皇覚(こうかく)
孫 実顕/覚敏
妻 源為弘の娘
子 基頼・孫 通基→藤原基頼・通基の系図
妻 源兼長の娘
妻の父 源兼長→源兼長~俊兼の系図
子 宗通→藤原宗通の系図
孫 信通・孫 季通→藤原信通・季通の系図
孫 伊通→藤原伊通の系図
孫 成通→藤原成通の系図
孫 高倉重通→高倉重通・家通の系図
妻 源季範の娘
妻の父 源季範→源通理・国盛の系図
藤原宗通の系図
藤原宗通(むねみち)【1071-1120】〔養子:藤原時通(→藤原長実の系図)〕
権大納言。母は雅通の娘とも。幼少時から白河天皇の寵を受けた。
祖父 頼宗→藤原頼宗の系図
父 俊家→藤原俊家の系図
祖父 源兼長→源兼長~俊兼の系図
妻 藤原顕季の娘
妻の父 藤原顕季→藤原顕季の系図
子 信通・子 季通→藤原信通・季通の系図
子 伊通→藤原伊通の系図
孫 白河伊実→白河伊実の系図
子 高倉重通・孫 家通→高倉重通・家通の系図
子 定通→藤原保実の系図
実は藤原保実の子。養父は藤原通俊(→藤原経平の系図)とも。
子 宗子→藤原忠通の系図
藤原信通・季通の系図
藤原信通【1092-1120】
参議。
祖父 俊家→藤原俊家の系図
父 宗通→藤原宗通の系図
祖父 藤原顕季→藤原顕季の系図
妻 藤原基隆の娘
妻の父 藤原基隆→藤原基隆の系図
子 信経〔養子:藤原家方(→藤原家保の系図)〕
孫 経重
実は藤原宗保(→藤原家保の系図)の子。
孫 信宗・信覚〔養父:藤原行通〕
実は藤原信経の子。
孫 通時/忠隆/忠信
子の夫 藤原公隆→藤原実隆・季成の系図
子の夫 壬生光隆→壬生光隆の系図
藤原季通(すえみち)
琵琶や笛にすぐれた。
子 伊長/宗長/宗綱
子 範源
父は藤原伊長とも。
藤原成通の系図
藤原成通(なりみち)【1097-?】
大納言。蹴鞠の名手。
祖父 俊家→藤原俊家の系図
父 宗通→藤原宗通の系図
祖父 藤原顕季→藤原顕季の系図
子 泰通→藤原泰通の系図
子 有通〔養父:源行宗〕→源有通の系図
子の夫 持明院基宗→持明院基宗~基世の系図
藤原泰通の系図
藤原泰通(やすみち)【1147-1210】
権大納言。実は藤原為通(→藤原伊通の系図)の子。
妻 藤原隆季の娘
妻の父 藤原隆季→藤原隆季の系図
子 経通【1176-1239】
権大納言。
孫 氏通→高倉敦通の系図
実は高倉敦通の子。
孫の夫 藤原高実→九条兼実の系図
妻 藤原教良の娘
妻の父 藤原教良→難波忠教の系図
夫 西園寺実宗→西園寺実宗の系図
子 国通【1176-1259】〔養子:快恵〕
中納言。
子の妻 北条時政の娘
子の妻の父 北条時政→北条時家~時政の系図
子の妻の夫 平賀朝雅→平賀義信の系図
孫の夫 花山院通雅→花山院通雅~長定の系図
曾孫の夫 正親町三条実蔭→正親町三条公氏・実蔭の系図
曾孫の子 公貫→正親町三条公貫~公秀の系図
子の夫 正親町三条公氏→正親町三条公氏・実蔭の系図
孫 俊氏〔養子:俊誉〕
孫 快恵〔養父:藤原国通〕
曾孫 俊誉〔養父:藤原俊氏〕
高倉重通・家通の系図
高倉重通【1099-1161】
大納言。
祖父 俊家→藤原俊家の系図
父 宗通→藤原宗通の系図
祖父 藤原顕季→藤原顕季の系図
妻 源師頼の娘
妻の父 源師頼→源師頼の系図
高倉家通(いえみち)【1143-1187】
権中納言。実は藤原忠基(→難波忠基の系図)の子。
妻 藤原俊成の娘
妻の父 藤原俊成→藤原俊成の系図
子 敦通→高倉敦通の系図
妻 藤原親隆の娘
妻の父 藤原親隆→藤原親隆の系図
高倉敦通の系図
高倉敦通
祖父 重通・父 家通→高倉重通・家通の系図
祖父 藤原俊成→藤原俊成の系図
子 氏通〔養父:藤原経通(→藤原泰通の系図)〕
子の妻 川原公国の娘
子の妻の父 川原公国→川原実家・公国の系図
孫 茂通/光通【1231-1293】
参議。
孫の妻 大江忠茂の娘
孫の妻の父 大江忠茂→大江忠茂の系図
曾孫 有通【1258-1333】
参議。
有通孫 広通【?-1358】
参議。
曾孫 別当典侍→後深草天皇の系図
曾孫の夫 三条実任→正親町三条公氏・実蔭の系図
曾孫の夫 伏見天皇→伏見天皇・花園天皇の系図
藤原伊通の系図
藤原伊通(これみち)【1093-1165】
太政大臣。『大槐秘抄』を著した。
祖父 俊家→藤原俊家の系図
父 宗通→藤原宗通の系図
祖父 藤原顕季→藤原顕季の系図
妻 藤原定実の娘
妻の父 藤原定実→藤原定実~伊行の系図
子 為通【1115-1154】
参議。
子の妻 源師頼の娘
子の妻の父 源師頼→源師頼の系図
孫 泰通〔養父:藤原成通〕→藤原泰通の系図
孫の夫 藤原成範→藤原成範の系図
子の妻 藤原公衡の娘
子の妻の父 藤原公衡→藤原師信の系図
妻 藤原立子
藤原顕隆(→藤原顕隆の系図)の娘。
子 白河伊実→白河伊実の系図
子 呈子→鳥羽天皇~近衛天皇の系図
妻 藤原俊忠の娘
妻の父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
白河伊実の系図
白河伊実【1125-1160】
中納言。
祖父 宗通→藤原宗通の系図
父 伊通→藤原伊通の系図
祖父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
妻 公長の娘
子 清通/伊保【1141-?】
従三位。
子の妻 西園寺公通の娘
子の妻の父 西園寺公通→西園寺公通の系図
孫 高通【1169-1222】
従二位。
孫の夫 藤原兼房→藤原兼房の系図
妻 藤原範兼の娘
妻の父 藤原範兼→藤原範兼の系図
子 伊輔(これすけ)【1155-1218】〔養子:房伊〕
正三位。
子の妻 章玄の娘
孫 伊時【1178-1237】
従三位。
孫の妻 坊門信清の娘
孫の妻の父 坊門信清→坊門信清の系図
曾孫 伊長
曾孫の妻 乗遍の娘
曾孫の妻の父 乗遍→藤原憲親・経憲の系図
伊長孫 伊定【1247-1300】
従二位。
伊定の子の夫 持明院俊藤→持明院基保の系図
伊長孫 通定/伊有
伊長孫 伊家【?-1316】
従三位。
伊長孫 伊宗【1304-1351】
従三位。
伊長孫 伊俊【1305-1359】
従三位。
伊長孫 覚伊
実は藤原伊兼の子。
孫 親通/伊氏
親通孫 覚伊〔養父:白河伊定〕
孫の夫 楊梅忠行→楊梅重季~経季の系図
子 覚伊/観実
孫 房伊〔養父:白河伊輔〕
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。