このページでは、山科家(藤原氏北家・末茂流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
山科家(羽林家)の略系図
1 実教→山科実教の系図
2 教成→山科教成~資行の系図
6 教行→山科教行~教豊の系図
10 顕言→山科顕言~言総の系図
17 言行→山科言行~尭言の系図
20 頼言→山科頼言~忠言の系図
23 言知→山科言知~言縄の系図
山科実教の系図
山科実教(さねのり)【1150-1227】〔養父:藤原公親(→徳大寺実能の系図)〕
中納言。山科家の祖。
祖父 家保→藤原家保の系図
父 家成→藤原家成の系図
祖父 藤原経忠→藤原経忠の系図
妻 壬生光隆の娘
妻の父 壬生光隆→壬生光隆の系図
子 公頼【1172-1250】〔養子:藤井教嗣(→粟田口基良の系図)〕
参議。母は藤原定隆(→藤原清隆の系図)の娘とも。
孫の夫 粟田口基良→粟田口基良の系図
子 公長【1184-?】
正三位。
子 教成・孫 教房→山科教成~資行の系図
子 宗明〔養父:持明院基宗(→持明院基宗~基世の系図)〕
従三位。
子の夫 藤原範能→藤原脩範の系図
子の夫 藤原宗隆→藤原宗隆の系図
子の夫 藤原兼光→藤原兼光の系図
子の夫 平親輔→平親輔の系図
孫 時高→平時高~行高の系図
孫の夫 源雅兼→源雅兼の系図
山科教成~資行の系図
山科教成(のりしげ)【1177-1239】
権中納言。実は平業房(→平維盛の系図)の子。母の高階栄子から山科の別業を相続した。
妻 中御門宗経の娘
妻の父 中御門宗経→中御門宗家~宗雅の系図
妻 水無瀬親信の娘
妻の父 水無瀬親信→水無瀬親信の系図
夫 藤原朝経→藤原朝方の系図
子 冷泉忠成
父は藤原公長(→山科実教の系図)とも。
孫 頼成【?-1316】
従二位。父は藤原教高とも。
曾孫 維成
従三位。
忠成孫 守教〔養父:冷泉清実〕
実は冷泉季成の子。
忠成孫 教右→山科教行~教豊の系図
父は藤原教繁とも。
山科教房
母は『山科家譜』による。
孫 教定【1271-1330】
従二位。
曾孫 教行〔養父:山科資行〕→山科教行~教豊の系図
山科資成
父は山科教家とも。父に先立って亡くなった。
山科資行
子 教行・孫 教言→山科教行~教豊の系図
山科教行~教豊の系図
山科教行
実は藤原教定(→山科教成~資行の系図)の子。
祖父 資成・父 資行→山科教成~資行の系図
子 教繁【?-1391】
参議。
孫 教遠【1361-1421】
正三位。
曾孫 保宗【1411-1463】
参議。
教繁孫 言国〔養父:山科顕言〕→山科顕言~言総の系図
孫 教右/繁右/家右【?-1461】
従二位。父は冷泉朝成(→山科教成~資行の系図)とも。
子 教快/覚堺
子の夫 藤原家綱→藤原家綱の系図
山科教言(のりとき)【1328-1410】
権中納言。教言以降、内蔵頭を世襲するようになった。日記は『教言卿記』。
妻 橘知任の娘
妻の父 橘知任→橘知任の系図
子 教藤(のりふじ)/教長【?-1395】
参議。
子 教冬(のりふゆ)【?-1409】
正三位。
孫 教有/行有【?-1430】
正三位。
曾孫 綾小路有俊〔養父:綾小路信俊〕→綾小路信有~資能の系図
孫 持俊
権中納言。
山科教興(のりおき)/教清【1369-1418】
権中納言。日記は『教興卿記』。
子 嗣教(つぐのり)
足利義嗣の従者。義嗣とともに出家した。
山科教豊(のりとよ)/家豊(いえとよ)【?-1431】
参議。
子 顕言・孫 言国→山科顕言~言総の系図
山科顕言~言総の系図
山科顕言/成任【1428-1462】
権中納言。
祖父 教興・父 教豊→山科教行~教豊の系図
山科言国(ときくに)【1452-1503】
権中納言。実は山科保宗(→山科教行~教豊の系図)の子。
妻 高倉永継の娘
妻の父 高倉永継→高倉永継~永相の系図
子 定言【1476-1494】
夜盗に殺された。
山科言綱【1486-1530】
権中納言。
妻 中御門宣胤の娘
妻の父 中御門宣胤→中御門宣胤~宣政の系図
山科言継(ときつぐ)【1507-1579】
権大納言。朝廷の財政が困窮するなか、内蔵頭として奔走した。日記は『言継卿記』。
妻 葉室頼継の娘
妻の父 葉室頼継→葉室長隆~頼継の系図
子 教明【1539-1543】
子 橘諸光〔養父:橘以緒〕→橘諸光の系図
山科言経(ときつね)【1543-1611】
権中納言。勅勘を蒙り、一時堺に居住した。
妻 上冷泉為益の娘
妻の父 上冷泉為益→上冷泉為富~為益の系図
子 教遠(以下、『系図纂要』による。)
山科言緒【1577-1620】(以下、『系図纂要』による。)
参議。
山科言総【1603-1661】
権大納言。
妻 中御門尚良の娘
妻の父 中御門尚良→中御門資胤~宣基の系図
子 言行・孫 持言→山科言行~尭言の系図
妻 中御門資胤の娘
妻の父 中御門資胤→中御門資胤~宣基の系図
山科言行~尭言の系図
山科言行【1632-1665】
参議。実は藤谷為賢(→藤谷為賢・為条の系図)の子。母は『系図纂要』(山科家)による。『系図纂要』(四条家)・『山科家譜』は、中御門資胤の娘を山科言総の妻として掲げる。
祖父 言緒・父 言総→山科顕言~言総の系図
祖父 中御門尚良→中御門資胤~宣基の系図
子 四条隆安〔養父:四条隆音〕→四条隆重~隆平の系図
子 言行の娘(3人)(『山科家譜』による。)
子の夫 鷹司房輔→鷹司房輔~基輝の系図
山科持言(もちとき)【1657-1737】
参議。
妻 中院通茂の娘
妻の父 中院通茂→中院通茂~通枝の系図
子 持言の息子(2人)・子 持言の娘(4人)(『山科家譜』による。)
子の夫 押小路実岑(『山科家譜』による。)→押小路公音~実潔の系図
山科尭言【1686-1751】
権大納言。
子 頼言・孫 敬言→山科頼言~忠言の系図
子 尭言の息子(2人)・子 尭言の娘(『山科家譜』による。)
子の夫 藤谷為香→藤谷為香の系図
山科頼言~忠言の系図
山科頼言/師言【1722-1770】
権中納言。
祖父 持言・父 尭言→山科言行~尭言の系図
妻 梅園久季の娘
妻の父 梅園久季→梅園実清~久季の系図
妻 正親町公通の娘
妻の父 正親町公通→正親町公通~実連の系図
妻 禅深の娘
子 西大路隆要〔養父:西大路隆共〕→西大路隆郷~隆脩の系図
子 西大路隆良〔養父:西大路隆共〕→西大路隆郷~隆脩の系図
子 頼言の息子(3人)・子 頼言の娘(『山科家譜』による。)
山科敬言【1742-1778】
権中納言。
妻 上冷泉為村の娘
妻の父 上冷泉為村→上冷泉為綱~為村の系図
妻 甘露寺規長の娘
妻の父 甘露寺規長→甘露寺規長・篤長の系図
子 敬言の息子(3人)・子 敬言の娘(『山科家譜』による。)
子の夫 池尻暉房→池尻栄房~胤房の系図
子の夫 東久世通庸→東久世通庸の系図
山科忠言【1762-1833】
権大納言。
子 言知・孫 言成→山科言知~言縄の系図
子 油小路隆道〔養父:油小路隆彭〕→油小路隆基~隆董の系図
子 西大路隆枝〔養父:西大路隆明〕→西大路隆郷~隆脩の系図
子 忠言の娘(『山科家譜』による。)
子の夫 葉室顕孝→葉室頼煕~長邦の系図
山科言知~言縄の系図
山科言知【1790-1867】
権大納言。
祖父 敬言・父 忠言→山科頼言~忠言の系図
子 言縄〔養父:山科言成〕
孫 言綏(『山科家譜』による。)
孫の妻 上冷泉為理の娘
孫の妻の父 上冷泉為理→上冷泉為則~為紀の系図
孫 言縄の息子〔養父:清沢達英〕(『山科家譜』による。)
孫 言縄の娘〔養父:北岡一角〕(『山科家譜』による。)
孫 杉渓言長・孫 言縄の娘(5人)(『山科家譜』による。)
子 若王子遠文(『山科家譜』による。)
子の妻 持明院治子
持明院基政(→持明院基胤~基和の系図)の娘。
子 言知の息子・子 言知の娘(5人)(『山科家譜』による。)
子の夫 葉室顕孝→葉室頼煕~長邦の系図
山科言成(ときとも)【1811-1870】
権中納言。実は徳大寺公迪(→徳大寺実祖~実則の系図)の子。
妻 北小路賀
北小路師光(→北小路徳光~随光の系図)の娘。
山科言縄(ときなお)【1835-1916】
従三位。実は山科言知の子。有職故実に精通して儀礼の再興に尽くし、即位礼の装束を監修した。
妻 野宮定祥の娘
妻の父 野宮定祥→野宮定晴~定平の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。