このページでは、前田氏(菅原氏)・利治流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
前田氏・利治流(加賀国大聖寺藩主)の略系図
1 利治→前田利治~利章の系図
5 利道→前田利道~利考の系図
9 利之→前田利之~利鬯の系図
前田利治~利章の系図
前田利治(としはる)【1618-1660】
加賀国大聖寺藩主。九谷焼を興したという。
祖父 利長→前田利家・利長の系図
父 利常→前田利常~綱紀の系図
祖父 徳川秀忠→徳川秀忠の系図
妻 上杉徳【?-1685】
上杉定勝(→上杉定勝の系図)の娘。
前田利明(としあき)/利成(としなり)【1637-1692】
大聖寺藩主。実は前田利常(→前田利常~綱紀の系図)の子。
妻 上杉亀【?-1664】
上杉定勝(→上杉定勝の系図)の娘。
子 万吉【?-1664】(『前田家譜(加賀大聖寺)』による。)
妻 本多勢幾【?-1719】
本多忠義(→本多忠義・忠以の系図)の娘。
子 木工之助【?-1671】(『前田家譜(加賀大聖寺)』による。)
子 利昌(としまさ)【1684-1709】
加賀国大聖寺新田藩主。織田秀親を刺殺し、切腹を命じられた。
子 菊→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図
子 松→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
子 友→南部直房~広信の系図
子 佐野→溝口重元の系図
前田利直(としなお)【1672-1710】
大聖寺藩主。
妻 酒井種【?-1734】
酒井忠義(→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図)の娘。
子 富貴→前田利次~利隆の系図
子 諏訪→松平清武・武雅の系図
前田利章(としあきら)【1691-1737】
大聖寺藩主。実は前田綱紀(→前田利常~綱紀の系図)の子。
妻 水越氏
子 冨【1718-1721】
母は『前田家譜(加賀大聖寺)』による。
子 弓→南部利雄~利用の系図
子 幸→真田信安の系図
妻 内藤友真の娘
子 利道・孫 利精→前田利道~利考の系図
妻 石倉氏
子 信成(のぶなり)/利挙【1734-1776】
母は 『前田家譜(加賀大聖寺)』による。
子 多喜→前田長敦の系図
前田利道~利考の系図
前田利道(としみち)【1733-1781】
大聖寺藩主。
祖父 利直・父 利章→前田利治~利章の系図
妻 前田隆【?-1758】
前田利隆(→前田利次~利隆の系図)の娘。
子 利貞(としさだ)【1755-1759】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 加藤景慶の娘
子 利物〔養父:前田利精〕
子 元三郎【1762-1763】
母は『前田家譜(加賀大聖寺)』による。
子 利寧(としよし)【1766-1793】
母は『前田家譜(加賀大聖寺)』による。
子 利以〔養父:前田利見〕→前田利尚~利昭の系図
子 政→喜連川氏連~足利聡氏の系図
子 俊→前田治脩~慶寧の系図
妻 井上心逸の娘
子 利行(としゆき)【1769-1809】
母は『前田家譜(加賀大聖寺)』による。
子 利幹〔養父:前田利謙〕→前田利幹~利同の系図
前田利精(としあき)【1758-1791】(以下、『前田家譜(加賀大聖寺)』による。)
大聖寺藩主。宗家から隠居を命じられた。
妻 西島氏
子 利考〔養父:前田利物〕
子 利竜【1785-1804】
子 秀【1781-1794】
妻 恵遊院
子 利精の息子【1782】
子 千→松平近明~直巳の系図
妻 長泉院
子 利純【1783-1800】
子 利信【1784-1853】
前田利物(としたね)【1760-1788】
大聖寺藩主。実は前田利道の子。
妻 前田豊【?-1805】
前田利幸(→前田利幸~利謙の系図)の娘。
子 璦【1788-1792】
妻 前田信成の娘
子 利之〔養父:前田利考〕→前田利之~利鬯の系図
子 珋【1787-1791】
前田利考(としやす)【1779-1805】
大聖寺藩主。実は前田利精の子。
妻 溝口幾【?-1855】
溝口直信(→溝口直信の系図)の娘。
子 利之・孫 利極→前田利之~利鬯の系図
前田利之~利鬯の系図
前田利之(としこれ)【1785-1836】
大聖寺藩主。実は前田利物(→前田利道~利考の系図)の子。10万石格を許された。
祖父 利物・父 利考→前田利道~利考の系図
妻 酒井建/富【?-1852】
酒井忠徳(→酒井忠徳の系図)の娘。
子 造酒丞【1808-1809】
妻 厚見陸奥守の娘
子 綏次郎【1813-1814】
子 利建【1815-1822】
子 鋳/鈴【1811-1814】
妻 古川氏
子 利之の息子【1816】
妻 小原氏益の娘
子 利平〔養父:前田利極〕
子 建→水野忠見~忠順の系図
妻 中村氏
子 利之の娘【1826】
子 銈→永井直進~直諒の系図
前田利極(としなか)【1812-1838】
大聖寺藩主。
妻 前田勇【?-1875】
前田斉広(→前田治脩~慶寧の系図)の娘。
子 政【1838-1839】
前田利平(としひら)【1823-1849】
大聖寺藩主。実は前田利之の子。学問所を創設した。
子 鋼吉郎【1845】
子 哲二郎【1847-1848】
子 利平の娘【1848】
前田利義(としのり)【1833-1855】
大聖寺藩主。実は前田斉泰(→前田治脩~慶寧の系図)の子。
妻 前田弘【?-1876】
前田利保(→前田利幹~利同の系図)の娘。
前田利行(としみち)【1835-1855】
大聖寺藩主。実は前田斉泰(→前田治脩~慶寧の系図)の子。利義の相続を幕府が許可する前に死亡したため、死亡の事実を秘された。
前田利鬯(としか)/貞用/利益【1841-1920】
大聖寺藩主。実は前田斉泰(→前田治脩~慶寧の系図)の子。
妻 前田定/祉
前田利保(→前田利幹~利同の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。