このページでは、柳原家(藤原氏北家・真夏流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
柳原家(名家)の略系図
1 資明→柳原資明の系図
2 忠光→柳原忠光~量光の系図
2-A 資藤→町資藤の系図
7 資定→柳原資定~資尭の系図
17 光綱→柳原光綱~光定の系図
柳原資明の系図
柳原資明(すけあきら・すけあき)【1297-1353】
権大納言。柳原家の祖。
祖父 資宣→日野家光・資宣の系図
父 俊光→日野俊光・資名の系図
妻 実耀の娘
妻の父 実耀→阿野公佐~公廉の系図
子 宗光【1322-1347】
妻 源康世の娘
妻の父 源康世→源康世の系図
夫 油小路隆蔭→油小路隆蔭~隆秀の系図
子 光済(こうさい)【1326-1379】
醍醐寺座主。東寺長者。
子 武者小路教光(のりみつ)【1325-1378】
権中納言。
孫 資俊【?-1398】
権大納言。実は藤原房光(→日野俊光・資名の系図)の子。
曾孫 隆光/俊宗【1387-1448】
権大納言。
曾孫の子の夫 近衛房嗣→近衛兼嗣~政家の系図
曾孫の子の夫 足利政氏→足利義教・義政の系図
曾孫の子の夫 洞院公数→洞院実夏~公連の系図
曾孫の子の夫 九条政基→九条政基~兼孝の系図
教光孫 資世【1418-1490】
権大納言。
教光孫 縁光/種光【1441-1524】
権大納言。
曾孫 通賢(『系図纂要』による。)
曾孫の夫 裏松重光→裏松重光・義資の系図
子 土御門保光【1334-?】
権大納言。
孫 資家(すけいえ)【1371-1438】
権大納言。
曾孫 嗣光/長淳
子 忠光・孫 資衡→柳原忠光~量光の系図
孫 町資藤→町資藤の系図
子の夫 土御門通房→土御門定実の系図
柳原忠光~量光の系図
柳原忠光(ただみつ)【1334-1379】
権大納言。
祖父 俊光→日野俊光・資名の系図
父 資明→柳原資明の系図
子 町資藤→町資藤の系図
子 定忠(じょうちゅう)
醍醐寺座主。
柳原資衡(すけひら)【1363-1405】
権大納言。
柳原行光/衡光/忠秀【1393-1443】
権大納言。実は町資藤(→町資藤の系図)の子。
妻 日野西資国の娘
妻の父 日野西資国→日野時光・資康の系図
柳原資綱/資重【1417-1501】
権大納言。
柳原量光/尚光【1448-1510】
権中納言。
子 資定・孫 淳光→柳原資定~資尭の系図
子の夫 鷲尾隆康→鷲尾隆良~隆康の系図
町資藤の系図
町資藤(すけふじ)【1366-1409】
権大納言。
祖父 資明→柳原資明の系図
父 忠光→柳原忠光~量光の系図
子 資広/藤光【1390-1469】
権大納言。
子の妻 一色満直の娘
子の妻の父 一色満直→公深~一色詮範・直氏~長兼の系図
孫 広光(ひろみつ)【1444-1504】
権大納言。
孫の妻 園基有の娘
孫の妻の父 園基有→園基成~基有の系図
曾孫 広橋守光〔養父:広橋兼顕〕→広橋兼郷~守光の系図
曾孫 資将/資雄【1518-1555】
権中納言。実は高辻章長(→高辻国長~長雅の系図)の子。
曾孫の妻 竹屋光継の娘
曾孫の妻の父 竹屋光継→竹屋光継の系図
資将孫 柳原淳光〔養父:柳原資定〕→柳原資定~資尭の系図
資将孫 資俊→柳原資定~資尭の系図
実は柳原淳光の子。
曾孫 兼継〔養父:広橋兼顕〕→広橋兼郷~守光の系図
曾孫 広光の娘【?-1547】
曾孫の夫 邦輔親王→邦輔親王の系図
曾孫の夫 高辻章長→高辻国長~長雅の系図
孫 光什〔養父:日野勝光(→日野勝光~晴光の系図)〕【?-1533】
子 柳原行光〔養父:柳原資衡〕→柳原忠光~量光の系図
柳原資定~資尭の系図
柳原資定【1495-1578】
権大納言。
祖父 資綱・父 量光→柳原忠光~量光の系図
子 尊俊
実は忠顕の子。
子 源俊
実は中山孝親(→中山宣親~孝親の系図)の子。
柳原淳光/将光【1541-1597】
権大納言。実は町資将(→町資藤の系図)の子。
子 高倉範国〔養父:高倉範久〕→高倉範継~教遠の系図
子 資俊〔養父:柳原資淳〕
柳原資淳【1580-1596】(以下、『系図纂要』による。)
柳原資俊/英光【1584-1602】〔養父:町資将(→町資藤の系図)〕
実は柳原淳光の子。
柳原茂光/業光【1595-1654】
権大納言。
妻 園基任の娘
妻の父 園基任→園基富~基音の系図
柳原資行【1620-1679】
権大納言。
妻 園基音の娘
妻の父 園基音→園基富~基音の系図
子 方光【1641-?】
子 三室戸誠光・孫 資順→三室戸誠光~和光の系図
孫 北小路徳光→北小路徳光~随光の系図
柳原資廉【1644-1712】
権大納言。
子 資尭〔養父:柳原資基〕
子の夫 北小路徳光→北小路徳光~随光の系図
柳原秀光/秀煕【1664-1683】
実は中御門資煕(→中御門資胤~宣基の系図)の子。
柳原資基【1685-1705】
実は三室戸誠光(→三室戸誠光~和光の系図)の子。
柳原資尭/資義【1692-1716】
妻 中山篤親の娘
妻の父 中山篤親→中山篤親~栄親の系図
子 光綱・孫 紀光→柳原光綱~光定の系図
柳原光綱~光定の系図
柳原光綱【1711-1760】
権大納言。実は上冷泉為綱(→上冷泉為綱~為村の系図)の子。
祖父 資基・父 資尭→柳原資定~資尭の系図
祖父 中山篤親→中山篤親~栄親の系図
妻 織田郁子
織田信休(→織田信休の系図)の娘。
子 岩倉具選〔養父:岩倉広雅〕→岩倉恒具~具視の系図
妻 園池実守の娘
妻の父 園池実守→園池実守~公静の系図
子の夫 伏原宣条→伏原宣条の系図
子の夫 吉田良倶→吉田良倶の系図
子の夫 日野資矩→日野資時~資平の系図
柳原紀光(もとみつ)/光房【1746-1800】
権大納言。『続史愚抄』を完成させた。日記は『紀光卿記』。
妻 勧修寺道子
勧修寺顕道(→勧修寺顕道~経逸の系図)の娘。
子 資前【1779-?】
柳原均光(なおみつ)【1772-1812】
権大納言。
妻 正親町三条安子(やすこ)【1784-1866】
正親町三条実同(→正親町三条公積~公平の系図)の娘。歌人として活躍した。
子 光経【1798-?】
柳原隆光【1793-1851】
権大納言。
妻 正親町三条公則の娘
妻の父 正親町三条公則→正親町三条公積~公平の系図
子の夫 上冷泉為理→上冷泉為則~為紀の系図
柳原光愛【1818-1885】
権大納言。
子 前光(さきみつ)【1850-1894】
外務大丞として日清修好条規の締結に尽力した。
子の妻 伊達初子(はつこ)【1854-?】
伊達宗城(→伊達宗城・宗徳の系図)の娘。
子 愛子(なるこ)【1859-1943】
明治天皇の権典侍となり、嘉仁親王(大正天皇)らを生んだ。
柳原光定【1846-1848】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。