このページでは、谷氏(宇多源氏・扶義流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
谷氏(丹波国山家藩主)の略系図
1 正之→福田正之~谷衛友・衛成~衛晴の系図
3-A 衛勝→谷衛勝~衛真の系図
3-B 衛冬→谷衛冬~衛裕の系図
4 衛政→谷衛政・衛吉~衛貞の系図
5 衛利→谷衛利~衛将の系図
10 衛秀→谷衛秀~衛滋の系図
福田正之~谷衛友・衛成~衛晴の系図
福田正之
佐々木定綱(→佐々木定綱の系図)の末裔という。美濃国席田郡伊地良村に住んだ。
谷衛好(もりよし)【1530-1579】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 下総・子 衛好の娘(3人)(『華族系譜』による。)
谷衛友(もりとも)【1563-1627】
丹波国山家藩主。豊臣秀吉に仕えた後、関ケ原の戦いで東軍に通じて本領を安堵された。
子 吉長
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 衛勝・孫 衛清→谷衛勝~衛真の系図
子 衛政・孫 衛吉→谷衛政・衛吉~衛貞の系図
孫 衛利→谷衛利~衛将の系図
子 衛冬・孫 衛将→谷衛冬~衛裕の系図
子の夫 園基音→園基富~基音の系図
孫 基福→園基福~基香の系図
谷衛成【1582-1626】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 堀秀政の娘
妻の父 堀秀政→堀秀政の系図
子の夫 藤懸永重→藤懸永重の系図
子の夫 建部直昌→建部直昌の系図
子の夫 谷衛利→谷衛利~衛将の系図
谷衛之(もりゆき)【?-1681】
妻 青木可直の娘
妻の父 青木可直→青木可直~直諒の系図
谷衛貞(もりさだ)【?-1684】
谷衛晴(もりはる)【?-1685】
谷衛勝~衛真の系図
谷衛勝(もりかつ)【1593-1617】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 衛好・父 衛友→福田正之~谷衛友・衛成~衛晴の系図
妻 大島光義の娘
妻の父 大島光義→大島光義の系図
谷衛清(もりきよ)【1615-1688】
妻 新庄直房の娘
妻の父 新庄直房→新庄直房の系図
子 衛国(もりくに)【?-1662】
子の夫 吉田宗通→吉田宗通の系図
孫 日根野高豊〔養父:日根野則最〕→日根野高豊の系図
谷頼衛(よりもり)【1646-1708】
妻 木下利次の娘
妻の父 木下利次→木下利次の系図
妻 山口弘隆の娘
妻の父 山口弘隆→山口弘隆の系図
夫 久永勝晴→久永勝晴の系図
子の夫 松平幸隆→松平幸隆の系図
子の夫 日根野高豊→日根野高豊の系図
子の夫 児玉直等→児玉直等の系図
谷衛章(もりあきら)【1696-1741】
妻 戸田直勝の娘
妻の父 戸田直勝→戸田直次~直義・直昌~良堅の系図
妻 山口弘豊の娘
妻の父 山口弘豊→山口弘豊の系図
子 衛明(もりあき)【1717-1737】
子の夫 矢部正虎→矢部正虎の系図
子の夫 伊丹勝盈→伊丹勝盈の系図
谷衛平(もりひら)【1718-1752】
妻 片桐友晴の娘
妻の父 片桐友晴→片桐友晴の系図
子の夫 小栗正秧→小栗正秧の系図
谷衛寿(もりなが)【1743-?】
妻 稲葉通済の娘
妻の父 稲葉通済→稲葉通済の系図
夫 稲葉通碩→稲葉通碩の系図
妻 蒔田広堅の娘
妻の父 蒔田広堅→蒔田広堅の系図
谷衛真(もりまさ)
妻 内藤正範の娘
妻の父 内藤正範→内藤正貞~正博の系図
谷衛冬~衛裕の系図
谷衛冬(もりふゆ)/衛忠(もりただ)【1616-1640】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 衛好・父 衛友→福田正之~谷衛友・衛成~衛晴の系図
妻 大島義唯の娘
妻の父 大島義唯→大島義唯の系図
谷衛将(もりまさ)/衛周(もりちか)【1637-1691】
妻 谷衛利の娘
妻の父 谷衛利→谷衛利~衛将の系図
子の夫 花房正之→花房正之の系図
谷衛常(もりつね)【1669-1697】
妻 北条氏利の娘
妻の父 北条氏利→北条氏利~氏副の系図
子の夫 東条本暠→東条本暠の系図
谷衛直(もりなお)【1683-1736】
実は深津直勝の子。
妻 竹中重富の娘
妻の父 竹中重富→竹中重富の系図
妻 渡辺恒綱の娘
妻の父 渡辺恒綱→渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図
子 丸毛賢利〔養父:丸毛利房〕→丸毛賢利の系図
子 徳永昌芳〔養父:徳永昌保〕→徳永昌芳の系図
子 転衛〔養父:谷衛儔〕
子の夫 牧野政継→牧野政継の系図
子の夫 土屋知庸→土屋知庸の系図
子の夫 榊原忠興→榊原忠興の系図
子の夫 折井昌辰→折井昌辰の系図
子の夫 玉虫栄茂→玉虫栄茂の系図
谷衛儔(もりとも)【1717-1742】
谷転衛(ひろもり)【1719-1767】
実は谷衛直の子。
妻 水谷勝比の娘
妻の父 水谷勝比→水谷勝比の系図
妻 谷衛明の娘〔養父:落合豊久(→落合豊久の系図)〕
実は南条武満の娘。
妻の父 谷衛明→谷衛政・衛吉~衛貞の系図
子の夫 黒川正香→黒川正香の系図
子の夫 竹本正春→竹本正春の系図
子の夫 川勝広峯→川勝広峯の系図
谷衛明(もりあき)【1746-1788】
妻 谷衛衝の娘
妻の父 谷衛衝→谷衛利~衛将の系図
子の夫 内藤忠孝→内藤忠吉~忠孝の系図
谷勝衛(かつもり)【1764-1790】
妻 谷衛秀の娘
妻の父 谷衛秀→谷衛秀~衛滋の系図
谷衛裕(もりひろ)【1780-?】
谷衛政・衛吉~衛貞の系図
谷衛政(もりまさ)【1598-1662】
山家藩主。
祖父 衛好・父 衛友→福田正之~谷衛友・衛成~衛晴の系図
子 衛利・孫 衛広→谷衛利~衛将の系図
子 衛則
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 親定〔養父:谷内匠〕
孫 政勝〔養父:谷衛吉〕
孫 幾之助〔養父:佐々少兵衛〕
子 高原仲頼〔養父:高原内記〕→高原仲頼の系図
子の夫 東条長矩→東条長矩の系図
子の夫 天野雄正→天野雄正の系図
谷衛吉(もりよし)/政定(まささだ)/衛晴(もりはる)【1647-1712】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
谷政勝(まさかつ)【1683-1737】
実は谷衛則の子。
妻 高木正重の娘
妻の父 高木正重→高木正重の系図
谷衛明(もりあきら)【1721-1797】
妻 谷衛衝の娘
妻の父 谷衛衝→谷衛利~衛将の系図
子 東条長明〔養父:東条長行〕→東条長明の系図
子 大沢基期〔養父:大沢雄庸〕→大沢基期の系図
子の夫 浅野長延→浅野長広~長延の系図
子の夫 石野広近→石野広近の系図
子の夫 竹中定胤→竹中定胤の系図
子の夫 谷転衛→谷衛冬~衛裕の系図
子の夫 川勝広永→川勝広永の系図
谷衛貞(もりさだ)/政明(まさあきら)【1751-?】
妻 内藤信智の娘
妻の父 内藤信智→内藤信全~信義の系図
子 衛足(もりたる)【1786-?】
谷衛利~衛将の系図
谷衛利(もりとし)【1614-1652】
母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 衛友→福田正之~谷衛友・衛成~衛晴の系図
父 衛政→谷衛政・衛吉~衛貞の系図
妻 谷衛成の娘
妻の父 谷衛成→福田正之~谷衛友・衛成~衛晴の系図
子 高城貞胤〔養父:高城重胤〕→高城貞胤の系図
子の夫 油小路隆貞→油小路隆基~隆董の系図
子の夫 谷衛将→谷衛冬~衛裕の系図
谷衛広(もりひろ)【1644-1689】
山家藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 小出吉重の娘
妻の父 小出吉重→小出吉重の系図
子 市→有馬則維・頼徸の系図
子の夫 酒井忠貫→酒井忠助~忠懿の系図
谷照憑(てるより)/広頼(ひろより)【1674-1754】
山家藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 大田原典清の娘
妻の父 大田原典清→大田原政清~清信の系図
子 美代→佐竹義堅の系図
谷衛衝(もりみち)【1700-1763】
山家藩主。
妻 高木正陳の娘
妻の父 高木正陳→高木正陳の系図
子 遠山景煕〔養父:遠山景義〕→遠山景煕の系図
子 衛衝の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 青木一都→青木一都の系図
子の夫 内藤信智→内藤信全~信義の系図
子 衛秀〔養父:谷衛将〕→谷衛秀~衛滋の系図
子の夫 谷衛明→谷衛政・衛吉~衛貞の系図
子の夫 小倉貢季→小倉煕季~長季の系図
子の夫 谷衛明→谷衛冬~衛裕の系図
谷衛将(もりまさ)【1728-1764】
山家藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 衛秀・孫 衛量→谷衛秀~衛滋の系図
子 岩之助〔養父:谷衛秀〕→谷衛秀~衛滋の系図
谷衛秀~衛滋の系図
谷衛秀(もりひで)【1729-1780】
山家藩主。実は谷衛衝(→谷衛利~衛将の系図)の子。
祖父 衛衝・父 衛将→谷衛利~衛将の系図
妻 牧野長成の娘
妻の父 牧野長成→牧野長成の系図
子 済之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 蒔田広憲→蒔田広憲の系図
子の夫 榊原照郷→榊原照郷の系図
子 岩之助【1757-1766】
実は谷衛将(→谷衛利~衛将の系図)の子。
子の夫 谷勝衛→谷衛冬~衛裕の系図
谷衛量(もりかず)【1765-1801】
山家藩主。
妻 佐竹義方の娘
妻の父 佐竹義方→佐竹義方の系図
子 衛弥〔養父:谷衛万〕
谷衛万(もりたか)【1796-1816】
山家藩主。
谷衛弥(もりみつ)【1797-1820】
山家藩主。実は谷衛量の子。
妻 九鬼隆国の娘
妻の父 九鬼隆国→九鬼隆律~隆義の系図
谷衛昉(もりやす)/衛封【1811-1884】(以下、『華族系譜』による。)
山家藩主。実は青木一貞(→青木一貫~重義の系図)の子。
妻 北条氏喬の娘
妻の父 北条氏喬→北条氏貞~氏恭の系図
夫 北条氏久→北条氏貞~氏恭の系図
妻 織田歌子
織田信陽(→織田信陽の系図)の娘。
妻 秋田孝季の娘
妻の父 秋田孝季→秋田孝季の系図
子 衛修〔養父:小出清周〕
子 鉄也〔養父:大内青巒〕
子 衛昉の娘〔養父:谷衛弼〕
子の夫 橋本実梁→橋本実理~実梁の系図
谷衛弼(もりのり)【1822-1855】
山家藩主。実は本多康禎(→本多康完~康穣の系図)の子。
妻 谷衛昉の娘
夫 上杉勝道→上杉勝道の系図
谷衛滋(もりしげ)【1817-1875】
山家藩主。実は松平頼説(→松平頼永~頼策の系図)の子。
妻 谷衛弼の娘
実は谷衛昉の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。