このページでは、建部氏(宇多源氏・扶義流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
建部氏(播磨国林田藩主)の略系図
1 高光→建部高光~政宇・光延~政周の系図
6 政周→建部政周~政世の系図
建部高光~政宇・光延~政周の系図
建部高光/寿徳(じゅとく)【1537-1607】
佐々木氏の一族。織田信長に仕えた。
建部光重(みつしげ)【1578-1610】
関ケ原の戦いでは西軍に属した。母は『華族系譜』による。
妻 有馬豊氏の娘
実は有馬則氏(→有馬則氏の系図)の娘。
妻の父 有馬豊氏→有馬義祐~豊氏の系図
子 有馬吉政〔養父:有馬頼次〕→有馬頼次~氏弘の系図
妻 下間頼竜の娘〔養父:池田輝政(→池田輝政の系図)〕
妻の父 下間頼竜→下間頼竜の系図
子 重友〔養子:建部市兵衛〕
建部政長(まさなが)【1603-1672】
播磨国林田藩主。大坂の陣で尼崎城を守備した功で1万石を与えられた。
妻 酒井忠勝の娘
妻の父 酒井忠勝→酒井忠勝の系図
子の夫 藤懸永俊→藤懸永俊の系図
子の夫 小堀正之→小堀正之の系図
子の夫 松平康紀→松平康紀~康功の系図
子の夫 高木正次→高木正次の系図
子の夫 大島義近→大島義近の系図
子 政宇〔養父:建部政明〕
子の夫 人見宜卿→人見宜卿の系図
建部政明(まさあき)/光政(みつまさ)【1638-1669】
林田藩主。
妻 牧野親成の娘
妻の父 牧野親成→牧野親成の系図
夫 土岐頼殷→土岐頼殷~頼煕の系図
子 政明の息子・子 政明の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 九鬼隆常→九鬼隆季~隆寛の系図
建部政宇(まさのき)/政吉(まさよし)/政信(まさのぶ)【1647-1715】
林田藩主。実は建部政長の子。
妻 板倉重形の娘
妻の父 板倉重形→板倉重形~勝清の系図
子 三十郎・子 政宇の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 内藤忠種→内藤忠清~忠英の系図
子 政辰(まさとき)【1673-1729】
子 政周・孫 政民→建部政周~政世の系図
子の夫 有馬氏倫→有馬頼次~氏弘の系図
子の夫 大森頼重→大森頼重の系図
建部光延(みつのぶ)【1609-1686】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 光建(みつたけ)【?-1669】
子 市兵衛〔養父:建部重友〕
子の夫 有馬義景→有馬頼次~氏弘の系図
子の夫 山角勝長→山角勝長の系図
建部光成(みつしげ)【1654-1698】
妻 河野通宗の娘
妻の父 河野通宗→河野通宗の系図
子の夫 建部政周→建部政周~政世の系図
建部政周→建部政周~政世の系図
実は建部政宇の子。後に宗家を継いだ。
建部政周~政世の系図
建部政周(まさちか)【1674-1757】〔養父:建部光成(→建部高光~政宇・光延~政周の系図)〕
林田藩主。
祖父 政明・父 政宇→建部高光~政宇・光延~政周の系図
妻 建部光成の娘
実は河野通房(→河野通房の系図)の娘。
妻の父 建部光成→建部高光~政宇・光延~政周の系図
子 九鬼隆寛〔養父:九鬼隆直〕→九鬼隆季~隆寛の系図
子 千之丞・光之・子 政周の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 政周の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 有馬光隆〔養父:有馬氏久〕→有馬頼次~氏弘の系図
子の夫 本多紀智→本多助久~助詮の系図
建部政民(まさたみ)/政就(まさなり)【1698-1779】
林田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 板倉重同の娘
妻の父 板倉重同→板倉重形~勝清の系図
子 政賢〔養父:建部長教〕
子 正房・子 政民の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 米津政崇→米津政崇の系図
子の夫 秋田季通→秋田季通の系図
子の夫 板倉勝該→板倉重大~勝該の系図
子の夫 本多政寛→本多政朝~政房の系図
子 政民の娘〔養父:建部政周〕
子 政民の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 大島義勝→大島義勝の系図
建部長教(ながのり)【1724-1764】
林田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 戸田進
戸田光慈(→戸田光永~光慈の系図)の娘。
夫 青山幸道→青山幸督~幸道の系図
建部政賢(まさかた)【1747-1818】
林田藩主。実は建部政民の子。藩校敬業館を創設した。
妻 真田信安の娘
妻の父 真田信安→真田信安の系図
夫 松浦政→松浦誠信・政の系図
子 光平(みつひら)【1774-1791】
子 歌→前田長義の系図
子の夫 三宅康邦→三宅康邦の系図
建部政醇(まさあつ)【1795-1875】
林田藩主。
妻 松平信明の娘
妻の父 松平信明→松平信明~信古の系図
妻 市橋長昭の娘
妻の父 市橋長昭→市橋直挙~長義の系図
子 琨之助〔養父:水上甲二郎〕
子 土井利教〔養父:土井利善〕→土井利徳~利教の系図
子 定益〔養父:坪内定保〕(『建部家譜(播磨林田)』による。)
子 揆(『建部家譜(播磨林田)』による。)
子の夫 小栗剛太郎(『建部家譜(播磨林田)』による。)
建部政和(まさより)【1833-1863】
林田藩主。
妻 松平正義の娘
妻の父 松平正義→松平正升~正質の系図
妻 朽木鈊
実は朽木綱条(→朽木倫綱~為綱の系図)の娘。
妻の父 朽木綱張→朽木倫綱~為綱の系図
夫 朽木紘綱→朽木倫綱~為綱の系図
子 錬二郎・子 政和の娘(『建部家譜(播磨林田)』による。)
建部政世(まさよ)【1854-1877】
林田藩主。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。