このページでは、井上氏(清和源氏・頼季流)・清宗流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
井上氏・清宗流(遠江国浜松藩主)の略系図
1 清宗→井上清宗・清秀の系図
2-A 重成→井上重成~正直の系図
3 正就→井上正就の系図
3-A 正義→井上正義~正矩の系図
4 正利→井上正利・正興~正章の系図
5 正任→井上正任~正経の系図
9 正定→井上正定~正直の系図
井上清宗・清秀の系図
井上清宗(きよむね)【1509-1596】
井上頼季(→井上頼季の系図)の末裔。
井上清秀(きよひで)【1531-1604】
実は阿部定吉の子。母は清秀を懐胎したまま清宗に嫁いだという。
妻 服部氏
子 重成・孫 重次→井上重成~正直の系図
妻 永田氏
子 正友(まさとも)【?-1612】
孫 正勝(まさかつ)【?-1641】
孫の夫 井上政次→井上政重~政清・政明~正英の系図
曾孫 政則→井上政則~政喜の系図
子 正就→井上正就の系図
孫 正利→井上正利・正興~正章の系図
孫 正義→井上正義~正矩の系図
子 政重・孫 政次→井上政重~政清・政明~正英の系図
井上重成~正直の系図
井上重成(しげなり)【?-1646】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 清宗・父 清秀→井上清宗・清秀の系図
井上重次(しげつぐ)/正貞(まささだ)【1630-1689】
実は中根長左衛門の子。
妻 松平清直の娘
妻の父 松平清直→松平清直の系図
妻 野々山兼綱の娘
妻の父 野々山兼綱→野々山兼綱の系図
子の夫 長谷川正継→長谷川正継の系図
子の夫 横田胤松→横田胤松の系図
井上正清(まさきよ)【1660-1707】
妻 一柳末礼の娘
妻の父 一柳末礼→一柳末礼の系図
妻 井上正信の娘
妻の父 井上正信→井上正利・正興~正章の系図
妻 七条匡信の娘
妻の父 七条匡信→七条隆脩~信睦の系図
子の夫 森川氏長→森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図
井上正富(まさとみ)【1701-1733】
妻 小出有仍の娘
妻の父 小出有仍→小出有仍の系図
子 本多忠弘〔養父:本多忠強〕→本多忠周~忠曄の系図
井上正延(まさよし)【1717-1790】
妻 斎藤利保の娘
妻の父 斎藤利保→斎藤利保の系図
妻 喜連川茂氏の娘
妻の父 喜連川茂氏→喜連川義親~茂氏の系図
夫 今川義泰→今川氏睦~範叙の系図
子 井上正香〔養父:井上正純〕
子の夫 青山忠計→青山忠計の系図
子の夫 井上正盈→井上政則~政喜の系図
子の夫 奥山良意→奥山良意の系図
井上正乗(まさのり)【1750-1793】
妻 三枝守緜の娘
妻の父 三枝守緜→三枝守緜の系図
妻 毛利高丘の娘
妻の父 毛利高丘→毛利高丘~高謙の系図
子の夫 菅谷政因→菅谷政因の系図
子の夫 土岐頼門→土岐頼郷~頼門の系図
井上正直(まさなお)【1777-?】
妻 松平直紹の娘
妻の父 松平直紹→松平堅房~直静の系図
井上正就の系図
井上正就(まさなり)【1577-1628】
老中・遠江国横須賀藩主。徳川秀忠に仕え、大坂の陣で功をあげた。江戸城西ノ丸で豊島信満に殺された。
祖父 清宗・父 清秀→井上清宗・清秀の系図
子 正利・孫 正興→井上正利・正興~正章の系図
孫 正任→井上正任~正経の系図
子 正義・孫 正晴→井上正義~正矩の系図
子の夫 松平信綱→松平信綱の系図
孫 輝綱→松平輝綱・信輝の系図
孫 信定→松平信定の系図
孫 信興→松平信興~輝高の系図
子の夫 本多忠利→本多正吉~忠利の系図
孫 利長→本多利長~助有の系図
孫 井上利朗→井上利朗~本多紀貞の系図
子の夫 久世広当→久世広当~広孝の系図
子の夫 佐久間安長→佐久間安長の系図
子の夫 九鬼隆季→九鬼隆季~隆寛の系図
子の夫 水野忠善→水野忠善の系図
孫 忠春→水野忠春~忠任の系図
子の夫 酒井重澄→酒井重澄の系図
子の夫 稲垣茂門→稲垣茂門の系図
子の夫 近藤用義→近藤用義の系図
井上正義~正矩の系図
井上正義(まさよし)/正昭(まさあき)【1622-1686】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 清秀→井上清宗・清秀の系図
父 正就→井上正就の系図
妻 小出吉親の娘
妻の父 小出吉親→小出吉親の系図
子 正員(まさかず)【1663-1684】
孫 正房〔養父:井上正晴〕
子の夫 本多利重→本多助久~助詮の系図
子の夫 森川氏房→森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図
井上正晴(まさはる)【1664-1736】
妻 植村忠朝の娘
妻の父 植村忠朝→植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図
子 正富〔養父:井上正岑〕→井上正任~正経の系図
子 正矩〔養父:井上正長〕→井上正長~正巳の系図
子 正美〔養父:井上正房〕
子の夫 成瀬正倫→成瀬正倫の系図
井上正房(まさふさ)【1685-1752】
実は井上正員の子。
子 正美(まさよし)【1720-1742】
実は井上正晴の子。
子の夫 岡部元良→岡部元良の系図
子の夫 戸塚義忠→戸塚義忠の系図
子の夫 一柳寛直→一柳寛直の系図
子の夫 菅沼定亨→菅沼定亨の系図
井上正朝(まさとも)【1720-1756】
実は井上正富(→井上正任~正経の系図)の子。
子の夫 新庄直武→新庄直武の系図
子の夫 成瀬正定→成瀬正定の系図
井上正為(まさため)【1752-?】
妻 仙石久住の娘
妻の父 仙石久住→仙石久住の系図
井上正矩(まさのり)【1777-?】
妻 阿部正朗の娘
妻の父 阿部正朗→阿部正房~正良・正員~政永の系図
井上正利・正興~正章の系図
井上正利(まさとし)【1606-1675】
横須賀藩主・常陸国笠間藩主。
祖父 清秀→井上清宗・清秀の系図
父 正就→井上正就の系図
妻 鳥居成次の娘
妻の父 鳥居成次→鳥居成次・忠春の系図
子 正任・孫 正岑→井上正任~正経の系図
孫 正長→井上正長~正巳の系図
子 正信(まさのぶ)【?-1684】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫の夫 井上正清→井上重成~正直の系図
子 正利の娘
松平吉綱に嫁ぐ予定であった。
子の夫 植村家貞→植村家貞~家包の系図
子の夫 青山幸実→青山幸成~幸実の系図
孫 幸督→青山幸督~幸道の系図
子の夫 森川重信→森川重俊~俊胤の系図
子の夫 小出英利→小出英利の系図
井上正興(まさおき)【1663-1735】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 酒井重形〔養父:酒井重英〕→酒井重形の系図
子の夫 久世広般→久世広次~広民の系図
井上正敏(まさとし)【1706-1781】
子の夫 酒井忠亮→酒井忠成~忠徹の系図
子の夫 三上季寛→三上季寛の系図
井上正相(まさすけ)【1726-1780】
妻 金森可英の娘
実は金森頼錦(→金森頼錦の系図)の娘。
妻の父 金森可英→金森可英の系図
子 正恭〔養父:井上正章〕
井上正章(まさあきら)【1758-?】
実は菅谷範倶(→菅谷範俱の系図)の子。
子 正恭
実は井上正相の子。
井上正任~正経の系図
井上正任(まさとう)【1630-1700】
笠間藩主・美濃国郡上藩主。
祖父 正就→井上正就の系図
父 正利→井上正利・正興~正章の系図
祖父 鳥居成次→鳥居成次・忠春の系図
妻 本多忠義の娘
妻の父 本多忠義→本多忠義・忠以の系図
子 正幸(まさゆき)【1652-1714】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 正幸の娘〔養父:井上正岑〕
子 正長・孫 正敦→井上正長~正巳の系図
子 酒井重英〔養父:酒井重知〕→酒井重英の系図
子 正照・子 正任の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 金森頼業→金森頼業の系図
子の夫 松平信輝→松平輝綱・信輝の系図
孫 信祝→松平信祝の系図
子 庄右衛門〔養父:八木又左衛門〕
子の夫 丹羽氏音→丹羽氏音の系図
井上正岑(まさみね)/正通(まさみち)【1653-1722】
老中・郡上藩主・丹波国亀山藩主・笠間藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平清姫
松平頼純(→松平頼純の系図)の娘。
子 正富(まさとみ)【1689-?】
実は井上正晴(→井上正義~正矩の系図)の子。
孫 正朝〔養父:井上正房〕→井上正義~正矩の系図
孫の夫 成瀬正倫→成瀬正倫の系図
子の夫 松平康房→松平康映~康福の系図
子の夫 本多忠貞→本多忠周~忠曄の系図
井上正之(まさゆき)/正仲(まさなか)/正如(まさゆき)【1696-1737】
笠間藩主。実は酒井重英(→酒井重英の系図)の子。
妻 本多忠次の娘
妻の父 本多忠次→本多忠利~忠慎の系図
子 正之の娘
土井利延に嫁ぐ予定であった。
子の夫 森忠洪→森忠洪の系図
井上正経(まさつね)/正賢(まさかた)/利容(としもり)/正燕(まさちか)【1725-1766】
老中・笠間藩主・陸奥国平藩主・遠江国浜松藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 仙石政房の娘
妻の父 仙石政房→仙石政房の系図
子 巳之助【?-1759】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正定・孫 正甫→井上正定~正直の系図
子 正棠〔養父:井上正意〕→井上正長~正巳の系図
子の夫 大岡忠喜→大岡忠光~忠要の系図
子の夫 松平信明→松平信明~信古の系図
井上正定~正直の系図
井上正定(まささだ)/岑有(みねやす)【1754-1786】
浜松藩主。
祖父 正之・父 正経→井上正任~正経の系図
祖父 仙石政房→仙石政房の系図
妻 松平乗佑の娘
実は松平忠恒(→松平忠尚~忠恒の系図)の娘。
妻の父 松平乗佑→松平乗佑の系図
子 正定の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 土岐定経の娘
妻の父 土岐定経→土岐定経~頼之の系図
妻 松平正升の娘
妻の父 松平正升→松平正升~正質の系図
井上正甫(まさもと・まさよし)【1778-1858】
浜松藩主・陸奥国棚倉藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 真田幸弘の娘
妻の父 真田幸弘→真田幸弘の系図
子 直→真田幸貫の系図
妻 松平鉚子
松平武寛(→松平武元~武聡の系図)の娘。
妻 織田信浮の娘
妻の父 織田信浮→織田信浮の系図
子 正民〔養父:井上正盧〕→井上正長~正巳の系図
子 義童〔養父:上田義純〕
子 正兼〔養父:井上正信〕→井上正長~正巳の系図
子 土井利善〔養父:土井利祐〕→土井利徳~利教の系図
子 忠明(『井上家譜(上総鶴舞)』による。)
子 季→松前章広~修広の系図
子 墨→井上正長~正巳の系図
子 正甫の娘〔養父:酒井忠丈〕(『井上家譜(上総鶴舞)』による。)
子 正甫の娘〔養父:井上政孝〕(『井上家譜(上総鶴舞)』による。)
子の夫 牧野成美(『井上家譜(上総鶴舞)』による。)
井上正春(まさはる)【1806-1847】
老中・棚倉藩主・上野国館林藩主・浜松藩主。
妻 松平忠学の娘
実は秋田孝季(→秋田孝季の系図)の娘。
妻の父 松平忠学→松平忠順~忠礼の系図
子 正信〔養父:井上正誠〕→井上正長~正巳の系図
子 愛→水野忠邦~忠弘の系図
子 嘉代→脇坂安斐の系図
子 秀丸・子 千代・益(『華族系譜』による。)
妻 阿部正精の娘
妻の父 阿部正精→阿部正精~正桓の系図
夫 松平忠侯→松平忠馮~忠和の系図
子 最上義連〔養父:最上監物〕
子 松→松平忠福~忠恕の系図
井上正直(まさなお)【1837-1904】
老中・浜松藩主・上総国鶴舞藩主。徳川家達の駿府移封に併せて鶴舞に転封された。
妻 板倉勝殷の娘
妻の父 板倉勝殷→板倉勝暁~勝殷の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。