このページでは、藤原氏南家の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏南家の略系図
1 武智麿→藤原武智麿の系図
1-A1 豊成→藤原豊成・継縄の系図
1-A2 良因→藤原良因・長道の系図
1-A3 乙縄→藤原乙縄の系図
1-A4 乙叡・真葛→藤原乙叡・真葛の系図
1-A5 助継→藤原助継の系図
1-B 仲麿→藤原仲麿の系図
2 巨勢麿→藤原巨勢麿の系図
2-A 弓主・今河→藤原弓主・今河の系図
2-B 広河・伊勢人→藤原広河・伊勢人の系図
3 黒麿→藤原黒麿・春継の系図
5 良尚→藤原良尚・菅根の系図
7 元方→藤原元方の系図
8 懐忠→藤原懐忠の系図
9 令尹→藤原令尹・成尹の系図
10-A 公経・成経→藤原公経・成経の系図
11 成家→藤原成家・忠興の系図
13 懐遠→藤原懐遠~経尹の系図
16 懐広→藤原懐広の系図
藤原武智麿の系図
藤原武智麿(むちまろ)【680−737】
左大臣。南家の祖。居宅が平城宮の南にあったことによる。長屋王の失脚後に政界を領導したが、天然痘で亡くなった。
妻 安倍貞媛(安倍貞吉の娘)
父は安倍真虎とも。
子 豊成・孫 継縄→藤原豊成・継縄の系図
孫 良因→藤原良因・長道の系図
孫 乙縄→藤原乙縄の系図
子 仲麿→藤原仲麿の系図
妻 小治田阿袮娘(小治田功麿の娘)
子 巨勢麿→藤原巨勢麿の系図
孫 黒麿→藤原黒麿・春継の系図
孫 弓主・今河→藤原弓主・今河の系図
孫 広河・伊勢人→藤原広河・伊勢人の系図
孫 真作→藤原真作の系図
孫 貞嗣→藤原貞嗣の系図
子 南夫人→文武天皇〜孝謙天皇・称徳天皇の系図
藤原豊成・継縄の系図
藤原豊成(とよなり)【704−765】
右大臣。橘奈良麿の変で左遷された。弟・仲麿の失脚後は政界に復した。
妻 路虫麿(むしまろ)の娘
子 良因・孫 長道→藤原良因・長道の系図
子 乙縄→藤原乙縄の系図
妻 藤原房前の娘
妻の父 藤原房前→藤原房前の系図
子 縄麿(ただまろ)【729−779】
中納言。光仁天皇の擁立に功があった。
妻 藤原百能(ももよし・ももの)【720−782】
妻の父 藤原麿→藤原麿・浜成の系図
子 中将姫(ちゅうじょうひめ)
当麻寺の曼荼羅を織ったとされる。
藤原継縄(つぐただ)【727−796】
右大臣。才識はなかったが謙虚な人柄で世の謗りを免れた。
妻 百済王明信(みょうしん)【737−815】
桓武天皇に優遇され、尚侍になった。
子 乙叡→藤原乙叡・真葛の系図
妻 大伴旅人の娘
妻の父 大伴旅人(たびと)【665−731】
大納言。大宰帥時代に詠んだ多くの歌が『万葉集』に収められる。
子 真葛→藤原乙叡・真葛の系図
子の夫 藤原清成→藤原清成・種継の系図
藤原良因・長道の系図
藤原良因/武良自
祖父 藤原武智麿→藤原武智麿の系図
父 藤原豊成→藤原豊成・継縄の系図
子 長山
父は藤原長道とも。
藤原長道
妻の父 藤原魚名→藤原魚名の系図
子 根乙麿/発木
孫 永雄/水雄
永雄の子の夫 藤原敏直→藤原真永の系図
曾孫 元淑
藤原永雄の孫とも。
子 都麿/発木麿
孫 仁秀/仁宗
曾孫 清身/清躬
子 助継→藤原助継の系図
藤原乙叡・真葛の系図
藤原乙叡(たかとし・よしたか)【761−808】
中納言。桓武天皇の寵遇されたが、伊予親王の事件で解官された。
祖父 豊成・父 継縄→藤原豊成・継縄の系図
子 道麿
子の妻の父 藤原城主→藤原楓麿の系図
道麿孫 安能
父は藤原豊雄とも。
孫 保則(やすのり)【825-895】
参議。元慶の乱では、出羽権守として平定にあたった。能吏として宇多天皇に登用された。
孫の妻の父 在原業平→平城天皇の系図
曾孫 清貫
大納言。落雷により死亡した。
清貫の子の夫 藤原恒佐→藤原恒佐・懐忠の系図
貞雄孫 有方→藤原有方の系図
父は藤原三守(→藤原三守の系図)・藤原有貞(→藤原有貞の系図)とも。
貞雄孫 常種
常種の子の夫 藤原懐平→藤原懐平の系図
子 平子→桓武天皇の系図
子 叡子→藤原浜雄~輔道の系図
藤原真葛
妻の父 安部広兼/広忠
子 氏主
子の妻の父 藤原貞公→藤原園主の系図
曾孫 好行/好越
藤原乙縄の系図
藤原乙縄(おとただ)【?−781】
参議。橘奈良麿の変で左遷されたが、藤原仲麿の死後に政界に復帰した。
祖父 藤原武智麿→藤原武智麿の系図
父 藤原豊成→藤原豊成・継縄の系図
子 岡継/綱継
孫 当道
孫の妻 藤原氏子
藤原小黒麿(→藤原鳥養・小黒麿の系図)の娘。
当道孫 増光/言光
当道孫 義友
義友の子の夫 藤原有国→藤原有国の系図
義友の孫 広業→藤原広業・家経の系図
義友の孫 公業→藤原公業の系図
当道孫 守友/守文
藤原助継の系図
藤原助継/継雄
祖父 良因・父 長道→藤原良因・長道の系図
子の夫 藤原直道→藤原直道の系図
子の夫 藤原行雄→藤原山人~佐世・藤生・世嗣の系図
清瀬
妻 藤原長岡の娘
妻の父 藤原長岡→藤原桜麿・長岡の系図
子 善方【?-929】
連真【?-974】
子 慶円
父は藤原尹文(→藤原尹文の系図)・藤原道明(→藤原高仁~道明の系図)・藤原永頼(→藤原永頼の系図)とも。
為章/為度
藤原仲麿の系図
藤原仲麿(なかまろ)/恵美押勝(おしかつ)【706−764】
大師。光明皇后に信任を受けて淳仁天皇を擁立するも、道鏡の台頭で孝謙上皇と対立を深めて挙兵し、敗れた。
妻 藤原宇比良古(うひらこ)【?−762】
尚蔵兼尚侍になり、仲麿政権を支えた。
妻の父 藤原房前→藤原房前の系図
子 訓儒(ときはか・くず)/久須麿(くずまろ)【?−764】
参議。藤原仲麿の乱では、中宮院の鈴印を奪おうとし坂上苅田麿に殺された。
子の妻 山慢女王
三嶋王(→舎人親王・淳仁天皇の系図)の娘。
子 真光/執弓(とりゆみ)【?−764】
参議。藤原仲麿の乱に加わり、処刑された。
妻 伴犬養の娘
子 刷雄(よしお)
藤原仲麿の乱では、禅行を積んでいたとの理由で隠岐に流された。
子 徳一(とくいつ)【760?−840?】
法相を学び、常陸の中禅寺や会津の恵日寺などを創建した。
子 朝狩(あさかり)【?−764】
参議。藤原仲麿の乱で父と行動を共にし、処刑された。
子 真文(まいと)
子 小湯麿(おゆまろ)【?−764】
藤原仲麿の乱で父に従い、石村石楯に殺された。
子 薩雄(ひろお・さちお)【?−764】
藤原仲麿の乱で父に従い、殺された。
子 辛加知(しかち・からかち)【?−764】
藤原仲麿の乱で佐伯伊多智に殺された。
子 真従(まより)
子の妻 粟田諸姉→舎人親王・淳仁天皇の系図
孫の夫 藤原広河→藤原広河・伊勢人の系図
子 執棹(とりさお)【?−764】
藤原仲麿の乱で父に従い、殺された。
養子 石津(いしづ・いわつ)
子 児従→藤原房前の系図
薩雄孫 能鷹(よしう)
薩雄孫 大町/大野
薩雄孫 有声(ありな)
刷雄孫 真行/真野
藤原巨勢麿の系図
藤原巨勢麿(こせまろ)【?−764】
参議。藤原仲麿の乱に加わり殺された。
妻 藤原弟貞の娘
妻の父 藤原弟貞→高市皇子~石見王の系図
子 黒麿・孫 春継→藤原黒麿・春継の系図
妻 丹墀臣部の娘
子 真作→藤原真作の系図
孫 村田→藤原村田・富士麿の系図
孫 百城・三成→藤原百城・三成の系図
孫 三守→藤原三守の系図
子 今河→藤原弓主・今河の系図
孫 新縄(にいただ)
曾孫 春主
父は藤原新縄とも。
妻 藤原宇合の娘
妻の父 藤原宇合→藤原宇合の系図
子 弓主→藤原弓主・今河の系図
妻 藤原永手の娘
妻の父 藤原永手→藤原永手の系図
子 貞嗣→藤原貞嗣の系図
孫 吉備・高岑→藤原吉備・高岑の系図
孫 岑人→藤原岑人~明通の系図
孫 高仁→藤原高仁~道明の系図
子 滝麿(よしまろ)
子の妻 大中臣清麿の娘
子の妻の父 大中臣清麿(きよまろ)【702−788】
右大臣。称徳天皇の信任が篤かった。藤原永手の急病の際には、大臣のことを摂行するなど朝議に通じていた。
曾孫 甲斐人(かいんど)
子 広河・伊勢人→藤原広河・伊勢人の系図
子 主後(ぬしの)
子 真書(またふみ)
母は不詳だが、川合・伊勢人と同母。
藤原弓主・今河の系図
藤原弓主
祖父 武智麿→藤原武智麿の系図
父 巨勢麿→藤原巨勢麿の系図
祖父 藤原宇合→藤原宇合の系図
子 川田
助川と同一人物とも。
孫 諸成
母は平秋仲の娘とも。
曾孫 公門/公明/高門
藤原今河(いまがわ)/今川【749−814】
妻 藤原乙麿の娘
妻の父 藤原乙麿→藤原乙麿の系図
子 真縄(さねただ)
伊勢雄孫 良載【?−936】
父は藤原良夏とも。
伊勢雄孫 高風
父は藤原忠主とも。
藤原広河・伊勢人の系図
藤原広河
妻 藤原真従の娘
妻の父 藤原真従→藤原仲麿の系図
子 坂野麿/板野麿/坂田麿
孫 久起雄/久越雄
曾孫 安宮/安寧
野主孫 諸元/諸兄
藤原伊勢人(いせんど)
鞍馬寺を創建したとされる。
藤原黒麿・春継の系図
藤原黒麿【?−810】
祖父 武智麿→藤原武智麿の系図
父 巨勢麿→藤原巨勢麿の系図
祖父 藤原弟貞→高市皇子~石見王の系図
藤原春継
妻 坂上盛の娘
子 良尚・孫 菅根→藤原良尚・菅根の系図
子 真宗/春宗
孫 真泉/真衆
曾孫 安于
曾孫の妻の父 藤原道明→藤原高仁~道明の系図
藤原良尚・菅根の系図
藤原良尚(よしひさ)【818-877】
祖父 黒麿・父 春継→藤原黒麿・春継の系図
妻 菅野高年の娘
子 当幹/当雄【?-941】
参議。父は藤原菅根とも。
妻 藤原秋緒の娘
妻の父 藤原秋緒→藤原承之・豊彦の系図
子 真興
父は藤原菅根とも。
妻 滋野氏
子 顕相【?-923】
父は藤原菅根とも。
子 真能守(またのもり)/真信守【?-923】
父は藤原菅根とも。
藤原菅根(すがね)【856-908】
参議。醍醐天皇の侍読を務めた。菅原道真の左遷の際には、藤原時平に加担した。
妻 藤原氏江の娘
妻の父 藤原氏江→藤原網主の系図
子 元方→藤原元方の系図
孫 懐忠→藤原懐忠の系図
子 淑姫→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
孫 兼明親王→常明親王・式明親王・兼明親王の系図
子 季方
父は藤原敏行(→藤原敏行の系図)とも。
曾孫 済成/浜成
藤原元方の系図
藤原元方(もとかた)【888-953】
大納言。広平親王の立太子が叶わず、怨霊となったとされる。
祖父 良尚・父 菅根→藤原良尚・菅根の系図
祖父 藤原氏江→藤原網主の系図
妻 藤原賀備能の娘
妻の父 藤原賀備能→藤原安継の系図
子 致忠(むねただ)
子の妻 元明親王の娘
孫 保昌(やすまさ)【958-1036】
藤原道長の家司。武勇に優れた。
孫の妻 和泉式部(いずみしきぶ)
実は大江雅致と平保衡の娘の子。為尊親王・敦道親王との恋愛関係で知られるほか、藤原彰子に仕えた。日記に『和泉式部日記』がある。
孫の妻の父 藤原資高→藤原斉敏の系図
夫 橘道貞→橘道貞の系図
孫 保輔(やすすけ)【?-988】
強盗の首領になり、追討の宣旨を15回受けた。
孫の夫 源満仲→源満仲の系図
曾孫 頼信→源頼信の系図
妻 橘良殖の娘
妻の父 橘良殖→橘良殖の系図
子 陳忠(のぶただ)
『今昔物語集』に強欲な国司として描かれる。
孫の夫 源則忠→盛明親王~源道成の系図
妻 藤原道明の娘
妻の父 藤原道明→藤原高仁~道明の系図
子 懐忠→藤原懐忠の系図
孫 令尹→藤原令尹・成尹の系図
妻 藤原尹風の娘
妻の父 藤原尹風→藤原尹甫・尹忠・尹風の系図
子 祐姫→村上天皇の系図
子の夫 源雅信→源雅信の系図
孫 扶義→源扶義の系図
藤原懐忠の系図
藤原懐忠
大納言。
祖父 菅根→藤原良尚・菅根の系図
父 元方→藤原元方の系図
祖父 藤原道明→藤原高仁~道明の系図
妻 藤原尹忠の娘
妻の父 藤原尹忠→藤原尹甫・尹忠・尹風の系図
子 重尹〔養子:藤原公経・藤原成経(→藤原公経・成経の系図)〕
権中納言。
子 令尹・孫 成尹→藤原令尹・成尹の系図
孫 信尹
父は藤原正家(→藤原敏行の系図)とも。
子 輔尹
実は藤原興方(→藤原興方~師長の系図)の子。養父は藤原正家(→藤原敏行の系図)とも。
藤原令尹・成尹の系図
藤原令尹
妻 高階成順の娘
妻の父 高階成順→高階峯緒~良臣の系図
子 懐尹
子の妻 大中臣輔親の娘
子の妻の父 大中臣輔親→大中臣輔親の系図
孫 成経/重経→藤原公経・成経の系図
実は藤原成尹の子。養父は藤原重尹(→藤原懐忠の系図)とも。
孫 親信
孫の妻 高階成順の娘
孫の妻の父 高階成順→高階峯緒~良臣の系図
曾孫の夫 源忠政→源政長の系図
子 令尹の娘
父は藤原懐忠(→藤原懐忠の系図)とも。
藤原成尹
妻 平信忠の娘
子 成家・孫 忠興→藤原成家・忠興の系図
妻 源光忠の娘/源元忠の娘
子 公経→藤原公経・成経の系図
子 成経→藤原公経・成経の系図
子 元真
父は藤原成家(→藤原成家・忠興の系図)とも。
藤原公経・成経の系図
藤原公経〔養父:藤原重尹(→藤原懐忠の系図)、養子:藤原盛経〕
祖父 令尹・父 成尹→藤原令尹・成尹の系図
妻 大江朝通の娘
妻の父 大江朝通→大江朝綱の系図
公経孫 盛行
父は藤原公基とも。
藤原成経/重経〔養父:藤原重尹(→藤原懐忠の系図)、藤原懐尹(→藤原令尹・成尹の系図)〕
父は藤原成家(→藤原成家・忠興の系図)とも。
子 盛経〔養父:藤原公経〕
孫 経仲
実は藤原知仲(→藤原信長の系図)の子。
孫 懐重/懐成
父は藤原経仲とも。
経仲孫 仲資〔養父:藤原仲房(→藤原定成の系図)〕
藤原成家・忠興の系図
藤原成家
父は藤原重尹(→藤原懐忠の系図)とも。
祖父 令尹・父 成尹→藤原令尹・成尹の系図
子 元真
父は藤原成尹(→藤原令尹・成尹の系図)とも。
藤原忠興
子 懐遠・孫 懐経→藤原懐遠~経尹の系図
子 懐通
父は藤原懐能(→藤原懐能の系図)とも。
子 懐宗〔養子:藤原有家〕
父は藤原懐能(→藤原懐能の系図)とも。
孫 懐家
実は源光兼(→源信孝の系図)の子。
曾孫 懐基/懐信
曾孫 懐重/懐実
曾孫 有家〔養父:藤原懐宗〕
子の夫 藤原資光→藤原資光の系図
藤原懐遠~経尹の系図
藤原懐遠
祖父 成家・父 忠興→藤原成家・忠興の系図
子 懐能/懐長
子の夫 藤原盛業→藤原盛業の系図
曾孫 懐兼
父は藤原懐定、藤原懐時とも。
曾孫 清説→藤原為説の系図
父は藤原為説、藤原懐定、藤原懐時とも。
曾孫 懐国
父は藤原懐定とも。
藤原経尹/懐実
歌人。上西門院の蔵人。物かはの蔵人と称された。
妻 承経の娘
子 懐業/懐成〔養子:藤原懐広・藤原清尹(→藤原懐広の系図)〕
子 懐広→藤原懐広の系図
藤原懐広の系図
藤原懐広〔養父:藤原懐業(→藤原懐遠~経尹の系図)〕
父は藤原懐範(→藤原懐遠~経尹の系図)とも。
祖父 懐経・父 経尹→藤原懐遠~経尹の系図
子 清尹〔養父:藤原懐業(→藤原懐遠~経尹の系図)〕
孫 業尹/懐能
懐世孫 藤尹/良尹
懐通孫 朝尹
朝尹の子の夫 高倉永季→高倉永季~永豊の系図
懐通孫 懐国【1341-1374】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。