このページでは、藪家(藤原氏南家・貞嗣流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藪家(羽林家)の略系図
1 範季→高倉範季の系図
1-A 範資・範弘→高倉範資・範弘の系図
2 範茂→高倉範茂の系図
3 範継→高倉範継~教遠の系図
14 嗣良→藪嗣良~嗣義の系図
18 保季→藪保季~実方の系図
高倉範季の系図
高倉範季(のりすえ)【1130-1205】〔養父:藤原範兼(→藤原範兼の系図)、養子:藤原範光(→藤原範光の系図)〕
従二位。父は藤原友実(→藤原友実・能兼の系図)とも。母は高階為賢の娘とも。院の近臣で順徳天皇の外祖父になった。高倉家(のちに藪と号した。)の祖。
祖父 友実・父 能兼→藤原友実・能兼の系図
妻 藤原範能の娘
妻の父 藤原範能→藤原友実・能兼の系図
子 範時【1166-?】
従三位。
孫 範周
父は高倉範季とも。
孫 範宣〔養父:藤原範光(→藤原範光の系図)〕
孫 教範
父は範性とも。
孫 顕範/範雄
妻 平教子(のりこ)
平教盛(→平経盛・教盛・頼盛の系図)の娘。
子 範茂→高倉範茂の系図
孫 範継→高倉範継~教遠の系図
子 重子→後鳥羽天皇の系図
妻 阿御前
藤原範能(→藤原友実・能兼の系図)の娘。
子 範資・範弘→高倉範資・範弘の系図
子 範尊・忠範
父は高倉範資(→高倉範資・範弘の系図)とも。
子 季子→藤原範光の系図
孫 藤原範朝→藤原範朝の系図
子の夫 藤原範宗→藤原俊憲の系図
子の夫 高階経仲→高階経仲の系図
子の夫 吉田資経→吉田資経の系図
高倉範資・範弘の系図
高倉範資
祖父 能兼→藤原友実・能兼の系図
父 範季→高倉範季の系図
子 忠範・範尊
父は高倉範季(→高倉範季の系図)とも。
孫 範経〔養父:高倉範茂(→高倉範茂の系図)〕
孫の妻 源定綱の娘
孫の妻の父 源定綱→源定綱の系図
範経孫 範宣/範定
曾孫 範行→高倉範茂の系図
父は高倉範房とも。
高倉範弘
子 範定/範衡
範定孫 範保/範基
範定孫 範種/範永
高倉範茂の系図
高倉範茂(のりしげ)【1184-1221】〔養子:高倉範経(→高倉範資・範弘の系図)〕
参議。後鳥羽院の近臣。承久の乱に敗れて入水した。甲斐宰相と号した。
祖父 能兼→藤原友実・能兼の系図
父 範季→高倉範季の系図
祖父 平教盛→平経盛・教盛・頼盛の系図
妻 平知盛の娘
妻の父 平知盛→平清盛の系図
子 範継・孫 範藤→高倉範継~教遠の系図
妻 九条長房の娘
妻の父 九条長房→九条光長・長房の系図
子 範房【1212-1278】
従三位。
孫 範世【?-1308】
従三位。
孫 範行
父は藤原範直(→高倉範資・範弘の系図)とも。
曾孫 範成【?-1303】
曾孫 浄範
父は高倉範藤(→高倉範継~教遠の系図)とも。
範房孫 藤嗣〔養父:藤原藤輔(→鷹司頼平の系図)〕
子の夫・孫の夫 忠成王→順徳天皇・仲恭天皇の系図
高倉範継~教遠の系図
高倉範継/範嗣
祖父 範季→高倉範季の系図
父 範茂→高倉範茂の系図
祖父 平知盛→平清盛の系図
妻 平信繁の娘
妻の父 平信繁→平信繁の系図
子 教範
父は高倉範右とも。
孫 教範
父は高倉範継とも。
高倉範藤(のりふじ)
従三位。
子 浄範
父は藤原範行(→高倉範茂の系図)とも。
高倉範春
正三位。
高倉範秀(以下、『系図纂要』による。)
高倉範久【1493-1546】〔養子:甘露寺経元(→甘露寺経元~尚長の系図)〕
参議。実は四辻季経(→室町公春~四辻公音の系図)の子。
妻 上冷泉為広の娘
妻の父 上冷泉為広→上冷泉為富~為益の系図
子 慈澄〔養父:広橋兼秀〕→広橋兼秀・国光の系図
妻 伊勢貞遠の娘
妻の父 伊勢貞遠→伊勢貞遠の系図
夫 大舘高信→大舘高信の系図
高倉範国【1564-?】〔養子:四辻教利(→四辻季遠~季満の系図)〕
実は柳原淳光(→柳原資定~資尭の系図)の子。
高倉教遠/季継→四辻季継~季輔の系図
実は四辻公遠の子。四辻家を継いだ。
子 藪嗣良・孫 嗣孝→藪嗣良~嗣義の系図
孫 中園季遠→中園季遠~実受の系図
藪嗣良~嗣義の系図
藪嗣良【1593-1653】
権大納言。実は四辻公遠(→四辻季遠~季満の系図)の子。
祖父 範国・父 教遠→高倉範継~教遠の系図
子 小倉実起〔養父:小倉実為〕→小倉公種~実躬の系図
子 中園季遠・孫 季親→中園季遠~実受の系図
孫 高丘季起→高丘季起~紀季の系図
子 季信・錦小路季紀・子 嗣良の娘(『藪家譜』による。)
藪嗣孝【1619-1682】
権大納言。
妻 山崎家治の娘
妻の父 山崎家治→山崎家盛~義方・俊家・治頼の系図
子 季基(『藪家譜』による。)
妻 広橋兼賢の娘
妻の父 広橋兼賢→広橋兼賢~貞光の系図
子の夫 徳大寺実維→徳大寺実維~公城の系図
藪嗣章【1650-1698】
参議。
藪嗣義【1685-1745】
子 保季・孫 公師→藪保季~実方の系図
藪保季~実方の系図
藪保季【1731-1799】
権中納言。実は清水谷雅季(→清水谷実業~公美の系図)の子。
祖父 嗣章・父 嗣義→藪嗣良~嗣義の系図
妻 滋岡辰長の娘
妻の父 滋岡辰長→東坊城益長~長維の系図
子 保秀/季庸【1751-1779】
妻 広橋勝胤の娘
妻の父 広橋勝胤→広橋兼廉~勝胤の系図
夫 烏丸光祖→烏丸光栄~光徳の系図
妻 三条実顕の娘
妻の父 三条実顕→三条実顕~実美の系図
子の夫 中御門経定→中御門宣顕~宣猷の系図
子の夫 難波宗董→難波宗尚~宗礼の系図
子の夫 六条有庸→六条有起~有義の系図
藪公師【1775-1821】
子の夫 錦織久雄→錦織久雄の系図
藪実嗣【1793-1851】
実は正親町公明(→正親町公明~公董の系図)の子。母は『藪家譜』による。
子 実嗣の息子(『藪家譜』による。)
藪季栄【1814-1867】
母は『藪家譜』による。
子 公通【1836-1851】
実は四辻公万(→四辻公韶~公賀の系図)の子。母は『藪家譜』による。
子 季栄の娘(『藪家譜』による。)
子の夫 中園実受→中園季遠~実受の系図
藪実方【1837-1882】
実は勘解由小路光宙(→勘解由小路資忠~光尚の系図)の子。母は『藪家譜』による。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。